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『あなたたちも用意していなさい。
人の子は思いがけない時に来るからである』
(ルカ 12,40
 
 
聖アルフォンソ・デ・リゴリオ司教教会博士
 
6.罪人の死
 
③神は、罪人が悪い死を遂げるであろう、と警告される
 
神は、罪を犯し続ける者が悪い死を遂げるであろう、と警告してやまない
 
主は仰せられる
「その時、彼らは私を呼び求めるが、私は答えない
彼らは私を探し求めるが、私を見出すことができない」(箴言1,28
 
「災いが彼の上に臨んだ時
  神はその叫びを聞かれるだろうか」(ヨブ27,9
 
「天に座す方は笑い、主は彼らをあざける」(詩編2,4
 
聖グレゴリオは言います
「神があざける、とは、憐れみを注ぐのをおやめになることを示します」
 
「復讐も報復も私のもの
彼らに備えられた時は速やかに訪れる」(申命記32,35
 
神は他にも多くの箇所で同じ警告を発しておられます
それなのに罪人は
死の時に、神が赦しと天国を与える
という明白な契約を結んでいるかのように
平然と、心配もなく、罪の生活に埋没しています
 
神は、罪人が、いつ改心しても
これを赦す、と約束されています
 
しかし神は、1度も
罪人に死の際に回心する恵みを与える、とは約束されていません
 
その反対に、罪の中に生活し続ける人が
罪のうちに死ぬべきことを、しばしば予告しておられます
 
主はしばしば仰せられています
「おまえたちは罪のうちに死ぬだろう」
 
また、神は、ご自分を探すことを
死の時まで放棄し続ける人には
ご自分を見出すことができないであろう、と言明しておられます
 
それゆえ可能な間に、神を探さなければなりません
「主を求めなさい。見出すことができるうちに
呼びかけなさい。近くにおられるうちに」(イザヤ55,6
 
そうです。どんなに探しても
見出すことのできない時が来るにちがいないのです
 
あぁ、哀れな盲目者たちよ
あなたたちは改心を、死の時まで延ばしていますが
その時では、もはや改心できる時ではないのです
 
オレアステルは言います
「善をなす時間がなくなってはじめて
  善をなし始めようと考える人がいる」
 
神は全ての人を救おうと望んでおられます
しかし、頑迷に罪にとどまる人を処罰されるのです
 
罪の状態にある不幸な人が
脳溢血におちいり意識を失った場合
そばにいた人々は、この人が秘跡を受けず
悔悛のしるしも示さないで死ぬのを見て
どれほど悲嘆することでしょうか
 
しかし、もし、この人が、意識を回復して
赦しを求め、痛悔の祈りを唱え始めるのを見るならば
みなはどれほど喜びに包まれることでしょう
 
実際、神と和解する時間を与えられていながら
頑迷にも、罪の中に生き続けることほど愚かなことはありません
 
しかも、罪に罪を重ね、突然の死に見舞われ
悔悛することができないままに死ぬ危険をおかすのです
 
ところが、このような悲しむべき死に襲われ
罪の中に世を去る危険をおかすものが、どれほど多くいることでしょう
 
「精確な秤と目盛りは主のもの」(箴言16,11
 
私たちは、神が与えてくださる恩寵を数えようとしません
しかし神は、これをはかり、これを正確に計算されます
 
そして、もしも恩寵を軽蔑して、そのはかりを超過するならば
その罪人を遺棄され、これを罪の中に死なせるのです
それゆえ改心を死の時まで延ばす者は不幸です
 
聖アウグスティヌスは言います
「病人の悔悛は、病的な悔悛である」
 
聖イエロニムスは言います
「罪の中で生活し
罪から抜け出るのを死の時まで先送りにした10万人のうちで
実際に、神の憐れみに浴して救霊を全うした者は
辛うじて1人あるかないかである」
 
聖ヴィンチェンツィオ・フェッレールは言います
「悪い生活を送り続けて後に、善い死を遂げることは
死者が復活するよりも、大きな奇跡を必要とする」
 
そもそも死の時まで罪に愛着していた者が
どうして罪を痛悔することができるでしょうか
 
聖ロベルト・ベッラルミーノは次の出来事を証言しています
 
聖人は、ある日、臨終の病人のもとに呼ばれたので
その病床で痛悔の行為をなすよう勧めました
 
すると、この人は「痛悔というのがわからない」と答えました
そこで聖人は、これを丁寧に説明し始めました
 
しかし病人は聖人の説明を遮って、こう言いました
「神父さん、あなたが何を言っているのか私にはよくわかりませんし
 そういったことも、私のためにはなるとは考えていません
 もうけっこうですから」
 
敬虔な枢機卿である聖人は、この話に次のように付言しました
「その人は、そのまま、あまりにも明白な滅びのしるしを残して
  死の門をくぐってゆきました」
 
聖アウグスティヌスは言います
「罪人は生涯の間、神を想うことを故意に怠っていたのですから
その臨終に際して、自分自身についての永遠を考えることはできないでしょう」
 
使徒聖パウロは言います
「思い違いをしてはいけません
  神は人から愚弄されることはないのです
  人は、自分の蒔いたものを刈り取ります
  自分の肉という畑に種を蒔くものは、肉から滅びを刈り取り
  霊という畑に種を蒔くものは、霊から永遠の生命を刈り取るのです」
 
実際、生涯の間、神の掟を軽蔑しておきながら
永遠の幸いの報いと栄光をわがものにしようと考えるのは
あまりにも神を馬鹿にした態度です
 
神は馬鹿にされることはなく
その人が、この世で蒔いたものを、来世で刈り取らせになるのです
そして、肉の恥ずべき快楽を蒔いたものは
いつか、腐敗、惨めさ、第2の死を、永遠に刈り取るに違いないのです
 
キリスト信者よ、兄弟姉妹よ
他の人々にとって真実なことは
私たちにとっても、また真実なことです
 
よくよく考えてみなさい
もしも、あなたが今、医師に見放され
意識もおぼろになり、死の苦しみに襲われ、まさに死のうとしているなら
自分の良心を整理するために、もう1か月、もう1週間、もう1日と
時間や猶予を神に祈り求めることになるでしょう
 
ところが神は、その時間や猶予を
まさに、この今、あなたに与えておられるのです
 
だから神に感謝をしてください
そして、すみやかに、過去の隠れた罪や過ちを悔い改めて
誠実に告白し、真摯に償いを果たし
恩寵の状態で、あなた自身の死を迎えることができるよう
あらゆる手段を講じてほしい
 
なぜなら、あなたに死が訪れる時には
おそらく、もはや時間も猶予も手段もないに違いないからです
 



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内緒さん、ありがとうございます
文中の『精確』(箴言16,11)はフランシスコ会聖書研究所訳注聖書からの引用になります

2018/12/9(日) 午後 8:54 Benedictus

内緒さん、ありがとうございます
そうかもしれないですね

2018/12/15(土) 午前 0:48 Benedictus


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