誘惑は、霊魂が、神に忠実をあらわすか否かの機会を提供します。
ゲッセマニの園における使徒たちをごらんなさい。
「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい」
この主の警告にもかかわらず、彼らは眠りました。
危険が身近に迫っていたのも知らず、彼らは眠りました。
敵対者たちから不意に襲われると、
数刻前の忠誠の誓いもどこへやら、
みな、自分の師を見捨てて、
散り散りに逃げ失せたのです。
彼らのこの行動は、
同じ彼らがガリラヤの湖上で、
暴風雨と遭遇した時のそれに比べて、なんという様変わりでしょう。
舟は大波をかぶり、危険が迫る。。
彼らは大きな叫びをもって、必死で、イエズスに助けを求めます。
「主よ、助けてください。私たちはおぼれてしまいます」
また、誘惑は、
私たちに、大いなる経験的知識を与えます。
誘惑の至って貴重な効果は、
まさにこれなのです。
そのため、誘惑に遭っている人が、
誘惑を経験し克服した私たちに、光と助けを求めに来る時、
彼らを助けることができます。
誘惑がどんなものだか知らない人が、
どうして誘惑に遭っている霊魂を、
照らし、助けることができるでしょうか。
聖パウロも言います。
「キリストは、私たちの弱さに同情できない御方ではありません。
罪を犯されはしませんでしたが、
全ての点で私たちと同じように、試みに遭われたのです」(ヘブライ2)
ですから、誘惑がどんなにしばしば、
また、どんなに激しく襲いかかってきても、
決して恐れてはなりません。
それは1つの試練に過ぎないのです。
私たち自身の利益を思えばこそ、
神は、それをお許しになるのです。
誘惑がどんなにしつこくやってきても、
私たちが、故意にそれに身をさらさず、
または、それに承諾を与えない限り、
罪ではないのです。
たしかに誘惑の棘や魅惑を感じることはあるでしょう。
しかしながら、霊魂の城の本丸である自由意志が、
どこまでも拒み続けている限り、
何も心配することはありません。
イエズス・キリストが、私たちと共にいてくださいます。
彼より強いものは、どこにもいないのです。
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解りました。
負けないように頑張ります。
2009/3/13(金) 午前 9:05 [ じゃっき〜 ]
イエズス・キリストより強いものはない
信仰のお恵みより強いものもない
神様の信頼より強いものもない
神様の愛を忘れてはならない
誘惑に負けてはならない
ココロに刻みました・・・
2009/3/22(日) 午後 6:04