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EucharisticDevotion,the Fountain of theCatholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
 
 
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霊魂の種々の段階的な霊的ステイタス
 
霊的カラクテル、成聖の恩寵と喪失
 
キリストの神秘体である教会の成員には
洗礼、堅信、叙階の秘蹟を通して
神の養子、神の兵士、神の司祭として
身分上の霊的カラクテルが、各々の霊魂に、永遠に刻まれて
各々の段階に応じて
キリストの司祭職、預言職、王職に参与することになります
 
そして各々の身分において
外面的に同様な人々における
外面的に同様な働きにおいて
成聖(恩寵の状態)と喪失(大罪の状態)といった
内面的な2つの状態に区分けされます
 
最後の審判においては
この2つの区分は公然と明らかになりますが
 
この世で生きている段階においては
人間の自由意志の浮動性のゆえに
成聖と喪失の両者の区間で揺れ動く状態が、現実にあり
また、大きな2つの枠組みだけで
各々の霊魂の段階的に異なる繊細なケースを前にして
全てのケースを十把一絡げに大雑把に判断することもできません
 
それは、私審判後において、霊魂の行き先が
単に、天国か地獄か、といった2つの区分だけでなく
公審判までの間に
段階的な浄化の区分にあたる煉獄があるのと同様に
生きている人においては
2つの区分の中間的な各々の霊魂の段階における
種々の異なる霊的ステイタスが現実にあるからです
 
まず、教会の歩みは、
掟をふりかざして歩むような、
厳格な論理や吊し上げの論理でもなければ
まして、断罪と排斥の論理でもない

むしろ、教会の歩みは、
救いをもたらす掟を指し示しつつ歩む、
憐れみの論理、想いやりの論理、赦しと受容の論理であり

それは、心から悔い改める人に、
神の憐れみの香油を注ぐ
『御父の抱擁であり接吻である聖福音』にほかならない
 
私たちが求められていることは
各々の霊的ステイタスを知覚することで
他者の霊的もろさについて
短絡的な裁きや即断に走るのではなく
むしろ、忍耐強い祈りと憐れみの受容に、心を開くことです
 
そもそも、神から守るべきものとして委ねられた掟とは
各々が、良心の声の明らかな響きとして
自らを律する規律としてもつべきものであって
それをもって、他者を断罪するための
都合のよいストレス発散の材料となすべきものではないからです
 
身分や職務そのものが、その人を完成させるわけでもなく
身分や職務そのものが、その人を救うわけでもない
 
諸秘蹟の門である洗礼、奉献生活の誓願、神の恩寵の奉仕者となる叙階
これらは各々の段階における、神との霊的婚姻にたとえられます
 
教会は、キリストの浄配です
神は、実際、主キリストにおいて
私たちを、ご自分の浄配となるよう召し出されました
 
既婚者が
既婚者としての歩みを続けていくことで
真の既婚者となるように
 
信徒、修道者、司祭は
各々の歩みを続けていくことで
真の信徒、真の修道者、真の司祭となっていきますが
 
その各々の歩みにおいて、異なる段階があり
その段階を知ることで
自分の今の立ち位置を知り
自分がどこに向かうべきかを知り
また、何を避けなければならないかを知り
神の恩寵の助けのもとで
キリストの霊的背丈に近づけるようになるでしょう
 
 
司祭における4種類の霊的ステイタス
 
敬虔な司祭
神の恩寵の助けのもとで、神の栄光と人々の救霊のために、全ての聖務を注意深く、敬虔に、ふさわしく行ない、教皇庁からの指針を尊敬のうちに取り入れ、祈りを深め、自ら学び、善徳に生き、聖体や聖母信心を推進し、賢明な司牧的配慮のうちに、信者の要望に耳を傾け、絶え間ない自己改善に努めて、聖人への小道を歩む祝福された人。
一般的な司祭
必要最低限の職務は果たすが、それ以上のことはせず、習慣的に典礼を挙行しがちで、忙しさを理由にミサ前後の準備と感謝の固有の祈り、秘蹟授与の前後の祈り、聖務日課の前後の祈りを省いて、日常の業務に埋没しがちな、人当たりの良い『職業司祭』のような人
不敬虔な司祭
安逸をむさぼり、思いつきで恣意的に典礼文を変えたり、省略したりして、典礼を極力短めにすませて、聖務をしばしば怠り、いたしかたなく秘跡を授け、感覚的に楽しいことは大好きだが、祈りと犠牲を嫌がり、敬虔な信者を目障りなものとして煙たがり、時に汚聖の聖体拝領をしたり、信者からの要望を適当に聞き流し、司牧者としての責務をないがしろにする世俗的な人。
堕落した司祭
外面的身分は同じでも内面的には堕落して、司祭としての崇高な使命をかえりみず、悪い衝動に身をまかせて、罪の生活を送り、ふさわしくない状態のままでミサ聖祭を挙行し続け、汚聖の聖体拝領を行ない続けて、もはやまともに霊的職務を全うせず、教会に祝福ではなく呪いを招来し、自らの言動で信者たちを苦しめ、教会の教えとは異なる教えを展開して悦に浸り、自己の快楽にふけり、義務は遂行せずに権利を主張し、聖性を追求することを放棄して、不悔悛にとどまる傲慢な人。
いずれは、自ら還俗するか、異端に走るか、もしくは何らかの社会的犯罪を起こして聖職者としての身分を剥奪されるケースもある。


修道者における4種類の霊的ステイタス
 
 
修道者における4種類の霊的ステイタスも、ほぼ同上であるが、各々の誓願や会則に対する忠実や不忠実、各々が引き受けた職務における責任の軽重が加味される。

信徒における5種類の霊的ステイタス
 
敬虔者
神の恩寵の助けのもとで、愛と謙遜のうちに祈りと善徳に励み、自発的に信仰の真理の学びを深めて、ふさわしい準備と感謝のうちに秘跡にあずかり、日常生活のうちに神へのへりくだりの愛と隣人への想いやりの愛を実践し、神との親密な交わりのうちに、霊的生活を歩む人。
一般的信仰者
信仰生活に必要最低限なことは外面的にこなすが、善徳にはあまり関心がなく、噂好きで、内省することが少なく、外面的なもので人や物事を判断しがちで、自分は普通に信仰生活を歩めていると考えていて、それ以上のことを自発的にしようとしない『受け身体質』の人。
不敬虔者
教会に通ってはいるが、日常生活の中では祈りも犠牲もまともに捧げず、教えも学ばす、学ぶ意欲もなく、世俗的精神にどっぷりつかり、自分は大丈夫だと思い込み、罪がなんであるかをわきまえず、荒廃した思いをほしいままにして、言葉で他者を傷つけても意に介さず、汚聖の聖体拝領を行ない続ける、外面的体裁的には信者として振る舞う世俗的な人。
悔悛者
教会から離れて滅びの道に入るが、神の憐れみの恩寵にうたれて、教会に戻り、赦しの秘跡にあずかるために、過去の罪を残らず糾明し、全ての罪の各々に対する真摯な痛悔を積み重ねて、信心と自己改善に努めて、神の憐れみのふところに入ろうと努めて、秘跡的復活を遂げるまでは、ミサ聖祭にあずかる際、霊的聖体拝領を行ない、実効的に秘跡の恩寵に参与する人。
不悔悛者
神の恩寵をうちすてて、世俗的生活の満喫を追い求めて、堕落した罪の生活を送り、教会から離れたまま戻ろうともせず、まれにクリスマスなどに教会に足を運んで汚聖の聖体拝領をするが、再び世俗的生活の満喫に向かい、その後はほとんど教会に戻らない人。
今、時間が与えられている猶予の時に、心からのへりくだりのうちに罪を悔い改めて、神に立ち帰らなければ、不慮の死を自らに招来し、私審判後、自らの霊魂を永遠の死にいたらしめ、公審判後、復活させられた自らの腐敗体と共に、地獄の炎に永遠に焼かれてしまう危険性が非常に高い。
 
勉強段階の人〜求道者〜の2種類の霊的ステイタス
 
悔悛を伴う学びを行なう求道者
世俗的な『古い人』を脱ぎ捨てるために、罪がなんであるかをわきまえて、自分自身に固有の罪や傾向を糾明して痛悔しつつ、信仰の真理を学び、『新しい人』を身にまとうため、祈りと善徳に生きようと努める人。
このような人は、たとえ洗礼の秘跡を受けないまま不慮の事故で亡くなったとしても、神の恩寵の働きによって『望みの洗礼』の適応を受けて、永遠の生命に入る。
悔悛を伴わない学びを行なう求道者
罪がなんであるかを理解しようとせず、悔い改めもせずに、ただ、信仰の学びを経過的に進めるだけで、これまでの自分の生活を改めようとしない人。
このような人は、洗礼後も以前と同じような世俗的精神のままにとどまる危険性が高い。もしくは、洗礼後に短期間で、教会から離れる可能性が高い。






救いの小道を歩むべきことの大切さ
 
イエズスが町々や村々を通って教えておられると、
ある人がイエズスに尋ねた。

「主よ、救われる人は少ないのでしょうか?」
 
そこでイエズスは仰せられた。
 
「狭い門から入りなさい。
滅びへの門は広く、そこに通じる道は広々としていて、
そこから入る人は多い。
しかし、生命への門は狭く、そこに通じる道は細くて、
それを見いだす人も少ない。
 
あなたたちに言っておく。
入ろうとしても入れない人は多い。
 
家の主人が立ち上がり、戸口を閉めた後になってから、
あなたたちが外から戸を叩いて
「主よ、開けてください」と呼びかけても、
「私はあなたたちを知らない」と主人は答えるだけだろう。
 
その時になって、あなたたちはこのように言い出すだろう。

「主よ、主よ、私たちは、あなたがおられる席で食べたり飲んだりしましたし、
あなたは私たちを広場で教えてくださいました。
また、私たちはあなたの名によって預言し、
あなたの名によって悪魔を追い出し、
あなたの名によって多くの奇跡を行なったではありませんか」。
 
しかし、主人はこのように答えるだろう。

「私は、あなたたちがどこの誰だか全く知らない。
悪を行なう者たちよ、みな私のもとから離れ去れ。」
(cf;マテオ7、ルカ13)
 
一般の段階の人と不敬虔の段階の人に必要なことは
『安逸と受け身体質からの脱却』です
 
「あなたは冷たくもなく、熱くもない。

あなたは自分が金持ちで豊かで
自分に欠けているものは何もないと自負しているが、
あなたは自分が惨めなもの、哀れなもの、貧しいもの、
目の見えないもの、裸のものであることを知らないでいる。

あなたは熱くもなく冷たくもなく、生ぬるいがゆえに、
私は、私の口からあなたを吐き出すだろう。

あなたたちは地の塩である。
しかし、もし塩がそのききめを失ったならば、
何をもってそれに塩気を取り戻せようか。
その塩は、もはや何の役にも立たず、外に投げ棄てられ、
人に踏みにじられるだけになってしまうだろう。

だから、悔い改めて、
あなたたち自身のうちに塩気を保ちなさい。」
(cf; 黙示録3、マテオ5、ルカ14、マルコ9)
 
霊的生活を歩む上で
信者や求道者が励行すべき3つの事柄
 
①悔い改めること
(自分がどのようなものであるかを本当の意味で知る)
【糾明と痛悔】のうちに、浄化の道を歩むこと
 
②信仰の真理を学ぶこと
(神がどのような御方であるかを知り、自分が受けたものが何かを知る)
【聖書と聖伝】のうちに、照明の道を歩むこと
 
③祈りと善徳に生きること
(神への愛のゆえに、神が望まれる方向性〜謙遜、柔和、慈愛、忍耐、清浄、節制、悔悛、償い等〜を知り、その小道を現実に歩む)
【自己改善〜罪に死んで神に生きる〜】のうちに、一致の道を歩むこと



あなた自身、生きる愛のかたどり、神の憐れみの愛の似姿となりなさい
 
霊的ステイタスは大別すると、前述のとおりですが
その各々のステイタスにおいても
信仰の知識や善徳の実践における各人の霊的成熟度に応じて
初期段階、中期段階、後期段階があります
 
神は、私たち各々の霊的ステイタスを真の意味でご存知であり
はかなくもろい私たちの存在の一瞬一瞬を
ご自分の憐れみのうちに支えておられます
 
そして、神は、その寵愛の抱擁のうちに
その誤りえない神的配慮に基づく段階的な教育法を用いて
各々の霊魂の霊的ステイタスの歩みを、徐々に段階的に導き
霊的に成熟した『新しい人』へと築き上げてくださいます
 
この霊的ステイタスの知覚は「自らの現状を知る」ためのものであって
他者を裁くための材料となすためのものではありません
 
実際、裁きは、神のなさることであって
私たちの役割ではないからです

神が私たちに求めておられることは
私たちが、自分の罪や無知の暗闇のままにとどまることなく
真理を深く悟り、自他共に、救いにあずかるものとなることです

たんに表面的な知識で自らをふくれあがらせて、他者を見くだすことでもなく
まして、他者のデリケートな霊的傷口に、塩をぬりたくることでもありません

神があなたに求めておられることは
不完全でいたらないあなた自身が受けた、神の憐れみのゆえに
あなたの隣人の悲惨さを憐れみ、寄り添い、かばい、想いやりを示すことで
神の憐れみの香油を注いで
神の愛の喜び amoris lætitia を、あなたの隣人と分かち合い
あなた自身が、『生きる愛のかたどり』『神の憐れみの愛の似姿』となることです



 
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