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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
教皇聖下の祈りの意向
2016年7月
世界共通の意向: 先住民族
アイデンティティばかりか、その存在自体までもが脅かされている先住民族の人々に、尊敬の念が向けられますように。
福音宣教の意向: ラテンアメリカとカリブ諸島
ラテンアメリカとカリブ諸島の教会が、その地で果たすべき使命を担い、新たな活力と情熱によって、福音を告げ知らせることができますように。
先住民族代表者
私は、先住民族を代表して、
私たちなりの生活様式、私たちの権利、
私たちの伝統を尊重してくださるよう、お願いしたいと思います。
私の言葉に耳を傾けてくださいませんか?
フランシスコ教皇聖下
私は、
先住民族の最も深い渇望の代弁者になりたいと思います。
また私は、
そのアイデンティティや、
その存在さえも脅かされている先住民族を、
全ての人が敬うように、との、心からの祈りのうちに、
私のこの声に、
みなさんの声を合わせてくださるようにしていただきたいと思います。
国際連合広報センター
先住民族は世界のもっとも不利な立場に置かれているグループの1つを構成する。国連はこれまでにもましてこの問題を取り上げるようになった。
先住民族はまた「最初の住民」、部族民、アボリジニー、オートクトンとも呼ばれる。現在少なくとも5,000の先住民族が存在し、住民の数は3億7,000万人を数え、5大陸の70カ国以上の国々に住んでいる。
多くの先住民族は政策決定プロセスから除外され、ぎりぎりの生活を強いられ、搾取され、社会に強制的に同化させられてきた。
また自分の権利を主張すると弾圧、拷問、殺害の対象となった。彼らは迫害を恐れてしばしば難民となり、時には自己のアイデンティティを隠し、言語や伝統的な慣習を捨てなければならない。
2007年は、画期的な『先住民族の権利に関する宣言』が総会によって採択された年であった。
宣言は、文化、アイデンティティ、言語、雇用、健康、教育に対する権利を含め、先住民族の個人および集団の権利を規定している。
宣言は、先住民族の制度、文化、伝統を維持、強化し、かつニーズと願望に従って開発を進める先住民族の権利を強調している。
また、先住民族に対する差別を禁止し、先住民族に関係するすべての事項について完全かつ効果的に参加できるようにする。それには、固有の生活様式を守り、かつ経済社会開発に対する自身のビジョンを追及する権利も含められる。
フランシスコ教皇聖下
柔和のうちに 他者を敬い 想いやることは
他者のうちに現存する イエズスを敬い大切にすることにつながる
イエズスは、有名な山上の垂訓において、
古い律法を廃止する機会としたのではなく、
むしろ、それを完成させ、その十全さをもたらす機会となさいました。
これは、新しい律法であり、
私たちは、これを至福八端と呼んでいます。
それは、私たちのための、主の新しい律法です。
主は、光の道を前進していくための指標を私たちにもたらすため、
キリスト者としての生活を送るためのロードマップのようなものとなるよう、
その宣言をなさいました。
また、主は、至福八端と共に、4つの不幸をも宣言なさいました。
Verumtamen vae vobis divitibus,
しかしながら、富を独占しているあなたたちは、わざわいである。
quia habetis consolationem vestram !
あなたたちは、すでに自分の慰めを受けてしまっているからである。
Vae vobis, qui saturati estis nunc,
今、飽食三昧しているあなたたちは、わざわいである。
quia esurietis !
いずれ、飢えるようになるからである。
Vae vobis, qui ridetis nunc,
今、あざ笑っているあなたたちは、わざわいである。
quia lugebitis et flebitis !
いずれ、嘆き、悲しむようになるからである。
Vae, cum bene vobis dixerint omnes homines!
全ての人から褒め言葉を受けているあなたたちは、わざわいである。
Secundum haec enim faciebant pseudoprophetis patres eorum.
彼らの先祖たちも、偽預言者たちには、もれなくこのようにふるまっていた。
富、それ自体は良いものです。
それでは、何が悪いのでしょう。
それは、富への執着です。
富への執着は、やがて、偶像崇拝となるからです。
これは、反律法であり、誤ったナヴィゲイターです。
地獄に導く、3つの滑りやすいステップは、
まさに、人生を前進させる至福八端のステップとは反対のものです。
地獄に導く3つの巧妙なステップは、次のようなものです。
第1のステップは、富への執着です。
「私は他に何も必要としない」からです。
第2のステップは、うぬぼれです。
「みんな、私のことを良く話さなければならないし、
私が重要視されていると、私に感じさせなければならない。
くだらないことがあまりに多いが、
私が正しいことに間違いはない」。
独善的なファリザイ人と徴税人のたとえ話を思い起こしましょう。
「あぁ、神よ、私が、あんな惨めな隣人のようなものでなく、
私が、こんなにも良いカトリック者であることを、あなたに感謝いたします」。
第3のステップは、プライドです。
飽食や嘲笑いは、自分の心への引きこもりとなるものです。
全ての至福八端の中でも、特に言及したいものが1つあります。
私は、それが、それら全ての鍵であるとは言いませんが、
多くの内省を導き出させる要因となりえるものです。
それは、すなわち、「柔和な人々は幸いである」と言われる『柔和』です。
イエズスは、ご自身について、こう仰せられました。
「私は、心の柔和で、謙遜なものである」。
柔和な心は、謙遜であり、想いやりがあります。
柔和なものになることは、
私たちをイエズスのそばに連れていく歩みとなります。
それとは真逆のふるまいは、
いつも、敵意の要因、紛争の要因となり、
多くの悪い事件を引き起こしてしまいます。
柔和、心の柔和、
それは、考えのいたらない柔弱ではありません。
決してそうではなく、全くの別物です。
柔和、それは、私たちの心のキャパシティに、
深みをもたらすものであり
神の偉大さを理解させるものであり、
隣人における神の現存に向けられた敬神行為となるものです。
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教皇聖下の意向✿
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動物や植物でさえ、絶滅しかけている種は保護されて
いるのですから、少数民族に対するこころ配りも
世界中で広まりますように
2016/7/13(水) 午前 1:00