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主イエズスは 私たちにとって 真の善いエンペラーImperatorである
 
王であるキリストの祭日に、公式祈願を脇におき、
集会・奉納・拝領の3つの主要な祈願から
『王』という文言を排除している日本の試用祈願
ex.ブログのひとこと)
 
 
ベネ様がブログに書いておられた、
試用文から「王」が排除されていること、
教えてくださり有難うございました。

今朝、ある司祭に、試用文で王の文言がないことを言ったら、
日本人にとって、王と言う言葉がエンペラーを彷彿とさせるから、
「救い主」「主」という言葉に置き換えるように
もっていってるのではないかと言ってました。

御ミサでは司教団の作っている試用文を
読まなければいけないのですものね。
 
 

おはおはです
ブログのひとこと読んでましたか〜
 
『試用を読まなければいけない』ということはありません
 
本来、典礼総則に従って、
各主日に固有の公式祈願を使用『しなければなりません』
 
まして、教皇庁未認可のものを、
公式祈願に代えて用いる義務は、ありませんし、
地域的拘束力もありません
 
こちらの一部の司祭(教区司祭、修道司祭)は、
試用祈願を用いずに、公式祈願を用いています
 
中には、ミサの聖書朗読で、
新共同訳を用いずに、
自ら持参したフランシスコ会訳の聖書を用いて朗読を行う司祭もいます
 
エンペラーを彷彿ですか〜
彷彿させることは良いことではないでしょうか
 
真のエンペラーとは誰か?
 
それは私たちの救いのために
油注がれたイエズスご自身にほかなりません
 
主イエズスこそ
主の主、王の王
エンペラーの中のエンペラー
 
私たちにとって
真の善いエンペラー
verus et bonus Imperatorであり
そのimperium(統治)は、終わりなく世々に及びます
 
全ての心の王であるイエズスの聖心と
全ての心の女王であるマリアの御心が
私たちのちっぽけな心を
ご自分たちのものとして護り
死に至るまで、また、世々に至るまで
その愛と憐れみに満ちた統治を及ぼしてくださいますように
 
いつもありがとうございます
 
 
Rex regnantium et Dominus dominantium,
qui solus habet immortalitatem, lucem habitans inaccessibilem,
quem vidit nullus hominum nec videre potest;
cui honor et imperium sempiternum. Amen.
 
王たちの王、主たちの主
この御方のみ不滅であり、近づきがたい光に住み
誰もこの御方を見たものはなく、見ることもできない
その栄誉と統治は、永遠のもの。アーメン
(1ティモテオ6,15-16
 
Ei, qui diligit nos
et solvit nos a peccatis nostris in sanguine suo
et fecit nos regnum,
sacerdotes Deo et Patri suo,
ipsi gloria et imperium in saecula saeculorum. Amen.
 
私たちを愛し、
その御血によって私たちを罪から解き放ち
また、私たちを王とし、
その御父であり神である御方の司祭たちとされた御方に
その栄光と統治が、世々に至るまでありますように。アーメン
(黙示録1,5-6
 

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神に あなたを救う機会を与えなさい
私たちの神は 私たちの心の王となることを望んでおられるからです
 
フランシスコ教皇聖下
 
私たちの主
宇宙万物の王であるイエズス・キリストの王座は、十字架です
 
「あなたは今日、私と共に楽園にいるだろう」
 
私たちが、神に機会を差し出すやいなや
神は、私たちのことを覚えていてくださることを示してくださいます
 
神は、私たちの罪を
完全に、永久に、取り消す用意をしておられます
 
なぜなら、その記憶は、私たちのそれとは異なり
すでになされた悪を記録したりせず
種々の不義の経験を刻みつけたりしないからです
 
神は、罪のメモリーを持ち合わせようとはなさいません
むしろ、私たちのことだけを
私たちの1人ひとりが、ご自分の愛される子らであることを
そのメモリーに刻みつけておられます
 
そして神は信じておられます
いつでも私たちが新たになれる可能性をもつということを
私たち自身を引き上げることのできる可能性があるということを
神は信じて待っておられます
 
私たちは恩寵を求め続けましょう
和解と赦しの扉は、決して閉じられることはありません
 
悪や種々の誤りを乗り越える方法を知り
希望の小道が、いつも開かれうる可能性を知る恩寵を求めましょう
 
この聖年の扉が閉じられたとしても
憐れみの真の扉
すなわち、キリストの聖心は
いつも、私たちに向けて、大きく開かれ続けています
 
復活された御方の開かれた御脇から
憐れみ、慰め、希望が、時の終わりに至るまで
絶え間なく豊かに流れ続けるでしょう
 

 
主の私たちへの過剰なまでの憐れみと赦しの注ぎの偉大さよ
その言い尽くしがたい憐れみは 世々に至るまでアーメン
ex.ブログのひとこと)
 


 
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教皇聖下の祈りの意向
2016年11月
 
世界共通の意向: 難民を受け入れる国々
 移民や難民を数多く受け入れて連帯を示している国々が、その努力にふさわしい支援を見いだすことができますように。
 
福音宣教の意向: 司祭と信徒の協働
 それぞれの小教区で、司祭と信徒が、落胆することなく協働して、教会への奉仕に励むことができますように。
 


 
フランシスコ教皇聖下
 
はたして1つの国だけで
移住を強いられた人々の問題に対処することができるでしょうか?
 
私たちは、他者を受け入れることについての
無関心や恐れから脱却しなければなりません
 
あなた自身、もしくは私でさえ
その他者の立場になりえたことであるからです
 
この私の祈りのリクエストに加わってください
 
移住を余儀なくされる数多くの人々や避難民たちを受け入れる国々が
連帯を示そうとする彼らの尽力のために
必要なサポートを見出すことができますように
 
 
 
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Die 4 novembris :
B. Helenæ Enselminæ, virginis
 
 
福者エレナ・エンセルミーナは、1207年イタリア、パドヴァの貴族の家に生まれ、幼くしてキリストの花嫁になることに憧れ、アッシジの聖フランシスコの清貧と愛徳の熱意にうたれ、122012歳で清貧のクララ会に入り、アルチェッラでアッシジの聖フランシスコ自身からヴェールを受け、沈黙、祈り、断食、清貧、手仕事に励み、122610月聖フランシスコが帰天すると、1227年パドヴァの聖アントニオ(記念日;613日)の定期的訪問のうちに、神学的教育や完徳についての霊的指導を受けた。
18歳の時、足、眼、口の重い病となり、失明し、寝たきりとなり、この試練の十字架の苦しみを英雄的な愛徳のうちに、十字架につけられた主と結ばれた。
しばしば恍惚状態のうちに天の栄光や煉獄の浄化を幻視し、苦しみを煉獄の霊魂の解放のために主に捧げ、聖体拝領以外に食物を摂らずに過ごし、1231114日帰天した。
アルチェッラの福者の墓を訪れた数多くの病者は、福者の取次ぎによって奇跡的に癒された。
その聖遺体は、1509年パドゥアからフィレンツェに移され、1810年ナポレオン戦争時に聖アントニオ大聖堂に移され、195755日アルチェッラの聖域Santuario dell'Arcellaに移され、至聖所の左側のガラスケースに納められ安置されている。
ヴェネツィアの聖グレゴリオ・バルバリゴ枢機卿(記念日;618日)による列福推進を介して、16951029日インノチェンツィオ12世教皇により列福。
 
Collecta
Deus,  recte valentium et ægrotantium salus,
神よ、健常者の支え、病者の救いである御方よ、
qui  beatam Helenam Virginem tuam
あなたは、あなたの幸いなエレナおとめを、
mira  in morbis fortitudine,
種々の病状における驚くべき強さと、
morumque  innocentia decorasti :
汚れない生活習慣で飾られました。
eius  nobis intercessione concede ;
その取次ぎによって私たちに恩寵をお与えください。
ut ægritudines  et adversa patienter tolerantes,
私たちが、種々の病苦や逆境を忍耐強く耐え忍び、
mortalis  vitæ emendationem
死すべき生命の矯正と、
et æternæ  salutem consequamur.
永遠の救いを、いただくことができますように。
Per Christum  Dominum nostrum. Amen. (MR 1862)
私たちの主キリストによって。アーメン。
 


 
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イエズス・キリストの神秘のうちに深く分け入るために必要なこと
 
私は、御父の御前にひざまずき
祈りを捧げます
御父が、ご自分の栄光の豊かさに従って
内なる人に働きかける、ご自分の霊によって
あなたたちに力を与え、強めてくださいますように
cf ; エフェゾ3,14-16
 

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フランシスコ教皇聖下
 
イエズスを知るのに
カテキズムでは十分ではなく
私たちに必要なもの、それは祈りです
 
カテキズムそれ自体では
イエズスを真に知るためには十分ではありません
 
私たちには、祈りが必要です
私たちには、礼拝が必要です
私たちには、罪人としての私たち自身の自覚が必要です
 
私たちには、祈りが必要です
 
私たちは、どのようにすれば
キリストを知ることができるでしょうか?
 
私たちは、どのようにすれば
あらゆる知識を超える主の愛の深みを、理解することができるでしょうか?
 
キリストは聖福音のうちに現存しています
そして私たちは、聖福音を読むことによって、キリストを知ります
 
私たちはみな、このようにします
少なくとも、ミサに行く時、聖福音を耳にします
 
また、キリストがどんな御方であるのかを
カテキズムの学びにおいて、私たちに教えられます
 
しかしながら、これだけでは十分ではないのです
 
イエズス・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解するために
私たちは、全てに先立って、祈りをする習慣に、身をおくことが必要です
 
聖パウロが、ひざまずいて祈りをしたようにです
「父よ、イエズスを知るために、私に聖霊をお送りください」
 
私たちには、礼拝が必要です
 
しかし、真にイエズスを知るためには
ただ祈り、それ自体だけで十分でもなく
聖パウロが、この『神秘』を崇めることを、祈りに加えたように
私たちの知識を超える、この神秘を悟るための恩寵を
主から授けていただけるよう
霊における崇敬、礼拝を捧げることが必要です
 
このような崇敬の習慣、沈黙における崇敬、礼拝なしに
私たちが主を知ることは不可能です
 
私の思い違いでないなら
この礼拝の祈りは
私たちキリスト者によって
最も過小評価されていると思います
 
礼拝の祈りは
私たちがほとんどしていないことの1つです
 
私があえてこのように言うのを許してください
 
主の御前で
あなたの時間を、無駄に、費やしてください 
イエズス・キリストの神秘の御前で
あなたの時間を、無駄に、費やしてください 

主を崇めてください
沈黙のうちに、そこにとどまり
礼拝の沈黙を捧げてください

彼こそ、私の救い主であり
そして私は、彼を崇めるのです
 
※教皇聖下が、あえて「無駄に」と言われたのは
おそらく、祈り自体に時間を費やすことや
聖体礼拝のために聖櫃の前にとどまり続けることを
無駄事のように考えて軽んじる信者たちへの皮肉の表現でしょう
 
私たちには、罪人としての私たち自身の自覚が必要です
 
また、キリストを真に知るためには
私たち自身がどんなものであるかを知ることが必要です
 
その帰結として
私たち自身を罪人とみなすことに慣れるようにしてください
 
私たち自身を告発することなしに
私たちが真に崇敬を捧げることはできません
 
祈りによってイエズス・キリストの神秘のうちに深く分け入る
 
底知れず限りない海、イエズス・キリストの神秘のうちに
私たちが深く分け入るためには
 
何よりもまず、祈りを深めることが必要不可欠です
 
「父よ、聖霊を私にお送りください。
 聖霊が、イエズスを知るために、私を導いてくださいますように」
 
ついで、神秘の崇敬
主の神秘のうちに身をおいて、主を崇めることです
 
そして、自分自身を糾弾することです
「私は汚れた唇のものです」(イザヤ6,5
 
聖パウロが、エフェゾの人々のために願い求めた恩寵
キリストを知り、キリストが私たち自身にもたらされる恩寵
 
主が、私たちに、この恩寵を豊かに注いでくださいますように
 


 
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人々は、あなたたちを会堂から追放するだろう
そればかりか、あなたたちを殺す人々がみな
自分は神に仕えているのだ、と思い込む時が来るだろう
彼らがこのようなことをするのは
父をも私をも知らないからである
(ヨハネ16,1-3
 
フランシスコ教皇聖下
 
聖霊は迫害のさなかにおいてさえも証し人を強められる
 
私たちは、聖霊の強さのうちにおける、主の証し人です
 
イエズスは、力強く踏みとどまるよう
弟子たちを招いておられます
 
というのも、迫害が襲いかかることによって
ご自身の証し人が生み出されるからです
 
噂話や中傷などの小さな迫害から
より大きな類いの迫害に至るまで
教会の歴史は、迫害で満たされています
 
イエズスは、証し人としてのキリスト者が
払うべき犠牲について仰せられます
 
「人々は、あなたたちを会堂から追放するだろう
そればかりか、あなたたちを殺す人々がみな
自分は神に仕えているのだ、と思い込む時が来るだろう」
 
聖霊に強められたキリスト者は
生きておられる主の証し人として
復活された主の証し人として
私たちのただ中におられる主の現存の証し人として
祭壇に降られて、その死と復活のうちに挙行される主の証し人として
自分自身を差し出します
 
キリスト者は、聖霊の助けによって、その日常生活において
その業が示す歩みのうちに、多くの証しをもたらします
 
それは、キリスト者としての、絶え間ない証しです
 
しかし、多くの場合、このような証しは
周囲からの攻撃を引き起こし
周囲からの迫害を引き起こします
 
イエズスのもとに私たちを導き入れる聖霊は
現存しておられる主が、他の人々に知られるようにと
私たちを駆り立てます
 
それは言葉によってではなく
むしろ、その生きる証しを通してです
 
聖霊が、イエズスの証しをもたらしてくださるよう
私たちの心の中に来てくださるよう願い求めることは善いことです
 
聖霊に祈りましょう
 
「主よ、私がイエズスから離れてしまうことがないようにしてください。
 イエズスが教えられたことを、私に教えてください。
 イエズスが仰せられ、なされた御業を、私に想い起こさせてください。
 それらのことの証しをもたらせるよう、私を助けてください。
 世俗的なもの、安楽なもの、嘘の父に由来するもの
 この世のプリンスに由来するもの、罪が
証しをたてる歩みから、私を取り去るのをお許しにならないでください」
 


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『エクソシスト』 ガブリエーレ・アモルト司祭
1925. 5.1 - 2016. 9.16
 
聖書が語るように
私たちは、終わりの時に生きています
そして獣は、猛威をふるいつつ働きかけています
 
サタンの煙は、どこにでも入り込みます
 
悪魔が、全ての指導者たちを誘惑すること
特に、教会の指導者たちを誘惑することに、疑いの余地はありません
 
しかし、教会を統治しておられるのは聖霊です
私はそのことに感謝しています
 
というのも、教会内における、あらゆる離教、裏切りにもかかわらず
地獄の門が、ペトロに勝つことはないからです
 
たしかに悪魔は、いくつかの戦いにおいて
教会内における重要なものを獲得することはできるでしょう

しかしながら
悪魔は、この霊戦に勝つことはできないのです
  


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ベネディクト16世名誉教皇
 
聖体を敬う特別なしるし
 
聖体において私たちのうちにおられる神の神秘への感覚の深まりは
聖体を敬う特別なしるしによって表わすことができます
 
私は、感謝の祈りの中心部で
ひざまずく姿勢の重要性のことを考えています
 
全ての人は、自分が、神の限りない御稜威の御前にいる
という自覚をもち、また、その自覚を表わさなければなりません
 
さらに、聖体拝領後に
感謝を捧げる貴重な時も、おろそかにしてはなりません
 
神が、つつましい秘蹟のしるしのうちに
私たちのところにまで来ておられるからです
 


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聖ヨハネ・パウロ2世教皇
(記念日;10月22日)
 
聖体を、私たちのやり方に合わせるのではなく
私たちのあり方を、聖体に合わせるべき
 
エウカリスツィアは、光の神秘です
この秘蹟の重要性が無視されてはなりません
 
聖体を、私たちの次元におとしめる誘惑に
私たちは、常にさらされています
 
しかし、私たちこそ、この神秘の次元に向けて
自分自身を開かなければならないのです
 
聖体は、偉大な賜物であり
それを曖昧にしたり、軽んじたりすることは
決して許されません
 
ミサを捧げる時も、ミサ以外で聖体を礼拝する時も
そこにはキリストが現存しておられる
という生き生きとした意識を育てる特別な必要性があります
 
この現存の神秘への無頓着や無関心の行為を
さらには世界中の多くの場所で
私たちの救い主が忍耐しておられる屈辱や汚聖を
私たちの信仰と愛によって償うために
聖体のうちに現存されるイエズスの御前にひざまずきましょう
 
Oratio
Deus, dives in misericórdia,
神よ、憐れみにおいて豊かな御方よ、
qui beátum Ioánnem Paulum, papam,
あなたは幸いなヨハネ・パウロ教皇を、
univérsæ Ecclésiæ tuæ præésse voluísti,
あなたの全教会の指導者とすることをお望みになりました。
præsta, quæsumus, ut, eius institútis edócti,
私たちはつつしんで願い求めます。その確立された教えによって、
corda nostra salutíferæ grátiæ Christi,
私たちの心が、キリストの救いをもたらす恩寵で満たされ、
uníus redemptóris hóminis, fidénter aperiámus.
人間の贖い主との一致に向けて、大胆に開くことができますように。
Qui tecum vivit et regnat in sæcula sæculorum. Amen. 
御子は、あなたと共に生きておられ、支配しておられます。世々に至るまで。アーメン。

 パパさまのツイート
↓↓↓
 (英語版)
 

Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith

カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
 

 
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教皇聖下の祈りの意向
2016年10月
 
世界共通の意向:  ジャーナリスト
 
ジャーナリストが、仕事をする上で、常に真実を尊重し、倫理に忠実な姿勢を保つことができますように。
 
福音宣教の意向: 世界宣教の日
 
世界宣教の日にあたって、全てのキリスト者の共同体で、福音の喜びが新たにされ、その喜びを告げ知らせる責任を思い起こすことができますように。
 





フランシスコ教皇聖下
 
真理への敬意と 力強い倫理的感性による 崇高なモチベーションをいだく
 

私はしばしば思いめぐらしています
 
出会いの文化の奉仕のために
はたしてメディアは、どのように据えられることができるでしょうか?
 
人間性と地球における共通善のために
歩み寄りを導き出すための情報を、私たちは必要としています
 
私のこの祈りのリクエストにどうぞ加わってください
 
ジャーナリストたちが
その職務を遂行する際に
真理への敬意と、力強い倫理的感性によって
常に、動機づけられますように
 
この祈りのリクエストを広めるため
あなたも、私の手助けをしてくれませんか?
 
「はい、そのように心がけます」
 


 
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フランシスコ教皇聖下
真理を愛し、人間の尊厳を尊重するジャーナリストとなるように
ex  Vatican Radio
 
ジャーナリズムとは
社会に多大な影響を与える数少ない職業の1つです
 
ジャーナリストは
ある意味、歴史の最初の一行を書く人々であり
その役割の重要性と責任は大きく
その職務において
自由で多様性ある社会を実現するための大黒柱となりえるものです
 
このような重要性を持つジャーナリストたちの仕事と現実を
あらためて考えてみたいと思います
 
ジャーナリストに必要な要素は
真理を愛する者である、ということです

真理を愛するとは
ただ真理を示すだけでなく、その真理を生き、証しすることです
 
それは信仰をもつ、もたないの問題ではなく
自分と他者に対して、正直でいられるかどうかということです
 
コミュニケーションの中心は、関係性であり
不誠実さの上には、ジャーナリズムだけでなく
いかなる関係性をも築き上げることも持続させることもできません
 
私はジャーナリストたちに
プロフェッショナル性を生きることを期待しています
 
経済的、政治的、その他、様々な利害関係に押し潰されることなく
人間の社会的側面を成長させ、真の市民性を育むために
真理を探究する努力を続けていってもらいたいと思います
 
また、報道関係者たちには
人間の尊厳を尊重するようにと願います
 
悪を糾弾することは、合法的であり、また必要なことでもありますが
その一方で、不当に名誉を傷つけられた人々は
一生それを背負うことになってしまいます
 
そのため、報道は、常に、人間の尊厳を尊重したものでなくてはならず
それを個人や民族を傷つけるための武器とすることがないように
注意を払っていってもらいたいと思います
 
ジャーナリズムが
共通善を構築し、和解を促し
衝突を遠ざけ、分裂を収め
出会いの文化を推進する道具となることができますように
 


 
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フランシスコ教皇聖下
 
私たちはみな、遅かれ早かれ、霊的な暗夜を経験する
 
霊的荒涼は、私たち全てに起こりえることであり
それによって、人は、より強められることもできますし
より弱められたりすることもあるでしょう
 
霊的暗夜の感覚、失望、疑念、生きる望みの喪失、
出口の見えないトンネル、各々の心、各々の思いにおける動揺。。
 
霊的荒涼は
まるで私たちの霊魂が押し潰されたかのように
私たちに感じさせます
 
「私はもうやっていけない。もう無理だ。
もう生きたくもない。死んだほうがましだ。
こんな風に生きるぐらいなら、死んだほうがいい」
 
これは、ヨブの苦しみの吐露です

私たちの霊魂が
たとえ息が詰まるほどの悲しみをもたらす状況においてさえも
私たちは理解しておく必要があります
 
これは、私たちみなにおいて起こるものです
強い人にも、そうでない人にも、私たちみなに起こります
私たちの心で起こりえることを、私たちは理解する必要があります
 
では、家族の悲嘆、病魔、私たちを押し潰す出来事
このような暗闇の時を経験する時
私たちはいったい何をなすべきなのでしょうか?
 
人々のうち幾人かは
睡眠薬を服用して問題から逃れようとしたり
1杯、2杯、3杯か4杯グラスをかたむけて
酔いで忘れることで、問題から彼ら自身の注意をそらそうとします
しかし、これらの方法は、本質的な助けにはなりません
 
それよりもむしろ
霊的荒涼に対処すべき方法は、祈りです
 
私たちの様々な苦悩から逃れるために
薬物に依存したり、アルコールに酔いしれたりすることよりも
むしろ、沈黙や祈りこそが
私たちの最も深い暗闇の時を克服するための有効な方法となります
 
私たちが生ぬるい時、落胆する時、望みがないかに思える時
そのような状況から抜け出す最良の方法は、祈ることです
 
神が聴き入れてくださるまで
ヨブが昼夜祈りのうちに叫んだように
徹底して、祈りの叫びをあげることです
 
それは、神の聖心のドアを力強くノックする祈りです
 
「主よ、私の霊魂はトラブルで氾濫しています
私の人生は地獄に引き寄せられています
私は穴に落ち込む人々のうちに数えられています
私は強さをもちあわせていません」
 
私たちは幾度、このような無力感を味わってきたことでしょう
しかし、ここに祈りが沸き上がります
 
私たちの主ご自身が
このような悲惨な時に、どのように祈るべきかを教えてくださいました
 
「主よ、あなたは、私を穴の深みに沈められました
私の上に、あなたの怒りが重くのしかかっています
主よ、私の祈りを御前に至らせてください」
 
これが祈りであり
私たちを深刻に押し潰す、私たちの暗闇の時、最も悲惨な時
最も冷え切った時、最も打ちひしがれた時に
私たちがなすべき真の祈りです
 
そして、その祈りは
ヨブが、その子らと共になしたように、解決の糸口をもたらすものです
 
そう、子供のような信頼をもって、祈りを捧げましょう


沈黙し、寄り添い、祈ること
 
ここで、沈黙の重要性を考えてみたいと思います
 
暗闇の時を迎えている人々に対して
沈黙し、寄り添い、祈ることは
真の友人としての正しいふるまい方です
 
一方で、このような暗闇の状況下にある人々に対して
お決まりの忠告の言葉の石を投げかけたり、説き伏せようとすることは
その人々の心に深い傷を負わせてしまうことになります
 
私たちは、全てに先立って、まず第1に
私たちが暗闇にあって、希望もなく
私たち自身、なぜそうなのかと問いかける時
私たち自身の霊的荒涼の時について、把握しなければなりません
 
第2に、詩編88(87)が
私たちの暗闇の際にどのように祈るべきかを教えているように
私たちは主に向かって祈るべきです
「主よ、私の祈りを御前に至らせてください」
 
第3に、病魔に苦しんでいる人
あるいは、その他の種類の困難な状況下で苦しんでいる人
荒涼の感覚を経験している人
そのように苦しんでいる人に、私たちが寄り添う時
私たちはむしろ沈黙すべきです
 
しかし沈黙とは言っても
愛の祈りを伴わない沈黙
寄り添うことのない沈黙
抱擁のない沈黙ではありません
 
そして私たちは、その際に
結局何らの助けにもならないような
お決まりの忠告の言葉の石を投げかけたり
その人を説き伏せようとすべきではありません
 
そのようなことは得てして
その人の心に深い傷を負わせてしまうことになるからです
 
主が、私たちに
これら3つの恩寵を与えてくださるよう祈りましょう
 
私たち自身が霊的荒涼を、よく理解することができる恩寵を
霊的荒涼を感じることで苦しみにあえぐ時に、祈ることができる恩寵を
戦慄すべき悲しみの時を過ごしつつ霊的荒涼で苦しむ人々に対して
私たちが寄り添うすべを知ることができる恩寵を
主が、いつくしみ深く、私たちにお与えくださいますように
 


 
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FAMILY
Father And Mother, I Love You
 


非配偶者間の人工受胎は
結婚の絆に反し、夫婦の一体性を損ない
夫婦から生まれる子供の権利にも反する
 
 
体外受精に関するニュース
 
諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長は17日、7月までの約20年間に不妊夫婦114組が夫の実父から精子提供を受けて体外受精を実施し、173人の赤ちゃんが生まれたと発表した。
 
SNSの反応
 
「この医師から医師免許を剥奪するべき。」
 
「自分の子が、主人とは兄弟ってこと!!?」
「結局は夫の腹違いの兄弟を妻が産むんでしょ。」
「子供が後で知ったら、戸籍上の父に「よう、兄貴」と言うのかな。」
「私も不妊だけど、そこまでして子どもが欲しい人の気持ちが分からん。」
「これは、いくらなんでもやり過ぎ。長い人生の中で、諦めも必要だと思う。」
 
「旦那の子供だから欲しいのであって、
事情があって授からないのであれば諦めるよ、私なら。」
「その子はその家の血を受け継いではいるけど夫婦の子どもとは言えない。
あくまで義父との子ども。私はそこまでして子どもがほしいと思わない。」
 
「姑の気持ちになったら、更に嫌!」
「義母も夫も子どもも複雑なのでは???」
 
「お父さんだった人は腹違いの兄??人間不信になりそう。
その子の人生はそれで幸せなのですか?」
「自分の父親が義父だって知ったらショック受けるよ。近親相姦に近い!」
「子供が欲しいといっても旦那の子供じゃないと意味ない。」
「自分が子供だったらショックで親を憎む。なんだよそれ?って思ってしまう。
「気持ちはわかるけど、不可侵なところに踏み入れている気が。」
 
「子供の事は無視で自分の事しか考えてないじゃん。」
「子供は、自分が誕生する運命を変えられない。全て親の満足。勝手。」
 
「精子提供より養子の方が良いと思います。」
「家族を求めてる子供を養子にするのはダメだったのかな(´・_`)
「里子という形で家族を築いてもいいんじゃないですかね。
その方があきらかに自然な形だと思いますが。」
「そこまでして子供が欲しいなら養子を迎えた方が。と思ってしまう」
 
「実際の性交渉がないとはいえ気持ち悪い。」
「誕生するのは旦那の子供じゃなくて異母兄弟なのに
だったら、義父とエッチしても結果は同じってことでしょ」
「このために旦那の親父が精子出してるとか考えると、本当に無理。」
 
「子にすれば実際のところ父親は兄なんですどこまでいっても。
それに結果からすると嫁さんは爺さんの妻なんですね。」
 
 
たしかに不妊というのは本人たちにとって辛いことでしょうけれど
そもそも、実の父で血縁とはいっても
戸籍上の子供にすることができたとしても
生まれてくる子供は
実際、夫婦間の性交渉という絆の聖行為の実りではないわけで
まして、体外受精のために
義理の父親のマスターベーションによる採精という不道徳や
「スペア」とされる受精卵の殺害の可能性もあるでしょう

非配偶者間の人工受胎によって子供を生み出す、というのは
本来的に、不妊夫婦の『エゴ』であって
子供のためを思ってのことではなく
両親という立場の濫用
一種の『人為的な』不倫の正当化
子の有する、夫婦間の実りとして生まれ出る権利の侵害
といったところでしょう
 


 
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イメージ 2

 
 
教皇庁 教理省 『生命のはじまりに関する教書』
 
人間の生命は、神からの賜物
 
生命は、創造主であり父である神が、人間に委ねた賜物であり
そのはかりしれない価値に対して感謝し
与えられた課題に対して責任を取ることは、人間の使命である
 
愛であり生命である神は
人間を、ご自分の似姿として創造し、男と女に創造し
ご自身の創造の業と、ご自身との人格的な交わりの神秘に
特別な形であずかる使命を、男女の本性に刻み込まれた
 
神からの賜物である人間の生命は
結婚における夫婦の人格と、その一体性に刻み込まれている法に従って
第三者が排斥される夫婦間の特定の営み(性交渉)を通してのみ
生み出されるべきものである
 
人間の生殖について
 
胎児に対して、真に責任ある生殖とは、結婚の実りとしての生殖である
1つの新しい生命の誕生は
父親と母親が、創造主の力と協力することによって行われ
互いに与え合う夫婦の愛と忠実のしるしであるべきであり
その実りであるべきである
 
結婚によって結ばれる夫婦間の忠実には
2人が、相手を通してしか、父親や母親にはなれない
という権利を尊重し合うことが含まれる
 
子供は
結婚している両親によって受胎され、生まれ、育てられる権利を有する
親にとって子供は
自分たちが互いに与え合ったことの証拠であり完成である
子供は、親の愛の生きたイメージであり
夫婦の絆を永続的に示すしるしであり
彼らが親たることを解消不可能な形で表現するものである
 

受精卵、それは人間である
 
人間は、その存在の最初の瞬間から、人間として尊重されるべきである
 
卵子が受精した瞬間から
父親や母親のそれとは異なる1つの新しい生命が始まる
それは、自分自身の成長を遂げる、もう1人の人間の生命である
受精の時にすでに人間になるのでなければ
その後において、人間となる機会はありえないであろう
 
受精卵は、人間として扱われるべきでり
医療に関して言えば、他の人間と同様に
世話と看護を受けるべきであると言える
 
胎内診断について
 
胎内診断は、受精卵を傷つけることなく、その生命を尊重し
個人としてのその保護や治療のために行なわれるのであれば
容認される
 
しかし、結果によっては中絶する、という意図をもって行なうのであれば
胎内診断は、道徳律に対する重大な背反となり
重大な不法行為を行なうことになる
 
診断が、死刑の宣告となってはならない
 
遺伝病のキャリアや異常のある胎児を排除するために
妊婦に胎内診断を受けさせることは
胎児の生きる権利の侵害であり、両親の権利と義務の濫用である
 
体外受精による受精卵について
 
体外受精による受精卵も、人間であり、権利の主体である
 
体外受精の場合、全ての受精卵を母胎に戻すわけではなく
そのうちのいくつかは処分されるのが常となっているが
教会は、人工中絶を断罪するのと全く同様に
これらの人間の生命を絶つことを認めない
 
母胎に戻されず、「スペア」と呼ばれる受精卵は
残念な運命にさらされる
安全な生存の可能性は、それらの受精卵には与えられないからである
 
受精卵の凍結は
たとえそれらの受精卵の生命を保存するために行われるにしても
人間の尊厳に反するものである
 
体外受精について
 
体外受精は
体外で行なわれるという、まさにその事実によって
夫婦のペルソナとしての一体化の意味や価値
互いの人格的な愛の『肉体の言葉』(性行為)を通しての表現の意味や価値を
失わせるものである
 
体外受精は、夫婦間の性行為の代替とはならない
体外受精は、夫婦の体の外で、第三者の手によって行なわれ
その成功いかんは、第三者の能力と技術にかかっている
 
このような方法は
受精卵の生命とアイデンティティーを
医師と生物学者の手に委ね
人間の生命の始まりと運命を、科学技術の支配下に置くものである
このような支配関係は
両親と子供が共通して持っている尊厳と平等に反する
 
したがって、配偶者間の体外受精の場合
たとえそれが事実上存在する夫婦の性行為の
前後関係の中で位置づけられたとしても
人間の生殖は、客観的に見て、その完全性を失ってしまう
 
人工授精において
精液はふつうマスターベーションによって得られるが
このことは、夫婦行為の分裂のしるしであり
それが生殖を目的に行なわれるとしても
そこには夫婦の一体化という意味が失われる
 
このような受胎のあり方は
たとえ受精卵の死を避けるために、あらゆる注意が払われたとしても
その方法自体が不法であり
夫婦の一体性と、生殖の尊厳に反するものである
 
教会は、今も
配偶者間の体外受精に対して
倫理的立場から反対する

なお、体外受精による人間の受胎方法は認められないが
生まれてくる全ての子供は
神からの賜物として受け入れられるべきであり
愛のうちに育てられるべきである
 
非配偶者間の人工受胎について
 
このような人工受胎は、結婚の絆に反し
夫婦の尊厳に反し、親のもつ特別な使命に反する
 
第三者の精液や卵子を用いることは
夫婦の絆の侵害であり
結婚の本質的な特徴としての、夫婦の一体性を損なうものである
 
また、それは
結婚によって結ばれた夫婦から
自分が受胎され、生まれる、という、子供の権利にも反する
 
このような人工受胎は
子供から、通常の親子関係を奪い取り
その人格的なアイデンティティーが成熟するのを妨げる
 
さらに、それは
共に親になる、という夫婦の使命にも反する
遺伝学上の親と、生みの親とが、別々になってしまうことは
子供を得るという、夫婦行為の統一性と完全性を
客観的に失わせることを意味する
家庭の一体性と安定性を脅かすものは
社会生活における争い、無秩序、不正の源ともなるのである
 
それゆえ、非配偶者間の人工受胎について
夫以外の提供者の精液による妻の受胎や
夫の精液による、妻以外の卵子を用いた受胎は
どちらも倫理的に認められないし、正当化されえない
 
体外受精以外に不妊症を克服する手立てのない夫婦が
自分たちの愛の結晶としての子供をもうけたい気持ちは
動機として十分に理解できるが
主観的によい動機に基づくからといって
非配偶者間の人工受胎が認められるわけでもない
 
なぜなら、それは、結婚の客観的な特性を損なうものだからであり
子供と両親の譲りえない権利を損なうものだからである
 
代理母について
 
非配偶者間の人工受胎が認められないのと同じ理由で
代理出産もまた否定されるべきである
 
代理の母親を使うことは
結婚の統一性と人間的な生殖行為の尊厳に反する
 
代理母を使うことは
客観的に見て、母親の愛と責任を果たさないことになり
夫婦間の忠実という義務を果たさないことになる
 
また、自分の親により受胎され、生まれ、育てられる
という子供の権利と尊厳にも反する
 
さらに、代理出産は
家庭における血縁的つながりと、心理的、道徳的つながりの間に
分裂をもたらし、家庭の本来のあり方を阻害するものである
 
不妊について
 
親が、子供を持ちたい、と願うのは当然のことである
しかしながら、結婚によって
子供を得る権利が、夫婦に与えられるわけではなく
ただ、本性上
生殖に向けられている自然の行為を営む権利のみ与えられている
 
子供は、最高の賜物であるが
子供は、それに対して親が権利を持つ対象ではないし
所有の対象とみなされうるものでもない
 
不妊という悲しい状況に置かれた夫婦は
霊的な実りの源である、主の十字架に
特別な形であずかる機会を見出すよう、呼びかけられている
 


イメージ 3


聖ヨハネ・パウロ2世教皇
 
たとえ子供を産むことが不可能な場合でも
そのために夫婦生活は、その価値を失うわけではありません
実際、肉体面での不妊は
人間の生命への他の形での重要な奉仕への契機となりえます
たとえば、養子を受け入れたり
種々の教育活動に携わったり
他の家族や障害児や貧しい子供たちを
助けたりするようなこともできるようになるでしょう 


 
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