霊的聖体拝領

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霊的聖体拝領とは。。

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☆霊的聖体拝領☆〜活ける愛の炎〜

霊的聖体拝領とは




霊的聖体拝領とは、
聖体のイエズスの聖心の燃える愛を、
至聖なる御体を、最も尊い御血を、
最も崇高な御霊魂を、至高の神性を、
霊的に、拝領することです。


聖体の拝領方法には、
そもそも秘蹟的な拝領と、霊的な拝領があります。

霊的聖体拝領の方法を知る人は、
聖霊に息吹かれています。


聖体の秘蹟は、
最も崇高な秘蹟、秘蹟の中の秘蹟であり、
最上の準備のないままに、これを秘蹟的に拝領することは、
誰にも許されていません。


秘蹟的聖体拝領できるのは、
大罪を有しておらず、
成聖の恩寵の状態にある信者で、
肉体的準備(定められた断食)がなされ、
ふさわしい意向を有している者です。

当然のことながら、
秘蹟的聖体拝領する者は、
準備の祈りをもってココロをととのえ、
愛に満ちた感謝の祈りをもって、自身を捧げなければなりません。


秘蹟的聖体拝領ができない信者は、
上記の条件のいずれかが欠けている状態にある者です。

ある者は、大罪の秘蹟的赦免を個別に受けていないケース、
ある者は、肉体的準備がととのわない〜1時間以内に飲食をした〜ケースがあります。

厳密に言えば、
ふさわしい意向を有していないまま、準備の祈りもしないまま、
単に、習慣的に機械的に外面的に近づき、
秘蹟的に聖体拝領することは、適切ではありません。
それはイエズス様に対して、あまりにも失礼というものです。

そのような場合、往々にして、感謝の祈りも捧げないまま、帰宅することになり、
結果的に、秘蹟の恩寵を受け損ねることになります。

ですから、このようなケース(意向の欠如、準備と感謝の祈りの欠如)も、
最上の準備がととのえられているとはお世辞にも言えません。


「聖体の秘蹟への崇敬においては、
 畏怖と愛が結びついています。

 愛は、聖体を受ける憧れを呼び覚まし、
 畏怖は、謙遜な畏敬の念を起こします。

 それゆえ、
 日ごとに聖体を拝領することも、
 たまに拝領を控えることも、
 この秘蹟への畏敬においては、結合しています。

 秘蹟を授かろうとする者は、
 自らが、深い敬虔の想いと畏敬のココロをもって、
 この秘蹟にあずかろうとこころがけるのです。

 もし、毎日、聖体を受けるための準備がととのう人であれば、
 その人が日ごとに聖体拝領するのはけっこうなことです。

 しかしながら、多くの一般的大衆にとっては、
 このような信心には、いろいろと数知れない妨げがあるので、
 毎日この秘蹟にあずかる、というのは、
 全ての人には、有益とはなりません。

 ただ、人が、聖体拝領のための準備に、
 自分の身がととのったと確信する度に、
 これにあずかる、というのが有益です」(聖トマス・アクイナス司祭教会博士)


「教会は、信者が聖体を拝領することが許されない、客観的条件を定めています。

 全ての信徒が、聖体拝領できる状態で、
 ミサ聖祭に参加する、というのが最高であるのは当然です。

 とはいえ、信徒が集団で、各々のココロの状態を全く考えず、
 聖体の食卓に近づくことが生じる場合があります。

 このような誤った行為を、
 慎重に、確固として矯正する責任が、
 主任司祭に課せられます」(『あがないの秘蹟』82-83)


なお、大罪を有するまま秘蹟的聖体拝領することは、
恩寵を受けられないばかりか、崇高な秘蹟を汚す大罪を重ねることとなります。
これは「汚聖の聖体拝領」と呼ばれ、霊魂に死をもたらします。


Sumunt boni, sumunt mali:
sorte tamen inaequali,
vitae vel interitus.

善人も拝領し、悪人も拝領するが、
受け継ぐものは同じではない。
生命あるいは破滅である。

Mors est malis, vita bonis:
vide paris sumptionis
quam sit dispar exitus.

悪人には死が、善人には生命がもたらされる。
ごらん、同様に拝領したとしても、
どれほど異なる結末であることだろう。

(聖体の続唱『Lauda Sion』より 聖トマス・アクイナス司祭教会博士)


秘蹟的聖体拝領ができない信者の中で、
信仰と希望と愛に息吹かれた霊的聖体拝領の実践が行なわれます。

肉体的準備がととのわない〜1時間以内に飲食をした〜ケースや、
ミサに遅刻して、感謝の賛歌のあと、聖堂に入ったら、すでに聖変化、というケースは、
霊的聖体拝領がなされるべきです。

秘蹟的拝領のためには、ふさわしい準備が欠けており、
教会が定めた条件を、明らかに満たしていないからです。


大罪の秘蹟的赦免を個別に受けていないケースに関しては、
霊的聖体拝領ができる場合と、そうでない場合があります。

そうでない場合とは、大罪を痛悔するキモチさえない場合です。
そもそも、そのような人は、霊的聖体拝領というものを知りません。
みずから恩寵を遮っているので、そういった発想も望みさえも起こらないからです。


「いかなる罪も、痛悔がないままで赦されることはない。
 大罪は、秘蹟によらなければ、
 また、望みの秘蹟(完全な痛悔)によらなければ赦されない」(Denzinger : 796,895)

「現実的大罪は、
 聖徳を意味する『痛悔』のないままに赦される、ということは不可能です。
 
 通常、罪の赦しは、
 告解の秘蹟において、結び付けたり解いたりする、司祭の職務により、全うされます。

 ただ、キリストが、姦婦や罪女をお赦しになられたように、
 神は、秘蹟によることなく、罪を赦すことがおできになります。

 むろんキリストは、痛悔の聖徳が彼らになければ、
 これらをお赦しにはなりませんでした。

 秘蹟という薬剤は、
 実際に施用された場合に限らず、
 これにあずかる決意がなされただけでも、効果があるのです。

 それゆえ、傷(罪)の治癒(霊的救い)が、
 秘蹟による個別的赦免に先んずることが、しばしばあるのです」

 (聖トマス・アクイナス司祭教会博士)


霊的聖体拝領ができる場合とは、
大罪の秘蹟的赦免を個別に受けていないケースでありながらも、
犯した大罪をココロから痛悔していて(完全な痛悔)、赦しの秘蹟を受ける望みをもち、
愛のうちに働く、生きた信仰に満たされて、
主イエズスの至聖なる御体と最も尊い御血を、
霊的にでも受けたい、との望みを抱く場合です。

「この霊的聖体拝領によって、
 彼らは秘蹟の効果を確実に受けているのです」(トリエント公会議 8)


秘蹟的聖体拝領ができない人々に対しては、
霊的聖体拝領の行為を通して、
聖体のイエズスの聖心が、神秘的な方法で、
その人々に、ご自身をお与えくださるのです。

実に、その人々は、神秘的な方法で、
主イエズスの御体を食べ、
その御血を飲ませていただくのです。

聖体のイエズスの聖心の燃える愛が、
それを行なうのです。

素晴らしい至聖なるエウカリスツィアの秘蹟は、
世々にたたえられますように!



聖体のイエズスの聖心よ、全世界があなたの愛で燃えますように!



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閉じる コメント(18)

先日病気してからか、
未受洗の為聖体拝領が出来ない身なのに、
ミサ当日の朝は、服薬の為の水しか受け付けなくなりました。
食べたい飲みたいという気が起きなくなったんです。
それまでは普通に朝食を摂っていましたが。。。

もしや、体が洗礼の為に準備をしているのだろうか・・・??
と思う日頃です。


しかし、ミサの1時間以内に教会の近くの喫茶店で食事を摂る信者の方がいます。
信徒会館のロビーでコーヒーを飲む信者も・・・
どうなってるんだろう・・・?

ベネさんのブログを読んでいて思ってしまいました。

Wポチ♪

2010/2/1(月) 午前 1:14 Carmela

「どうなってるんだろう・・・?」

善意に解釈するならば
おそらく無知によるものでしょう。
しかしながら、可及的速やかに是正されるべきです。

信者の再教育が必要な状態にあるようです。
たしかに、大切なことを知らなさ過ぎる人が多く見受けられます。

彼らを教える環境がととのっていないのか
それとも、彼ら自身に学ぶ気力さえないのか、わかりません。

御ミサや聖体拝領の恩寵よりも
現世的、肉体的、感覚的なものを優先した生活を送ると、
そのように無関心になります。

聖体拝領について、
条件を満たさないまま、準備に欠けたまま、
秘蹟的拝領することは避けなければなりません。
不熱心さと冷淡を加速させるだけです。
煉獄で過ごす期間がつらく長くなるばかりです。
最悪、成聖の恩寵の喪失へとつながります。

みずからの上に裁きを飲食するようなことになれば
みずからの上に永遠の死を呼び込むことになってしまいます。

2010/2/1(月) 午前 1:25 Benedictus

誰ももっていないものを、人に与えることはできません。

聖体の秘蹟から恩寵の流れを汲まない人は
他者に、その恩寵の流れをもたらすことはできません。
その種の恩寵に欠けているからです。

先輩信徒のよくない面を
マネしてはいけません。

何が正しいのか、何がふさわしいのか、
しっかりと、これから学ばれていってください。

2010/2/1(月) 午前 1:25 Benedictus

そうですね。
アドバイスをありがとうございます。m(_ _)m

2010/2/1(月) 午前 1:54 Carmela

心して何度も拝読させて頂きます。
先輩の信徒さんからもこのようなお教えをお聞きしています。
有り難うございます。


後ほどポチを押しに参ります。

2010/2/1(月) 午前 10:02 [ - ]

傑作・村ポチ!

2010/2/1(月) 午後 5:31 [ - ]

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<大罪の秘蹟的赦免を個別に受けていないケースでありながらも、
<犯した大罪をココロから痛悔していて(完全な痛悔)、
< 赦しの秘蹟を受ける望みをもち・・・、
<それゆえ、傷(罪)の治癒(霊的救い)が、
<秘蹟による個別的赦免に先んずることが、しばしばあるのです

はい・・・今回のごミサで、それを身を持って体験させて
いただいたようです^^
霊的にしかご聖体をいただけない至らなさ、
いえ、その資格さえないかもしれない・・・
という悲しい思いで、ごミサに与りましたが・・・
なぜかいつになく、こころがあたためられ慰められた感じがして、
幸福感に満たされていました。。
その後お頼みしたゆるしの秘跡で、神父様は、愛に満たされた
告解でしたね^^と、優しく微笑みとてもお喜び?になられました

ですが、今回の神様のご慈愛に感謝しつつも このように
お優しい方だからこそ、やはりご聖体をいただくこころの準備を
しっかり整え、いつもご聖体を霊的にも秘跡としても十全に
受けさせていただかなくてはと思いました
貴重なご指導をありがとうございました
Wぽち☆

2010/2/1(月) 午後 6:10 [ - ]

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イエズス様そのものである御聖体をいただくということを
いつも心に大事にとめておくために、こんな素晴らしい記事を
ありがとうございます
御ミサに毎日あずかれないので、心をこめて、心をととのえて
「霊的御聖体拝領の祈り」を続けたいと思います

2012/11/6(火) 午後 3:57 ニール

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・・・難しすぎてため息がでますが・・私の場合、新聞配達しながら、そして帰宅してシャワーを浴びた後、ごミサに与る前、どうしても、喉を潤してから、とか、甘いものを一口入れてから、またバイクにまたがり出かけていました。朝食なんか摂る時間はまるでないんですが、私の場合は身体の準備ができていないということなんですね?
ごミサで、ご聖体を拝領すると、ものすご〜く疲れていた気持ちも身体も何だか急に軽くなるんです。準備しなきゃならないなんて知らなかったんですけど、頂いた後の自分に、結果が出てくる、みたいな感覚で頂いてました。そうなんだ・・そうなんだ・・・どうしたらいいのかなあ・・・

2013/7/22(月) 午後 7:17 [ teresa ]

秘蹟的聖体拝領に関して
教会は明確な指示を与えてきました

「信者は聖体をふさわしく拝領する準備として
教会の定めに従い、飲食物を控えなければなりません」
(cf, カトリック教会のカテキズム 1387 )

「至聖なる聖体を拝領する者は
聖体拝領前少なくとも1時間、水および医薬のみを除き
一切の飲食物を控えなければならない」
(cf, カトリック新教会法典 919 )

主日のミサの所要時間はおよそ1時間あるいは1時間半です
平日のミサはおよそ30分です
その時間を我慢できない場合
水に関しては、摂取が許されていますので
この時期、熱中症の懸念もあれば、なおさら1時間以内の水の摂取は許容されます

犠牲のあるところ、そこに愛があります

空腹感を、聖体の主への愛のささげものとして
あずかるミサにおいて併せて捧げてみてください
.

2013/7/22(月) 午後 7:47 Benedictus

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あ。お水は大丈夫なんですね?食事なんてしなくても平気ですけど、水分は摂らないと咳き込んだりしてかえって周りにご迷惑がかかりますね?それでは、次回からそのように致します!ありがとうございました。

2013/7/23(火) 午後 1:16 [ teresa ]

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ありがたく、実践いたします。知れば、また違う気持ちでごミサに与れそうです。・・・もう一つ、克服できないのが、地獄の9時半開始の時間です・・3時起きの私は、途中で意識がなくなることがありまして・・ある人は、「構わないのよ。ごミサに与っているのだから、体中で受けています」と言ってくださいましたが、どうしても気になって、6時半開始の修道院のミサに与ることが自然に多くなったのです。ベネさん、居眠りは、まずいですよね?

2013/7/23(火) 午後 1:43 [ teresa ]

ミサ聖祭は
主の十字架のもとに
聖母、聖なる使徒、聖なる婦人たちと
神秘的に、秘蹟的に、人を臨在させる神の賜物です

人は、その意識下で
自分にとって重要か、それとも重要でないかを潜在的に抱き
その意識が、外的にも、おのずとあらわれてくるものです

あなたの大切にしている人、あなたの愛している人、あなたの親友、あなたの恋人が
自分のために、いのちを捧げておられることを自覚していれば
眠気をはらうことは容易になるはずです
.

2013/7/23(火) 午後 11:17 Benedictus

「目覚めて祈れ」
との主の御言葉を、その都度想い起こして
みずからの自覚の不足を戒め、腕をつねったり
惰性的にではなく、いつも新鮮な想いでミサにあずかるようにしてください

たまに、説教中、うんうん頷いているかと思えば
ここちよく眠りに入っている人を見かけますが
もちろん、わざわざミサに寝に来ているわけではないでしょうから
よほど疲れがあるのでしょう

私たちは人間であって天使ではないですから
肉に由来する弱さをもっていますし
人となられた御言葉である主は、私たちの弱さをご存知です

過度の疲労により不可抗的に居眠りしてしまったことに気づいたなら
それを率直に、主に、内的におわびを入れて謝って
新たな気持ちでミサにあずかり続けてください
.

2013/7/23(火) 午後 11:18 Benedictus

意向をミサ前に立てるようにしてください

他の祈りでも言えますが、意向を立てておけば
かりに人間的弱さで不注意や散漫が一時的に生じたとしても
その意向を、主はくみとって、その業の全体を受け取ってくださいます
これは聖人聖女たちが、祈りや働きにおいて信者たちになした霊的勧告と同様なものです

なお、ミサ聖祭中での不注意の償いのための祈りがありますので
(『ミサ後の感謝の祈り』書庫の『聖子への祈り』記事の『主への嘆願』)
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/sacerdosaeternus/1550938.html
それを唱えつつ、みずからの至らなさを主に捧げてください
そうすれば主は、その謙遜な行為を、喜んで受け入れてくださいます
.

2013/7/23(火) 午後 11:19 Benedictus

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お説教をききながら、ちょっとうとうとしてしまう事が
今まで何度もあったことを、上のコメントを読んで反省しました

求道者の時に、教会の黙想会に初めてあずかった時に、神父様の
おだやかな口調、優しい内容に心の緊張や疲れがとけて、居眠り
してしまったんです
その事を信者さんに話したら、「霊魂の休息だったんですね」
と慰めてくださったので、それ以来、お説教を聴きながらうとうと
する事を容認する心がありました
後で聴くために録音したり、眠くならないようにお話を書きとめたりすることもあったのですけど、これからはしっかりとお話を聴きます

2013/7/23(火) 午後 11:59 ニール

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「意向」ですね。はい。了解しました。
それにしても、ここに流れる曲の美しいこと・・・

2013/7/24(水) 午後 6:34 [ teresa ]

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霊的聖体拝領さえ、ゆるされない場合があるんですね

大罪を痛悔するこころさえない場合、ですね
そのような時は、自分自身が「霊的聖体拝領」を
望むこころさえ、失ってしまっている状態かもしれません

記事やコメント欄でも、いろいろ教えてもらいました
以前読んだ記事ですが、以前よりもよく理解できるように
なってきたように思います
素晴らしい教えの記事に感謝します

2015/6/4(木) 午前 0:27 ニール


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