誘惑が、どこから来ようとも、
また、どんな性質のものであろうとも、
私たちは勇敢に、そして、ただちに、
これと戦わなければなりません。
聖ベネディクトは、ある日、
浮世のこしかたの歓楽の想い出によって、
ひどく肉の誘惑を感じた時、
すぐに衣服を脱ぎ、素っ裸で、茨の中に飛び込み、
全身が血だらけになるまで、
この誘惑と戦いました。
誘惑の敬虔は、
彼に3つの武器を開発させました。
「生命の瞬間ごとに、自分の行動を監視すること」
「どこにいても、神が私たちをごらんになることを確信すること」
「悪い考えがココロの中に浮かぶやいなや、ただちにキリストに投げ、打ち砕くこと」
警戒すること。。
これは、キリストご自身が、
私たちに授けられた武器なのです。
「誘惑に陥らないように、警戒していなさい」(マテオ26.41)
では、どのようにすれば、
この警戒を、自身に施すことができるでしょうか。
それは、痛悔の精神にひたることによってです。
痛悔の精神が、
私たちの霊魂に活き活きと躍動していれば、
自身に関して警戒を怠りません。
過去の苦い経験によって、
自分の弱さを自覚しているから、
あらたに神に背く機会を恐れて、
それを極力避けよう避けようと、
いつも目を覚ましているのです。
このように霊魂は、
自分に信用を置かないので、
キリストに助けを求めます。
イエズスは仰せになります。
「誘惑に陥らないように、祈りなさい」
この点でも、聖ベネディクトは、
キリストの真の弟子です。
彼は言います。
「悪霊に誘惑されたら、
これを退けなければなりません。
そして悪霊も、誘惑も、共に、
これを木っ端微塵に粉砕しなければなりません」(戒律4)
では、どのようにすれば、
この悪霊と誘惑を、粉々に粉砕することができるのでしょう。。
「悪い考えのみどりごを捕らえて、
これを、岩であられるキリストに投げうって粉砕する」のです。
聖ベネディクトは、悪い考えを、
罪の父である悪魔の、みどりごになぞらえています。
彼は言います。
「(悪い考えが)ココロの中に芽生えるやいなや、
ただちに、キリストに投げうって粉砕しなければなりません」(戒律4)
この「ただちに」という言葉に注目してください。
悪い考えや勧めが、ココロの中に起きるやいなや、
ただちに、間髪入れずに、それを祓いのけなければなりません。
誘惑と戯れていれば、
それはやがてココロの中で次第に大きく成長し、強くなる一方で、
私たちの抵抗力は、徐々に減退していくからです。
最初の一念において反撃を加えるほうが、
後々大きく成長してから、それをするよりも、
ずっと容易なのです。
粉砕しなければならないのは「罪のみどりご」です。
それは今しがた生まれたばかりの、弱々しいものです。
聖ベネディクトは、
「キリストに投げうって粉砕する」という表現をもって、
罪の都バビロンに投げつけている詩編作者の呪いを、
その念頭においていたことがわかります。
「お前のみどりごを取って、岩に投げうつ者は幸いである」(詩編136.9)
聖パウロによれば、
「キリストこそ、私たちの霊的建物の土台石なのです」(エフェゾ2.20)
実際、キリストの御許にはせより、助けを求めるのは、
誘惑に打ち勝つ一番確かな方法なのです。
悪霊は、キリストを恐れ、
十字架の前には、身震いします。
ですから、
信仰に反する誘惑に遭ったら、
ただちに、こぅ言いましょう。
「キリストが私たちに啓示されたことは全て、
御父からお聞きになったことばかりです。
キリストこそ、御父のふところにおられる、
その最愛の御独り子であり、
彼がこの世においでになったのは、
彼のほか誰も知ることができない神性の奥義を、
私たちに啓示されるためでした。
彼は真理そのものです。
そぅです。主イエズスよ、私はあなたを信じます。
でも、信仰の弱い私を、助けてください」
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