恩寵と信仰者(◕‿◕✿)

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前回からの続き。。
(前の文から読んでいかないとわかりづらいと思います)

 成聖の恵み

この根本的な、本質的な聖性、すなわち恵みそのものは、
あらゆる種類の聖なる活動を実らせる。

恵みと共に、
信仰、愛徳、全ての超自然の徳がもたらされる。

私たちは恵みによって、聖なる業を、
私たちの中の恵みを源とする、
本当に神的な業を行なうにふさわしいものとされる。

それゆえキリストは、
「私があなたたちを立てたのは、
 あなたたちが行って、実を結び、
 その身を残すためである」(ヨハネ15.16)と仰せになることができたのであり、
また、パウロも、エフェゾ人に、
「私たちは善業を行なうために、
 キリスト・イエズスにおいて創造された」(2.10)と言っている。

恵みのあらゆる神秘は、
聖パウロの次の言葉に要約されている。

「神は、世の創造以前より、
 キリスト・イエズスにおいて私たちを選び、
 愛によって、ご自分の御前に、
 聖なるもの、汚れないものとするため、
 御旨のままに、イエズス・キリストによって、
 私たちをご自分の子にしようと予定された。
 それは、その愛する子によって、
 私たちに無償で捧げられた恵みの輝きが、
 讃えられるためであった」(エフェゾ1.4-6)


ここで、「恵み」という言葉を使用する場合の
あらゆる誤解を避けるために、
充分な説明をしておかなければならない。

恵みという言葉は、広い意味では、
神から与えられるあらゆる恩恵を指して用いることができる。


たとえば、
神は罪人を聖なるものとなすためではなくとも、
彼らに恩恵を与えることができる。

特に「恵み」という言葉は、
人間が、自分では持たない、
奇跡を行なう賜物、預言の賜物、
知らない言葉を話し、理解する賜物などのように、
神からしか来ることのできない賜物を指すために、
しばしば用いられる。

しかし、こうした賜物は、
必ずしも、それを受ける人を、聖とはしない。

そういうものは、
公の使命を果たすために、
聖化されていない罪人たちにも、与えられうる。

神学のラテン語で、こういう恵みは、
Gratum faciensではなく、Gratia dataと呼ばれている。

つまり、それは、
「無償で与えられた」から、恵みの名に値するのであって、
「それが人間を神の目に喜ばれるもの、聖なるものとする」からではない。


成聖の恵みは、
「無償で与えられたものであると同時に、また、喜ばれるものとする」ものである。

それは、ただ「無償で与えられた」神の純粋な賜物であるばかりではなく、
実際に、人間を聖なるものとし、
「神に喜ばれるものとする」のである。

前述のとおり、神のこの賜物は、
人間を実際に、その存在自身において聖化する、
「内的聖性」の賜物であって、
私たちの存在を、内面から変えることのない
外面的な業を行なうための賜物ではない。


つまり、成聖の恵みは、
〜洗礼によって神の子とする恩寵は〜
奇跡、預言、幻視などよりも、
無限にすぐれたものなのである。


つづく。。


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