ミサ聖祭について✿ฺ

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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith

カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心


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司牧者は 適応の名のもとに 精神的虐待行為をなしてはならない
 
教会共同体におけるひざまずく信者への虐げや圧迫や恫喝は
神の家族という家庭内における暴力、DV行為に他ならない
 
憐れみの聖年にもかかわらず、
憐れみとは真逆の行為、
憐れみの聖年を侮辱するかのような話が飛び込んできました。
 
以前
《ミサにおける日本での適応は『画一化をはかるものではない』とのこと》
の記事の中で
ありえないであろう仮定の話を記載していました。
 
 
今どきありえないことですが。。。
もし、「罪になる」「悪いことだ」と断罪されて虐げられたり、
「適応に従わない信者は信者じゃない」などと侮辱を浴びせられたり、
「従わないなら出ていけ」などと脅迫されたり、
言葉や態度で心理的強制と精神的圧迫のうちに強要されて、
精神的苦痛をこうむる被害を受けたなら、
それは『適応の名のもとに』犯される
甚だしい権利侵害行為であり、違法行為を構成しますので、
教皇庁典礼秘跡省への報告事由に該当することになります。
 
あまりに酷いとしか言いようがありませんが
関東のあるところで、
そのような酷いことがまさに現実に起こっているという
耳を疑うような話を聞きました。
 
教会共同体におけるひざまずく信者への虐げや圧迫や恫喝は、
神の家族という家庭内における暴力、DV行為に他なりません。
 
もし、それが本当であれば、該当の司牧者は、
そのような精神的苦痛を与える違法行為をやめるべきであり、
該当地域の裁治権者は、しかるべき重い処分を、
該当の司牧者に対して行なうべきでしょう。
 
臭いものに蓋をしてごまかすのではなく
過ちを認めて、それを改善すべき重い責任が司牧者にはある
 
昨今、ある地域の隠蔽体質のゆえに被害拡大してしまった
司祭による立場を濫用した性的虐待が社会問題になりましたが。。
 
典礼上、いまだかつて禁じられたことのないひざまずきに対して、
司祭としての立場を濫用して、
ひざまずく信者を虐げたり圧迫したり恫喝したりすることは、
共同体におけるDV、虐待行為であり、反福音的行為です。
 
このような違法行為に対して
見て見ぬふりをする教区や
聞いても聞かないふりをする教区
つまり、信徒の現実の悲しみや苦しみに対して
馬耳東風的にわれ関せずな姿勢で無関心を装ったり、
その事実を隠蔽して、全く改善しようともしない教区があるとするならば、
実に嘆かわしいとしか言いようがありません。
 
柔和で謙遜な、善い牧者であるキリストに倣うものとなるべき者が、
主の羊たちを虐げて恫喝して苦しめたあげくに排斥して追放する
などということがあってよいでしょうか?
 
主キリストは、そのような暴君ではありません。
 
主は仰せられます。
「私と共に集めない者は、散らしている」。
 
実際、そのような横暴なDV行為がなされたところでは、
信徒たちがそこを去りつつある、という話です。
 
たしかに聞いた通りの酷い内容であるなら、
そこにとどまろうなどとは誰も決して思わないでしょうし、
今どき、この日本で、それほど酷いことがなされたのです。
 
もし、教皇聖下が、そのような司祭のふるまいを耳にしたなら、
温和な教皇聖下でさえ、
「それは誤った厳しさだ!」といって憤慨するでしょうし、
実際、あってはならない恥ずべき違法行為です。
 
司牧者は慢心せず、聴く耳をもちましょう
 
司牧者は、信徒たちの声や要望に、耳を傾けるべきです。
 
フランシスコ教皇聖下も
司牧者の大切な資質として、『耳を傾けること』を挙げておられます。

 
ある司祭、ある司教、あるカテキスタ、あるキリスト者に、
強い権力が与えられる時、
イエズスは弟子たちに、偽預言者を警戒するよう忠告されます。
 
しかし、どのようにして、
真の福音の説教者と、偽りの説教者を見分けることができるでしょうか?
 
それは、彼らがどのように話し、彼らが何を行ない、
彼らが何を聞いているのか、
これら3つの事柄からうかがい知ることができます。
 
イエズスが、人々に向かい、偽預言者たちを警戒するように忠告された時、
彼らのもたらす『実』によって、
彼らを見分けることができる、と仰せられました。
 
彼らは話し、彼らは行ないます。
しかし、ある姿勢が欠如しています。
 
その姿勢とは、
話すこと、行なうことについての土台、基準となるものであり、
彼らに欠如しているものは、耳を傾ける能力です。
 
世俗的司牧者たちは、
話し過ぎで、耳を傾けることが少ないのです。
 

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ひざまずきの排斥は、認証された適応を取り消す重大な事由になりえる
 
ある地方教会において適応の名のもとに
ひざまずく信者に対して司祭が虐げを行なったことについて
教皇庁典礼秘跡省は、次のような是正指示を出されました。
 
典礼秘跡省は、あなたの教区において、聖体拝領の際、
立った姿勢をとらずに、ひざまずいた姿勢をとる信者が、
聖体拝領を拒まれた、という報告を受けましたが、
信者がひざまずくからという理由で、その信者に聖体拝領を拒むことは、
キリスト信者の最も基本的な権利に対する重大な侵害である
と考えられなければなりません。
 
各司教協議会の定めた適応に従って、
立つ姿勢を規準とすることを、典礼秘跡省が認めた地域においても、
そのように考えられなければなりません。
 
そもそも適応の承認は、
聖体拝領の際にひざまずくことを選択した信者たちが、
その事だけによって聖体拝領を拒まれてはならない、
ということが条件でした。
 
実際、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、最近強調しているように、
聖体拝領時にひざまずくという慣習は、
数世紀にわたる古来の伝統をもつものであり、
真理の光明のうちに、
聖体における主イエズス・キリストの実体的存在を、
特別に示すための適切な真に完全な表現だからです。
 
cf, Notitiae 38 ; 582-584 ; 200271日)
 
 
人は、みずから蒔いたものを刈り取ります。
責任ある立場の司牧者は、のちに、主の御前で、厳しい裁きを受けます。
 
横暴なふるまいを注意されないまま過ごして、
のちに厳しい裁きを受けるよりも、
誤った厳しさや違法行為を指摘されて、あらためるほうが、
本人にとってもプラスになるでしょうから、
そのような信徒に対する虐待行為は、
該当地区裁治権者によって可及的速やかに是正されるべきです。
 
適応を絶対視することは、司牧上の錯覚であり
聞く姿勢の欠落した司牧者は 信徒たちを悲しみに突き落とす
 
適応の名のもとに、
自分たちのやり方をゴリ押しする地方教会の特徴として、
信徒たちの声に耳を傾けない、という点が挙げられます。
 
ある司牧者は
司教団の方針 〜適応〜 が
あたかも絶対的なものであるかのように考え、
信徒からの要望に耳をふさいだり
建設的な議論を避ける傾向があります。
 
これは、あまりに一方的で、独善的です。
 
今の日本の典礼における実践状況は
いまだ途上段階にあり
ローマ・ミサ典礼書の日本語訳の部分的誤りの現実
実践上、公式祈願を唱えず、認可されていない試用祈願の使用の現実
奉献文の結びの栄唱の誤った応唱のいっこうに是正されない現実
時課の典礼の賛歌、交唱、祈願等の欠落の現実
これらの問題が山積しているにもかかわらず
 
それらの重要な事案については
30年、40年というスパンで、のろのろペースでありながら
適応の名のもとに
禁じられていないことについて、信徒を糾弾しては排斥する。
 
今の日本の典礼のあり方は
議論の余地がないほどに完全だと言うのだろうか?
 
こと、ひざまずきに対して
教皇庁典礼秘跡省に対しては
『適応は画一化をはかるものではない』と表向きに示しながら
実際、信徒たちに対しては
『司教団が決めたことだ』として絶対的な服従を要求する。
 
このような二枚舌を
主がお喜びになろうはずもない。
 
何をどうすべきか
責任ある司牧者たちには再考をお願いしたいところです。
 

 
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夜明けまじか、とても静かな時間です。
今日がスタートいたします。
よき1日、週末でありますように。

2016/5/7(土) 午前 4:54 通せんぼ


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