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2017年 教皇聖下の祈りの意向
(7月から12月まで)
 

これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
 
 


7月 キリスト者としての信仰から遠ざかった人々のため
 
信仰から離れてしまった私たちの兄弟姉妹たちが、私たちの祈りと福音の証しを通じて、主の憐れみに満ちた親しみと、キリスト教的生活の美を、再び見出すことができますように。
 



8月 アーティストたちのため
 
 私たちの時代のアーティストたちが、彼らの才気を通じて、全ての人々に、被造物の美についての気づきを、促すことができますように。
 



9月 宣教奉仕における小教区教会のため
 
 宣教の精神によって活気づく私たちの小教区教会が、信仰と愛徳の目に見える交わりの場となることができますように。
 



10月 労働者たちや失業者たちの正当な権利のため
 
全ての労働者たちが、ふさわしい敬意をもって扱われ、その正当な権利が守られますように。また、失業者たちが、共通善に貢献する機会を適切に受けることができますように。
 



11月 アジアにおける福音の証し人としてのキリスト者たちのため
 
 アジアのキリスト者たちが、その言葉と行ないにおいて、福音の証しをもたらすものとなり、特に他宗教の人々との対話と平和、そして相互理解を推進することができますように。
 


12月 高齢者たちのため
 
各家庭やキリスト教的共同体によって支えられる高齢者たちが、信仰伝達や新しい世代の形成のために、彼ら自身の智恵と経験を活かしていくことができますように。
 
 
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フランシスコ教皇聖下
 
キリスト者に星占いなどは必要ありません
 
神は、75歳のアブラハムに、自分の国、故郷、父の家を離れるよう命じられ
アブラハムは、主が導かれるままに歩みました
 
ここに、キリスト者としてのライフスタイルを見出すことができます
そのライフスタイルには、3つの特質があります
それは、自己放棄、約束、祝福です
 
キリスト者になる、ということには
自分自身から抜け出すという特質が、いつも、含まれています
それは、十字架上のイエズスご自身の自己放棄の反映となるものです
 
自己放棄
 
「あなたの国、あなたの家族、あなたの父の家を離れなさい」
 
そこには、いつも、前に進んで行く必要性が示されています
その初めの一歩を踏み出す必要性が示されています
 
旧約聖書や福音書には
前に進んで行くよう呼びかけられた預言者たちや弟子たちについての
種々の物語やエピソードの記述で満たされています
 
キリスト者は
神のために、執着を捨てて、自分自身さえも放棄するほどの
キャパシティを持たなければなりません
そうでなければ、本物のキリスト者とは言えません
 
約束

アブラハムは、信仰のうちに、主に従いました
彼は、神が約束された地を受けるため
未知らぬ土地へと出て行きました
 
キリスト者は
未来を予測するための星占いを読んだりはしません
 
キリスト者は
水晶や手相をのぞきこむ占い師の助言を求めたりもしません
 
キリスト者は
神がその約束の成就を示された小道に
神によって導かれるままに、彼自身をまかせます
 
私たちは、男性であれ女性であれ
アブラハムが新しい土地に向かって歩んだように
神の約束に向かって歩んでいます
 
アブラハムは家を建てず、テントをもうけ
神を信頼して、その旅路を歩む姿を示してくれています
 
彼は、主に礼拝を捧げるための祭壇をもうけては歩みを続けました
彼は、いつも、前に向かって進みゆく人でした
 
キリスト者としての旅路は
毎朝、新たに始められます
主に信頼をよせて、多くの予期しない出来事にも心を開きます
 
予期しない出来事には
自分にとって、良いこともあれば、悪いこともあるでしょう
しかしながら、私たちは、いつも、それらに心を開いていなければなりません
 
というのも、私たちは、神が私たちを安全な場所に連れ行くために
神が私たちのために特別にあらかじめ備えていてくださる地に連れ行くために
それらの出来事が起こるのをお許しになるからです
 
祝福
 
キリスト者としての他の特徴とは
彼もしくは彼女が、いつも、祝福をもたらすものとなる
ということです
 
キリスト者は
主ご自身のことや、他者のことについて
どのような時も、善良に語ります
 
そして、彼らの歩む小道を前進することができるように
いつも、神の祝福を求めます
 
これこそ、キリスト者としての生活パターンです
 
なぜなら、全てのキリスト者は、どのような平信徒も例外なく
他者を祝福し、神や他者について良く話さなければならないからです
 
あまりにもしばしば
私たちは、私たちの隣人についての悪口を話しがちです
 
神が、私たちの父アブラハムにおいて示された
生活のための教訓に従おうとする代わりに
 
私たちは、悪いことのために
私たちの舌を、あまりにも激しく振り動かし過ぎです
 

立ちどまらずに前に進んで歩み続けること
主があしらわれるままに、私たち自身から抜け出すこと
主の約束に信頼すること
祝福のうちに品行方正でいること
 
キリスト者としての生活を深めることは
実に、このようにシンプルなものです






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Institutio generalis de Liturgia Horarum
時課の典礼(教会の祈り)の総則
 
De mandato Liturgiam Horarum celebrandi
時課の典礼を挙行する特命について
 
29. Episcopi ergo et presbyteri, aliique ministri sacri, qui mandatum ab Ecelesia acceperunt (cfr. n. 17) Liturgiam Horarum celebrandi, integrum eius cursum cotidie persolvant, Horarum veritate,quantum fieri potest, servata.
 
司教、司祭、他の聖なる奉仕者は、教会からの特命を受けて、時課の典礼を挙行するに際して、毎日、その全過程を、完全に、果たさなければならない。また、可能な限り、その適合する時課を、遵守しなければならない。
 



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教会の聖務者が負うべき時課の典礼(教会の祈り)に関する責務について
 
時課の典礼の『全過程を完全に果たす』とは
その各時課における細部に至るまで、完全に果たすことを意味しています
 
たとえば、朝の賛美および晩課についていえば
導入句、賛歌
交唱1、詩編唱和、交唱1、交唱2、詩編唱和、交唱2、交唱3、詩編唱和、交唱3
短い朗読、応唱
讃美歌交唱、福音讃美歌(ベネディクトゥス、マニフィカト)、讃美歌交唱
共同祈願、主の祈り
結びの祈願(短い結びではなく、長い結び〜後述する)、祝福
この細部を、忠実に、なんら省くことなく、完全に唱える(可能な限り歌う)ことが
時課の典礼の『全過程を完全に果たす』といえるのであって
 
仮に、聖務者が、これらのうちのあるものを、恣意的に省略したり
ひどい場合には時課そのものを唱えずに放置しておくなどということは
教会からの特命を、自由な意志で、誓約し、受諾したことについて
著しく背反することになるでしょう
 
 
また、時課の典礼の『賛歌 Hymnus 』が
いまだ日本語で訳されていないのであれば
〜日本語の教会の祈りが発行されてから すでに40年以上経過している〜
おおもとの時課の典礼(ラテン語ローマ規範版)を取り寄せて
それを使用することによって
その不足を補うべき責務が、個々の聖務者にはあるでしょう
 
ここにきて時課の典礼の『賛歌 』の翻訳が本格的に着手されたようですが
まだまだ作業は初期段階に過ぎず、その完成はいつになるのか不透明です
 
これまで『司教団が動かないから自分は個別的に自発的に動かなくてもよい』
などと安易に考えて、放置していたのかもしれませんが
神様の御前において、自らが果たすべき責務について
自らが、自由な意志で、誓約した特命について
決して周囲に責任転嫁することはできません
 
 
時課の典礼に関する その他の有用と思われる いくつかの指摘
〜ざっくりとした比較〜
 
導入句について 
ラテン語規範版
41. Laudes matutinae et Vesperae inchoantur a versu introductorio Deus, in adiutorium meum intende:Domine, ad adiuvandum me festina, quem sequitur  Gloria Patri cum Sicut erat et Alleluia (quod omittitur tempore Quadragesimae).
朝の賛課および晩課は、次の導入句によって始められる。『神よ、私の救いに心を留めてください。』『主よ、私の助けに急いでください。』続いて、『栄光は聖父と。。』および『初めのように。。』そして、『アッレルーヤ』(四旬節には省く)が唱えられる。

異なる箇所
 
先唱;  規範版 「神よ、私の救いに心を留めてください」  
        日本語版 「神よ、私を力づけ」
応唱;   規範版 「主よ、私の助けに急いでください」     
         日本語版 「急いで助けに来てください」
 
結びの祈願について 
ラテン語規範版
53. Dicto Pater  noster, dicitur immediate oratio conclusiva, quæ pro feriis ordinariis  invenitur in Psalterio, pro aliis diebus in Proprio.
の祈りを唱えてから、ただちに結びの祈願が唱えられる。それは、通常の週日のためには、詩編唱和部Hebdoma I, II, III, IV〜第1週、第2週、第3週、第4週詩編書〜)に、他の日々のためには、固有祈願部(年間主日、待降節、降誕節、四旬節、復活節、祭日、記念日)に、各々見出すことができる。
 
異なる箇所
 
規範版  「聖霊の交わりの中で、あなたと共に、世々に生き、支配しておられる 神である御子、私たちの主イエズス・キリストによって。アーメン」
 
日本語版 「私たちの主イエズス・キリストによって。アーメン」
 
祈願のしめくくりは
読書課、朝課、晩課については、長いものを唱えるよう指定されているので
Per Dominum nostrum Iesum Christum etc.を唱えなければなりません

 3時課、6時課、9時課、終課については
短いものを唱えるよう指定されているので
従来どおりのものを唱えれば事足ります
 
 
祝福について
 
ラテン語規範版
54. Deinde, si præest sacerdos vel  diaconus, ipse populum dimittit per salutationem Dominus  vobiscum et benedictionem ut in Missa, quam sequitur invitatio Ite in pace. R. Deo gratias.Secus celebratio concluditur per Dominus nos benedicat,etc.
その祈願後、もし、司祭もしくは助祭が時課の先導をしているならば、ミサの時と同様に、『主は、あなたたちと共に』との挨拶(会衆の応唱 『また、あなたの霊と共に Et cum spiritu tuo 』 を含む)と祝福、および、それに続く掛け合い『行きなさい。平和のうちに』、『神に感謝いたします』によって、会衆を散会させる。単独での時課の挙行(司祭もしくは助祭の不在、あるいはソロで唱える場合Absente sacerdote vel diacono et in recitatione a solo であれば、『主が、私たちを祝福し、全ての悪から護り、永遠の生命に導き入れてくださいますように。アーメン。Dominus nos benedicat, et ab omni malo  defendat, et ad vitam perducat æternam. Amen. 』との文言によって時課がしめくくられる。
日本語版
54.最後に、司祭または助祭が司式する場合、ミサの時と同じように「主はみなさんとともに」のあいさつと祝福、それに続く「行きましょう、主の平和のうちに」、「神に感謝」ということばをもって散会する。司祭、助祭が不在の時には「賛美と感謝のうちに」、「アーメン」ということばで祭儀を終わる。
異なる箇所
〜司祭もしくは助祭の不在、あるいは単独で唱える場合のしめくくりの違い〜
 
規範版  「主が、私たちを祝福し、全ての悪から護り、永遠の生命に導き入れてくださいますように。アーメン。」

日本語版 「賛美と感謝のうちに」、「アーメン」


読書課(および昼課)のしめくくりの賛句について 
 
ラテン語規範版
69. Officium lectionis concluditur de more  oratione diei propria et, saltem in recitatione communi, acclamatione Benedicamus Domino. R. Deo  gratias.
読書課は、慣習として、当日の固有祈願でしめくくられる。また、共同で唱えられる際には、少なくとも『主を祝福しましょう』、『神に感謝いたします』との賛句でしめくくられる。

異なる箇所
 
先唱;規範版 「主を祝福しましょう」      日本語版 「賛美と感謝のうちに」
応唱;規範版 「神に感謝いたします」     日本語版 「アーメン」
 
 

今回、大まかに、時課の典礼(教会の祈り)における
ラテン語規範版と、日本語省略版の内容を、ざっくりと比較してみましたが
実際に唱えていく上での違いが明らかになったことと思います
 
他の異なる点を挙げればきりがないので
今回はごくごく一部に過ぎません
(今回の指摘も、字数制限のため、作成した文章を大幅にカットしました)
 
全教会との交わりのうちに
『祈りの法、信仰の法、祭儀の法』における一致を保ちたい、と望む人は
少なくとも、上記の点につき
適宜、個別的改善をこころみるのが肝要だと思います


一般信徒については
時課の典礼に加わることは
奨められるべき段階に過ぎないので
仮に、全く違う文言を、今まで知らずに唱えていたからといって
神様の御前において、さほど責任はありません
 
自らに注がれる恩寵の流れが若干減るぐらいです
 
たとえると、100%の純粋な栄養飲料を飲むか
水で50パーセント薄められた栄養飲料を飲むか、といった具合でしょう

しかしながら、教会の公務にあたる聖務者については
神様の御前において、一般信徒の場合とは
明確に異なる段階の責務が生じています

教会からの特命を受けている、司教、司祭、他の聖なる奉仕者は
時課の典礼を挙行するに際して
毎日、その全過程を、完全に、果たさなければならない
という重大な義務があります

そのため、厳密にいえば
これまで用いていた日本語省略版の「教会の祈り」の従来の唱え方は
その義務の遂行を完全に果たしえない、不完全なものですから
 
今のやり方では
聖務者が有する重大な責務
つまり、時課の典礼の『全過程を完全に果たす』ということが実際できません
 
上記の違いの指摘について
「こんな些細なことなど、どうでもいいことだ」と鼻で笑ってあなどる人は
神の臨在の意識が低いか、もしくは弛緩した良心の段階にいると思われます

通常、「そうなんだ。それなら極力そっちで唱えたほうがいいよね」となるはずです


私は、教会の祭儀の些細な規則を破るぐらいなら
それよりもむしろ、死を1000回 忍ぶ覚悟があります
(イエズスの聖女テレジアおとめAutobiographia 33


聖務者が、時課の典礼におけるその責務を
瑕疵なく、なんらの曖昧さもなく、忠実、完全に、全うするためには
ローマのラテン語規範版の時課の典礼Liturgia Horarumを自ら取り寄せて
潜心と畏敬を伴う、ふさわしい準備と感謝のうちに
ふさわしく、注意深く、敬虔に、各時課を唱えると共に
へりくだりと愛のうちに、想いを声に合わせなければなりません
 
聖務者は、自らの負うべき責任が
一般信徒のそれよりも、はるかに重いものであることを認識しておくべきです
 
実際、神の聖務をなおざりにする聖務者は
神の国に入ることができないからです
 


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愛を注ぐべき人、愛を必要とする人に対して
あなたの想いやりを拒んではならない
 
 
フランシスコ教皇聖下

あなたたたちの心を開きなさい
掟の厳格さのうちに逃げてしうまうことのないように
 
神は、この世界を創造されました
なぜ神はこの世界を創造されたのでしょうか?
それは、愛のため
それは、神の善の充満を、他のものに、与え、分かつためでした
 
人類の再生のために
神は、その御独り子を送り、事物を正そうとなさいました
 
醜悪を美麗へと、誤謬を真理へと、罪人を義人へと
御子において、全てを刷新しようとなさいました
 
38年間、病に伏す人を、イエズスは、安息日に奇跡的に癒されました
「私の父はいつも働いておられ、私もまた、いつも働く」
イエズスがこのように仰せられた際
律法学士たちはイエズスにつまずき
このために彼を殺そうと望みました
 
なぜでしょうか?
 
なぜなら、賜物としての神の働きかけを
彼らは受け入れることができなかったからです
 
彼らはただ単に、神のうちに正義のみを見ようとしていました
 
「これは『掟』なのだから」
 
彼らはいくつか、より多くの取り決めを設けていました
 
彼らは神の賜物に向けて心を開くかわりに
500あるいはそれ以上に、彼らが設けた『掟』の厳格さのうちに
逃げ場をもとめて隠れようとしました
 
彼らは賜物を受け入れるすべを知ろうとしませんでした
その賜物は自由のうちにのみ受け入れられるものでした
 
彼らの厳格さの性質は
神が私たちに与えてくださる自由への不安によるものです
 
キリスト者は、愛の奴隷であって、義務の奴隷ではない
 
聖福音は私たちに伝えています
「このため、彼らはイエズスを殺してしまおうと望んだ」
 
あえて安息日に癒しの奇跡を示された意図は
父が、賜物としてのこの奇跡を起こされたのだから
父の賜物は受け入れられるべきである
ということでした
 
私たちはこのために、今日、父なる神に向かい賛美を捧げます
 
「主よ、あなたは偉大な御方です
私はあなたをとても愛しています
あなたがお与えくださったこの賜物のゆえに感謝しています
あなたは私を造り、私を救い、私を新たにしてくださいました」
 
これは、賛美の祈り、歓喜の祈りであり
私たちがキリスト教的生活の喜びを受けた祈りです
 
それは排他的でもなく、悲壮的でもなく
賜物を受け入れるすべを
決して知ろうとしないような人の祈りでもありません
 
そのような人々は
賜物がもたらされる際の自由を恐れています
 
そのような人々は
単に義務を遂行するすべのみを知ろうとするばかりで
しかも、それは閉鎖的な義務にすぎません
 
そのような人々は
義務の奴隷であって、愛の奴隷ではありません
 
あなたが愛の囚われ人になる時、あなたは自由なものになります
それは、実に、美しい束縛です
 
しかし、そのような人々は
そのことを理解しようとしないのです
 
どのようにして神の贖いと赦しの賜物を受け入れるべきかを自問してください
 
この場所、その時
主の2つの奇跡があります
それは、創造の奇跡、贖罪と再創造の奇跡です
 
どのようにして私はこの賜物
神が私にお与えになるこの賜物を受け入れたらよいのでしょう?
 
もし私がそれを神の賜物として受け入れるならば
どのようにして私は、被造物を愛し
被造界の秩序のために心配りをすればよいのでしょう?
 
「あなたが神の賜物のことを知っていたならば」
 
どのようにして私は
神が私にお与えになる贖いと赦しを受け入れて
御独り子と共なる子として
私が形成されるにまかせればよいのでしょう?
 
それは、自由に伴う優しさや想いやりでしょうか?
 
それとも、閉鎖的掟の厳格さに隠れてしまうことでしょうか?
その掟は、条文の強調によって
より一層『安全』なものとして提示されがちです
 
しかしながら、そのようなことは喜びをもたらしません
なぜなら、彼らは、あなたを自由にはしないからです
 
私たち1人ひとり
ベテスダで彼が経験した2つの奇跡について考えてみましょう
 
創造の奇跡
そして、より一層偉大な再創造の奇跡について
 
主が、この偉大な出来事について
私たちに理解させてくださいますように
 
そして、世界を創造される前に
主が、それを行なおうとされた理由を
私たちに理解させてくださいますように
 
主が、愛されたのです
 
私たちへの主の愛を、理解するように努めて、言いましょう
「主よ、あなたは偉大な御方です。
ありがとうございます。ありがとうございます!」
このようにして、主に向かい、前に進んで行きましょう
 


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神による再創造
〜奔放から悔悛へ 誤った自由から真の自由へ〜
 
コルトナの聖女マルガリータ 悔悛女
 
Die 22 februarii :
S. Margaritæ de Cortona, pœnitentis
 
 
コルトナの聖女マルガリータは、1247年イタリア、トスカナのラヴィアーノの農家に生まれ、7歳で母をなくし、モンテプルチアーノの貴族の若者と駆け落ちし、18歳から27歳までの9年間誤った愛人生活を送り続けた。
1274年愛人が殺されて、その無残な屍を見て改心し、息子と共にモンテプルチアーノを離れ、悔悛者として父の家に戻ろうとしたが拒絶され、コルトナに赴いた。
聖女はいまだ肉の誘惑を克服するために困難を感じていたが、ある日曜、ラヴィアーノに戻り、ミサ中聖女の過去のつまずきを公に謝罪し、介護で生計を立て、『憐れみの家』Poverelleと呼ばれる貧しい病者のための病院を建て、フランシスコ会第3会員となり、憐れみの聖母の共同体をつくる。
息子は数年後にフランシスコ会に入り、聖女は聖体の神秘と主の受難と聖心への特別な信心をもち、みずからに厳しい償いを課した。
聖女に対して疑いと中傷がなされたが、人々への指導と和睦と平和のために尽力し、29年にわたる悔悛の業の実行に励み、1297222日帰天した。1728年列聖。


Collecta
Deus,qui famulam tuam Margarítam
de  perditionis via ad salutis tramitem
misericorditer  deduxisti :
eadem  nobis miseratione concede ;
ut,quam prius errantem sectari non erubúimus,
mox pœnitentem  impigre sequi gloriemur.
Per Christum  Dominum nostrum. Amen.
 
神よ、あなたは、あなたのはしためマルガリータを、
破滅の道から救いの小道へと、憐れみのうちに導き入れられました。
その同じ憐れみのうちに、私たちに恩寵をお与えください。
かつて恥じ入ることなく迷いの道に足を踏み入れていた私たちが
のちに悔悛の道に努めて歩むことを誇りとすることができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。
 
Vel :
 
Deus,  qui non vis mortem peccatoris,
sedut magis convertatur et vivat :
concede  propitius ; ut, sicut beatam Margaritam
ad  tibi devote serviendum
a  peccatorum laqueis eripuisti ;
ita  nos illius precibus et imitatione,
culparum  vinculis liberati,
pura  mente tibi servire valeamus.
Per Christum  Dominum nostrum. Amen.
 
神よ、あなたは罪人たちの死を望まず
むしろ、回心して、生きることを、より一層望まれます。
いつくしみ深く私たちにお与えください。
幸いなマルガリータが、罪の罠から解放されて
あなたに献身的に仕えていったように
その祈りと模範によって、私たちも過ちの鎖から解放され
清められた想いのうちに、あなたに仕えることができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。
 


 
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De Oratione



Oratiovero quae solis labiis sit,
祈りが、単に口先だけのものであれば、
nonest ante Deum acceptabilis.
神の御前に受け入れられるものにはなりません。
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フランシスコ教皇聖下
 
キリスト教的生活とは
サタン、世俗、肉の衝動に対して
絶え間ないバトルを繰り広げるようなもの
 
悪魔は現実に存在しており
私たちは真理の武具のうちに
悪魔に対して戦いを挑まなければなりません
 
キリスト教的生活は
サタンの誘惑に対して防がなければなりませんし
強さと勇気を要求するものです
 
それはキリスト教的生活の3つの主要な敵
悪魔、世俗、肉の衝動に対する継続的な霊戦です
 
私は、自分自身を誰から護らなければならないのでしょうか?
私は何をしなければならないのでしょうか?
 
聖パウロは私たちに教えてくれています
「神の武具を身につけなさい」
 
それが意味するところは
防御としての神の働きであり
サタンの誘惑に対抗するための助けを受けることです
 
これは確かなことでしょうか?
 
誘惑に対抗することなしに
私たちに強さをもたらし、私たちを守る神の武具を身につけることなしに
霊的生活はありえませんし
キリスト教的生活もありえません
 
聖パウロは強調しています
私たちのバトルは、小さな事柄ではなく
むしろ、この世の支配的な権勢と能力に対する事柄であり
換言すれば、悪魔とそのフォロワーたちに対する事柄です
 
今の世代は、実に多くの人々が
悪魔が単なる作り話、象徴、概念、悪の概念に過ぎないと考えています
 
しかしながら、悪魔は現実に存在するものであり
私たちは、悪魔と戦わなければならないのです
 
聖パウロは私たちにこのことを教えています

単に私が言っていることではありません!

神の御言葉が、私たちにこのことを教えているのです
しかし、私たちはこのことを十分に確信していません
 
聖パウロは偉大な神の武具について
いくつかの異なる表現を用いて言及しています
 
「真理のうちに立ち続けるために
あなたたちの腰帯を引き締めなさい」
 
真理こそ、神の武具です
 
それとは対照的に
悪魔は、嘘つきであり、嘘つきたちの父です
そのため私たちは
真理を私たちの味方として、彼と戦わなければなりません
 
聖パウロは
神のうちに常に信仰を保つ重要性を強調し続けます
それは悪魔との霊戦を戦う際に
私たちにとっての盾のようなものです
 
悪魔は、私たちに花々を放つのではなく
その代わりに燃え立つ矢を放っています
 
人生は、軍事的努力を要するものです

キリスト教的生活は、戦闘です
しかも、美しい戦闘です
 
なぜなら、私たちの人生のあらゆる段階において
神が勝利者として現れてくださる時
私たちに喜びを、偉大な幸いを与えてくださるからです
 
その喜びとは
主が、救いという主の無償の賜物のうちに
私たちにおいて勝利者となられる喜びのことです
 
しかし、私たちはみな
このことにいささか愚鈍な状態です
そうですよね?
 
私たちは、この霊戦において
私たちの衝動や、さまざまなタイプの誘惑を
自らに入り込むことを許し
それに流されるままになってしまっています
 
それは、私たちが罪人だからです
私たちはみな罪人たちです!
 
しかし、落胆しないでください
勇気と強さを抱いてください
 
なぜなら、主が、私たちと共におられ
私たちのうちで私たち自身の勝利に力添えをしてくださるからです


 
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