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2006年11月23日
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Effunde super nos, quaesumus, Domine,
spiritum quo beatam Margaritam Mariam singulariter ditasti,
ut scire valeamus supereminentem scientiae caritatem Christi,
et impleamur in omnem plenitudinem Dei.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.
主よ、幸いなマルガリタ・マリアに特別豊かに満たされた霊を、私たちの上に注ぎ入れてください。こうして私たちが、あらゆる知識を凌駕する、キリストの愛徳を知ることが出来ますように。そして、全てにおいて、神の恵みの充満で、私たちが満たされますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。
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コメント(9)
聖心が特別な信心によって崇められることを、主が熱くお望みになるのは、私たちの霊魂の中に、贖いの効果を新たに注ぎ入れるためであると思われます。 主の聖心は、尽きることのない泉であり、謙遜な人の心の中に注ぎ入れられることだけを望んでおられるのです。それは人々が、主をお喜ばせしようとするべく、自らすすんで生活を正しく整えるためです。 この聖心は、決して涸れることのない泉であり、絶え間なく3つの川が流れ出ています。 第1の流れは、罪人への憐れみの流れであり、そこから痛悔と償いの精神が溢れ出ています。 第2の流れは、労苦する全ての者、特に完徳を志す者が、妨げを克服するために必要とするものを見出すことが出来るように助ける、愛の流れです。 第3の流れからは、主が、ご自分の知識と掟を伝えるために、ご自分に一致させようとお望みになる、完全な人々のための、愛と光が溢れ出ます。 それらは、その人々が、それぞれの方法で主に栄光を帰するよう、ことごとく献身させるために他なりません。 主の聖心は、貧しい者がその困窮を沈めるべき宝の深い淵であり、私たちが全ての悲しみを沈めるべき喜びの淵であり、私たちの愚かさを取り除く謙遜の淵であり、惨めな者のための憐れみの淵であり、私たちが自分のあらゆる貧しさを沈めなければならない愛の淵です。 それ故、あなたたちは、私たちの主イエズス・キリストの聖心と一致しなくてはならないのです。回心して入った道を歩み始めた時には、心をよく整えるためであり、その道の終わりに近づいた時には、人々の罪の償いを捧げるためです。 祈りにおいてなかなか進歩しないのですか?それならば、あなたたちの生温さを償うために、イエズスの燃える愛を捧げて、救い主が祭壇の聖なる秘跡のうちに、私たちのために執り成してくださる、その祈りをお捧げしなさい。それで十分です。 そして、何かを行なう時には、常に次のように祈りなさい。 Mi Deus, hoc facio vel hoc sustineo in Corde Filii tui et juxta sancta ejus consilia, quae tibi offero ad reparandum quidquid noxii vel imperfecti est in meis operibus. 『私の神よ、私はあなたの御子の聖心の中で、 その聖なるご意向に従って、これをいたします(これを耐え忍びます)。 そして、私の行ないの、良くない不完全な点を償うために、 聖心のこのご意向を、あなたにお捧げいたします』 生活上のあらゆる出来事に際しても、同様にしなさい。 そして、何か苦しいこと、何か悲しいこと、何か屈辱的なことに出合った時には、自分にこう言い聞かせるのです。 Accipe quod tibi sacratum Jesu Christi Cor mittit, ut sibi te conjungat. 『イエズス・キリストの聖心が、 お前をご自分に結び合わせるために、 送ってくださるものを受け入れなさい』 それから最も大切なこととして、あらゆる宝にもまさる、『心の平和』を保つように努めなさい。 この平和を保つ最良の方法は、私たちが自分の意思(我)を棄てて、イエズスの聖心のご意思が、私たちの意思に取って代わるようにすることです。 こうして、ご自分の栄光となることを、全てイエズスが行なってくださり、私たちは心からイエズスに従い、イエズスに絶対的な信頼を寄せるようになるのです。 |

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