教皇聖下の意向✿

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Eucharistic Devotion,the Fountain of theCatholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
 

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教皇聖下の祈りの意向
2016年6月
 
世界共通の意向: 連帯
たとえ世界の巨大都市にあっても、高齢となった人々、軽んじられている人々、孤独な人々が、出会いと連帯の機会に恵まれますように。
 
福音宣教の意向: 神学生と修練者
神学生たち、また修道生活の道に入った男子や女子の修練者たちが、福音の喜びのうちに生きるよい指導者に恵まれて、それぞれの使命にふさわしい準備ができますように。
 


 
フランシスコ教皇聖下
 
私たちの都市では、
高齢者や病者がないがしろにされています。
 
私たちはそれについて
知らないふりをすることができるでしょうか?
 
私たちの都市は何よりも、
連帯によって特徴づけられなければなりません。
 
それは、ただ、困窮者に必要なものを与えるだけでなく、
互いの重荷を担い合い、出逢いの文化を育んでゆくという連帯です。
 
私の祈りに加わっていただけますか?
 
そのように軽んじられ、
誰からもかえりみられることのない世代の人々が、
世界の大都市においても、
出逢いと連帯の機会を見出すことができますように。
 
 

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フランシスコ教皇聖下
裂いて、それを与えること
 
イエズスは、パンを取り、感謝を捧げて、それを裂きました。
また、杯を取り、感謝を捧げて、それを分かちました。
 
「このように行ないなさい」。
 
イエズスは、ご自分のパスカの記念を制定するにあたり、
この行為を繰り返すようお命じになりました。
そのようにして、ご自分の御体と御血を私たちにお与えになりました。
 
この裂く行為は、
今日の私たちにまで及んでいます。
 
イエズスは、いつもこのようにして、
エウカリスツィアにおいて、ご自分を裂き与えられます。
それも、聖霊によって塗油された、私たちの貧しい手を通じてなされます。
 
「このように行ないなさい」。
 
イエズスは、御父の御旨への従順のために、
ご自分が成し遂げる御業に先立つ機会を用いて、
ご自分の弟子たちに仰せられました。
 
聖福音の中で、私たちは、
疲労し、お腹をすかせた群衆を前にして、
イエズスが弟子たちに仰せられた御言葉を聞きました。
 
「あなたたちが、彼らに食べ物をなにか与えなさい」(ルカ9,13)。
 
イエズスは、
わずかなパンを祝福し、それを裂くことで、
全ての群集の満足を満たすことを予見していましたが、
弟子たちは、
5つのパンと2匹の魚しか捧げられないことに戸惑いました。
 
しかし、イエズスは、このような方法をお望みになりました。
イエズスは、群衆を立ち去らせる代わりに、
弟子たちが持っていた
わずかなものを差し出させるようになさいました。
 
そうして、このように振る舞われます。
私たちの主は、その聖なる崇めるべき御手にパンを取り、
それを弟子たちの貧しい手の中に置くのです。
彼らが、それを人々に分配するようにと意図されました。
 
弟子たちは、イエズスと共に、このように行なうことによって、
イエズスと共に、群衆に食べ物をなにか与えることができたのです。
 
この奇跡は、
その日、お腹をすかせた人々を、
満足させるためだけに意図されたものでないことは明らかです。
それは、キリストが、ご自分の肉と血を与えることによって、
全人類の救いのために成し遂げようとされる御業の『しるし』でした。
 
必要とする人々のためには、
2つの小さな行ないを通して、いつも、このようなことが起こりえます。
 
私たちが持っているわずかなパンと魚を捧げること。
イエズスの御手によって裂かれたパンを受けて、
それを全ての人に与えること。
 
裂くこと。
これは、『私の記念として、このように行ないなさい』という御言葉で、
その意味を説明することができます。
 
イエズスは、裂かれました。
イエズスは、私たちのために、裂かれました。
そしてイエズスは、ご自分を私たちに与える際に仰せられます。
私たち自身を裂いて、それを他者に与えなさいと。
 
この裂かれたパンは、
キリストとキリスト者を認めるためのサイン、アイコンとなります。
 
私たちはエマオの出来事を想い起こします。
パンを裂いた時、その人がイエズスだと気づかされました。
 
私たちはイエルザレムの最初の共同体のことを想い起こします。
彼ら一同は、ひたすら使徒たちの教えを守り、
兄弟的交わりを大切にし、パンを裂いて、祈りをしていました。
エウカリスツィアは、教会の始まりの段階から、
教会生活の中心となり、教会の生活様式となっていました。
 
私たちは、全ての聖人を想い起こします。
有名な方々だけでなく人々から知られていない方々も含め、
彼らはみな、彼ら自身、彼らの生涯を裂いて、
彼らの兄弟姉妹に、食べ物をなにか与えるよう駆り立てられました。
 
どれほど多くの母親たちが、
どれほど多くの父親たちが、
毎日、家庭の食卓に差し出すパンのスライスと共に、
彼ら自身の心を裂いて、
彼らの子供たちの成長のために、自分を差し出していることでしょう。
そのようにして子供たちは、
親の愛情を受けて、より良く成長していきます。
 
どれほど多くのキリスト者が、
市民としての責務のゆえに、彼ら自身の生涯を裂いて、
全ての人々の尊厳、
特に、最も貧しい人々、軽んじられた人々、
のけものにされた人々の尊厳を擁護していることでしょう。
 
彼らがそのように行なう強さを、
彼らはいったいどこから見出しているのでしょうか?
 
それは、ほかでもなく、エウカリスツィアからです。
 
エウカリスツィア、
それは、復活された主の愛の力であり、
主は、今日もまた、私たちのためにパンを裂いて、
私たちの生活が、キリストの愛のしるしとなるように
このように繰り返して仰せられます。
 
「私の記念として、このように行ないなさい」。
 


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聖体のシノドス
愛と連帯の源泉である聖体
 
エウカリスツィアは、人類の贖い主である御子の神秘における御父の啓示です。それと同時に、エウカリスツィアは、この救いをもたらす贖いに対して、教会が行なう感謝でもあります。


エウカリスツィアは、愛と連帯のうちに生きるたまものを、私たちにもたらします。なぜなら、祭壇の秘蹟は、「互いに愛し合いなさい」という新しいおきてと切り離せないものだからです。


エウカリスツィアは、キリストとの一致を強め、人を罪から離れさせ、教会の交わりを強め、貧しい人々との連帯を強め、恩寵を増し加え、永遠の生命の保証を、私たちに与えてくれます。
 


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2016年第51回国際聖体大会
パンを裂くこと
 
最後の晩餐において、イエズスはパンを取り、それを裂きました。裂かれたそのパンを、「これはあなたたちのために渡される私の体である」と仰せになりながら、ご自分の愛する弟子たちにお与えになりました。
 
司祭は、エウカリスツィアにおいて、このキリストと同じ行為をします。司祭は、私たちのためにその御体が裂かれた『キリストの愛のしるし』として、パンを裂きます。
エウカリスツィアの祭儀の中で、この行為が行われる度ごとに、私たちへのご自分の愛を貫き通した、キリストの苦痛に満ちた死を、私たちは想い起こします。
 
そして、裂かれたパンを受ける私たちは、キリストが死なれたのは、私たちを生きるものとするためであったことを想い起こします。エウカリスツィアを祝う時、私たちは、「キリストの犠牲の奉献が、全ての人のためのものであることをますます自覚しなければなりません。このようにしてエウカリスツィアは、キリストを信じる全ての人が、他者のために 『裂かれたパン』 となり、より公正で兄弟愛に満ちた世界を作ろうと努めるよう駆り立てます」ベネディクト16世 『愛徳の秘蹟』 )
 
キリストは、あらゆる時代を通じて、世界と人類に、ご自分の生命をお与えになることを望んでおられます。この御方の記念として、私たちは、このこと 〜裂くこと、分け与えること、愛すること〜 を行ないます。それは、私たち1人ひとりが、イエズスと共に、まさしく 『世界の生命のために裂かれたパン』 となるように召し出されているからです。
 
 

 
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ヾ(o◕ฺ∀◕ฺ )メ(◕ฺ∀◕ฺo )ノ☀ฺ㋔㋩㋵㊀☀ฺございます。

北海道、行方不明の子も見つかって
何はともあれよかったですね。

週末です。良い1日を。

2016/6/4(土) 午前 6:26 通せんぼ


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