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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
教皇聖下の祈りの意向
2016年3月
世界共通の意向: 困難な状況にある家庭
困難な状況にある家庭に必要な援助の手が差しのべられ、子どもたちが健全で平和な環境のうちに育ちますように。
福音宣教の意向: 迫害されるキリスト者
信仰を理由に差別され迫害されるキリスト者が、教会の絶え間ない祈りに感謝し、福音へのゆるぎない誠実な信仰にとどまることができますように。
フランシスコ教皇聖下
傷ついた家庭や困難に直面する家庭に寄り添う
家族は、人類の最も貴い財産の1つです。
それでいて、最も傷つきやすいものではないでしょうか?
家族が、経済面、健康面、その他の困難にさらされる時、
その子供たちは、悲しい環境のうちに育つことになります。
私は、あなたたちと共に、イエズスと共に、
今月の私の祈りの意向を分かち合いたいと思います。
このような助けを必要とする家族が、
必要なサポートを受けることができますように。
そして、その子供たちが、
健全で平和に満ちた環境の中で成長することができますように。
カトリック教会のカテキズム
家族は、社会生活の第1の細胞です。
夫と妻が、愛においても、
子供に生命を与えることにおいても、
互いに自分を与え合うようにと召されている、自然な社会です。
家族内での、権威と安定と共同生活が、
社会における、自由と安全と友愛との土台となっています。
家族とは、幼い頃から道徳的価値を学ぶことができる共同体、
神を敬い、自由を善用し始める共同体です。
家族生活は、社会生活のための学び舎です。
そのため家族は、その成員が、
若い人や年配者、病人、身体障害者や貧しい人々のことを想いやり、
その世話をすることを学べるような生き方をしなければなりません。
時に、このような援助を提供できない状況にある家族も多々あります。
そのような場合には、他の人々や他の家族、
または補完的な役割を持つ社会が、
助けを必要とする人々の世話をしなければなりません。
孤児や寡婦が困っている時に世話をしたり、
この世の汚れに染まらないように自分を守ること、
これこそ、父である神の御前に、清く汚れのない信心です
(ヤコブ1,27)
家族は、適切で社会的な手段によって援助され、擁護されるべきです。
家族が自らの役割を果たすことができない場合には、
他の社会的団体が、それを助け、家族制度を維持する義務があります。
しかし、補完性の原理に従い、
家族よりも大きな共同体は、
家族の権限を侵害したり、生活に干渉したりしないようにすべきです。
家族は、社会の生命や安寧にとっての重要な存在ですから、
社会には、結婚や家族を支持し強化する重大な責任があります。
国家は、婚姻と家庭の真の本質を認め、守り、高め、
公衆道徳を擁護し、家庭の繁栄を助けることを、
重大な義務とみなすべきです。
フランシスコ教皇聖下
祈らない司教は その民に苦しみをもたらす
(前回ブログ記事の字数制限のため削除していた箇所を含めた再投稿分です)
12使徒たちは、最初の司教たちでした。
ユダの死の後、マッティアが
教会における最初の司教叙階を受けるために選ばれました。
司教は、教会の柱であり
イエズスの復活の証人となるよう召された者です。
私たち司教は、この証人となるべき責任があります。
すなわち、主イエズスが生きておられるという事実
主イエズスが復活されたという事実
主イエズスが私たちと共に歩まれるという事実
主イエズスが私たちをお救いになるという事実
主イエズスが、ご自分の生命を、私たちにお与えになるという事実
主イエズスが私たちの希望であるという事実
主イエズスが、いつも私たちを喜んで迎え入れ
私たちをお救いになるという事実
この事を証しすべき責任です。
証明は与えられているのですから
私たちの生活が、これを示す『証言』とならなければなりません。
このようにしてこそ
キリストの復活の真の証し人となるのです。
司教の第1の義務は
祈りにおいてイエズスと共にあることです。
司教の第1の仕事は、司牧計画を準備することではありません。
いいえ、 No です!
祈ること、これこそ第1の義務です。
第2の義務は、証し人となること
すなわち、説教に従事すること
主イエズスがもたらされた救いを告げ知らせることです。
これら2つの義務は、容易ではありません。
しかし、これら2つの義務を果たすことは
真の力強い教会の柱石となることです。
もし、この柱が、霊的に弱々しくなるなら
すなわち、司教が、祈ることをせず
また、わずかな祈りだけですませようとしたり
祈ること自体を忘れてしまうならば
また、司教が、福音を宣べ伝えることをせず
その代わりに、ほか事にうつつをぬかすならば
教会もまた、ひ弱なものになってしまいます。
そのようにして、苦しみが引き起こされ、
神の民が、苦しむことになります。
この柱〜司教〜のゆえに、弱くなるのです。
教会は、司教なしに働くことができません。
それゆえ、私たちはみな、
私たちの司教たちのために祈らなければなりません。
彼は、愛の負い目の結びとなるもの、
父への敬意における子らの負い目の結びとなるもの、
生きておられ復活されたイエズス・キリストの
証し人との一致に留まる家族のための、
兄弟たちの負い目の結びとなるものです。
信者のみなさん、私たち司教のためにお祈りしてください。
なぜなら私たちは、罪人たちの最たるものだからです。
私たちは、裏切り者のユダになる危険性をはらんでいるからです。
ユダもまた、かつて教会の柱として選ばれていました。
私たち司教は
祈りを避けようとするリスクへ走りがちであり
福音を告げ知らせることや
悪魔たちを追い祓うことの代わりに
ほか事にかまけようとするリスクへ走りがちだからです。
司教たちが、イエズスのお望みを果たすことができるよう
また、イエズスの復活の証人として
私たちが全てを与え尽くすことができるようお祈りください。
神の民は、司教たちのために祈ります。
ミサ聖祭ごとに、私たちは司教たちのために祈ります。
私たちは、司教団のかしらであるペトロのために祈り、
私たち地方教会の司教のために祈ります。
しかしながら、それで十分ではないのです。
私たちは、その際、司教の名前を読み上げて唱えますが、
多くの場合、それを習慣的に唱え、そのままそれを続けがちです。
あなたたちの心からの祈りを、
司教のために捧げてください!
そして、主に呼びかけてください。
「主よ、私の司教を聖心にとめてください。
全ての司教たちを聖心にとめてください。
そして、まことの証人としての司教を、私たちにお送りください。
祈りの司教を、私たちにお送りください。
その説教によって、福音を理解させ
私たちに助けをもたらす司教を、私たちにお送りください。
主よ、私たちはあなたに信頼します。
あなたは生きておられ
いつも私たちと共にいてくださいます。アーメン」。
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教皇聖下の意向✿
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The Sacrament of Reconciliation allows us to draw near to the Father
with trust to have the certainty of his forgiveness.
@Pontifex
2016/3/15(火) 午前 0:51
God is truly “rich in mercy”
and extends it abundantly upon those who appeal to Him with a sincere heart.
@Pontifex
2016/3/15(火) 午後 9:22
As we exit the confessional,
we will feel his strength which gives new life and restores ardor to the faith.
After confession we are reborn.
@Pontifex
2016/3/16(水) 午後 8:04
No one can be excluded from the mercy of God.
The Church is the house where everyone is welcomed and no one is rejected.
@Pontifex
2016/3/17(木) 午後 8:32
The greater the sin,
the greater the love that must be shown by the Church to those who repent.
@Pontifex
2016/3/19(土) 午前 0:10
I am beginning a new journey, on Instagram,
to walk with you along the path of mercy and the tenderness of God.
@Pontifex
2016/3/19(土) 午後 8:46
Let us take our Christian calling seriously and commit to live as believers.
@Pontifex
2016/3/22(火) 午前 0:24
I entrust to God's mercy all those who lost their lives. #Brussels
@Pontifex
2016/3/23(水) 午前 4:47
With how much love Jesus looks at us!
With how much love He heals our sinful heart!
Our sins never scare Him.
@Pontifex
2016/3/23(水) 午後 10:23
Annointed with the oil of gladness to pass on the joy of the Gospel.
@Pontifex
2016/3/24(木) 午後 5:59
Jesus loved us. Jesus loves us.
Without limit, always, to the end.
@Pontifex
2016/3/24(木) 午後 11:35
Impress, Lord, in our hearts
the sentiments of faith, hope, love and sorrow for our sins.
@Pontifex
2016/3/26(土) 午前 2:09
The Cross is the word through which God has responded to evil in the world.
@Pontifex
2016/3/26(土) 午前 5:23
To live Easter means to enter into the mystery of Jesus
who died and rose for us.
@Pontifex
2016/3/27(日) 午前 3:05
Jesus Christ is risen!
Love has triumphed over hatred,
life has conquered death,
light has dispelled the darkness!
@Pontifex
2016/3/27(日) 午後 3:33
Every Christian is a “Christopher”, that is, a bearer of Christ!
@Pontifex
2016/3/28(月) 午後 4:06
Jesus shows us the real face of God,
for whom power does not mean destruction but love,
and for whom justice is not vengeance but mercy.
@Pontifex
2016/3/29(火) 午後 3:59
If we open ourselves up to welcome God’s mercy for ourselves,
in turn we become capable of forgiveness.
@Pontifex
2016/3/30(水) 午後 9:33
The phenomenon of migration raises a serious cultural issue
which necessarily demands a response.
@Pontifex
2016/3/31(木) 午後 8:13
Passing through the Holy Door,
let us put our trust in God’s grace, which can change our lives.
@Pontifex
2016/4/1(金) 午後 8:40