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悪魔はエウカリスツィアの信心を最も忌み嫌う
 
キリスト・イエズスにおいて
敬虔に生きようと望むものはみな
迫害を受ける
しかし、悪人は、誤謬から誤謬へと突き進む
cf; IIティモテオ3,12-13
 
 

 
悪魔は『祈りの人』を最も忌み嫌う
 
神の畑には、良い麦のような人もいれば毒麦のような人もいます
霊的感覚の麻痺した、この世的な人は
祈りを捧げる人に対して、時に積極的な嫌がらせをしてきたりします
 
というのも、自分ができていないことを、している人の姿が
自分を責めているかのような錯覚をおこして
その内的責めの要因である、その他者を
自分にとっての異物とみなし、それを排除することによって
偽りの内的平和や安堵を得ようとするからです
 
しかしながら、そのような排除行為、他者の敬神を軽んじる行為は
自身の内的砂漠をますます拡大し
暗闇から暗闇へと、自らを突き進ませる迷走にほかなりません

悪魔は、祈らない人ではなく、祈る人を執拗に攻撃する
 
悪魔は、祈らない人ではなく
祈る人を執拗なまでに攻撃します
 
祈りは、悪魔が最も忌み嫌う行為で
今現在、唱えられなくなってしまっている種々の祈り
特に、多くの聖人聖女が捧げたエウカリスツィアの信心の種々の祈りは
ある意味、悪魔が嫌悪するものばかりですから
あえて、それらを唱えるようにすることは
悪魔にとって痛烈な打撃をもたらすものだと考えられます
 
というのも、それらの祈りは
悪魔が掌握したはずの数々の霊魂たちを
その魔の手から、神的恩寵によって、神のもとへと奪い返すからです
 
悪魔は、自分にとって無害なもの、影響のないものは攻撃しませんが
自分にとって害をもたらすもの、影響を及ぼすものに対しては
徹底的に集中して攻撃してきます
 
その攻撃は、悪魔自ら
直接的に〜神様のお許しになる範囲内で〜なされ
時に、悪魔に息吹かれた信者によって、間接的になされます
 
自分は立派な信者だと思い込んでいる勘違いした自惚れ系の人は
自分ができていないことについて
しばしば他者を妬んで、他者のふるまいを誤断し、他者を攻撃し
内省もせず、自分を正当化しながら
独りよがりな信仰生活を送りがちですが
その想いやりのない反福音的なふるまいは
のちに神の御前で厳しく咎められることになります

恫喝おじさん

経験上、悪魔は
エウカリスツィアの信心
すなわち、ミサ前の準備の祈りや、ミサ後の感謝の祈りを
最も忌み嫌い、嫌悪しているので
あらゆるものを用いて、それをやめさせようとしたり
それができなければ、せめてある程度妨げようと働きかけます
 
ここからは自分の実際の体験談の記述ですが
 
ある時、聖堂内で
ミサ前の準備の祈りを、ひざまずいて黙々と捧げていると
ある男性信者が、ひざまずく私の目の前に立ち
周囲の信者さんたちもびっくりするような声で
「おまえは目障りで邪魔なんだ」と暴言を吐いてきました
 
衝突おばさん

またある時、聖堂内で
ミサ前の準備の祈りを、ひざまずいて黙々と捧げていると
ある女性信者が、5メートルぐらいの位置から
突然、すごい形相で、私の祈り本めがけて走ってきて、私の腕に衝突して
私の祈り本を遠くにすっ飛ばして
その後、私の祈り本を突き飛ばしたあとは、走るのをやめて
スタスタと無表情で歩いていき、着席しました

当然ながら、意図的に衝突してきたその信者は
すっ飛ばした祈り本を拾うこともしませんでしたし
聖堂内でのその逸脱した行為について私に謝ることもしませんでした
 
普通良識を持ちあわせていればありえないような、びっくりな行動を
悪魔は、自分の隷属下にある、使いやすい信者を介して、行なったりします
 
しかも不幸なことに
そのような人々は教会内で強い立場にあるので
誰からも矯正されたり、注意されたりもしないので
自ら内省して悔い改めない限り
なんら抵抗や反発を見せない人に対して
その不法行為を繰り返してしまうのです

ブルブルおばさん

またある時、聖堂内で
ミサ後の感謝の祈りを、ひざまずいて黙々と捧げていると
ある女性信者が、ひざまずく私の目の前に立ち
私がその人を見上げると、その人は突然ブルブルと全身を数秒間震わせ
また、そのブルブルしてる間、その人の眼は、白目をむいて(怖い。。)
その後、目が白目から普通になったかと思うと
それはそれは恐ろしい憎悪を抱いた目つきで私をしばらく睨みつけ
ブツブツと何かを言ったかと思うと、それから去って行きました

奇声おばさん

また、ある時、誰もいなかった聖堂内の最前列で
ミサ後の感謝の祈りを、ひざまずいて黙々と捧げていると
しばらくして、女性らしき人が、聖堂に入ってきましたが
その人は、聖堂の斜め後方で、突然奇声をあげたかと思うと
その後、憎しみに満ちた声で
「お前の祈りなど、無駄だ。何の意味もない。フハハハハハ。。」
というゾッとするような発言を
私に向けて(聖堂には私とその人以外他にいないので)投げかけました
 
さすがに内心、祈りをいったん、とめて
「結びのフハハハハハ。。ってなんだよ。あんた悪魔かよ」と内的に思い
「どうしたらいいでしょうか?
 その人のほうに向きなおって何か語りかけたほうがいいのでしょうか?」
と聖体の主に尋ねました
 
「祈りを妨げるのは悪魔であって
 そもそもあなたの祈りが本当に無駄であるなら
 その祈りが悪魔にとって意味のないものであるなら
 わざわざそれをあえて言う必要性があるだろうか?
 
 本当に悪魔に影響のないものであれば
 祈りを捧げる人間を無視して放置するはずである
 
 それを、あえてやめさせようとするのは
 それが、悪魔にとって、無駄や無意味でなく
 影響を及ぼすもの、忌み嫌うものの最たるものだからである
 
 よくよく考えてみなさい
 そもそもこの『祈りの家』で
 祈る行為や聖体礼拝を否定する言動を、声を大にしてなす逸脱行為は
 天来のものではないことは確かなのだから
 あなたは、さらに熱意をこめて、祈りを続けなさい」
 
そのような想いが心にうかんできたので
その人の暴言を相手にせず
通常の感謝の祈りに、いくつかの聖体礼拝の祈りを加えました
 
すると、その聖堂の斜め後方にいた人は
消えるように静かに聖堂から出てゆきました
 
静まりかえる聖堂内での
突然の奇声や個人攻撃的な暴言
そんな普通ありえないような、びっくりな行動を
悪魔は、自分の隷属下にある、使いやすい信者を介して、行なったりします
 
しかしながら、悪魔からの執拗で酷い嫌がらせがある度に
そのエウカリスツィアの祈りの大切さを
その都度深め、確信するに至りました
 
祈りの際、内的、外的な苦しみを受けないために
その祈りをやめてしまったり放棄したりするのではなく
 
むしろ、その悪魔の嫌がる祈り、エウカリスツィアの信心
すなわち、ミサ前後の準備と感謝の祈りや聖体礼拝を
より一層の熱愛をこめて
在天の天使たちと聖人たちとの交わりのうちに
そこにとどまりつつ、虐げに動じないことは

神の栄光とより多くの人々の救霊にとって
とても大切で、重要な貴い聖務であり
のちのちの、より大いなる至福と歓喜の享受の
豊かな源泉となるに違いありません


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聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ―司祭
天国への階段である苦しみの十字架
 
私たちは、いつも、安楽の場にいたいと思うほど
自分を苦しめるものに抵抗しようとしますが
苦しみの場にこそ、私たちは、身を置かなければなりません
 
十字架によってこそ
人は、天国に入るからです
 
人は望むと望まないとにかかわらず、苦しまなければなりません
しかし、良い盗賊のように苦しむ人々もいれば
悪い盗賊のように苦しむ人々もいます
 
両者とも同様な苦しみを受けましたが
良い盗賊は、自分の苦しみを償いの精神で受け入れ、功徳を得て
十字架上のイエズスの口から美しい御言葉を聞くことができました
「あなたは今日、私と共に楽園にいるであろう」
 
悪い盗賊は、自分の苦しみについて、わめき声を発して
呪いと冒瀆の言葉を、主に浴びせかけて
最も恐ろしい絶望のうちに息を引き取りました
 
苦しむのに2つの様式があります
愛しながら苦しむことと
愛さずに苦しむことです
 
聖人たちは、忍耐と歓喜と頑強さをもって
全ての苦しみを耐え忍びました
なぜなら、彼らは神を愛していたからです
もし、愛がなければ、怒り、恨み、倦怠のうちに苦しんだでしょう
 
もし私たちが神を愛しているならば
十字架を望み、十字架に満足し、十字架を愛するでしょう
私たちのために苦しみを受けられた主への愛のために
苦しむことができるなら、私たちは幸福だからです
 

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ペニャフォルトの聖ライムンド司祭
内的剣と外的剣
 
キリストに結ばれて、信心深く生きるものはみな、迫害を受けますが
そうでないものは、迫害を受けません
 
あなたたちが神の御心にかない、清く敬虔であれば
多くの痛手を受けて、完全に澄み切った純粋さに至るよう導かれますが
それは、あなたたちの純粋な敬虔への報いでもあり
また、その敬虔の要求するところでもあります
 
そのため時に、内的にも、外的にも、幾度も剣で打たれるならば
あなたたちは、それらを全て喜びとみなし
それらを神の愛のしるしだと考えなさい
 
内的に、幾度も剣で打たれるとは
悪魔が、その策略や誘惑によって
人間の心をかき乱す、ということです
 
外的に、幾度も剣で打たれるとは
霊的な事柄に関して
理由もなく、教会の人から迫害される、ということです
その際、友人たちから傷を加えられるとするならば
それは最も苦しい痛手でしょう
 
しかし、信仰の創始者であり完成者であるイエズスを見つめなさい
主は、全く罪のない御方でありながら
ご自分の仲間からもひどく苦しめられ
罪人の1人に数えられたのです
 
ですから、主イエズスの素晴らしいカリスを飲み干し
全ての恩寵の与え主である神に感謝を捧げなさい
 
 
私のために、人々があなたたちをののしり、迫害し
また、あなたたちに、あらゆる悪口を浴びせ
言いがかりをつける時、あなたたちは幸いである
喜び踊りなさい
天において、あなたたちの報いは大きいからである
 
あなたたちより前の預言者たちも
同じように迫害されたのである
(マテオ 5,11-12
 


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今回は凄く臨場感があります!
いつもベネさんのブログは美しいな…と思っていますが、なんか神であり人間であるイエズスさまのもう一つ先の「男」?「漢」?の部分をベネさんが表したって感じですよ。
スゲー!
とヘタレ信徒のアホな感想です(笑)。

2018/10/13(土) 午前 11:49 Rick

.
Rickさん、そうなんですか〜
たまには臨場感のもてるのもイイかもですね
「漢」っていうのはよくわかんないですけど
意外な感想ありがとうございます
.

2018/10/14(日) 午後 9:17 Benedictus

.
昔の一般的祈祷書には『究明の箇条』に
『他人の祈りを妨げる事』など細々とした具体的な罪の列挙がなされていましたが

僕が知らないだけかもしれませんが
今の一般的祈祷書には、ざっくりとした過ちの分類だけで
細々としたことについては読者任せ的な感じになってるか
あるいは糾明事項そのものが欠落したものが出されてるぐらいなので

指摘されていなければ罪ではない、もしくは罪ではなくなった
などと勝手に解釈して、故意の盲目で
内的指摘から自身をすり抜けさせることにより
他者への酷いふるまいや暴挙をなしても
何とも思わなくなってるのかもですね
.

2018/10/14(日) 午後 9:18 Benedictus

.
前回のコメで『霊的感覚の麻痺した、この世的な人』と表現しましたが
ある意味、普通の社会人でもしないようなことを
平然とやってのけてしまうところは
一般の人よりも悪質な、良識欠落状態、霊的麻痺状態といったところでしょうね

そのためカトリックの人が、道徳的に堕ちた場合は
カトリックの聖職者や高位聖職者による性的犯罪の実態からしても
一般の人の堕落よりも、強烈で深い堕ち方をするのかもしれません
.

2018/10/14(日) 午後 9:18 Benedictus

.
他者に加害する人は、その回心を待ちつつも
神様がふさわしい扱いをなされるでしょうけれど

被害を受ける側の立場として把握しておくべきことは
全てこの世に起こる害悪、自分にふりかかる害悪が
より大きな善〜霊魂の救いや永遠の生命〜のために
神様がその神的配慮のうちにお許しになることなので
心の痛みや苦しみを甘受するよりほかはありませんし
それを拒むことは、天上に蓄える宝をうち棄ててしまうことになる
ということでしょうね
.

2018/10/14(日) 午後 9:18 Benedictus

.
それらは実際、主の受難に結ばれて、より大きな至福をもたらす
天上の宝であると確信していますから
良いものも、悪の外観のうちにもたらされる、より良いものも
いずれにおいても
最高善であり慈愛に満ちた主を
いつも祝福して、感謝を捧げたいと思います
.

2018/10/14(日) 午後 9:18 Benedictus


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