ミサ聖祭について✿ฺ

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典礼文の翻訳は十全かつ忠実な表現でなければならない
 

フランシスコ教皇聖下

典礼的行為はキリストの聖心の継続的鼓動のうちに生かされている
 
私たちは、典礼刷新が、不可逆的であることを
教導権威のうちに確信的に肯定することができます
 
心の鼓動がなければ
人間の生命が存続しないのと同様に
キリストの聖心の鼓動がなければ
典礼的行為も存続しえません
 
現在の典礼書の祭儀と祈りのテキストは
教父たちによって伝えられ
カトリック教会のカテキズムによって復興された
教理教授に沿っている継続的なラインです
 
教会は、この現在の典礼書の祭儀とテキストの光のうちに
典礼、エウカリスツィア、他の諸秘蹟によって
神の民を牽引しています
 
それゆえ、各国での翻訳に際しては
各言語で保全された意味合いのうちにありつつも
ミサ典礼書規範版の原文の意味が
十全かつ忠実を尽くして表現されなければなりません
 
ベネの過去記事からの引用

2011年11月28日
 
地方教会の牧者は
神の民に対して、祭儀の法に基づき、
教皇庁が示すとおりのローマ・ミサ典礼の挙行を、
忠実に、省略することなく、実施する重い責任と義務があります
それは、神の民が当然受けるべき権利を侵害しないためでもあります
 
2015年4月14日
 
福者パウロ6世が求めた各国語ミサは
その忠実な翻訳による、ラテン語ミサの意味の再現性を
各国の信者の心に、豊かに実現させ、その理解を育み、育てていき
信者1人ひとりを、教会の祭儀の神秘に深く分け入れさせるためのものでした
 
典礼刷新によって始められた各国語ミサは
その本質において、典礼的美と秩序の比類ない表現の1つです
 
しかしながら、それが正しく理解されうるのは
その国語訳が、ラテン語原文に忠実に訳出しされている時に限られています
 
教皇との一致が保たれる限りにおいて
地方教会が、真に、『カトリック教会』であるように
ラテン語ミサの意味合いの一致が保たれる限りにおいて
各国語ミサが、真に、『カトリックのミサ』となります
 
従順は実りをもたらし
不従順は不毛をもたらすからです
 
教会が定めた公式の祈り文は
教会が抱いている信仰を表明するものであり
教会がなすべき儀式を、美しい規律のうちに表現するものです
 
それゆえ、教会の公式の祈り文が、各諸言語に翻訳されるに際し
忠実さ、繊細さ、正確さが要求されます
 
各地方教会は、各国語ミサにおいて
省略や恣意的変更などの不忠実で不従順な加工ではなく
教皇庁典礼秘跡省の指導に基づいて
ラテン語ミサを忠実に翻訳した、各国での口語ミサを
各国の信徒に提供すべき役割と『重い』責任があります
 

 
ベネのひとりごと
 
ミサにおいて胸を打とうとしない司牧者たち
 

典礼文の翻訳は
そのテキストと注記に至るまで
十全かつ忠実な表現でなければならないことは明らかです


胸を打つ外的行為は
心の痛悔とへりくだりの精神を示す内的行為に密接に結ばれています

Cor contritum et humiliatum, Deus, non despicies.
(痛悔し、へりくだる心を、神よ、あなたは軽んじられません)

神が、へりくだり、悔い改める心を軽んじられないのであれば

へりくだりのないところ
悔い改める心のないところに
神の寵愛は注がれない、と言えるでしょう

司牧者は、典礼挙行に際して
悔い改めを示すふるまい
すなわち、自身の胸を打つよう、みずから是正すべきでしょうし
祭儀にあずかる信徒たちに、内的痛悔の大切さを
身をもって明示すべきでしょう

ミサ導入部の告白の祈りで、自身で3度胸を打たない
信徒にも打たせない、ことについては
長くなるので、脇に置いておくとして
 
ここ数年、たま〜にですが
通常形式ミサにおいて
教区司教や教区司祭によって
第1奉献文が使用されるようになりました
 
その奉献文の日本語訳の云々は
脇に置いておくとして
 
これまで自分の目の錯覚だろうと思い
この記事を書くまで放置していましたが
 
ミサの第1奉献文の Nobis  quoque  peccatoribus の箇所で
教区司教はじめ教区司祭も
胸を打たない、打つそぶりも全くない
ということに薄々気づいていましたが
 
たぶん、うっかり忘れていたのだろう
と思うようにしていましたが。。。

そのようなことが、2度、3度にわたり続きに続き
4度目に、ようやく、うっかり胸を打つのを忘れた、などではなく
本当に、意識というか認識そのものがないんだ、と思い至りました
 
ローマ・ミサ典礼書の規範版には
特別形式ミサにおいても
通常形式ミサにおいても
該当する奉献文の使用に際して
Nobis  quoque  peccatoribus の箇所で
わざわざ真っ赤な文字
Manu dextera percutit sibi pectus.(右手で自身の胸を打つ)
と指示されています
 
それにもかかわらず
日本の司牧者のだれも
典礼挙行の模範となるべき裁治権者である司教でさえ
ここの箇所について何も言わないこと
何も是正しようとしないことに
ただただ驚くばかり
 
なんでみんな胸を打たないんだ?と思いつつ
日本語版のミサ典礼書を確認すると
 
なんのことはない

この箇所についての注記が
全くもって翻訳されていなかった
 
はぁ(呆)

 
ちなみにローマ・ミサ典礼書の規範版Ordo Missae ミサ通常文の
第1奉献文の該当箇所は下記のとおりですP.578
 
96.Manu dextera percutit sibi pectus,dicens:
Nobis quoque peccatóribus fámulis tuis,
et extensis manibus prosequitur:
de multitúdine miseratiónum tuárum sperántibus
partem áliquam et societátem donáre dignéris
cum tuis sanctis Apóstolis et Martýribus
 
大雑把ですが、これを日本語に訳すと
右手で自身の胸を打ちながら、唱える:
また、私たちは罪人に過ぎませんが、あなたのしもべであり
両手を広げて続ける:
あなたのはかりしれない憐れみに希望を抱く私たちをも
あなたの聖なる使徒たち、殉教者たちとの
関わりと交わりに連なることをお許しくださいますように
といった感じになるでしょう
 
一方、日本語ミサ典礼書では
両手を広げて続ける。
また、あなたの深い憐れみに頼るわたしたち罪びとを
使徒と殉教者の集いに受け入れてください
といった感じになっていて、右手で胸を打つ指示が欠落しています
 

なお、特別形式ミサでは
Manu dextera percutit sibi pectus, elata aliquantulum  voce dicens:
右手で自身の胸を打ちながら、                    少し声を高くして唱える:
Nobis quoque peccatóribus
また、私たちは罪人に過ぎませんが
といったように
あなたの御前で、私たちは罪人に過ぎません、という現実を
より一層、強調して唱えるよう、指示しています
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奉献文の結びの大合唱を是正しようとしない司牧者たち

Per ipsum, et cum ipso, et in ipso,
est tibi Deo Patri omnipoténti,
in unitáte Spíritus Sancti,
omnis honor et glória
per ómnia sǽcula sæculórum.
Populus acclamat:
会衆は応唱する:
Amen.


 

いまだに奉献文の結びも
相変わらず信徒たちの大合唱
 
司牧者たちは
それをわかっていても是正する気もほとんどないようです
 
それでいて
殉教者の列福式で
教皇庁から派遣された枢機卿たちが来日する際には
奉献文の結びを
信徒たちが大合唱しないような工夫をほどこしたりする
 
なんというズルさ!
 
はぁ(呆)




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