| 心の痛悔を獲得する方法〜祈ること、キリストのご受難を黙想すること〜 |
ごらんなさい。
敬虔な霊魂は、キリストの苦しみを想い、
愛でココロを突き刺され、
みずからへりくだるのです。
ご受難の夜、
哀れなペトロは、下女の詰問に恐れをなして、
主キリストを3度も否みました。
その瞬間、
敵の手におちて鮮血にまみれたキリストのまなざしが、
ペトロのそれと、パッタリ出会ったのです。
ペトロは、全てを了解し、
そして、「外に出て、激しく泣いた」(マテオ26.75)のです。
篤い信仰と深い敬虔をもって、
キリストの苦しみを黙想する霊魂の内奥にも、
この同じ現象が起きるのです。
彼もまた、
ご受難の夜のペトロのように、
キリストのあとについていくのです。
彼もまた、
十字架につけられているキリストの
憐れみのまなざしに出会うのです。
そして、これこそ、
彼にとって、大きな恵みなのです。
「十字架の道行き」をしながら、
しばしば、ご受難のキリストの足跡をたどりましょう。
キリストはその時、
私たちのココロに語りかけられるでしょう。
「私があなたのために、
どれほどの苦しみを耐え忍んだか、
想いめぐらしなさい。
園で3時間にわたり、死の苦悶をしのぎ、
使徒たちには逃げ去られ、
悪人たちからは顔に唾を吐きかけられ、
ヘロデからは狂人のように愚弄され、
偽証人たちからは讒言され、
ピラトからは不法な宣告をされ、
十字架の重さには耐え切れず地に倒れ、
丸裸にされては十字架に釘付けにされ、
共に天をいただかない敵対者から、散々に嘲られ、
渇いては、酢や苦いキモを飲まされ、
特に耐え難いのは、御父からさえも見捨てられたのである。
何のために私は、これら全ての苦しみを耐え忍んだのか。
それは、ただ、あなたのためにこそ、あなたを愛すればこそ、
あなたの罪科を償うためにこそ、あなたを救うためにこそ、
自分の血を流し尽くして、全てを支払ったのである。
あなたに、御父の憐れみを注いでいただくため、
私は戦慄すべき正義の鞭に、私の身を委ねたのである。。」
嘆き訴えるイエズスの御言葉に、
誰が無感覚でいられましょう。
十字架につけられておられるイエズスのまなざしは、
霊魂の深奥にまで達して、
激しい痛悔の念をもって、
これを刺し貫くのです。
私たちの犯す罪こそが、
キリストの全ての苦しみの原因だったことを悟らせるからです。
その時、私たちのココロは、
愛すべき救い主に、
ご受難の苦しみを実際におかけした事を想い、
悲しみのために粉々に砕けるのです。
このように、
神が、ある霊魂に、
黙想の間、天上の光によってお触れになる時、
どれほど貴重な恩寵であろうと、
おしげもなくお与えになるのです。
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