・・・なのでおミサには預かりましたが、ホスチアを頂けませんでした。
「人が自分に対する接し方」について、気に留めないようにしてください。
人の言動や内的状態をあれこれ詮索する事は、あなたには委ねられていません。
それらの件に関しては、全てをご存知の神に委ねて、それらの人の態度について考えないようにしてください。
『赦す』ということは、このような『心と思いの対応及び沈黙』を含んでいるからです。
人は自分がどのような状況下にあろうとも、善業をやめてはなりません。
ミサには参加するよう努めてください。
ただ聖体拝領について言及するならば、人は、その良心に従って行動すべきなので、『人がみんな聖体拝領してるから、自分は準備できてないけど、一緒に聖体拝領に行こう』との考えで聖体拝領する人は、自分への裁きを飲食する人に他なりません。
外見上正しい者のように振舞っていても、神はその人の内的状態をご存知です。
みなが皆聖体拝領することは理想ですが、人それぞれの心の状態は様々なのですから、現実にはありえないことです。
ですから、仮に、聖体拝領を控えたことについて、悪く評価する人がいるとすれば、それは聖体拝領について、思い違いをしている、と言わざるをえません。
神様があなたを見放すことなどありえません。あなたが神様を見放さない限り(信仰や希望、愛と信頼を打ち捨てない限り)、神様があなたを見捨てることなど、ありえないのです。
神様は心の狭い方ではありません。自分の尺度で、神様のことを決め付けてはいけません。
ご安心ください。あなたが想像すらできないほど、主はあなたを愛しておられるのです。
『神を信じる』とは、『自分への神の愛を信じ続ける』ということも含まれています。
だから、信じないものではなく、信じるものになりなさい。
知ってもらいたいことがあります。それは、ミサにおいて、聖体拝領には2種類ある、という事です。 秘跡的聖体拝領と霊的聖体拝領の2つです。
秘跡的聖体拝領については、大罪を持たず、良い意向をもって、聖体拝領を通常通りする人の、外面に見える行為です。
霊的聖体拝領というのは、人それぞれの諸般の事情により、通常通りの秘跡的聖体拝領が出来ない人たちのために、主が与えてくださる、最も貴重な霊的な宝、愛の営みです。
霊的聖体拝領は、『今、秘跡的聖体拝領ができませんが、望みのうちにもあなたをいただきたい』との熱い望みのうちに、「霊的に聖体拝領する」行為の事をいいます。
端的に言えば、ミサにあずかっても聖体拝領出来ない人々のための、主の大きな恵みです。
これについての詳細は、『霊的聖体拝領』のコーナーに載せる予定です。ですから、あまり外見的な事柄に捉われず、主に信頼してください。
『私の主よ、私の全てよ』との心の叫びのうちになされる霊的聖体拝領 は、その人の霊魂のうちで、主が、秘跡的聖体拝領に類似した恵みの効果を与えるものです。
霊的聖体拝領の前後には、準備と感謝の祈りを捧げなさい。
霊的聖体拝領は、外面には見えない、純粋な内的行為ですが、主がご自身の燃える愛であなたを包み込む『神の業』に他なりません。
神を信じ、神を希望し、そして何より、神を愛するのです。
神の愛は、あなたに先立ち、あなたに伴い、あなたを支え、あなたの足らなさの全てを、ご自身の愛で補ってくださいます。
ですから、いつでも、どのような状態にあろうとも、神に感謝を捧げ、その愛をたたえなさい☆
・.。*†*。.・実に、神の愛は永遠です・.。*†*。.・
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