望徳に反する誘惑を受けた時は、
十字架にかかっておられるイエズスを仰ぎ見ましょう。
彼は全世界の罪の贖いであられます。
彼こそは、
私たちのために天にお入りになって、
私たちのために絶え間なく御父に執り成しておられる、
慈悲深い大祭司です。
「私のところに来る者を、
私は決して見捨てない」と仰せられます。
神の愛について、疑惑の念が、
ココロに暗い影を投じる時には、
天の御父の愛、キリストの愛を思い起こすことです。
御父は、実に、
その御独り子をお与えになるほど、私たちを愛され、
御子は、
私を愛して、私のために、その生命をお捨てになりました。
傲慢の念を、悪魔が吹き込む時には、
同じくイエズス・キリストを仰ぎ見ましょう。
彼は神の姿であられる御方なのに、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられ、ご自分をいやしくし、
死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、従われました。
冷たい自愛心が、
他人から受けた不義に対して報復を叫ぶ時には、
ご受難のキリストを回想しましょう。
「私は、私を打つ者に、自分の背をまかせ、私の頬をまかせ、
恥と唾を避けるために顔を隠したりしませんでした」(イザヤ50)
悪魔の共謀者である世間が、
私たちの眼前に、つかの間の栄華や歓楽のパノラマを展開する時、
ただちにキリストのそばに走り行き、申し上げましょう。
「主イエズスよ、
あなたのためにこそ、私は全てを棄てます。
いっそう近くからあなたに従えますように。
どぅか、ただの1度でも、あなたから離れ去ることを、
お許しにならないでください」
このように、キリストのことを念頭に浮かべれば、
打ち勝ちえない誘惑というものは1つもありません。
たとえ誘惑が、どんなに長く続いたとしても、
また、それに伴い、ココロの寂漠と精神の暗闇が
どんなにしつこく霊魂に襲いかかっても、
決して落胆してはいけません。
私たちの霊魂を、ご自分の恩寵でいっぱいにするために、
それを清めておいでになるのは
神ご自身だからです。
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>冷たい自愛心が、
>他人から受けた不義に対して報復を叫ぶ時には、
>ご受難のキリストを回想しましょう。
そうしたいと思います・・・
2009/3/15(日) 午後 2:03 [ じゃっき〜 ]