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Eucharistic Devotion, the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
イエズスのふるまいに倣い、世俗化を避ける
フランシスコ教皇聖下
神の憐れみと相容れない厳格さ
主がおられるところ、
そこには、憐れみがあります。
主の奉仕者が、厳格であれば、
その厳格さは、与えられた使命に対する侮りであり、
神の憐れみに対する挑みとなるものです。
私たちが、主の聖心を理解することができるように、
また、憐みの意味を理解するすることができるように、祈りましょう。
主は仰せられます。
「私が望むのは憐れみであって、いけにえではない」。
人生における2つの道
人生には、2つの道があります。
私たちの共同体から、人々を排除する道と、受容する道です。
律法学者やファリザイ人の態度は同じです。
彼らは人を排除します。
彼らは言います。
「私たちは完全です。私たちは掟を守っています。
しかし、この人々は罪人です。彼らは徴税人だからです」。
イエズスの態度は受容です。
一方の道の初めは、ごく些細なことからですが、
それは、あらゆる争いの根となるもので、
あらゆる災い、あらゆる争いは、排除によって始まります。
それは、国際的共同体からの排除だけでなく、
家庭間における排除や、友人間における排除であり、
そこからどれほど多くの争いが起こったことでしょう。
もう一方の道は、私たちに、イエズスを見つめさせ、
イエズスがご自分の聖性とはまるで反対のような人々に対して
どのように振る舞われたかを教えるものであり、
それは、受容です。
他者への心のドアを閉じてはなりません。
決して排除してはなりません。
もし私たちが排除するならば、
いつの日か、神の裁きの座の前に立たされることになるでしょう。
いつも他者に開かれた心をもつようにしてください。
ファリザイ人のパン種に気をつけましょう。
パン種、それはとても小さなものですが、
一種のウィルスのようなものであり、
エピデミックの危険性をはらんでいることを認識しておくべきです。
これに感染しないための唯一の方法は、
イエズスによって示されています。
それは、祈りです。
ご一緒に祈りましょう。
「主よ、あなたの教会をお守りください。
あなたの民が、偽善者とならないようお守りください。
彼らが、生ぬるい人生に陥ることがないようお守りください」。
キリスト者における2つのグループ
キリスト者には、2つのグループがあります。
信仰につき従うキリスト者もいれば、
キリストの十字架の敵のように過ごすキリスト者もいます。
どちらのグループも、教会に集い、
主日には、ミサに行き、主をたたえ、
自らを『クリスチャン』と呼んでいます。
いったいどのような違いがあるのでしょうか?
第1のグループと異なる第2のグループ、
それは、キリストの十字架の敵たちのようにふるまうグループであり、
まさに、キリストの十字架の敵である『キリスト者』です。
彼らは、世俗化したキリスト者で、
2〜3のキリスト教的なことをするぐらいで、
それ以上は何もしない、名ばかりのキリスト者のことです。
その名前はキリスト者ですが、その生活は世俗化しています。
こんにち、どれほど多くの世俗化クリスチャンがいることでしょう!
私たちは、世俗化した見せかけのキリスト者の道に
滑り落ちないよう注意しなければなりません。
注意していなければ
安逸に流れようとする誘惑に身を任せてしまい、
次第に堕落して、冷淡な心となり、
生ぬるいキリスト者となってしまうでしょう。
主は、生ぬるいキリスト者に向けて
厳しい言葉を投げかけておられます。
「あなたは生ぬるいがゆえに、私の口からあなたを吐き出すだろう」
なんという厳しい言葉でしょう!
それは、彼らが、キリストの十字架の敵たちだからです。
彼らは名ばかりで
キリスト教的生活に必要なものを求めようとしないのです。
聖パウロは、キリスト者の国籍について語りました。
「私たちの国籍は、天にあります」。
しかし、生ぬるいキリスト者たちの国籍は、地上にあります。
彼らは、この世の民であって、天上の民ではないのです。
もしあなたが、金銭や虚栄やプライドに愛着しているなら
あなたは悪い道を歩んでいることになります。
もしあなたが、それら地上的なものへの愛着の代わりに
神を愛するように努め
他者への奉仕に努め
想いやりをもち、へりくだるなら
あなたは正しい道を歩むことになります。
この世の精神による世俗化は、
霊魂を滅びへと導くものです。
主に堅く結ばれて、
キリストの十字架の模範につき従いましょう。
それは、謙遜、貧しさ、想いやり、他者への奉仕、神的崇敬の歩みであり
『祈りの人』となることです。
「私のあとに従いたい人は、自分をすてて、
日々、自分の十字架を担って、私に従いなさい」。
BeataMichaelina Pisauriensis, pœnitens
ぺーザロの福者ミカエリーナ 悔悛女
記念日;6月19日
ぺーザロの福者ミカエリーナ・メテッリMichelina Metelli de Pesaroは、1300年イタリア、ウルビノのぺーザロの裕福な貴族メテッリ家に生まれ、12歳の時、著名な貴族マラテスタ家に嫁ぐが、20歳で夫をなくした。
世俗的で贅沢な生活に浸る反面、シリアからぺーザロを訪れたフランシスコ会第3会員をゲストとして家にもてなして、真理の教えに耳を傾け、信心や敬虔に惹かれつつも、現状の地上的愛着から自由にならない限り、それが望めないと感じていた。
聖霊降臨の翌朝のミサの終わりに、主が「私はあなたを自由にしてあげよう。私はあなたの子を、私のもとに受け取ろう。そうしてあなたは私ひとりだけに仕えるものとなれるだろう」と内的な語りかけを受けた。
家に帰ると、一人息子が病気で倒れているのを見つけ、ほどなく息子をなくし、母親としての悲しみに打たれるが、その際、天使たちによって天に運ばれる息子を幻視した。
それを機に心から悔悛し、悔悛者のフランシスコ会第3会に入り、自宅で祈りと償いと犠牲の生活を送り、しばらく後に、貧者への慈善を推進するため、至聖なるお告げの奉仕会を創設した。
福者は、孤児の母となり、貧しい寡婦の助けとなり、悲しみに暮れる人々を慰め、自宅を恵まれない人々の避難所として用い、貧者への慈善、病者の看護、見捨てられた死者の埋葬を行なう。
しかし、マラテスタ家の理解を得られず、気がふれたと考えられて、一時、マラテスタ城の塔に監禁された。
解放されてのち、悔悛者として、罪の償いのために聖地に巡礼し、カルヴァリオにおいて恍惚状態となり、主の聖痕を受けた。
ぺーザロに戻ると、祈りと悔悛、愛徳の業にいそしみ、1356年6月19日ぺーザロで帰天した。
1356年マラテスタ家のパンドルフォ2世は、福者が活動拠点としていたペーザロの教会を修復し、1359年その教会を聖フランシスコに献堂し、その幸いな遺体を、大理石の棺に納めて、聖フランシスコ教会の至聖所に安置した。
1393年フランシスコ3世司教は、福者ミカエリーナの誉れのための聖務とミサ固有文を認可し、『ペーザロの第3の保護者』と宣言した。
1545年イタリア画家ポンペオ・モルガンティの描いた恩寵の聖母の聖画を聖フランシスコ教会に迎えるにあたり、教会名を聖フランシスコ教会から恩寵の聖マリア教会Chiesa Santa Maria delle Grazieに改名した。
1737年4月13日クレメンス12世教皇により列福。
『ぺーザロ、寡婦の保護者』、『子供の死の悲観、義理の家族の問題、精神的病に対する保護者』。
Oratio
Deus,qui beatam Michaelinam
神よ、あなたは幸いなミカエリーナを、
a terrenis Solutam affectibus
地上的で奔放な愛着から、
ad amorem tuum dispositione mirabili transtulisti ;
あなたの愛に向かうよう、感嘆すべき配慮のうちに移し替えられました。
tribue quæsumus, ut eius meritis et imitatione,
私たちは願い求めます。その功徳と模範によって、
a noxiis cupiditatibus expediti,
有害なあらゆる貪欲から解き放たれて、
quæ tibi sunt placita, liberis mentibus exequamur.
自由にされた心のうちに、あなたが喜ばれることを果たしていくことができますように。
Per Christum Dominum nostrum. Amen.
私たちの主キリストによって。アーメン。
(MR 1878 ad usum Fratrum Minorum S. FrancisciCapuccinorum)
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教皇聖下の声✿
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今日は天気も回復…かな?
暑い日が戻ってきます。
週初め、素敵な1週間になりますように。
2016/6/20(月) 午前 4:44