プロテスタントのありがちな誤解

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プロテスタントのありがちな誤解


どうしてカトリックは、マリア様の絵や像を置くのですか?



それは、愛しているから
尊敬しているからです。

私たち人間は感覚を有していますから、
恋人同士でも、視覚を通じて、その人の微笑みを見なければ、
聴覚を通じて、「愛してる」との声を聴かなければ、実感としてわかないでしょう。
これが肉を持つものの実際です。

愛する人の写真が身近にあれば、
しばしばそれを見つめて、
それを通じて、愛する人にココロのまなざしが向けられます。

私たちは人間であって天使ではありません。
私たちは感覚の助けを受けながら、対象に向かいます。

それを通じて、
私たちのココロのまなざしは
よりいっそうたやすく天に向けることができるのです。


これは、自分が愛する人の写真、
自分が尊敬する人の写真のようなものと考えて差し支えないです。

あなたは愛する人の写真を眺めたり、
自分の身近に置いたりしないのでしょうか?

人は、愛する人の写真を、
身近に置くものではありませんか?
それは悪でしょうか?

子供の写真、親の写真、
親友の写真、仲の良い友達の写真を、
額やフレームの中において飾ったりしたことはないでしょうか?
アルバムを保存していないでしょうか?
携帯電話の待ち受け画面に登録することはないでしょうか?

絵画の才に長けている人であれば、
自分の愛する人、物やペット、自分が感動した風景を、
自分の筆で、絵にするでしょう。

彫刻家であれば、
自分の愛する人、自分が感動した風景や物やカタチを、
自分の彫刻技術で、像に仕上げるでしょう。

さらに言えば
どのような身分の人であれ
たとえなんらの才能や技術がなくても
自分のイメージの中で
自分の愛する人、自分が感動した風景や物やカタチを、
自分の想像力を用いて、鮮明に、あるいはぼんやりとでも、
自分独特の抱くイメージ(抽象的世界の造形)で、
その愛する対象を造り上げるでしょう。


愛する対象を、尊敬する対象を、感動する対象を、
自分の身近に見えるカタチにしたからといって
物に過ぎないそれそのものを、礼拝する人はいないでしょう?

それがはたして
偶像礼拝になるのでしょうか?
なりませんよね?

「見えるカタチ=偶像」ではありません。
「見えるカタチ=礼拝」ではありません。

画像にあるカタチを見て、
近くにいる本人を差し置いて「その人、本人だ」などと思い込む人はいません。
そのような人がいると決めつけるなら、人をあまりにも小馬鹿にしているのでしょう。


また、これをあえて偶像礼拝だと決めつけるなら、
単なる「言いがかり」でしかありません。

これが偶像礼拝になるのなら。。

写真も、画像も、絵画も同じものとして扱われるでしょう。
あるイメージを、ある見える像を、そこに焼き付けているからです。

自分が映った写真等も、
他者によって偶像礼拝行為がなされないようにするために、
あなたはそれを回収しなくてはなりませんね^^

愛のまなざしをもって他者の写真をみつめることが偶像礼拝になるのなら、
自分を愛してくれている人のもとから、
何としてでも回収しなくてはなりませんね。

所持、所有すること自体が偶像礼拝に直結するとの前提であるならば、
偶像礼拝行為がなされていないとは言い切れないのでしょうから。。

あなたは、あなたを撮影した写真、あなたが映っている写真を、
それを所持する人々に、「偶像礼拝になるから処分してくれ」と、
親戚宅やら知人宅やら学校関係やら会社関係をめぐりめぐって、
過去の想い出の写真から、写真つき年賀はがきに至るまで全て、
逐一回収して処分しなければなりませんね。
偶像礼拝の可能性を撲滅するために。

さらに突き詰めれば、
目に見えるものを偶像視するなら
目に見えないココロのまなざしにおけるイメージさえも「偶像」という結論になります。
ココロの中で、イメージの中で「像」を作っていることになるからです。

あなたの主張のとおりに、画像を、写真を、絵画を置くことが、偶像礼拝になるのなら、
上記結論〜ココロの中でさえ姿かたちなどのイメージを造ってはならない〜に至るはずです。


ところで、神は眼に見えるものの像の作成について、
何でもかんでもNGとしたわけではありません。

神への礼拝に寄与するかいなか、
これがポイントです。

神は、ご自分への礼拝に反しうるものを禁じて、
モーゼを通じて、このように告げられました。

「主が火の中から話しかけられた時、
 あなたたちには、何の形も見えなかった。
 それゆえ、各種の刻んだ形を、自分たちのために造ってはならない」(申命記4.15-16)

しかし神は、神への礼拝に反するものを禁じたのであって、
神への奉仕に役立つものを造るように命じられました。

神はその同じ旧約時代においてさえ、
人々をご自分へ立ち帰らせるため、
また、ご自分の崇敬に役立つものとして、
つまり、人となられた御言葉による救いを象徴的に現すものとして、
像や刺繍(青銅の蛇・契約の箱・ケルビム像)の作成を命じられたのです。

「燃える蛇を1つ造り、旗印の上につけなさい」(民数記21)
「純金の2つのケルビムを造りなさい」(出エジプト記25)
「ケルビムをその幕の上に織り出しなさい」(出エジプト記26)

それゆえ神は、眼に見えるものの像の作成について、
何でもかんでもNGとしたわけではないのです。


青銅で造られた蛇

民はモーゼのところに来て言った。
「主と、あなたを非難して、私たちは罪を犯しました。
 この蛇を私たちから遠ざけてくださるよう、主に祈ってください」
モーゼが民のために祈ると、主は仰せられた。
「燃える蛇を1つ造り、旗印の上につけなさい。
 噛まれてから、それを眺める人は、みな生きるだろう」
モーゼが青銅で蛇を造り、旗じるしの上につけると、
蛇にかまれたものはみな、この青銅の蛇を眺めて、生きるのであった」(「民数記21.7-9)

。。この出来事は、青銅の産地プノンの近くで起こりました。
  蛇が「燃える」と言われた理由は、毒で熱病を引き起こしたからです。
  旗じるしの上につけられた青銅の蛇は、
  十字架につけられた救い主イエズスの前表でした。
  つまり、青銅の蛇は「救いのしるし」となったのです。

ケルビム像

主はモーゼに仰せられた。
「私が彼らの間に住めるような聖所を造りなさい。
 それを造るには、私があなたに示そうとしている幕屋と設備の模型にならって、
 正確に造りなさい。アカシアの材木で聖櫃を造りなさい。純金の「贖いの場」を造りなさい。
 贖いの場の両方に純金の2つのケルビムを造りなさい。
 ここ、贖いの場の上から、私はあなたに現われよう。
 あなたは幕屋を、10の幕で造りなさい。
 ケルビムをその幕の上に織り出しなさい」(cf,出エジプト25.1-22&26.2) 


ニケアの公会議(787年)において
人となられた御言葉の神秘に基づいて、
聖画像の崇敬は、正当であると宣言されました。

「聖画像を敬うものは誰でも、それに表現されているものを敬うのである」

その対象となるのは、キリストのものだけでなく、
神の御母マリア、天使、全ての聖人も含まれています。

カトリックが聖画像に払う尊敬は、崇敬であって、
神にのみ捧げられる礼拝ではないのです。


聖トマス・アクイナス司祭教会博士は『神学大全』の中でこぅ言います。

「敬神徳による聖画像への崇敬は、
 聖画像そのものに向けられるのではありません。
 聖画像を通して、人となられた神に向けられるのです。

 画像に過ぎない聖画像に対して示される態度は、
 聖画像そのものに向けられるのではありません。
 その聖画像のもととなっている御方に向けられるのです」


カトリックにおいては、
キリスト、聖母マリア、聖人などの聖画や聖像の作成や崇敬を認めていますし、
イメージの中でキリストや聖母や聖人を想い浮かべてお祈りすることが推奨されています。

それらはみな、
神への愛を鼓舞することに寄与するからです。

神はキリストにおいて、
私たちの眼に見えるものとなられましたから、
つまり、私たちの感覚においても把握されることを望まれましたから、
私たちの感覚にうったえる聖画や聖像を認めておられるのです。
それらが、ご自分への礼拝、崇敬、祈りに奉仕するものであることを、ご存知だからです。



「そのしるしに向き直る人は、
 眺めたそのものによって救われたのではなく、
 全ての人の救い主であるあなたによって、救われたのです」(智恵16.7)




閉じる コメント(13)

額がスバラシイです☆
愛する人の写真・・・飾ってないです
飾られてもない・・・かな
みんな捨てちゃった・・・。。。^^;
ポチ☆

2009/5/5(火) 午前 0:21 [ たまご ]

マリア様の像はとても美しく優しいですね。
ポチ!

2009/5/5(火) 午前 1:06 [ - ]

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そうですね。自分もご像や絵をおかせて頂き、常に頂いたロザリオと不思議のメダイを持ち歩いてます。(ちゃんと祈るようには代父様から頂いたものがありますが。)そして困った時、苦しい時は手をあてて、祈ります。ご像や絵も大切にする、愛する対象としての(それ自体でなく)それを通じて感じられる道具?(ふさわしくないかもしれませんが)ではないでしょうか。

2009/5/5(火) 午前 1:26 [ Ka,Sa ]

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難しい問題だと思います。
個人的には、自分の眼で愛を確認できるので、とてもいいのですが、
華美に飾り過ぎたりするのは権力や財力の象徴みたいで嫌だし、きれいで神々しい雰囲気に流されるのも納得いかないし…
でも、結局は自分の心ですよね!
訳わかんないコメントでごめんなさい〜

2009/5/5(火) 午前 9:42 [ じゃっき〜 ]

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すごく勉強になります。

ありがとうございました。

2009/5/5(火) 午後 1:44 [ - ]

私の悩みの種ですぅ。。。。笑

2009/5/6(水) 午前 9:06 マリア

ポチ★

2009/5/12(火) 午後 6:20 マリア

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お早うございます。

2009/5/17(日) 午前 6:33 マリア

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ここの内容を拝見することでローマンカトリックの自分にとっても勉強になりますし、なぜか泣けてくる時が・・・

2009/8/9(日) 午後 8:41 [ gabt ]

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まさにその通りで御座います。ポチ

2010/1/4(月) 午後 9:45 [ - ]

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有難うございました。今、暖かい愛、母の愛が不十分な若者が、たくさん居る事を知り、驚いています。私達の世代がしなければいけなかった事、自分の事だけで、伝え忘れてきてしまった事のようです。地球の宝、子供達・若者達をお守りくださいますよう・・・

2010/1/17(日) 午後 10:56 [ BJのママ ]

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>どうしてカトリックは、マリア様の絵や像を置くのですか?

この質問自体に対して「えぇっ?」っとなります;;
私は信者ではない身で、プロテスタントでもないですが、プロテスタントの方から
こういう質問が出るということに驚いてしまいます。

こういう説明をされたらきっと理解が深まるでしょう。ポチ☆

2010/7/29(木) 午後 1:44 真昼の月

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プロテスタントの方たちに説明するときに
この詳しい記事はとても役に立ちますね

「神は、神への礼拝に反するものを禁じたのであって、神への奉仕に役立つものを造るように命じられました」 その通りですね
神様に反する偶像ではなくて、聖像は神様に喜ばれるものですから

2012/12/4(火) 午前 0:43 ニール


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