ミサ聖祭について✿ฺ

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奉納における疑問
 
たまに司祭がミサの奉納の際
「神よ、あなたは万物の造り主
ここに供えるパンとぶどう酒はあなたから頂いたもの
大地の恵み、労働の実り。わたしたちの命の糧となるものです」
というふうに
パンとカリスを一文で済ませるのを見受けるのですが
パンとカリスを一文で済ませても良いのでしょうか?
 

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パンとぶどう酒の奉納の祈りは 定められたとおり個別に唱えられるべき
 

パンとぶどう酒の奉納の祈りは
ミサ典礼書に定められたとおり
個別に唱えられるべきです
 
それは主が
パンとぶどう酒を
それぞれ個別に
ご自分の御体
ご自分の御血に聖別されたことと調和対応させるためでもあります
 
パンとぶどう酒の奉納での祈りの内容は若干異なる
 
パンとぶどう酒の奉納での祈りの内容は
実際若干異なります
 
詳細は『ミサ聖祭の奉納における祈り』で確認してください
2016/5/6書庫「ミサ聖祭について」)
 
 
通常形式でのパンの奉納では
『大地と人の手の働きの実り fructum terræ et operis manuum hominum 
『私たちにとって生命のパン ex quo nobis fiet panis vitæ 
であるのに対して
 
通常形式でのぶどう酒の奉納では
『ぶどうの樹と人の手の働きの実り fructum  vitis et operis manuum hominum 
『私たちにとって霊的な飲み物 ex quo  nobis fiet potus spiritalis 
と唱えるよう定められています
 
(ローマ規範版です。
日本語欠落翻訳版の
『大地の恵み、労働の実り、私たちのいのちの糧』ではありません)
 
日本語の誤った翻訳文では
あたかもパンとぶどう酒の奉納の祈り文が、同じ内容だからと考えて
「同じなら一緒に合わせて唱えちゃっていいんじゃない?」
みたいな短絡的な手抜きの判断を誘発させることになります
 
司祭はミサの時短に意を用いるべきではない
 
司祭は、ミサの奉納の時短に
意を用いるべきではありません
 
もし主が時短を許容されておられたなら
聖別の御言葉を
パンもぶどう酒も一緒にされて
『こちらは(パンを示しながら)、
あなたがたのために渡される私のからだであり、
こちらは(ぶどう酒を示しながら)、
私の血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、
罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。
これを私の記念として行いなさい』
と同時にまとめて聖別されたでしょうが
 
実際、主イエズスは
パンをご自分の御体に
ぶどう酒をご自分の御血に
それぞれ個別に聖別されたのですから
 
同じように
奉納においても
パンの奉納
ぶどう酒の奉納
それぞれ個別になすのが
ごくごく自然な調和のとれた対応であり
合理的な判断だと思います
 
そんなにミサ後の活動が気がかりで
奉納を短縮したい衝動にかられるなら
ミサの開始時間をもう少し早めたらよいと思います
 
ある司祭は
第4奉献文(他の奉献文より長めです)を唱える日は
15分早めにミサを開始するようにして
焦ることなくゆっくりと言葉をかみしめながら奉献文を唱えるなどして
前向きな工夫をほどこしたりしています
 
手抜きは、天来の恩寵の注ぎを減じるだけで
自他の霊的利益にはつながりません
 
食べ物と飲み物をどうしても一緒に混ぜたいならば
ミサ後の感謝の祈りを怠りなく捧げた後
(司祭は教会法に定められている通りミサ後に感謝を捧げなければならない)
コーンフレークとミルクを混ぜ混ぜして、思う存分ほおばってください
といった感じです
 
なお、どこかの典礼では
パンとぶどう酒を一緒に奉納する、というのはあるようです
(どこだったかド忘れしました)
 

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司祭は、ローマ・ミサ典礼書を使用する以上
また、救い主ご自身による個別的聖別のしるしの観点からしても
教導教会が定めたとおり、祭儀の法に従って
パンとぶどう酒を、各々、個別に奉納しなければならない
 
司祭は、ローマ・ミサ典礼書を使用する以上
『定められた祈りを唱え』るべき(総則75)であって
(パンの奉納の動作やぶどう酒の奉納の動作等については総則141&142
この典礼に固有の祈りを
恣意的に加工して唱えたり、省略して唱える権限は
司祭にも、司教にさえも与えられていません
 
なので、ローマの典礼法規上
また、救い主による個別的聖別のしるしの観点からしても
パンとぶどう酒の奉納は
それぞれ個別になすのが、ふさわしく正しいこと、と考えられます
 
なので、司祭は
ローマ・ミサ典礼書を使用する以上
特別形式ミサにおいても
通常形式ミサにおいても
さらにはハイブリッド形式ミサにおいても
パンとぶどう酒の奉納を
時短することなく
手抜きすることなく
各々個別になさなければなりません
 

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Nobis quoque peccatoribus
 


おまけ
 
先日『典礼文の翻訳は十全かつ忠実な表現でなければならない』の記事の
『ミサにおいて胸を打とうとしない司牧者たち』の指摘の中で
 
日本語版のミサ典礼書の第1奉献文の箇所に
胸を打つ指示の赤色注記が翻訳されていなかったことを確認し
そのように翻訳欠落の指摘を記載していましたが
 
 
もしかしたら、100歩譲って
暫定版以前の日本語版ミサ典礼書の総則には
その胸を打つ指示が記載されていなかったのかな?と思い
日本語版のを本棚から引っ張り出して確認してみました
 
カトリック中央協議会発行の
2004年発行の『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』には
次のように記載されていました
 
『224. 「また、あなたの深いあわれみに頼るわたしたち罪びとを」
のことばで、共同司式司祭一同、胸を打つ。』
 
カトリック中央協議会発行の
1980年発行の『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』には
次のように記載されていました
 
『176. 「また、あなたの深いあわれみに頼るわたしたち罪びとを」
のことばで、共同司式司祭一同、胸を打つ。』
 
なんやねん、古い版にも、おもいっきり記載されとるやんけ
 
ということは。。。
 
やはり典礼文の本文中の単なる注記の欠落、翻訳ミスに過ぎないため
「本文中に胸を打つ指示の注記がないから
べつにその箇所で胸を打たなくてもかまわない」
などという判断は、誤りに過ぎないので
 
第1奉献文を使用する司教や司祭は
新しい日本語版のミサ典礼書が発行される以前に
現行の日本語版のミサ典礼書を使用するに際しても
『また、あなたの深いあわれみに頼るわたしたち罪びとを』の箇所で
胸を打たなければならない
という結論になります
 
このようなことは
本来、典礼挙行の専門家とも言うべき司祭自身が
奉献文を使用して自ら唱えている司祭自身が
第1奉献文中の注記の欠落を発見し
率先して、もっと早い段階で、改善策を講じておくべきことです




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