全人類共同体は、最初のアダムの罪のゆえに腐敗させられ、永遠の生命を所有できないものとなった。
また、この共同体から生まれ出たあなたたちは、全て腐敗させられ、永遠の生命を所有できないものとなった。
そのため私は、私の言葉、私の一人子を、あなたたちに賜物として与えた。
私は、あなたたちの人間性の惨めさに私の偉大さを一致させ、罪のために失われていた恵みを回復させたのである。
私は苦しみを感じることはないので、苦しみを耐え忍ぶことができないが、私の神的正義は、罪過への処罰を要求した。
その一方で、人間は、その償いを果たすために十分な能力を有してはいなかった。
仮に何らかの償いを果たしたといえども、それは自分自身のために過ぎず、理性を与えられた他の被造物のためにはならないのである。
実際、人間は、自分のためにも他人のためにも、恵みを享受するに足るほどの償いを果たす事が不可能であった。
それは、その罪過が、無限のいつくしみである私に対して犯されたものだからである。
それ故、私は、堕落した人間、前述の理由により、さらにその人間性の弱さの故に、自分では償いを果たしえないものを、回復させたいと望み、私の子である言葉を遣わし、腐敗したアダムの共同体から生み出されたあなたたちと同じ人間性をまとわせたのである。
それによって、人間が罪を犯した、その同じ人間性の中にあって、彼に苦しみを享受させることで、十字架上での屈辱に満ちた死に至るまで、その体を罰に服させることを通して、私の正義の怒りをなだめさせるためである。
こうして彼は、私の正義に償いを捧げると共に、人間が創造された本来の目的である善へと到達することが出来るよう、その罪過の贖罪を要求する私の神的憐れみをも、満足させたのである。
こうして、神の本性に一致した人間の本性は、全人類のための償いを果たしえたのである。
私は、この2つの本性の一致の故に、私の一人子のいけにえの奉献を喜んで受け入れたのである。
こうして人間の本性は、もっぱら神の本性の功徳によって、罪過を賠償することができたのである。
アダムの罪の汚れは、このようにして消されたが、傷が治った後にも傷跡が残るように、罪への傾きと多様な肉的弱さが、印として残されたのである。
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buna!!!なんかすごいですねぇ〜。一言、一言におもみがあって!!感動です☆ここに来るといつも、神様の尊さにきがつきます!
2006/10/23(月) 午前 5:14 [ - ]
ゆうさん、Buna dimineata&Multumesc♪ヾ(*^▽^*)〃神様のことについて心に感動を味わっていただいて&喜んでいただいてとっても嬉しいです゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+.♪これからも....φ(´・ω・`)頑張っちゃいま〜す♪・.。*†*。.・
2006/10/23(月) 午前 5:59
『その罪過の贖罪を要求する私の神的憐れみ』とありますが、なぜ、厳しく『罪過の贖罪を要求する』ことが、『憐れみ』なのかと言えば、仮に(ありえないことですが・・・)神が、贖罪を要求されなかったならば、人類は、『永遠の死』へと見放され、完全に失われたままになってしまうからです。神の憐れみの愛は、それを見過ごすことがおできにならなかったのです(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)ですから、いつ、どこでも神に感謝を捧げましょう*†*私たちへの、その憐れみの愛は永遠だからです☆*。.・
2006/10/23(月) 午前 6:16