基本の祈り

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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith

カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心


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神の人類へのご計画、それは憐れみと赦しのご計画
  
 
私は、愛ゆえに、人々を創造し、
憐れみのゆえに人々への贖いを成し遂げた。
 
私の唯一の望みは、
私の聖心が、限りない愛といつくしみのうちに、
いつも赦しをもたらすものであるということを、
人々に明らかにすることである。
 
私の愛する子らよ、私はイエズスである。
この名は、救い主という意味である。
私はあなたたちを救いたい。
 
私の手は、あなたたちを愛するあまり、
死に至るまで十字架に釘づけられている。
私の足にも同じ傷痕がある。
私の聖心は、死後、槍によって貫かれて開かれた。
 
これはあなたたちへの私の愛のシンボルである。
 
恐れるな。私の掟は、すなわち愛である。
私を知るようになれば、
あなたたちは平和と幸福とを見出すだろう。
 
私の子らよ、憐れみそのものである私のもとに来なさい。
私は全ての霊魂を愛しているが、
最も弱い者、最も惨めな者に対しては、
特別な愛情を傾けているということを知りなさい。
 
私は、いつくしみ深い父としての憐れみの愛のうちに、
あなたの全存在を、私の聖心のうちに抱こう。
 
 
Quoniam impletum est tempus
et appropinquavit regnum Dei:
pœnitemini et credite Evangelio.
(Mc 1,15)

時は満ちて、神の国は近づいた。
悔い改めて、福音を信じなさい。
 

聖アウグスティヌス司教教会博士
 
あなたは私たちを、ご自分に向けてお造りになりました。
ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、
安らぎを得ることができないのです。



カトリック教会のカテキズム
神はご自分の憐れみ深いご計画を啓示されました

人は、神の愛によって、
神の姿にかたどって創造され、
人が神を知り、愛するものとなるよう招かれました。

憐れみ深い神は、
人祖の堕罪後に、贖いを約束して、救いの希望を抱かせました。
そして、忍耐をもって善を行ない救いを求める全ての人に
永遠の生命をあたえるべく、常に人類を想いやり、
預言者たちによって、新しい永遠の契約への待望の心を培い、
この終わりの時に、神の唯一の御言葉である御独り子を私たちに与え、
御子によって、神は全てを語られました。

神は、その愛と知恵によって、ご自分を啓示され、
受肉された御言葉であるキリストによって、
聖霊において、人々を御父に近づかせ、
神性にあずからせるという御旨の神秘を明らかにしようとなさいました。

近寄りがたい光のうちに住まわれる神は、
お望みのままに造られた人間を、ご自分の神性にあずからせ、
御独り子において、ご自分の子らにしようとしておられます。

神はご自分を啓示しながら、
人類が神に応答し、自分自身の能力の限界を超えて、
神を知り、愛することができるようになさいました。

信仰によって、人間は、
その知性と意志を全く神に従わせます。
人間は、啓示する神に、心の底から同意します。

教会における『信じる』とは、
真理を証言する神に信頼して、その真理を受け入れることです。
聖書は、啓示する神への人間の応答を『信仰による従順』と呼んでいます。

ローマ儀式書では、
洗礼司式者と洗礼志願者の間で、次のような問答が行なわれます。
「あなたは神の教会に、何を求めますか?」
「信仰を求めます」
「信仰によって何が与えられますか?」
「永遠の生命が与えられます」

救いは、ただ神のみから来ます。
しかしながら私たちは教会を通して信仰の生命をいただくわけですから、
教会は私たちの母です。
そして、教会は私たちの母ですから、私たちの信仰の養育者でもあります。

教会は、使徒時代の当初から、固有の信仰の規準を、
一定の言葉で表明し、伝えてきました。
そして教会は、極めて早くから、
信仰の核心を有機的に箇条としてまとめました。

信仰のまとめは
『信仰宣言』『クレド』『信仰のシンボルム』と呼ばれます。

この信仰のまとめは、人間の憶測によるものではなく、
聖書全体の中から最も重要な点を選んで、
信仰の教えを、ただ1つに要略したものです。

ちょうど、ごく小さな1粒のからし種の中に、
数多くの枝が含まれているように、
この信仰のまとめは、わずかな言葉の中に、
旧約聖書と新約聖書に含まれている
真の敬神の知識を、全て包括しています。

二ケア・コンスタンティノープル信条は、
最初の2つの公会議(325年、381年)に由来します。
この信条は、東方、西方、全ての主要な教会で、
今日もなお共通のものとなっています。







 
CREDO
Indulgentia 7 annorum
 
信条を唱える際に、司祭は、祭壇中央に立ち、十字架を仰ぎつつ両手を広げ、unum Deum の箇所において、手を胸の前で合わせ、十字架に頭をさげる。青色文字の箇所は全て、十字架に頭をさげて唱える。Et incarnatus est からet homo factus est.赤色文字の箇所は、受肉において、しもべの姿にまで遜られた神の御子への崇敬のために、ひざまずいて唱える。
 


 
Credo in unum Deum,
Patrem omnipotentem, factorem cæli et terræ,
visibilium omnium, et invisibilium.
 
私は信じます。唯一の神
全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、全てのものの造り主を。
 
Et in unum Dominum Iesum Christum
Filium Dei unigenitum.
Et ex Patre natum ante omnia sæcula.
Deum deDeo, lumen de lumine,
Deum verum de Deo vero.
Genitum,non factum, consubstantialem Patri :
per quem omnia facta sunt.
 
私は信じます。唯一の主イエズス・キリストを。
主は神のひとり子、全てに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
全ては主によって造られました。
 
Qui propter nos homines
et propter nostram salutem descendit de cælis.
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine :
et homo factus est.
 
主は、私たち人類のため、
私たちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。
 
Crucifixus etiam pro nobis :
sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.
Et ascendit in cælum: sedet ad dexteram Patris.
Et iterum venturus est cum gloria
iudicare vivos, et mortuos :
cuius regni non erit finis.
 
ポンティオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
 
Et in Spiritum Sanctum,
Dominum et vivificantem:
Qui ex Patre, Filioque procedit.
Qui cum Patre et Filio
simul adoratur, et conglorificatur :
Qui locutus est per Prophetas.
 
私は信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子と共に礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
 
Et unam, sanctam, catholicam
et apostolicam Ecclesiam.
Confiteor unum baptisma
in remissionem peccatorum.
Et expecto resurrectionem mortuorum.
Et vitamventuri sæculi. Amen.
 
私は、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と、来世のいのちを待ち望みます。アーメン。
 




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フランシスコ教皇聖下
 
偉大な赦しの時が始まりました。
それは、憐れみの聖年です。
それは、神の存在と、その父性的優しさを再び見出す時です。
 
教会の男女からもたらされる、
自由、寛大さ、希望の、なんと美しいことでしょう。
 
しかし、教会の男女からもたらされる厳格さは、
なんと悪く、どれほど多くの痛みの要因となったことでしょう。
 
聖職者による厳格さは、希望を剥ぎ取ってしまいます。
神は、救いの可能性から、どのような人をも除外したりしません。


神は、厳格な愛ではありません。
その憐れみを投げ出させてしまうような罪はありません。
 
憐れみ misericordia は、
いたたまれない miser 、そして、心 cor
この2つの言葉から成り立っています。
その心は、愛のキャパシティを表わしています。
 
憐れみは、人類の惨めさを、
ご自分のうちに抱擁しようとなさる神愛です。


 
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いつも、ここに来ると、涙が止まりません。
洗礼を受けた後、教会で一人泣いていました。
素直な心がそうしているのだと思います。
不思議な事に外の事、毎日悩んで居る事等全て無くなり、
私一人になれるというか、全てが忘れるのです。
上手く言葉には出来ませんが、時間が止まった感じです。
いつも、有難うございます
ニケア・コンスタンチノーブ信条、毎朝祈っています。

2015/12/15(火) 午後 7:22 [ ライオンKIDS ]


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