ミサ聖祭について✿ฺ

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ミサ謝礼に対するミサ挙行の在り方について
 
原則現状提案
 
 
>ひとつの御ミサでは、依頼をうけるのは司祭ひとりずつにひとりから、だけでしょう?
 
そうですよ
 
>主日ミサにたくさんの意向が読まれたりするのは、同じ意向で
>また平日の朝などに御ミサをささげてくださっているからですか?
 
違います
 
同じ1人の依頼者からの意向でもないし
同じ意向でもないし
平日だから、とか、そのような区別はないです
 
個人的には
今のようなミサでの複数の依頼者の意向の混合や
奉納金受領のあり方には反対の立場です
 
というのも
1件の依頼に対しては、1つのミサ挙行が原則のはずだからです
 
奉納金授受は特殊な有償契約である、とされていることからすれば
複数の依頼を1つのミサ挙行で済ませることは
信義則に反して契約不履行の可能性もあるからです
 
そしてまた、主日の盛儀のミサに関しては
教区司祭は、そのうけもった教区民のために、主日の盛儀ミサを捧げて
個人の意向は、主日の盛儀ミサでは引き受けないはずだからです
 
つまり現在の各教区でのやり方は、
宗教上の教会法に反して、また社会通念上の信義則に反して
濫用されている、と考えています
 
 
あと、最近はほとんど第2奉献文が主日に使用されているので
(本来、主日のためには、第1もしくは第3奉献文の使用が、教皇庁より指示されています)
複数の依頼を受けている際、
奉献文自体よりも、意向で読み上げられる個人の名前のほうが、
長く感じたりするケースさえあります
 
 
なお、本記事で扱う意向は
金銭の授受のない、一般的な意向
「みなさん、先日おなくなりになられた〜〜さんのためにもお祈りしましょう」
といったものについてではなく
正規のミサ奉納金を授受した場合の
個別的意向でのミサ挙行について扱います
 
ミサの際、共同体の中で病に苦しむ人や助けを必要とする人のため
ミサ導入部で、複数の名前をあげて
彼らのための祈りを呼びかけることは誉むべきことであって
本記事ではそれをすべきでないという主旨でないことは言うまでもありません
 
金銭授受による正規の依頼の意向と
金銭授受のない、その一般的呼びかけとは
明確に分けて考えるべきです、という主旨です
 
 
教会法には、ミサ奉納金(謝礼)に関して、次のように定められています
 
 
ミサは、奉納額が僅少であっても、提供され、受領された個々の奉納金、
それぞれの意向のために、個別に、挙行されなければならない。(第948条)
 
同じ日に数回ミサを挙行する司祭は、その各々を、
奉納金を提供した者の各々の意向のために捧げることができる。(第951条)
 
誰であれ、1年以内にその義務を果たすことができないほど、
自ら捧げなければならない多くのミサの奉納金を受領してはならない。(第953条)
 
主任司祭は、就任開始後、
主日ごとに、また、その教区において守るべき祝日に
自己に委ねられた教区民のために、ミサを捧げる義務を有する。
主任司祭は、この義務を果たさなかった場合
果たしていない回数のミサを
教区民のために、可及的速やかに捧げなければならない。(第534条)
 
 
以上の教会法の規定からすれば
 
1人の依頼者からミサ奉納金を受領した司祭は
その依頼者の意向で、1件のミサ聖祭の挙行がなされ
3人の依頼者からミサ奉納金を受領した司祭は
その依頼者の各々の意向で、3件のミサ聖祭の挙行を果たさねばならない
③また、主任司祭は、主日の盛儀ミサを、教区民のために捧げなければならず
他の依頼を受けて、その依頼者の意向で、主日の盛儀ミサを挙行してはならない
④複数依頼があれば、主日の盛儀ミサ以外の日程で
その各々の意向のミサを、各々個別に、挙行しなければならない
 
という考えが、正しいはずです
 
また、1665年9月24日付け検邪聖省教令により
司祭が同一のミサのための2重の謝礼を受けることは
正義と敬神の徳に反する、弛緩主義の誤謬である
として排斥されていることからすれば(cf, Dz1108;倫理神学概論Ⅱ,154,c.)
同一ミサで、4重、5重の謝礼を受けることは もってのほか
という結論が引き出されます
 
また、2004年3月25日付け典礼秘跡省指針『あがないの秘跡』により
「ミサ奉納金(謝礼)について
 教会法で遵守するよう定められているとおりに
 全て、遵守されなければならない」Redemptionis sacramentum 116)
として、各地方教会で守られなければならない事柄に挙げられています
 
さらに同指針は
「全ての濫用が徹底的に正されるよう
 各自が持てる限りの力を出して事に当たるようにさせるべきで
 これは全ての人が、各自、負わなければならない最も重要な義務であり
 全ての人に、そうする責任がある。
 司祭であれ、助祭であれ、信徒であれ
 典礼に関するよくない行為を見つけた場合
 それを教区司教、司教と同等の裁治権者
 教皇の首位権のある使徒座に対して
 正式に苦情を申し立てる権利が、教会法上ある」(Redemp. sacra.183,184)
と明確に、全てのカトリック信者に対して義務づけています
 
このため、本記事をごらんになられた各地域の信者の方々は
各教区において、もし、ミサ謝礼に関する濫用を見つけた場合
誰であれ、教区司教もしくは使徒座(典礼秘跡省)に対して
報告と苦情を申し立てるべきだと思います
 
 
>ミラノ会の神父様たちは、その日は他にもう頼まれているので
>別の日にしてくださいときちんと言われていました
 
それが全うな対応です
 
現在、小教区でなされている
主日での、しかも複数の依頼者の意向を混ぜ合わせた、ミサ聖祭の挙行は
教会法に照らして考えれば、法令に明らかに抵触しており
濫用であり、違法である、と考えられますし
是正されるべき事柄である、と考えられます
 
 
なお、信者は
1件の依頼の際
生者のため、死者のために、意向を委ねることができます
 
その場合、司祭は
第1奉献文を使用することで
依頼された意向に基づいて
生者の名前、そして死者の名前の各々を
第1奉献文の該当箇所において、唱えることになります
(1人の依頼者が
 複数の生者、複数の死者の名を挙げることは許容されると考えられます)
 
 
「聖なる父よ、あなたに信頼する人々、
 ヨゼフ海野三郎マリアきぬを心に留めてください。
 また、ここに集まっている全ての者を心に留めてください
 その信仰と真心を、あなたはご存じです。
 私たちと全ての親しい人々のために、
 この賛美のいけにえを奉献し。。。。
 
 聖なる父よ、信仰をもって私たちに先立ち、安らかに眠る人々、
 マリア海野愛を心に留めてください。
 この人々、またキリストのうちに憩う全ての人に、
 喜びと光と平安を与えてください。。。。」
 
   
1件の依頼者の意向の背景には
そこに至った思い入れや切実さがあり
1件1件のそのような個別的な重みに対して
司祭は、誠実に、真摯に、主に願いを捧げるべきであると考えられます
 
教会法が1件の依頼に対しては
個別にミサを捧げるように、と司祭に指示しているのは
そのような『個々への想いやり』からであると、僕個人は考えています
 
お金いただきました、はい、ミサで名前読みあげました
といった表面的なあり方は、本来の主旨から外れていると思いますし
まして、依頼されていた名前の読み方がわからず
間違えて読み上げてしまった、となれば
明らかに準備不足を露呈することになり
やはり依頼した信者のかたに対して、配慮が足りないように思います
 
そのような失態が起こらないためにも
依頼された1件には、誠実に対応すべきことが、求められると考えられます
 
 
複数の依頼者の意向を、一緒くたにしてしまう、ということは
その依頼者の個々の意向を尊重しているとは、到底言えません
 
話をジュースでたとえるのもなんですが。。
煉獄の霊魂も
自分に割り当てられるはずの果汁100%のジュースが
なぜか他の煉獄の霊魂たちに分散されて
自分の手もとに来たのが果汁15%のジュースに変わっていたとしたら
けっこうショックだと思います
 
煉獄の霊魂なので
それなりに何でもありがたく感謝しながら受け取ると思いますけど
そこは依頼された以上、ちゃんとしてあげるのが
地上における仲介者としての司祭の責任であると思います
 
複数の意向を混ぜれば
おのずと意識が分散したり、偏ったりするものです
 
「みんなで祈ろう」、というのであれば
ある依頼1件の対象者となっている煉獄の霊魂Aさんのために
「今日はお願いがあります。みなさんいろいろ想いはあるでしょうが
 今日はこのAさんの安息を、煉獄におられるならその解放を
 このミサで一緒にお願いしていただきたいと思います」といったように
その1件のミサ挙行で、みんなの意向をそこに集中させる、というのが
本当の意味で、「みんなで祈ろう」、ということになるはずです
 
また、煉獄の霊魂Aさんの解放も、それによって早まるはずです
 
 
司祭の側の都合で
便宜上、依頼をまとめることで
謝礼を複数、1つのミサで受領すれば
個々に捧げる手間も省けて、一挙両得のような感覚で嬉しいかもしれません
 
しかし、それは、司祭の側の利便的都合に過ぎず
依頼者の側に立ったものの考え方でもなく
煉獄の霊魂への配慮にも欠けていて、愛徳にもとりますし
教会法で、してはならならない部類の事柄に該当しますから
依頼された個別の意向は、教会法に従って、主日の盛儀ミサ以外の日程で
まごころと想いやりをこめて、忠実に捧げられるべきです
 
「みんなで祈ろう」というのであれば
主日に、ミサ導入部で、一般的な意向として
彼らの名をあげて、会衆に祈りを呼びかけ
その主日の盛儀ミサとは別の日程で
個々の依頼された意向で、あらためて
個別に、各々の依頼ミサを1件1件挙行する、というのが
教会法にも抵触せず
なおかつ、共同体の人々を祈りに招くための、全うなやり方だと思います
 
また、奉納金を受けない意向の場合
(その時々における司祭による個人的発意での意向表明で)
個人名を挙げるのは
主日の盛儀ミサの『共同祈願』において、それを行ない
正規に奉納金を受けた意向の場合
個人名を挙げるのは
主日の盛儀ミサ以外の日程のミサの『奉献文』の中で、それを行なう
といった、明確な区別をつけるのも、考慮されてよいと思います
 
従順は恩寵をもたらしますが
不従順は恩寵を妨げます
 
司祭が、目先の利益を優先させて
個々の正規の依頼の重みを軽視し続ければ
司祭自身、煉獄に入ることになった際
司祭自身に、地上でなしたことが、はね返ってくると思います
 
つまり、自分のためにミサが依頼されているにもかかわらず
その霊的果実を十全に受けることができず
煉獄にとどまらなければならない期間が長くなってしまう、という不利益を
司祭自身がこうむるはめになるでしょう
 
 
共同体意識の名のもとに
個々の願いを真摯に受けとめず
収益上での利便性や効率化を優先させたり
まして、教会法から逸脱したりすることは
1人ひとりを大切にする『個々への想いやり』から外れていると考えられます
 
また、煉獄の霊魂が本来受けられるはずの霊的利益(免償の十全さ)を
そのような違法行為によって、阻害してしまっていると考えられます
 
 
司祭は
神から委ねられた、地上における恩寵の管理者だからであり
その司祭の考え方1つで
煉獄の霊魂の浄化の期間の長短にも影響を与えうる存在だからであり
神ご自身が、『人の救いに、人の協力を用いる』と決定されたからです
 
 
 
マザーテレサ
 
私たちの活動は
直接1人ひとりに、愛をもたらすことです
私たちは、どのような時にも、1人ひとりを大切にします
 
 
 
主任司祭は
濫用をさけるため
教会法の定めるところに従って
信者から1件の依頼を受けた場合
主日の盛儀ミサ以外の日程で
その1件の依頼のためのミサを、個別に挙行すべきであって
他の依頼者のミサ挙行に、別の依頼者の意向をまぜるべきではないですし
複数の信者から、複数の依頼を受けた場合
各々個別に、平日に、その依頼ミサを捧げるべきである、と考えられます
 
それが、1人ひとりへの真の想いやりであり
神の恩寵と愛をもたらす愛徳であり
「あなたは大切にされていますよ」と
霊的に、個別に、各々に呼びかける
恩寵をもたらす1つの声 Una voce になると思います
 
 
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追記
2014.10.1
 
 
これまで、主日のミサの奉献文の中で
複数依頼の故人名が読み上げられていたカテドラルで、変化がありました
 
『主日のミサは教区民のために捧げるべきものなので
 個別の依頼は平日のミサに依頼するように』との指示がなされました
 
どうしても主日にという場合、引き受けますが
主日のミサの中では名前を読み上げることはせず
別の日に、もう1度、個別にミサを捧げます、といった内容のようです
 
ただ、思うに
主日に個別的依頼を受けて
その後、また別の日にもう1度捧げられる一方で
主日の教区民のミサについては
別の日には捧げられることはないわけで。。。
 
そのようなことになれば
教区民のためのミサが個人依頼分よりも尊重されない
といったことが起こりえるのでは?
 
明確に個人依頼を引き受けない旨を表明したほうが無難ではないでしょうか

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丁寧に教えてくださってありがとうございます

ある教会で主日ミサに与かった時に、祭壇上にたくさんの
依頼の封筒が置かれ、依頼者と意向をたくさん読み上げられました

洗礼を受けた教会ではそのような事がなかったので、驚きました

2013/9/1(日) 午前 1:45 ニール

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依頼した御ミサにはなるべくあずかって、一緒にお祈りしてください
という、まったく当然な勧めを司祭からされたことがありますので、
何日でしょうか?とたずねて、御ミサにあずかるようにしています

それから、短い時間でも紙に書いた意向に加えて、状況を説明するようにしています
何年前にこのように亡くなりましたとか、このような問題で苦しんで
いますとか、このように嬉しいことがあったので、神様に感謝をささげる意向ですとかです

私は自分が洗礼を受ける前から、信者ではない先祖の霊魂の安息のためにも御ミサをたのんでいました

2013/9/1(日) 午後 6:17 ニール

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長い間、へんだなぁと思っていた疑惑が払拭されました。

ですよね〜。それが当たり前で、あるべき姿ですよね。

うちの教会は大きいので仕方がないのかなと思っていました。
信徒の要望に応えるためにもいたし方ないのかな、と。

でもそれを仕方がない、で妥協するのではなく、信徒に説明してより良い典礼のあり方、より深い恵みのいただき方を教えるのも主任司祭の役目だと思います。一方で信徒の方もこのようなことを自分でちゃんと勉強して、正しい判断をすることも大切なのだと思いました。
とはいえ、なかなかそんな勉強もできないので教えてくださってどうもありがとうございました。

2013/9/5(木) 午前 0:47 [ マルグリット・マリー ]

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私の霊的指導司祭にこの件を質問しました

「私は原則、1回のごミサでひとりのかたからの意向だけを
ささげています。でも、どうしても命日が重なったり、また
翌日の平日にミサにあずかることができないと頼まれる事も
あるので、そういう時は先に依頼した人に、他の人といっしょに
意向をうけてもよいか尋ねて、同意してもらってから2つの
意向でミサをささげます。
そして、翌日もういちど、そのふたつの意向のためにごミサを
ささげています。
私は受けた意向1回に付き、必ず1度御ミサをささげています。
他の神父様がたがもしも、教会法に沿わないことをされているのなら
それはそれぞれの司教様の判断にまかせます。
まちがっていたら、司教様が注意をされると思います。」
ということでした

神様に感謝!

2014/4/3(木) 午後 3:06 ニール

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先日、S神父様に、主日のメインミサに教会信徒一同のほかに
個人からミサ依頼の意向を受けられたことについて、
質問することができました

「僕は他の日に、司祭館でひとりでもう一度同じ意向の
ミサを捧げています 他の司祭もそうされていると
思います」ということでした

あるカテドラルでは、信徒用の教会出入り口に、どの神父様がどの日に
誰からのどういう意向のミサを依頼されているか、掲示されていました
信者は、それを見て空いている日に依頼すればいいんだけど
公開されているなんてすごい方法だなーと驚きました
誰かに偏ったりせずに、なんとなく平均的に依頼が埋まっている
ところに、信者さんたちの思いやり&深い信仰を感じました

2014/9/17(水) 午後 3:49 ニール


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