この世における不幸は、 実際のところ、幸いの「もと」に他なりません。 悲しむ人は、幸いである。 彼らは慰めを受けるからである。 正義のために迫害を耐え忍ぶ人は、幸いである。 天の国は、彼らのものだからである。 試練を耐え忍ぶ人は、幸いである。 それに打ち勝てば、 主が、ご自分を愛する人々に約束された生命の冠を受けるからである。 |
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こんにちは、ゲストさん
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この世における不幸は、 実際のところ、幸いの「もと」に他なりません。 悲しむ人は、幸いである。 彼らは慰めを受けるからである。 正義のために迫害を耐え忍ぶ人は、幸いである。 天の国は、彼らのものだからである。 試練を耐え忍ぶ人は、幸いである。 それに打ち勝てば、 主が、ご自分を愛する人々に約束された生命の冠を受けるからである。 |
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私たちは、黄金が、るつぼの中で純化されるように、 試練の苦しみによって、純化されなければなりません。 外面的な十字架、それがいったいなんでしょう? 真の十字架は、ココロの殉教であり、 霊魂の奥底における苦しみです。 ココロを平静に保ちながら、苦しみましょう。 憩いの時が近いからです。 実に、私たちが受ける、この世の短く軽い艱難は、 私たちのために計り知れないほど大きな永遠の栄光を準備するものです。 主は、あなたを、 ご自分の愛のために苦しむにふさわしい者とお考えになりました。 これは、主があなたにお与えになることのできる、最大の愛の証です。 苦しみこそが、 私たちを主に似た者とするものだからです。 |
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♡ とりあえず。。 またまた気分転換に新規投稿しました♡ ほにゃ〜〜っ(笑) 最近はなんだか涼しげ〜〜になって過ごしやすくなってきましたねっ☆⌒Y⌒ヾ(o◕ฺω◕ฺ)ノ ♡ とりあえずお任せしま〜っすε(◕‿◕✿ฺ)з♡ どぅぞっ(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・ |
もし、兵隊が、勇ましい行ないを示さないならば、 軍服をまとう値打ちもないだろう。 洗礼を受けて、クリスチャンだと自負する人も、 もし、イエズス・キリストの教えに従って生活しないなら、 どんな誉れに値するだろうか? 神の司祭であるあなたは、 叙階式を受けても、 司祭の衣をつけていても、 もし、その身分にふさわしくないなら、 なんの功徳があろうか? 司祭を、ラテン語でサチェルドス(SACERDOS)という。 この語の8つの文字が示すプログラムに従うようにするがよい。
もし、あなたが世間的楽しみを享受するなら、 キリストの司祭として、決してふさわしいものではない。 あなたは大きなことを放棄したが、 小さなことにも寛大でありなさい。 あなたの生涯が、 絶え間ない「焼き尽くすいけにえ」となるように、 あなたが「日々、死をまとう」と言い得るようにしなさい。 天の国は美しい。 しかし、天国に入るためには、 まず、カルヴァリオにのぼらねばならない。 Ad lucem per crucem (十字架を通して光へ)
もし、あなたが、お金を集めるために、 また、名誉を得るために働くなら、 あなたの生活の目的は失敗である。 「他のすべてのことを取り去って、 霊魂だけを私にお与えください」 これをあなた自身のモットーとしなさい。
司祭として、あなたは神の人である。 もし、神と隣人を愛するという2つの偉大な掟をあなたが守らないなら、 誰に守れというのか? 「キリストの愛が、私たちをしめつける」(2コリント5.14) パウロのこの言葉が、 あなたの行ないの動機となるように。
ユダヤ人たちのバビロニアでの流刑は長かった。 涙のこの谷に、あなたのとどまる時間は、 たぶん短く、まもなく終わるかもしれない。 「私たちは、ここに永遠の都をもっていない。 私たちは、未来の都をさがしている」(ヘブライ13.14) あなたたちは天の祖国へと向かってゆかねばならない。
過ぎ去るものは、無に等しい。 世間を愛するな。 「たとえ全世界を掌握したとしても、 自分のいのちを失うなら、 人にとって、何の利益があろうか?」(マテオ16.26) 。。ここでいう「いのち」は、 霊魂、その霊的生命を意味しています。 仮にこの世の全ての繁栄を手に入れても、 自分が霊的に死の状態に陥っているなら、 死後、天の国に入ることができない。 仮に外面的な全てのものを失おうとも、 自分が霊的に生命の状態に保たれているなら、 死後、天の国に入り、至福を得ることができる。 だから、真に求めるべきは、永遠の生命であることを教えています。つづく。。 |
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