過去のご質問の回答

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Eucharistic Devotion, the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
 
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私たちのうちにおける神の国
〜私たちは神の現存の神秘の証し人〜
 
 
先日とある集いで、その日のテーマが聖霊降臨で、みんな日常生活の中で聖霊に祈ることはない、とか、聖霊は何か遠い存在であまり心中にない、というような話をされたので、私は、いやいやそうではないでしょう、もっと身近な存在で、いつも私たちの心を正しい方向に導いたり、強めたり、励ましてくれたりしているでしょう、というようなことを、自分の体験を交えながら話したのですが、みんなポカンとしていて聞き慣れないことを言うみたいな反応だったので、ちょっと凹んでしまいました。私が異質なのか、熱く語れば、今回のように浮いてしまい、考え込んでしまいます、とのことで。。。
 
 
うーん
たぶん普段の生活の中で、祈りがほとんどなされてないかもですねー
 
前に○○の集いで
常日頃、神様の現存をほとんど感じない
とかいう意見があったりしましたよね?
たぶんあれと同じだと思います
 
 
そもそも聖霊は、教会の魂であり
私たちはキリストの神秘体ですから
私たちキリストの神秘体の霊的生命活動全体は
その神秘体の魂である聖霊の働きによるものです
 
 
信者は聖霊の神殿で
神殿の主人を意識してないとか
あり得ない話だと思います
 
ひとことで言えば
『その核心において病んでいる』(ラッツィンガー枢機卿)んだと思います
 
自分が何によって生かされているか、考えていれば
おのずと感謝と感動に包まれて
深い礼拝、賛美、嘆願、
いたらなさのお詫びの念、涙まじりの感謝の表現が、
常日頃捧げられ、
日々観想的な祈りに導かれ、
神様の愛の抱擁と、いつくしみ深い寵愛の現存を感じるはずです
 
 
個人的にはなにかの集まりの時には
神様の現存の素晴らしさについて話したりします
 
『実に、神の国は、あなたたちの中にある』
 
主がこのように仰せられたとおり
神の国は、私たちの中に萌芽として与えられていて
天に入った時に開花しますけど
この世にいる間、神様の現存を受けているものとして
私たちは、家庭や社会や学校で
信仰の伝達や想いやりの愛を通じて
神様が私たちと共にいてくださる
『現存の神秘のあかし人』になるべきだと思います
 
それが、私たちのうちにお住まいになる聖霊の愛の発露なんだと思います
 
たとえ折がよくても、そうでなくても
反応がよくても、そうでなくても
これからもキリストの愛、聖霊の優しさ、神様の寵愛を
機会があるごとに伝えていくようにしてください
 
 
実際、主キリストは、聖霊の愛のうちに、いつも私たちと共におられるからです
 
 
 
 
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Verbum Domini
 
 
あなたたちはキリストに結ばれて、福音を信じて
約束された聖霊によって証印を押されたのです
 
あなたたちは今や、キリスト・イエズスに結ばれ
キリストの御血によって、近くにいるものとなりました
 
実に、キリストご自身こそ、私たちの平和であり
互いに離れていた2つのものを1つにして
ご自分の肉において
人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き
数々の規定を伴う掟からなる律法を無効にして
2つのものをご自分に結びつけることによって、1人の新しい人に造りあげ
平和を実現されました
 
キリストは来られ
遠くのものであったあなたたちに平和を、近くのものにも平和を
福音として告げ知らせました
 
実に、キリストを通して、私たち両者は
1つの聖霊によって、御父のもとへ近づくのです
 
ですからあなたたちはもはや、他国の者でも寄留者でもありません
あなたたちは、聖なるもの、神の家族の一員です
 
あなたたちは、使徒と預言者という土台の上に
キリスト・イエズスご自身をかなめ石として築き上げられたのです
 
このキリスト・イエズスに結ばれることによって
建物全体は組み合わされ、主のうちに大きくなり
聖なる神殿となります
 
私は、御父の前に、膝をかがめて祈ります
御父が、ご自分の栄光の豊かさに従い
内なる人間に働きかける、ご自分の聖霊によって
あなたたちに力を与え、強めてくださいますように
 
信仰によって
あなたたちの心のうちに、キリストが住まわれますように
 
あなたたちが愛に根ざし、愛に土台を据えて
その愛の広さ、長さ、高さ、深さが、どれほどのものであるかを
聖なる人々と共に理解し
人智を遥かに超えたキリストの、この愛を悟ることができますように
 
私たちのうちに働く力によって
私たちが願い、かつ、思うこと全てを、遥かに超えて
それ以上のことを行なわれるその御方に
教会において、また、キリスト・イエズスにおいて輝く栄光が
世々に限りなく、あらゆる世代にわたってありますように。アーメン
 
主に結ばれて囚人となっている私は
招かれたあなたたちが、その招きにふさわしく生活するように勧めます
 
あなたたちはひたむきに、へりくだりと想いやりをもち
寛大な心で、愛によって互いに耐え忍び
平和という絆で結ばれて
聖霊のもたらす一致を、大切に保つよう熱心に努めてください
 
体は1つ、霊は1つです
 
あなたたちが招かれたのも
ただ1つの希望に支えられてのことでした
 
主はひとり、信仰は1つ、洗礼は1つです
全てのものの上に位し、全てのものを通して働かれ
また、全てのもののうちにおられる、全てのものの父である神は唯一です
 
神のイスラエルの上に
平和と憐れみがありますように。
 
私たちの主イエズス・キリストの恩寵が
あなたたちの霊と共にありますように。アーメン。
 
 
 
 
Dominus vobiscum. Et cum spiritu tuo.
     (主はあなたたちと共に。また、あなたの霊と共に)
 
  会衆の応唱の『あなたの霊と共に』に対して
  「霊とかおばけみたいでこわい」とか「幽霊みたい」とか小馬鹿にしたり
  「霊は入れずに、あなたと共に、でいいじゃないですか」とか
  「霊」を入れて応唱することに反対して、異を唱える人には
  上記の使徒聖パウロの「あなたたちの霊と共にありますように」
  の箇所を引用して(ガラテアの人々への結びの挨拶)
  聖パウロを通しての聖霊の神感の御言葉が、誤っているとでも思います?
  みたいな感じで、指摘してあげたらイイと思います。
 
 
  「神は、霊である。
   神を礼拝するものは、霊と真理において礼拝しなければならない。
 
   肉から生まれたものは肉であり、
   霊から生まれたものは霊である。
 
   生命を与えるのは、霊である。
   肉は何の役にも立たない。
 
   私があなたたちに話した言葉は
   霊であり、生命である」(ヨハネ)
 
 
   このように、霊についての聖書の言及を例にあげたらきりがないですが
   「また、あなたの霊と共に」の言葉が
   いかに聖書と聖伝に基づいた応唱であるか、ということは明らかですし
   誰であれ、この応唱を小馬鹿にして反対するものは
   聖書と聖伝を小馬鹿にしているのだ、ということをわきまえるべきでしょう
 
 
 
 
 
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Oremus.
Deus, qui Apóstolis tuis,
cum María Matre Iesu orántibus,
Sanctum dedísti Spíritum,
da nobis, ut, ipsa intercedénte,
maiestáti tuæ fidéliter servíre
et nóminis tui glóriam
verbo et exémplo
Evangelium pacis diffúndere valeámus.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.
 
神よ、あなたは、イエズスの御母マリアと共に祈る使徒たちに、
聖霊をお与えになりました。
聖母ご自身の取次ぎによって、私たちに恩寵をお与えください。
私たちが、あなたの威光に忠実に仕えて、
あなたの御名の栄光のために、
言葉と行ないをもって、平和の福音を広めることができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。
 
 
 
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(*◇‘v′+艸)NICE♪*! Pt☆

2014/6/8(日) 午前 3:39 通せんぼ

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聖霊降臨おめでとうございます!

すばらしい記事に感謝します

「また、司祭とともに 」に代えて、わたしは小さな声で
「また、あなたの霊とともに」と唱えています

2014/6/8(日) 午前 5:41 ニール

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今朝の「ひとこと」を読んで「聖体のシノドス」を検索して

聖体(エウカリスチア) 目次 - カトリック中央協議会

http://cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/synodus/synodus11th/index.htm
に大変詳しく書かれているのを見つけました
いくつかのページを読みましたが、まだベネさんのひとことに
書かれているところをみつけられません
もっと読んでいきます
「聖体のうちに現存する主を礼拝し、賛美する感覚をもって、
奉献文が唱えられる重要な瞬間に、ひざまずくことが重要である
☆聖体のシノドス」 なんと素晴らしい教えでしょう!

2014/10/19(日) 午前 11:26 ニール

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私は、今8時の日曜日に行っています。やはり、10時のミサよりも、人数は少ないです。歌や祈りは、あれ。。と思うほどに、成り立っていないなと感じる時がありますが、私は、元々声が出るのではっきりと祈ります。皆さんは、心の中での祈りなのだとしたなら、私は浮いているかも、と思います。毎日の祈りは、自然に声に出るのに、と思います。でも、神様、イエス様、は平等に平安を注いでくださいますよね。熱く、語ってください、それは、私たちに、勇気をいただけるのですから。種まくように、鳩の音のように。落ち込まないでください。
神に感謝。

2015/3/1(日) 午後 6:37 [ ライオンKIDS ]


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