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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
聖体の秘蹟において
私が人々のうちにとどまるのは
完全な人々のためだけにそうするのではなく
弱い人々の支えとなり、小さな人々を養うためである
私が聖体の秘蹟を制定した時
過ちや失敗の後にへりくだり
赦しを願う人々の霊魂の糧となりたいとの望みに燃えていた
彼らを成長させ、強めるのは愛である
愛は、その惨めさのうちに憩い、その善意によって慰められる
聖体は、愛の発明である
聖体は、霊魂の生命と力、全ての弱さを癒す薬であり
この世から永遠に向かう旅路の糧である
世の人々は、私の手足を傷つけ、私の聖顔を汚すが
私が選んだ司祭たちは、私の聖心を引き裂く
このように訴えなければならない、この聖心の悲しみの辛さよ
どれほど多くの司祭が
多くの霊魂に恩寵を与えつつも
自分自身は罪の状態にいることだろう
そして、そのままミサを捧げ、私を受け
そのような状態で生活し、死んでゆく
これこそ、最初の不忠実な使徒とその後に続く
多くのユダを見た時の、私の胸を貫いた苦しみである
私の使徒が、永遠に滅びゆくのを見た時の
私の聖心の苦しみの深さを
いったい誰がはかり知ることができようか
なぜ接吻をもって裏切るのか
このように、私は幾多の霊魂に問いかけている
あなたには、まだ時がある
あなたが乞い願うなら、今でも喜んで赦そう
私は限りない憐れみである
私はあなたを罰しないし、あなたをはねつけたりはしない
むしろ、私の聖心を開いて
以前よりも、もっと優しく愛してあげよう
あなたの罪を、私の聖なる傷の血で洗い去ろう
そうすれば、天国において、大いなる喜びが巻き起こり
あなたの回復した霊魂の美に、みな感嘆のまなざしを注ぐのだ
そうして私の聖心は、あなたの心のうちに憩いを見出すことになる
警官は、罪人を処罰するために追いかける
しかし私は、罪人を赦すために追いかける
Lauda Sion
Indulgentia 7 annorum
Lauda Sion Salvatorem,
スィオンよ、救い主をたたえよ、
lauda ducem et pastorem, in hymnis et canticis.
導き手、牧者をたたえよ、 賛歌と讃美歌のうちに。
Quantum potes, tantum aude :
なしうる限り、高らかにたたえよ、
quia maior omni laude,
なぜならどれほど大いにたたえても、
nec laudare sufficis.
十分にたたえ尽くすことができないからだ。
Laudis thema specialis,
特別な賛美のテーマは、
panis vivus et vitalis hodie proponitur.
生きていて生命を与えるパンであり、今日まさにそれを宣言する。
Quem in sacræ mensa cœnæ,
それは神聖な晩餐の食卓で、
turbæ fratrum duodenæ
12人の兄弟たちが集う中、
datum non ambigitur.
なんらの曖昧さもなく与えられた。
Sit laus plena, sit sonora,
賛美を、十全に、 響かせ、
sit iucunda, sit decora mentis iubilatio.
楽しませ、 飾らせよう、 心からの歓喜のうちに。
Dies enim solemnis agitur,
実にこの日を荘厳に祝おう、
in qua mensæ prima recolitur huius institutio.
そこにおいて最初の祭儀が記念され、このように行なうよう定められた。
In hac mensa novi Regis,
この祭儀において新しい王が、
novum Pascha novæ legis,
新しい過越、新しいおきてを定め、
phase vetus terminat.
古い祭儀を廃止された。
Vetustatem novitas,
古いものは新しいものにのまれ、
umbram fugat veritas, noctem lux eliminat.
影は真理から逃げ出し、 夜は光に場所を明け渡した。
Quod in cœna Christus gessit,
キリストが晩餐で行なわれたことを、
faciendum hoc expressit in sui memoriam.
「このように行なえ」と命じられた。主ご自身の記念として。
Docti sacris institutis,
神聖な制定に教えられ、
panem,vinum in salutis consecramus hostiam.
パンとぶどう酒を、救いのオスツィアとして聖別する。
Dogma datur christianis,
ドグマがキリスト信者に与えられた。
quod in carnem transit panis,
パンが肉に変わり、
et vinum in sanguinem.
ぶどう酒が血に変わる。
Quod non capis, quod non vides,
それを把握しえなくとも、それを見られなくとも、
animosa firmat fides, præter rerum ordinem.
生き生きとした信仰に固められる、事物の秩序を超えて。
Sub diversis speciebus, signis tantum,
これらの異なる外観に見られるのは、あくまでもしるしであって、
et non rebus, latent res eximiæ.
その実体ではなく、崇高な実体がそこに隠れている。
Caro cibus, sanguis potus :
肉が食べ物に、血が飲み物になる。
manet tamen Christus totus sub utraque specie.
全キリストがとどまられる。両方の外観のもとに。
A sumente non concisus,
拝領者によって割かれることなく、
non confractus, non divisus :
砕かれることなく、 分けられることなく、
integer accipitur.
完全に受けられる。
Sumit unus, sumunt mille :
1人が拝領しても、 1,000人が拝領しても、
quantum isti, tantum ille :
どれほど多くの拝領者がいても、
nec sumptus consumitur.
みな全キリストを受け、拝領し尽くすことはない。
Sumunt boni, sumunt mali :
善人も拝領し、悪人も拝領するが、
sorte tamen inæquali,
受け継ぐものは同じではない。
vitæ vel interitus.
生命あるいは破滅である。
Mors est malis, vita bonis :
悪人には死が、 善人には生命がもたらされる。
vide paris sumptionis quam sit dispar exitus.
ごらん、同様に拝領したとしても、どれほど異なる結末であることだろう。
Fracto demum sacramento,
秘蹟の外観が裂かれたとしても、
ne vacilles, sed memento
心騒がせるな。むしろ、想いをはせよ、
tantum esse sub fragmento,
破片のもとでさえ、主の実体があることに。
quantum toto tegitur.
その覆いのうちに全キリストがおられる。
Nulla rei fit scissura :
実体が裂かれるのではなく、
signi tantum fit fractura,
しるしとしての外観が裂かれるだけである。
qua nec status, nec statura signati minuitur.
キリストの性質も、背丈も、しるしによって縮められることはない。
Ecce Panis Angelorum, factus cibus viatorum :
ごらん、天使たちのパンを、地上を旅する人々の糧となられた御方を。
vere panis filiorum, non mittendus canibus.
これは神の子らのまことのパンであって、犬たちに投げ与えてはならない。
In figuris præsignatur, cum Isaac immolatur,
これは前表のうちに示されていた。これはイザアクのうちに捧げられ、
agnus Paschæ deputatur, datur manna patribus.
過越の小羊のうちに屠られ、父祖たちのマンナのうちに与えられた。
Bone pastor, panis vere, Iesu, nostri miserere :
善良な牧者、まことのパンであるイエズスよ、私たちを憐れんでください。
Tu nos pasce, nos tuere,
あなたが私たちを養い、私たちを見守り、
Tu nos bona fac videre in terra viventium.
あなたが私たちに善を見させてください。生きるものたちの地で。
Tu qui cuncta scis et vales,
あなたは全てを知り、全てが可能です。
qui nos pascis hic mortales :
この死すべき地上で私たちを養い、
tuos ibi commensales,
私たちをあなたのおられる天上の会食につながるものとし、
cohæredes et sodales
共同の世継ぎに加え、親しい仲に入らせてください。
fac sanctorum civium. Amen. Alleluia.
聖なるものたちの国民として。アーメン。アッレルーヤ。
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ミサの続唱 Sequentia
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ヾ(o◕ฺ∀◕ฺ )メ(◕ฺ∀◕ฺo )ノ☀ฺ㋔㋩㋵㊀☀ฺ
オバマ大統領が広島訪問されましたね。
核廃絶に少し光が見えた気がします。
讃美歌とともに世界平和を祈りたい気になりました。
素敵な週末を…
2016/5/28(土) 午前 3:19
クレヨンで描いたような聖画って珍しいですね
dです
瞳がとってもきれい
その下のイエズス様の言葉は、どなたかのこころに
語りかけられたのでしょうか
2016/5/28(土) 午後 2:14
おはようございます、N☆かりんです♪

平和への一歩を歩んでいきたい気分になりますね
ナイス
2016/5/29(日) 午前 8:38
ヾ(o◕ฺ∀◕ฺ )メ(◕ฺ∀◕ฺo )ノ☀ฺこんてぃわわ〜☀ฺ
ですね〜
いろいろ考慮されてるスピーチ内容でしたね
反発している国もあるみたいですが
少しずつでも平和実現に向けた動きがなされることを期待してます
大きな武器である核廃絶のために
まずは銃規制から始めていってもらいたいですね
通せんぼさんも素敵な週末を〜
2016/5/29(日) 午後 2:33
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:33
珍しいですよね〜
聖心を強調する聖画はよく見かけますけど
この聖画は特に、主のまなざしに焦点をあてて描かれてるようで
かなり素晴らしいと思います
その下のイエズス様の聖体の秘蹟についての言葉は
今回、ヨゼファ・メネンデス修道女を通じての
私たちへの語らいを載せて
Lauda Sionでの秘蹟的拝領に関する教えとリンクさせてみました
2016/5/29(日) 午後 2:34
『警官は、罪人を処罰するために追いかける
しかし私は、罪人を赦すために追いかける』
僕個人としては、この言葉が特に印象に残り
主の憐れみは、どれほど素晴らしいんだろう
主に追いかけられて、その愛に捕えられたいと思います
2016/5/29(日) 午後 2:35
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:35
> N☆かりんさん
おはおはでーす♪
平和への一歩は私たち1人ひとりの歩み
つまり、悪を退けて善を選び取る各々の歩みにかかっているとも言えますね
2016/5/29(日) 午後 2:36
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:36
Francoiseさん
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:37
真美さん
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:37
ライオンKIDSさん
Thanks to yourナイスぽてぃ✿
2016/5/29(日) 午後 2:37
「なぜ接吻をもって裏切るのか
このように、私は幾多の霊魂に問いかけている」
この問いかけは
ふさわしくない状態での秘蹟的拝領の行為が汚聖に該当し
主を裏切るユダのように
主に近づいて、外面的に親しみの接吻をかわす行為と同じだということを示し
2016/5/29(日) 午後 2:37
Lauda Sionでは
「善人も拝領し、悪人も拝領するが、受け継ぐものは同じではない。生命あるいは破滅である。 悪人には死が、善人には生命がもたらされる。ごらん、同様に拝領したとしても、どれほど異なる結末であることだろう」。と述べて秘蹟的拝領者に対して注意を促しています
このことはここ数年の公文書、聖体のシノドス、教皇聖下の回勅や書簡、典礼秘跡省の指針で
繰り返し指摘されていますが、これに注意を向ける人は
日本においてもほとんどいないようです
2016/5/29(日) 午後 2:38
あと、記事内字数制限のため
載せようとしていて省いちゃった文章が少しだけあります
「霊魂が、私の足もとに身を投げ出し、憐れみを願うやいなや
私は、その全ての背きの罪を忘れてしまうほどだ
実際、私は、生きている憐れみそのものである
悔い改める人を、私は決してしりぞけない」。
.
2016/5/29(日) 午後 2:38
ちなみに
カトリック中央協議会の典礼関係者の方々は
いつになったら『聖体の続唱』を
聖体の祭日に用いるようにするんでしょうかね〜
日本の信徒にもLauda Sionを知る権利はあるでしょうに
歌として作るのが難しいにしても
せめて唱えるためのLauda Sionの日本語訳を
『聖書と典礼』に掲載すればイイと思うんですけど
信徒が霊的不利益をこうむるままに放置するのは
司牧者の責務の観点からすれば
あまり好ましくないことのように思えますけどね〜
.
2016/5/29(日) 午後 2:48
聖体の続唱をこミサでお祈りできますように
2019/6/20(木) 午後 1:16 [ duq***** ]
.
> duq*****さん
ありがとうございます
ですね
聖体の続唱の日本語訳ぐらい
『毎日のミサ』や『聖書と典礼』に
掲載しておけばいいのに、といつも思います
典礼上の怠慢以外のなにものでもないですね
いかに聖体崇敬を軽んじているかを
明らかに示すものです
公式祈願を脇におき
試用祈願をつくり
さらにA年B年C年の試用祈願までつくるぐらいなら
せめて『聖体の続唱の試訳』
みたいな感じでも掲載すればいいのに
といつも思います
試訳でも掲載しておけば
それを用いて、みんなが唱えられますが
掲載すらされていないので
用いることも、唱えることもできません
典礼上の明白なネグレクトです
.
2019/6/20(木) 午後 1:43
.
ちなみに僕は
ミサ前もしくはミサ後に
あるいはミサ中に唱える時間がある際に
Lauda Sionを唱えたり
もしくは歌ったりして
聖体制定における主イエズスの燃える愛に
感謝と賛美をお捧げしています
現状は個人的に
聖体の続唱を唱えるしかないですね
.
2019/6/20(木) 午後 1:47