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ローマ 2.6〜8 6 Qui reddet unicuique secundum opera eius: 神は、各々の働きに応じて、賞罰の報いをお与えになられる。 7 his quidem, qui secundum patientiam boni operis gloriam et honorem et incorruptionem quaerunt, vitam aeternam; 善い働きの継続にしたがって、 栄光と誉れと不滅を追求する人々には、永遠の生命で報いられる。 8 his autem, qui ex contentione et non oboediunt veritati, oboediunt autem iniquitati, ira et indignatio. 対抗的激情に駆られて、真理に従おうともせず、 依然として、不義に従い続ける人々には、怒りと嫌悪で報いられる。
Deus reddet unicuique secundum opera eius!
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ベネさんが、こうして書いてくださるので根性なしのわたしでも、やっと神の言葉に触れて、祈りの心を取り戻したりできます。なので、とっても感謝しています。これからもゆっくり続けてください♪
2006/11/4(土) 午前 11:35 [ - ]
自我で生きていると対抗意識に負けてどんどん深みにはまりますね。 今の社会の競争は全てを破壊してしまいそうです。。
2006/11/4(土) 午後 1:21
普段何も考えず生活してるけど生活や言葉って大切な事なんだなってべネさんが居てくれて色々考えさせられます・・
2006/11/4(土) 午後 8:11 [ mie**nlovem*ec*an ]
ぼたん雪さん、ありがとうございます♪お言葉に甘えてゆっくり&のんびり続けちゃいます('◕ฺω◕ฺ`)
2006/11/5(日) 午後 3:49
taffynady さん、ありがとうございます♪確かにそぅですねっ☆『競争』は正しい方向に向かわせない限り、後で気付いて取り返しがつかない、というケースがままあります。その際、いつも苦しみ皺寄せを受けるのは弱い立場の人々です☆
2006/11/5(日) 午後 4:04
権力者や力のある人々については特に、自らに与えられている『力』を単なる権勢欲のために行使せず(それは『権力の濫用』に過ぎませんから)、社会的共通善に奉仕させることが、善に向けて競い合い切磋琢磨する、まことの『競争』です。これこそ追求されるべきです(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ ☆
2006/11/5(日) 午後 4:04
みーたんさん、ありがとうございます♪お役に立てれば幸いです(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)言葉や生活は、『今』の自分自身の表現に他なりませんから、それらを善い方向へ向けていくことで、この世において自分と隣人の『徳を立てる』ことに役立ち、それに『信仰』が加わるならば、永遠の生命の報いが与えられます☆・゚:*:゚
2006/11/5(日) 午後 4:25
ですから、私たちのこの世における『今』(1分1秒、1日)は、各々にとっての、『永遠』に直結するほど貴重な、『神の賜物』ですから、これを善に向けて活用することが肝要です。そのようにするならば、私たちと隣人の『幸福』に貢献できるのです。『今』の自分にできる善を行なうこと、この地道な日ごとの積み重ねがとても大切です(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)
2006/11/5(日) 午後 4:26
善とは何なんでしょうか。最近、他者を基準にして善を見ても、それは善ではないような気がして。すべては感謝の対象のうちから生じるもの。神様から生じるものではないかと、最近再考している次第です。どう考えればいいのでしょうか。
2006/11/6(月) 午前 0:11 [ Ka,Sa ]
Kさん、あなたにとっての『善』とは何ですか?
2006/11/6(月) 午前 0:38
Kさん、今まで何を学んできましたか?理屈をこねずに素直な心で、祈りのうちに聖書を紐解きなさい。そこに、あなたの望むもの『善が何であるか』を見出すでしょう。人任せではなく自ら率先して学ぶことが、今のあなたに求められています。初心者ではないのだから、答えを外にばかり求めずに、あなたの内なる声(聖霊のささやき)に耳を傾けなさい。これが今のあなたへの僕の回答です(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)厳しさも優しさの現われであることを忘れないように☆・゜:*:゜
2006/11/6(月) 午前 0:42
ベネさん、こんばんわ。別項でのコメント、ありがとうございます。善いということについて自分が師事していた神父様は「欠くたるもののないこと」「あらゆるすべてのことから肯定されること」であり、それは「完全なもの、絶対的なもの、全肯定的なものである神」様に由来するものだ(完全に覚えてませんし、曲解しているかもしれませんが)とおっしゃってました。自分はそれを求めてきたのかもしれませんが、それは時として自分本位であって「道」から外れていたかもしれません。
2006/11/8(水) 午後 11:58 [ Ka,Sa ]
「激情に駆られて」というのは、時として自分が感じ、他者に発することのあるものです。今日もおもわず"Go to ○○"と同僚が横にいる中、自分の周りの雑音を発する職場の行為にかねてからの流れて、たまりかねて発してしまいました。
2006/11/9(木) 午前 0:01 [ Ka,Sa ]
英語でなく日本語でしたが、自分も「悪魔」とかって、冗談で言われても嬉しくないですので、同僚はびっくりした、傷ついたと反省してます。 なかなか腹立たしい行為言動に対して、怒りを感じ、表に出す、カタクナサは「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」(ST. Augusutine)の性癖ですね。「裁いてはならない」というみ言葉を心に、明日からまた頑張ろうと思います。
2006/11/9(木) 午前 0:04 [ Ka,Sa ]
Kさん、こんばんは♪『最近、他者を基準にして善を見ても、それは善ではないような気がして』のコメント内容からして、「これは反省を促すべき」と感じて、若干、親ライオン的な突き放しコメにしてみました (◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)
2006/11/9(木) 午前 0:16
いずれにせよ、Kさん、もっと祈りのうちに『霊的読書』を行なってください。前回の繰り返しになりますが、言葉は心に満ちたものが溢れ出るのですから、まず、その言葉の元である心の思いを、霊動を警戒し、取り締まってください。そうした不断の努力なしに克服はありえません。ですから、寛大さと赦しの精神のうちに、いつも前向きに取り組んでいってくださいねっ☆・゜:*:゜
2006/11/9(木) 午前 0:25