ミサ聖祭について✿ฺ

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キリストへの愛に、決して、何ものも優先させてはならない
 
聖ベネディクト
Nihil  amori Christi præponere.
キリストへの愛に、決して、何ものも優先させてはならない
 
 
 
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ロベルト・サラ枢機卿
 
神の優位性に心の内的行為を向き直すべき
 
典礼における神の地位、神の優位性は危機に瀕しています
 
『典礼の教皇』ベネディクト16世は、次のように強調しました
「典礼の真の刷新こそ、教会再生のための基本的な条件です」
 
私たちは教皇自発教令 Summorum  Pontificum の教えを
典礼の深遠な意味のうちに実践することが必要です
私たちはそれを深く理解しているでしょうか?
 
ローマ典礼の2つの形式の間には、深い連続性と一致があります
そのため、この2つの形式は必然的に、お互いを照らし、豊かにします
 
2つの典礼形式は、同じ Lex  Orandi の部分をなしています
 
カトリック教会における典礼刷新の誤解は
私たちの教育面、活動面、創造性の面を、最優先させたために
人間的行為に没頭するあまり、神の優位を忘れさせたことにあります
 
教会の存在は、典礼上の正しい挙行によって生かされています
しかし、現在、神の優位性がもはや典礼に現れず
教会が危険にさらされています
 
教会を揺るがした危機の、最も深刻な要因は
典礼における神の優先権を、不明瞭にしたことにあります
 
キリスト信者における信仰の重大な危機は、信徒の段階だけではありません
多くの司祭たち、さらには司教の間でさえ、特に、重大な危機が続いています
 
その危機は
ミサの祝祭において、特に目に見えるほどにあらわれています
 
多くのカトリック信者は、聖堂内での『神聖な沈黙』を無視し
至聖なる聖体の秘跡への敬意を示す『ひざまずき』を無視しています
 
神の優位性にからだの外的行為も向き直すべき
 
自分自身を神に向けることは
内的現実である私たちの霊魂を、神に向き直させ
外的現実である私たちのからだを、神に向き直させることです
 
今日、私は特別な提案をしたいと思います
その提案とは、美しさ、適切さを反映し、司牧的価値を有する1つの実践です
 
教会生活と伝統のうちに形成された実践とは
すなわち、ひざまずいて、舌で聖体を拝領することです
 
聖パウロが教えるように
天も地も地の下のもの全てのものが、イエズスの聖名の前にひざまずくなら
まして、私たちが、最も崇高な主との親密な交わりとなる聖体拝領において
主ご自身を私たちがいただきに向かう際には
私たちのひざをかがめなければならないはずです
 
まず、私たちは、私たちの主に向かうに際し
その聖体的現存を礼拝するためにひざまずかなければなりません
 
聖ヨハネ・パウロ2世教皇は
病気で悩まされていた時でさえ
その壊れたからだのまま
至聖なるエウカリスツィアの秘蹟の御前で
いつもひざまずいていました
 
聖人は、その最期の日に至るまで
聖体の秘跡への礼拝の偉大なあかしを
私たちにもたらそうと望まれたのです
 
至聖なるエウカリスツィアの礼拝をあらわす外的行為として
奉献文の初めから結びまで、両手を合わせつつ、ひざまずくこと
聖体拝領の際にひざまずくこと
舌によって聖体拝領すること
これらが挙げられます
 
コルコタの聖女テレジアは、沈黙のうちに主を観想していました
聖女は、聖体のイエズスの御前で、長い間ひざまずき、ひれ伏し
へりくだる幼子のように、聖体の主を舌で拝領していました
 
聖女は、信者たちが、彼らの手で、聖体の秘跡を受けているのを見て
深く悲しみ、心に痛みをおぼえていた、と言われています
 
また、ファティマでは
ひざまずいて、舌で聖体拝領するように、との天からの要請
神の明示的勧告が、私たちになされました
 
司祭は、自分の権威を濫用して
ひざまずいて舌で聖体拝領することを望む信者を拒絶したり
小馬鹿にするようなことをしてはなりません
 
舌による聖体拝領は
幼子のように、主ご自身を食べさせていただくことに
私たちがおまかせするふるまいです
 
幼子のようにへりくだりつつ
ひざまずいて、舌で、キリストの御体をいただきに向かいましょう
 
それは神が、ご自身、私たちに仰せられているとおりです
Ego enim sum Dominus Deus tuus, dilata os tuum, et implebo illud.
私はあなたの神、主である。私が、あなたの広く開けた口を満たした」Ps81,11


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アントニオ・カニザレス・ジョベラ枢機卿
 
ひざまずきと舌による聖体拝領
 
舌で聖体拝領することは、何を意味しているでしょうか?
至聖なる聖体の秘蹟の御前でひざまずくことは、何を意味しているでしょうか?
ミサの聖変化の間にひざまずくことは、何を意味しているでしょうか?
 
それが意味すること、それは礼拝です
 
それが意味すること
それは、エウカリスツィアにおけるイエズス・キリストの真の現存の認識です
 
それが意味すること
それは深い敬意であり、神の御前にひれふそうとする人の信仰の姿勢です
 
なぜなら、その人は
全てのものが神からもたらされることを知っているからであり
神の素晴らしさ、善良さ、その憐れみを前にして
圧倒され、言い尽くしがたい感動にとらえられるからです
 
そのためにこそ、この敬意に満ちた方法は
他の拝領方法、すなわち手に聖体をおくことと同じではありません
 
また、聖体をひざまずいて受けることは
立ったままで受けることと同じではありません
 
というのも、それら全ての外面に現れるしるしは
深遠な意味を示しているからです
 
ミサの本質部分に対する嘆かわしい軽視
 
残念なことに、あまりにも多くの司祭は
神の御言葉よりも、自分の言葉に重きを置いています
 
説教を45分ほどかけて
それに続くミサの本質部分を15分や20分に済ませることなど
全くもって受け入れられないことです
 
神に向かう典礼の精神を、私たちは再興させなければならない
 
私たちは、典礼の精神を再興しなければなりません
教皇の典礼祭儀に導入されたジェスチャーは、とても意義深いことです
 
すなわち、典礼挙行を東向きにすること
祭壇の中央に十字架を据えること
聖体拝領の際にひざまずくこと
グレゴリオ聖歌を歌うこと
沈黙のひと時を確保すること
神聖な芸術の美しさを示すことです
 
ベネのひとりごと

典礼上の敬神行為について誤断する人々はキリストの聖心を傷つける
  
自分が見えていない人ほど
他者の立ち振舞いに対して
過度な干渉をしがちになる傾向があります
 
その独自の思い込みと思い違いで
上から目線の発言のうちに
誤りに過ぎないことを
しばしば他者に強要しようとします
 
彼らは典礼上の違法行為を
正しいこと、義務である、とまで考え
典礼上なさなければならない行為や
典礼上尊重されなければならない行為を
過ち、矯正されるべきである、とまで考えています
 
その長いものに巻かれようとする
誤った日和見主義的行為は
遅かれ早かれ
その誤りの実りを自ら刈り取り
自身を傷つける負の報いとなるでしょう
 


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優しいイエス様のお顔。。
ゆっくり、読ませて頂きました。有難うございます。

2017/10/6(金) 午後 9:05 [ ライオンKIDS ]


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