恩寵と信仰者(◕‿◕✿)

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ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵からくる神の認識と愛


前述のとおり、
認識と愛とは、
対象を認識し、愛して、
認識され愛された対象を、自分のなかに所有し、認識し、愛する主体のなかに、
その対象が存在することです。

だから恩寵は、
私たちの本性に備わっていないもの、人間的本性がもつことのできないものを、
私たちに、実際に与えるものです。

つまり、
認識と愛の対象として、
私たちのなかに存在する神を、
私たちが神について持つ認識の中に、私たちを神にひきつける愛の中に、
あらわれてくる神を、私たちに持たせるのです。

アンティオキアの聖イグナツィウス司教の言葉によれば、
このようにして私たちは「神の運び手」「テオフォロイ」となるのです。

聖パウロは絶えず繰り返します。

私たちが、神の生きた神殿であり、
この神殿の中に、神が知られ、愛されて、
その中に、神が生き、宿られるのです。

このように認識する、ということは、
人が認識することによって所有し、
知っている全ての存在で、
自分自身の存在を富ますことであり、
また、認識によって、
自分の中に所有し知っていることの大きさまで、
自分自身を拡大させることです。

恩寵は、
全く、私たちが知り、自分の中に所有する神的存在の無限の大きさまで、
私たちの人間的存在を拡大させるものです。

すなわち、神について私たちがもつ認識によって、
神ご自身がみずからを残らず私たちにお与えになるのです。

もし愛が、
愛される対象への「賜物」の動きによって、
愛する存在を、彼自身と彼の限界から引き出し、
愛される存在の中に引き入れ、
その大きさにまでふくらませるものとするならば、
恩寵は実際に、
愛によって私たちを自分自身とその限界から脱け出させ、
「賜物」の動きの中に引き入れて、
神的存在の無限の大きさにまで、
私たちの人間的存在を拡大させるのです。

神はみずから、
この愛の動きにおける自分自身との完全な通じ合いの中で、
私たちを残らず自分の中に取り入れてくださるのです。

こうして、恩寵による人間存在の神化の説明ができたわけです。

人間が、本体的に神になることはできません。

したがって神の本性が、私たちに分かたれるのは、
私たちの本体によるものではなく、
認識と愛によるものなのです。

恩寵によって、私たちが神と一致するのは、
本体的な一致ではなく、
認識と愛の世界における一致なのです。

神学用語で言えば、
恩寵によって人間は「実体的に(entitotive)」神になるのではなく、
「意向的に(intentionaliter)」神になるのです。

そういうわけで、超自然的生命は、
知恵と意志を備える存在にだけ可能なのです。

私たち人間の知恵と意志とは、
神そのものを認識し愛する、自然的能力ではありません。

しかしそれは、認識し愛する能力ですから、
恩寵によって、神そのものを認識し愛する能力を、
超自然的に受けることができるのです。

恩寵は、
認識し、愛する能力に根をおろすのでなければ、
人間存在に接ぎ木されることができません。

だからそれは、
人間本性に反するものではなく、
また、それを滅ぼすものでもありません。

それどころか、
私たちの本性を神化するために、
認識し、愛する、その本質的能力の中に、
私たちの本性を取り入れ、受け入れます。

ゆえにそれは、
認識と愛の全く神的な働きの中に、
私たちを実り多いものとするのです。

ペギー(Peguy)は、
詩的直観によってそれを摑み、
「自然性の木と、恩寵の木は、1本となり、
 自然性に接ぎ木された恩寵が、その木に、神の果実を実らせる」
と表現しています。



記事の「テオフォロイ」(神の運び手)は
聖書に出てくる「テオフィロ」(神の愛されしもの)とは異なります。

成聖の恩寵を有する信徒は
神の内在する神殿として、彼に接する人々に、
神を感じさせる、神をもたらす、神を知らせる、という主旨で
「神の運び手」と表現されています。

このような意味で
現代の一般的な「テオフォロイ」は、マザーテレサが有名でしょう。

聖女は、見捨てられた人々、失望しかけた人々のもとを訪れて
人々に「神の愛」を触れさせ、もたらしました。

神の愛の宣教者会を創立した聖女は、神の愛を人々に運び、知らせ、
人々のココロに神の愛をもたらした、まさに「神の運び手(テオフォロイ)」と言えます。

聖女のうちに、キリストが生きておられ、
人々は、その神の愛の働きに触れたのです。

第2ヴァティカン公会議文書の表現によれば
成聖の恩寵を有する教会は、世界に対する「救いの普遍的秘蹟」であり、
成聖の恩寵を有する信徒は、恩寵によって、霊魂の救いをもたらす、神の働きの道具因となります。



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(テオフィロという個人の名前が出るのは66巻中ルカ伝と使途言行録だけです。テオフィロという名前の意味は「神に愛された人」もしくは「神を愛した人」です。彼はクリスチャンの総称のような人物)

記事に出てくる「テオフォロイ」とはこのルカ伝の「テオフィロ」の
ことでしょうか?
前に神父様が皆さんもテオフィロです、と言われました。
愛と認識とを身につけさせて頂いて神様に近付けますように・・・

傑作・村ポチ!

2010/3/3(水) 午後 1:31 [ - ]

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毎日、驚いています。毎晩、マリア様の絵にお話していること、報告がそのまま届いているような翌日の記事、アドバイス。毎日、ありがとうございます。

2010/3/3(水) 午後 7:51 [ BJのママ ]

神さまは自然性である私たちに認識と愛に
よって恩寵を接ぎ木をするように与えて
下さるのですね。神さまに感謝します。

感謝ぽち(+village)

2010/3/3(水) 午後 11:19 [ 千代 ]

教えて下さって有難うございます。

マザー・テレサ様がテオフォロイ(神の運び手)
のお一人だったのですね。よくわかりました〜☆
感謝ですm(__)m

2010/3/4(木) 午前 9:06 [ - ]


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