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イエズス・キリストの神秘のうちに深く分け入るために必要なこと
私は、御父の御前にひざまずき
祈りを捧げます
御父が、ご自分の栄光の豊かさに従って
内なる人に働きかける、ご自分の霊によって
あなたたちに力を与え、強めてくださいますように
(cf ; エフェゾ3,14-16)
フランシスコ教皇聖下
イエズスを知るのに
カテキズムでは十分ではなく
私たちに必要なもの、それは祈りです
カテキズムそれ自体では
イエズスを真に知るためには十分ではありません
私たちには、祈りが必要です
私たちには、礼拝が必要です
私たちには、罪人としての私たち自身の自覚が必要です
私たちには、祈りが必要です
私たちは、どのようにすれば
キリストを知ることができるでしょうか?
私たちは、どのようにすれば
あらゆる知識を超える主の愛の深みを、理解することができるでしょうか?
キリストは聖福音のうちに現存しています
そして私たちは、聖福音を読むことによって、キリストを知ります
私たちはみな、このようにします
少なくとも、ミサに行く時、聖福音を耳にします
また、キリストがどんな御方であるのかを
カテキズムの学びにおいて、私たちに教えられます
しかしながら、これだけでは十分ではないのです
イエズス・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解するために
私たちは、全てに先立って、祈りをする習慣に、身をおくことが必要です
聖パウロが、ひざまずいて祈りをしたようにです
「父よ、イエズスを知るために、私に聖霊をお送りください」
私たちには、礼拝が必要です
しかし、真にイエズスを知るためには
ただ祈り、それ自体だけで十分でもなく
聖パウロが、この『神秘』を崇めることを、祈りに加えたように
私たちの知識を超える、この神秘を悟るための恩寵を
主から授けていただけるよう
霊における崇敬、礼拝を捧げることが必要です
このような崇敬の習慣、沈黙における崇敬、礼拝なしに
私たちが主を知ることは不可能です
私の思い違いでないなら
この礼拝の祈りは
私たちキリスト者によって
最も過小評価されていると思います
礼拝の祈りは
私たちがほとんどしていないことの1つです
私があえてこのように言うのを許してください
主の御前で
あなたの時間を、無駄に、費やしてください
イエズス・キリストの神秘の御前で
あなたの時間を、無駄に、費やしてください
主を崇めてください
沈黙のうちに、そこにとどまり
礼拝の沈黙を捧げてください
彼こそ、私の救い主であり
そして私は、彼を崇めるのです
※教皇聖下が、あえて「無駄に」と言われたのは
おそらく、祈り自体に時間を費やすことや
聖体礼拝のために聖櫃の前にとどまり続けることを
無駄事のように考えて軽んじる信者たちへの皮肉の表現でしょう
私たちには、罪人としての私たち自身の自覚が必要です
また、キリストを真に知るためには、
私たち自身がどんなものであるかを知ることが必要です
その帰結として
私たち自身を罪人とみなすことに慣れるようにしてください
私たち自身を告発することなしに
私たちが真に崇敬を捧げることはできません
祈りによってイエズス・キリストの神秘のうちに深く分け入る
底知れず限りない海、イエズス・キリストの神秘のうちに
私たちが深く分け入るためには
何よりもまず、祈りを深めることが必要不可欠です
「父よ、聖霊を私にお送りください。
聖霊が、イエズスを知るために、私を導いてくださいますように」
ついで、神秘の崇敬
主の神秘のうちに身をおいて、主を崇めることです
そして、自分自身を糾弾することです
「私は汚れた唇のものです」(イザヤ6,5)
聖パウロが、エフェゾの人々のために願い求めた恩寵
キリストを知り、キリストが私たち自身にもたらされる恩寵
主が、私たちに、この恩寵を豊かに注いでくださいますように
人々は、あなたたちを会堂から追放するだろう
そればかりか、あなたたちを殺す人々がみな
自分は神に仕えているのだ、と思い込む時が来るだろう
彼らがこのようなことをするのは
父をも私をも知らないからである
(ヨハネ16,1-3)
フランシスコ教皇聖下
聖霊は迫害のさなかにおいてさえも証し人を強められる
私たちは、聖霊の強さのうちにおける、主の証し人です
イエズスは、力強く踏みとどまるよう
弟子たちを招いておられます
というのも、迫害が襲いかかることによって
ご自身の証し人が生み出されるからです
噂話や中傷などの小さな迫害から
より大きな類いの迫害に至るまで
教会の歴史は、迫害で満たされています
イエズスは、証し人としてのキリスト者が
払うべき犠牲について仰せられます
「人々は、あなたたちを会堂から追放するだろう
そればかりか、あなたたちを殺す人々がみな
自分は神に仕えているのだ、と思い込む時が来るだろう」
聖霊に強められたキリスト者は
生きておられる主の証し人として
復活された主の証し人として
私たちのただ中におられる主の現存の証し人として
祭壇に降られて、その死と復活のうちに挙行される主の証し人として
自分自身を差し出します
キリスト者は、聖霊の助けによって、その日常生活において
その業が示す歩みのうちに、多くの証しをもたらします
それは、キリスト者としての、絶え間ない証しです
しかし、多くの場合、このような証しは
周囲からの攻撃を引き起こし
周囲からの迫害を引き起こします
イエズスのもとに私たちを導き入れる聖霊は
現存しておられる主が、他の人々に知られるようにと
私たちを駆り立てます
それは言葉によってではなく
むしろ、その生きる証しを通してです
聖霊が、イエズスの証しをもたらしてくださるよう
私たちの心の中に来てくださるよう願い求めることは善いことです
聖霊に祈りましょう
「主よ、私がイエズスから離れてしまうことがないようにしてください。
イエズスが教えられたことを、私に教えてください。
イエズスが仰せられ、なされた御業を、私に想い起こさせてください。
それらのことの証しをもたらせるよう、私を助けてください。
世俗的なもの、安楽なもの、嘘の父に由来するもの
この世のプリンスに由来するもの、罪が
証しをたてる歩みから、私を取り去るのをお許しにならないでください」
『エクソシスト』 ガブリエーレ・アモルト司祭
(1925. 5.1 - 2016. 9.16)
聖書が語るように
私たちは、終わりの時に生きています
そして獣は、猛威をふるいつつ働きかけています
サタンの煙は、どこにでも入り込みます
悪魔が、全ての指導者たちを誘惑すること
特に、教会の指導者たちを誘惑することに、疑いの余地はありません
しかし、教会を統治しておられるのは聖霊です
私はそのことに感謝しています
というのも、教会内における、あらゆる離教、裏切りにもかかわらず
地獄の門が、ペトロに勝つことはないからです
たしかに悪魔は、いくつかの戦いにおいて
教会内における重要なものを獲得することはできるでしょう
しかしながら
悪魔は、この霊戦に勝つことはできないのです
ベネディクト16世名誉教皇
聖体を敬う特別なしるし
聖体において私たちのうちにおられる神の神秘への感覚の深まりは
聖体を敬う特別なしるしによって表わすことができます
私は、感謝の祈りの中心部で
ひざまずく姿勢の重要性のことを考えています
全ての人は、自分が、神の限りない御稜威の御前にいる
という自覚をもち、また、その自覚を表わさなければなりません
さらに、聖体拝領後に
感謝を捧げる貴重な時も、おろそかにしてはなりません
神が、つつましい秘蹟のしるしのうちに
私たちのところにまで来ておられるからです
聖ヨハネ・パウロ2世教皇
(記念日;10月22日)
聖体を、私たちのやり方に合わせるのではなく
私たちのあり方を、聖体に合わせるべき
エウカリスツィアは、光の神秘です
この秘蹟の重要性が無視されてはなりません
聖体を、私たちの次元におとしめる誘惑に
私たちは、常にさらされています
しかし、私たちこそ、この神秘の次元に向けて
自分自身を開かなければならないのです
聖体は、偉大な賜物であり
それを曖昧にしたり、軽んじたりすることは
決して許されません
ミサを捧げる時も、ミサ以外で聖体を礼拝する時も
そこにはキリストが現存しておられる
という生き生きとした意識を育てる特別な必要性があります
この現存の神秘への無頓着や無関心の行為を
さらには世界中の多くの場所で
私たちの救い主が忍耐しておられる屈辱や汚聖を
私たちの信仰と愛によって償うために
聖体のうちに現存されるイエズスの御前にひざまずきましょう
Oratio
Deus, dives in misericórdia,
神よ、憐れみにおいて豊かな御方よ、
qui beátum Ioánnem Paulum, papam,
あなたは幸いなヨハネ・パウロ教皇を、
univérsæ Ecclésiæ tuæ præésse voluísti,
あなたの全教会の指導者とすることをお望みになりました。
præsta, quæsumus, ut, eius institútis edócti,
私たちはつつしんで願い求めます。その確立された教えによって、
corda nostra salutíferæ grátiæ Christi,
私たちの心が、キリストの救いをもたらす恩寵で満たされ、
uníus redemptóris hóminis, fidénter aperiámus.
人間の贖い主との一致に向けて、大胆に開くことができますように。
Qui tecum vivit et regnat in sæcula sæculorum. Amen.
御子は、あなたと共に生きておられ、支配しておられます。世々に至るまで。アーメン。
パパさまのツイート
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教皇聖下の声✿
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この世では、お金を稼げない時間は時間の無駄遣いのように思われがちですね。
長い時間をかけずとも真摯な祈りならば、
それは短くても無駄ではないと思うし、
だらだら、感謝の心も込めずに祈るならば、
時間の無駄だと思えます。
2016/10/21(金) 午前 11:46
聖ヨハネ・パウロ2世教皇様の記念日が10月22日
だと、この記事で教えてもらいました
おめでとうございます
2016/10/22(土) 午後 11:14