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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
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CREDO
Indulgentia 7 annorum
信条を唱える際に、司祭は、祭壇中央に立ち、十字架を仰ぎつつ両手を広げ、unum Deum の箇所において、手を胸の前で合わせ、十字架に頭をさげる。青色文字の箇所は全て、十字架に頭をさげて唱える。Et incarnatus est からet homo factus est.の赤色文字の箇所は、受肉において、しもべの姿にまで遜られた神の御子への崇敬のために、ひざまずいて唱える。
Credo in unum Deum,
Patrem omnipotentem, factorem cæli et terræ,
visibilium omnium, et invisibilium.
私は信じます。唯一の神、
全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、全てのものの造り主を。
Et in unum Dominum Iesum Christum,
Filium Dei unigenitum.
Et ex Patre natum ante omnia sæcula.
Deum deDeo, lumen de lumine,
Deum verum de Deo vero.
Genitum,non factum, consubstantialem Patri :
per quem omnia facta sunt.
私は信じます。唯一の主イエズス・キリストを。
主は神のひとり子、全てに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
全ては主によって造られました。
Qui propter nos homines
et propter nostram salutem descendit de cælis.
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine :
et homo factus est.
主は、私たち人類のため、
私たちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。
Crucifixus etiam pro nobis :
sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.
Et ascendit in cælum: sedet ad dexteram Patris.
Et iterum venturus est cum gloria
iudicare vivos, et mortuos :
cuius regni non erit finis.
ポンティオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
Et in Spiritum Sanctum,
Dominum et vivificantem:
Qui ex Patre, Filioque procedit.
Qui cum Patre et Filio
simul adoratur, et conglorificatur :
Qui locutus est per Prophetas.
私は信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子と共に礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
Et unam, sanctam, catholicam
et apostolicam Ecclesiam.
Confiteor unum baptisma
in remissionem peccatorum.
Et expecto resurrectionem mortuorum.
Et vitam†venturi sæculi. Amen.
私は、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と、来世のいのちを待ち望みます。アーメン。
フランシスコ教皇聖下
偉大な赦しの時が始まりました。
それは、憐れみの聖年です。
それは、神の存在と、その父性的優しさを再び見出す時です。
教会の男女からもたらされる、
自由、寛大さ、希望の、なんと美しいことでしょう。
しかし、教会の男女からもたらされる厳格さは、
なんと悪く、どれほど多くの痛みの要因となったことでしょう。
聖職者による厳格さは、希望を剥ぎ取ってしまいます。
神は、救いの可能性から、どのような人をも除外したりしません。
神は、厳格な愛ではありません。
その憐れみを投げ出させてしまうような罪はありません。
憐れみ misericordia は、
いたたまれない miser 、そして、心 cor、
この2つの言葉から成り立っています。
その心は、愛のキャパシティを表わしています。
憐れみは、人類の惨めさを、
ご自分のうちに抱擁しようとなさる神愛です。
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基本の祈り
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いつも、ここに来ると、涙が止まりません。
洗礼を受けた後、教会で一人泣いていました。
素直な心がそうしているのだと思います。
不思議な事に外の事、毎日悩んで居る事等全て無くなり、
私一人になれるというか、全てが忘れるのです。
上手く言葉には出来ませんが、時間が止まった感じです。
いつも、有難うございます
ニケア・コンスタンチノーブ信条、毎朝祈っています。
2015/12/15(火) 午後 7:22 [ ライオンKIDS ]