プロテスタントのありがちな誤解

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道徳の権威は何に由来するか?


人間の道徳に権威があるとは思えません。
プロテスタントは、ルターの事よりも、ただ聖書に書いてある事を重んじます。
マリア像も拝まないし、キリスト像も拝みません。
ただ問題は、66巻だけが聖書としている点。
旧約聖書外典を認めるプロテスタント教会は一つも見たことありません。

上記意見は、
善業や道徳についていただいた記事コメでしたが、
なんだか話がすりかわりそうだったので、
とりあえず記事にしておきます。

コメを出してくださった勇気に感謝しますが、
そこに誤謬を交えられては、ここの閲覧者にとって不利益となるので注意されてください。

事実に反する自論の展開については、自ブログでヨロシクです。


☆   ☆   ☆   ☆   ☆


「人間の道徳に権威があるとは思えません」とのことですが。。


道徳観倫理観については、そもそも良心の拘束があります。
すべきこと、してはならないこと、これについては良心の促しがあります。
倫理的良心は、人が正しい道に導かれるようにするための、個別的な神の促しです。

人のココロに存在する倫理的良心は、
時宜に応じて、善を行ない、悪を避けるよう、人に命じます。

倫理的良心は、正しい選択を承認し、悪い選択を咎めて、
具体的にどのような選択をすればよいかを判断します。

良心は、最高善である御方〜神〜に準拠した真理の権威を明らかにします。
賢明な人は、良心の声に耳を傾けることによって、神の御声に従うことができます。

それゆえ、道徳は良心に根ざすものであり、
神の権威に由来するものですから、
人は、良心の促しである道徳の権威〜神の権威〜に、つまり『ココロの法』に従うべきです。

人は、単に、知るだけ、信じるだけ、ではなく、
良心の促しに従って行動すべきであり、
『主よ、主よ』と言うだけでなく『神の御旨を行なうこと』が、人の救いに求められているのです。

これが、聖ヤコボの言う『生ける信仰』と『死せる信仰』の違いです。
確かに、悪魔も、神を知り、おそれおののいても、神が促す善業を行なうことはありません。



「プロテスタントは、ルターの事よりも、ただ聖書に書いてある事を重んじます。
 マリア像も拝まないし、キリスト像も拝みません。」とのことですが。。


プロテスタントは、
いわば自由解釈の人々です。
ですので、それぞれの教団の中でも、いろいろな考えが混在しています。

自由解釈を推進し、提唱したのが、たまたまルターというだけで、
『我〜自分の考え〜』を曲げたくない、自由に都合に合わせて解釈したい信念を持つ人々です。

みながみなルターの考えではないでしょうし、
その違いは、さきの記事に次ぐものの中に記載する予定でした。

あと、カトリックの教導権に対抗する、という思考から、
『プロテスタント』と呼称されることを望む人々です。

プロテスタントは、
聖書についての、『自分の考え』を最高の権威とする性質をもっています。
ですので、カトリックに賦与されている教導権を認めません。

聖書そのものというより、
聖書を読んだその人の考えが、至高の信条となるのです。

その自分の考えを、おのおのが重んじています。

ですので、教えの解釈も、人によってバラバラです。
これが実際のところです。

プロテスタントにおいて、事実を直視したくない人々は、無知のままにとどまろうとします。
さらに一歩進んで、自己防衛のために、虚偽を吹聴しようとする悪いクセがあります。

プロテスタントによるカトリックについての虚偽情報の代表的なものが、
『カトリックはマリアを拝む』『像を拝んでいる』『聖体?偶像礼拝だ』という主張ですが、
これらは明らかに事実に反する主張であり、
社会的に言えば、『不実告知によって』、
カトリックを学ぼうとするものの前に妨げをおくものです。
プロテスタントの常套手段といえるでしょう。

僕は当初、プロテスタント教会で学びましたが、
尋ねてもいないのに、カトリックはこうだああだ、と吹聴されていました。
今思えば、はっきり言って迷惑です。



「ただ問題は、66巻だけが聖書としている点。
 旧約聖書外典を認めるプロテスタント教会は一つも見たことありません。」とのことですが。。


それを決めたプロテスタントが、
66という数字にこだわりがあったのかもしれませんが、
もともと自由に選別したものでしょうから、何とも言いようがありません。

プロテスタントの実態に関する情報をありがとうございます。


プロテスタントにありがちな、いつもながらの誤った意見が含まれていたので、
「それについては関連書庫や記事を見ておいてください」ぐらいにしておいて、
見過ごそうかと思いましたけど、たまたま時間が取れるので記事にしました。

僕のブログの書庫『プロテスタントのありがちな誤解』に書いておいた記事を、
ちゃんと読んでくれていれば、聖母や聖画像についてのカトリックの考えを尊重して、
上記の誤ったコメを入れて、こちらをわずらわすこともなかったでしょう。

コメる前に
もう少し配慮してもらえればな〜と思います。

社会的に『気が利かない』コメは
なるべく控えていただきたいものです。

ただ、今回の件は、カトリックのことやプロテスタントの違いのことが、
いまいちわからない人には、ちょっとぐらいは参考になると思います。

詳細をお知りになりたい方は
『プロテスタントのありがちな誤解』の記事をお読みください。

追記;この記事自体を『プロテスタントのありがちな誤解』に移動させます。


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ステンドグラスが綺麗ですね〜

何か物事を行うとき、自分の良心は自然に意識して
それが良いことか悪いことかを判別しますね。
そこに神様の促しが与えられているのですね。
神に感謝です☆

感謝&村ポチ!

2010/9/20(月) 午後 1:36 [ - ]

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プロテスタントはカトリックでないすべてのキリスト教の人だから、
その中には、これは違うと言う人と、結構カトリックの考えに
そっている人といろいろですよね。
私はカトリックだし、そのことに誇りを持っているけど、
プロテスタントでも、私の教会の人よりよっぽど立派な人も
たくさんいます。
しかも、千葉では、カトリックとプロテスタントは仲良くしていますよ。
たぶん、おなじ神様を信じるものとして。。。

2010/9/20(月) 午後 7:51 スー★

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さやさん。
私は横浜でしたが、牧師はカトリック教会と仲良くしていましたけれど、信者には、カトリックはマリア像を礼拝していると教えていました。

2010/9/20(月) 午後 9:53 [ purintempo ]

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ま、いろいろ細かいところで違いがあるから、違う教会なんでしょう・・・でも、ま〜細かいところに目くじら立てなくても、
神様を信じる者がみんな仲良くすることを、神様は望んでいらっしゃるとおもいますよ。。。
ま、私たちはカトリックだし、マリア様が大好きだから、
マリア様のお像も大事にするし…
お互いに違いを認め合ったうえで、仲良くできたらいいですね

2010/9/21(火) 午後 8:31 スー★


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