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Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
教皇聖下の祈りの意向
2016年10月
世界共通の意向: ジャーナリスト
ジャーナリストが、仕事をする上で、常に真実を尊重し、倫理に忠実な姿勢を保つことができますように。
福音宣教の意向: 世界宣教の日
世界宣教の日にあたって、全てのキリスト者の共同体で、福音の喜びが新たにされ、その喜びを告げ知らせる責任を思い起こすことができますように。
フランシスコ教皇聖下
真理への敬意と 力強い倫理的感性による 崇高なモチベーションをいだく
私はしばしば思いめぐらしています
出会いの文化の奉仕のために
はたしてメディアは、どのように据えられることができるでしょうか?
人間性と地球における共通善のために
歩み寄りを導き出すための情報を、私たちは必要としています
私のこの祈りのリクエストにどうぞ加わってください
ジャーナリストたちが
その職務を遂行する際に
真理への敬意と、力強い倫理的感性によって
常に、動機づけられますように
この祈りのリクエストを広めるため
あなたも、私の手助けをしてくれませんか?
「はい、そのように心がけます」
フランシスコ教皇聖下
真理を愛し、人間の尊厳を尊重するジャーナリストとなるように
ex Vatican Radio
ジャーナリズムとは
社会に多大な影響を与える数少ない職業の1つです
ジャーナリストは
ある意味、歴史の最初の一行を書く人々であり
その役割の重要性と責任は大きく
その職務において
自由で多様性ある社会を実現するための大黒柱となりえるものです
このような重要性を持つジャーナリストたちの仕事と現実を
あらためて考えてみたいと思います
ジャーナリストに必要な要素は
真理を愛する者である、ということです
真理を愛するとは
ただ真理を示すだけでなく、その真理を生き、証しすることです
それは信仰をもつ、もたないの問題ではなく
自分と他者に対して、正直でいられるかどうかということです
コミュニケーションの中心は、関係性であり
不誠実さの上には、ジャーナリズムだけでなく
いかなる関係性をも築き上げることも持続させることもできません
私はジャーナリストたちに
プロフェッショナル性を生きることを期待しています
経済的、政治的、その他、様々な利害関係に押し潰されることなく
人間の社会的側面を成長させ、真の市民性を育むために
真理を探究する努力を続けていってもらいたいと思います
また、報道関係者たちには
人間の尊厳を尊重するようにと願います
悪を糾弾することは、合法的であり、また必要なことでもありますが
その一方で、不当に名誉を傷つけられた人々は
一生それを背負うことになってしまいます
そのため、報道は、常に、人間の尊厳を尊重したものでなくてはならず
それを個人や民族を傷つけるための武器とすることがないように
注意を払っていってもらいたいと思います
ジャーナリズムが
共通善を構築し、和解を促し
衝突を遠ざけ、分裂を収め
出会いの文化を推進する道具となることができますように
フランシスコ教皇聖下
私たちはみな、遅かれ早かれ、霊的な暗夜を経験する
霊的荒涼は、私たち全てに起こりえることであり
それによって、人は、より強められることもできますし
より弱められたりすることもあるでしょう
霊的暗夜の感覚、失望、疑念、生きる望みの喪失、
出口の見えないトンネル、各々の心、各々の思いにおける動揺。。
霊的荒涼は
まるで私たちの霊魂が押し潰されたかのように
私たちに感じさせます
「私はもうやっていけない。もう無理だ。
もう生きたくもない。死んだほうがましだ。
こんな風に生きるぐらいなら、死んだほうがいい」
これは、ヨブの苦しみの吐露です
私たちの霊魂が
たとえ息が詰まるほどの悲しみをもたらす状況においてさえも
私たちは理解しておく必要があります
これは、私たちみなにおいて起こるものです
強い人にも、そうでない人にも、私たちみなに起こります
私たちの心で起こりえることを、私たちは理解する必要があります
では、家族の悲嘆、病魔、私たちを押し潰す出来事
このような暗闇の時を経験する時
私たちはいったい何をなすべきなのでしょうか?
人々のうち幾人かは
睡眠薬を服用して問題から逃れようとしたり
1杯、2杯、3杯か4杯グラスをかたむけて
酔いで忘れることで、問題から彼ら自身の注意をそらそうとします
しかし、これらの方法は、本質的な助けにはなりません
それよりもむしろ
霊的荒涼に対処すべき方法は、祈りです
私たちの様々な苦悩から逃れるために
薬物に依存したり、アルコールに酔いしれたりすることよりも
むしろ、沈黙や祈りこそが
私たちの最も深い暗闇の時を克服するための有効な方法となります
私たちが生ぬるい時、落胆する時、望みがないかに思える時
そのような状況から抜け出す最良の方法は、祈ることです
神が聴き入れてくださるまで
ヨブが昼夜祈りのうちに叫んだように
徹底して、祈りの叫びをあげることです
それは、神の聖心のドアを力強くノックする祈りです
「主よ、私の霊魂はトラブルで氾濫しています
私の人生は地獄に引き寄せられています
私は穴に落ち込む人々のうちに数えられています
私は強さをもちあわせていません」
私たちは幾度、このような無力感を味わってきたことでしょう
しかし、ここに祈りが沸き上がります
私たちの主ご自身が
このような悲惨な時に、どのように祈るべきかを教えてくださいました
「主よ、あなたは、私を穴の深みに沈められました
私の上に、あなたの怒りが重くのしかかっています
主よ、私の祈りを御前に至らせてください」
これが祈りであり
私たちを深刻に押し潰す、私たちの暗闇の時、最も悲惨な時
最も冷え切った時、最も打ちひしがれた時に
私たちがなすべき真の祈りです
そして、その祈りは
ヨブが、その子らと共になしたように、解決の糸口をもたらすものです
そう、子供のような信頼をもって、祈りを捧げましょう
沈黙し、寄り添い、祈ること
ここで、沈黙の重要性を考えてみたいと思います
暗闇の時を迎えている人々に対して
沈黙し、寄り添い、祈ることは
真の友人としての正しいふるまい方です
一方で、このような暗闇の状況下にある人々に対して
お決まりの忠告の言葉の石を投げかけたり、説き伏せようとすることは
その人々の心に深い傷を負わせてしまうことになります
私たちは、全てに先立って、まず第1に
私たちが暗闇にあって、希望もなく
私たち自身、なぜそうなのかと問いかける時
私たち自身の霊的荒涼の時について、把握しなければなりません
第2に、詩編88(87)が
私たちの暗闇の際にどのように祈るべきかを教えているように
私たちは主に向かって祈るべきです
「主よ、私の祈りを御前に至らせてください」
第3に、病魔に苦しんでいる人
あるいは、その他の種類の困難な状況下で苦しんでいる人
荒涼の感覚を経験している人
そのように苦しんでいる人に、私たちが寄り添う時
私たちはむしろ沈黙すべきです
しかし沈黙とは言っても
愛の祈りを伴わない沈黙
寄り添うことのない沈黙
抱擁のない沈黙ではありません
そして私たちは、その際に
結局何らの助けにもならないような
お決まりの忠告の言葉の石を投げかけたり
その人を説き伏せようとすべきではありません
そのようなことは得てして
その人の心に深い傷を負わせてしまうことになるからです
主が、私たちに
これら3つの恩寵を与えてくださるよう祈りましょう
私たち自身が霊的荒涼を、よく理解することができる恩寵を
霊的荒涼を感じることで苦しみにあえぐ時に、祈ることができる恩寵を
戦慄すべき悲しみの時を過ごしつつ霊的荒涼で苦しむ人々に対して
私たちが寄り添うすべを知ることができる恩寵を
主が、いつくしみ深く、私たちにお与えくださいますように
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教皇聖下の意向✿
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すごく良い内容だと思います
私にも必要な言葉を教皇様がたくさんくださいました
何度も読みました
神様に感謝です
よい日曜日をお過ごしくださいね
ポチしました
2016/10/2(日) 午前 9:30
今日はすべての人の守護天使の祝日ですね
おめでとうございます
天使さんたち、いつもありがとうございます
2016/10/2(日) 午前 9:32
>しかし沈黙とは言っても
愛の祈りを伴わない沈黙
寄り添うことのない沈黙
抱擁のない沈黙ではありません
<ほんとうにそうですね〜〜。
2016/10/6(木) 午後 11:10 [ 笑み ]
先月でBLOG
周年でしたね




おめでとうございます
お恵みがありますように
お互い、11年目以降もがんばっていきたいですよね
記念ポチ
2016/10/7(金) 午前 7:17
Benedictusさん、(*≧▽≦)bオハツです!
コメントとナイス ( ̄一* ̄)bd(゚Д゚)☆スペシャルサンクス☆( ゚Д゚)b
あなたの考え方素敵です。
参考にさせて頂きますね。^^
2016/10/7(金) 午後 1:34
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ないしょさん、こんにちは
こちらこそありがとうございます
GBも見てみました〜
『霊的な暗夜、小さき聖テレジアも、コルカタの聖テレジアも、
どれほど暗夜を乗り越えたのでしょうね。
さきほど夜ミサで○○神父様が、ルカの聖福音のお説教で、
「3度ほどマザーに会ったことがありますが、
マザーも、「わたしの信仰を増してください。」と頼んだでしょう。
なぜなら聖人になったマザーとて暗夜のうちには、
信じたいという思い続けることが如何に大変だったかを教えてくれたからです。」
とお話されました。』
そうでしたか〜
良い説教をする司祭はありがたいですね〜
人は、逆境の時、その本性が明らかになります
主のために苦しみを甘受することは
まことの愛のあかしですね〜
ないしょさんも体調にはお気をつけくださぁい
いつもありがとうございます
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2016/10/8(土) 午前 11:30
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ニールさん、村ポチもありがとうございます
何度も読み返すと理解も深まりますね〜
いつもブログを支えてくれてありがとうございます
ニールさんもよい週末を〜
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2016/10/8(土) 午前 11:31
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ですね〜
おめでとうございます
天使さんたちにはいつもお世話になりっぱなしで感謝です〜
天使さんたちの神への忠実さにおける俊敏さは素晴らしい模範ですね〜
その神の愛への忠実さにおける俊敏さにあやかりたいです〜
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2016/10/8(土) 午前 11:31
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内緒さん、インドの高校での聖体の奇跡の情報ありがとうございます
聖体の奇跡は、不信仰者への戒め、信仰者への熱意の増加につながりますね
村ポチありがとうございます〜
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2016/10/8(土) 午前 11:32
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笑みさん、ありがとうございます
ですね〜
その人が、真に隣人たるかどうかは、真に友人たるかどうかは
その愛の沈黙、寄り添う沈黙、抱擁の沈黙のいかんにより、おしはかれますね
私たちの主キリストは
弱っている人、苦しんでいる人、疎外されている人のなかで現存され
人が、その人に対してどのように接したかによって
終わりの時の裁きの基準を定められているようです
「あなたは私が飢えている時に、私に食べさせてくれた
あなたは私が渇いている時に、私に飲ませてくれた
あなたは私が裸同然であった時に、私におおいをかけてくれた
あなたは私が悲しんでいる時に、私を慰めてくれた
あなたは私が苦しんでいた時に、私に寄り添ってくれた
あなたは私が疎外されていた時に、私を抱擁してくれた」
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2016/10/8(土) 午前 11:32
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N☆かりんさん、お祝いコメありがとうございます
ですよ〜
ほんとにあっという間です〜
お互いぼちぼ〜ちな感じでがんばりましょ〜
記念の村ポチもありがとうございます
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2016/10/8(土) 午前 11:33
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あみ〜ござん、ようこそ〜
こちらこそ〜ナイスもありがとうございます
「お昼寝も仕事の一環で大切です」
素敵でしたか〜
そんな考え方もあるんだな〜って感じで
参考にしてもらえれば嬉しいところでございます〜
無理し過ぎずに、たまに甘えることもありだと思います〜
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2016/10/8(土) 午前 11:36