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創世記 1.26,27;2.7,21〜24 26 Ait Deus: “Faciamus hominem ad imaginem et similitudinem nostram; et praesint piscibus maris et volatilibus caeli et bestiis universaeque terrae omnique reptili, quod movetur in terra”. 神は仰せられた;『我々にかたどり、我々に似せて人間を創ろう。 海の魚、空の鳥、地の全ての獣と、 地上にうごめく全ての這うものを、これに任せよう』 27 Et creavit Deus hominem ad imaginem suam; ad imaginem Dei creavit illum; masculum et feminam creavit eos. そして、神は、ご自分にかたどって人間を創造された。 神のかたどりとして、人間を創造された。 男として、また女として、彼らを創造された。 7 tunc formavit Dominus Deus hominem pulverem de humo et inspiravit in nares eius spiraculum vitae, et factus est homo in animam viventem. その時、主である神は、大地の塵から、人間を形造られた。 そして、その鼻に、生命の息を吹き込み、 こうして、生きる霊魂を持つ人間となった。 21 Immisit ergo Dominus Deus soporem in Adam. Cumque obdormisset, tulit unam de costis eius et replevit carnem pro ea; そこで主である神は、アダムを深い眠りに入らせ、 彼が眠り込んだところで、そのあばら骨の1つを取り出して、そこを肉でふさがれた。 22 et aedificavit Dominus Deus costam, quam tulerat de Adam, in mulierem et adduxit eam ad Adam. 主である神は、アダムから取り出したあばら骨をもって、女を形造られ、 彼女をアダムのもとへ連れてこられた。 23 Dixitque Adam: “Haec nunc os ex ossibus meis et caro de carne mea! Haec vocabitur Virago, quoniam de viro sumpta est haec”. するとアダムは言った。 『これこそ、私の骨の骨、 私の肉の肉だ! これを女性と呼ぼう。 これは男性から取られたものなのだから』 24 Quam ob rem relinquet vir patrem suum et matrem et adhaerebit uxori suae; et erunt in carnem unam. このようないきさつにより、男性はその父親と母親を離れ去り、 その妻と結ばれ、 彼らは1つの肉となる。 |
心の栄養☆
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実に『家庭』は、社会生活の重要な基盤なのです。ですから、次世代を担う『土台』である『家庭』は保護されなければならないのです(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)
2006/11/26(日) 午後 5:07
なるほどその通りですね。夫婦で協力して子育てをするんですよね。子供によって成長する。。。私も少しは成長出来たかな。(^_^)
2007/4/9(月) 午後 5:47
ポチするの忘れました。♪
2007/4/9(月) 午後 5:48
さくらんぼさん、ありがとうございます♪大丈夫です。自分ではなかなか気付きませんが、必ず成長されています(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
2007/4/13(金) 午前 2:21
傑作ポチ♡ε(❀◕‿◕ฺ)з あ✿ฺり✿ฺが✿ฺと✿ฺう✿ฺ♬ε(◕‿◕✿ฺ)з
2007/4/13(金) 午前 2:21
キリスト教も宗教 イスラム教も そして佛教もその他もろもろありますが、どの宗教も仲良くしなさい と教えています。でも宗教間に
いざこざ耐えませんね。戦争にまでなつて、そしてどの宗教にも共通
て豪華絢爛な金ぴかの礼拝堂を持ち時の権力と結びついてますね。
不思議です。
2007/7/12(木) 午前 10:42 [ いずみこ ]
いずみこさん、ありがとうございます♪
ただ、責任の所在に関して、『論理のすりかえ』があるようです。
というのも、そもそも、人と人の間での争い〜戦争〜は、宗教に限定されるものではありませんから。
2007/7/13(金) 午前 1:06
宗教そのものにではなく、人間の悪への傾き〜個人の悪に過ぎないものを、単に『宗教』という枠に、責任転嫁しているところから、しばしばそのような考えが派生します。
2007/7/13(金) 午前 1:07
実際、日本において、どぅでしたでしょうか?
争いは、あらゆる時代に〜特に戦国時代や侵略戦争時代〜ありましたし、当時の国教において、きらびやかな寺院もつきものです。
ただ、それは、『尊敬の目に見えるしるし』ですから、単なる批判の対象にすべきでもないと思います。
2007/7/13(金) 午前 1:10
また現代において、
夫婦間において、家庭において、
学校において、社会において、
様々な形で争いがなされていますが、
それを引き起こしているのは、宗教ではなく、
実際は、人間個人個人の『我』です。
2007/7/13(金) 午前 1:11
また、豪華絢爛については、
公の礼拝堂に限らず、
人は単なる個人的なモノに金銭を惜しげもなく注ぎ込みます。
2007/7/13(金) 午前 1:13
たとえば、ある人にとっては宝石・車・家・
趣味・遊び・ペットなどなど、
『形を変えた礼拝堂〜「我欲」の崇拝〜』とも言えるモノをもっています。
豪華絢爛は、宗教に限られたものではありません。
2007/7/13(金) 午前 1:14
ですから、みつめるべきは、自分自身であって、
他に原因等をもとめるべきではないと思います。
2007/7/13(金) 午前 1:15
宗教を批判しながら、
自分の『我』を克服できないでいてよいでしょうか?
2007/7/13(金) 午前 1:16
他を変えたいと本気で思うならば、
まず自分を変えるべきであり、
なお言いたければ、自分を克服してから、言うべきでしょう。
2007/7/13(金) 午前 1:17
それをしないままに、他を非難ばかりしていること、
それ自体が不思議です。
2007/7/13(金) 午前 1:18
人間はしばしば責任転嫁をします。
たとえば不信仰を、宗教のせいにする人がいますが、
これも『すりかえ』に過ぎません。
みつめるべきは、自身の中にこそあります。
2007/7/13(金) 午前 1:19
あと、この記事では、夫婦間のつながり〜絆〜を扱っていますので、コメされる場合、できる限り、これに関するコメでお願いします。
今後記事との関わりのないコメは、
せめて『内緒投稿』にしてくださいねっ(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
2007/7/13(金) 午前 1:23
表題が「旧約聖書の歴史書から」となっていますが、創世記は「歴史書」ではありませんよね。
教皇ピウス12世も「創世記は寓話である」とハッキリ宣言されています。
科学も考古学も地質学もまだ「完全」ではありませんが、創世記の記述が、寓意を持つ伝承の集成であることは明らかです。
コペルニクスにより、地球は宇宙の中心から引き下ろされ星々のひとつとしての地位を得、ダーウィンによって人類は特別な生物ではなく地球に発生した生き物のひとつとしての平等を得ました。
2008/4/11(金) 午前 4:47 [ - ]
「いい夫婦の日」に書かれた記事なんですね
この聖書の箇所はカトリック教会の結婚式で
朗読箇所に選ばれることもありますね
現代の科学ではまだ理解しにくいような事も
書かれていますが、遺伝子や細胞のレベルでの
最近の研究の発達をみていると、将来は聖書の
この箇所を読んでも科学的に可能性があると
理性で理解できるようになっているかもしれません
そうなった時に、人間があまりにも神様の領域に
近づきすぎて、神様への畏敬の念を忘れる危険性が
ありませんように願います
それから、宗教間の戦争とか、権力者による豪華な宗教施設について、誤解されている人が多い課題ですが、その誤解を解くためにベネさんがわかりやすく、丁寧に答えられているコメントを読ませていただきました
私もその答えに同感します
2013/9/15(日) 午後 9:39