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『あなたたちも用意していなさい。
人の子は思いがけない時に来るからである』
(ルカ 12,40)
聖アルフォンソ・デ・リゴリオ司教教会博士
6.罪人の死
①罪人は突然死ぬ。突然死でなくとも、改心は極めて困難である
現在、罪人は、死の追憶、死の想いを遠ざけ
放逸な生活の中に、わずかな平和を味わおうと努めています
けれども、決して、この平和を味わうことができません
まして、死の苦悶に襲われ、永遠の世界に入ろうとしている時は
罪深い良心の呵責を免れることはできないのです
臨終の苦悶のさなかで平和を求めるが
しかし、平和をもつことができない
そうです。彼らは平和を求めるでしょう
しかし、罪に満ち、この蝮のような罪に責め苛まれる霊魂が
どうして平和を見出すことができるでしょうか
それまで、イエズス・キリストの掟や愛を軽蔑してきた霊魂が
いざ、イエズス・キリストの裁きの御前に出頭しなければならない時になって
どうして平和を見出すことができるでしょうか
そうです。煩悶に煩悶を重ねるよりほかにないのです
死が近いことを告げられると
この世の全ての事物を棄て去らなければならないことを考えて
良心の呵責に襲われて
自分が時間を空費したことや
自分の時間もやがて終わりを迎えることや
神の審判の厳しさや
悪人に課せられる永遠の不幸など
これら全ての考えが、あたかも、その精神を打ちひしぎ
苦悩の中に沈みこませる恐るべき嵐のように
臨終の罪人の上に押し寄せるに違いないのです
このようにして罪人は
全く、落ち着きを失い、希望を失い、この世を去るのです
アブラハムは、神の約束を信じて
人間的には全く希望を奪われていながらも、神に希望し続けました
これは、アブラハムの大いなる功徳です
「アブラハムは、望みのない時、望みを抱いて、信じました」(ローマ4,18)
これに反して、盲目な罪人は
希望にさからって希望するばかりでなく
信仰にさからって希望します
なぜなら、神が、頑迷な者に対してなさった脅しを、軽蔑するからです
彼らは、悪い最期を遂げることを恐れます
けれども、悪い生涯を送ることを恐れません
そんな彼らが、突如、雷に打たれたり、事故にまきこまれたり
あるいは、喀血したり、あるいは、卒倒したり、急死しないと
誰が保障することができるでしょうか
たとえ死に際して、改心の時間があるとしても
それを用いて、彼らが実際に回心すると、誰が保障できるでしょうか
聖アウグスティヌスは、自分の悪習を棄て去るのに
12年間もかけて、それと戦わなければなりませんでした
いつも良心の促しを拒絶していた罪人が
臨終の時、激しい苦しみ、頭痛、最後のあがきのさなかにあって
容易に、真実に、神に立ち帰ることができるでしょうか
私は、ここで「真実に」と言います
というのも、ただ口先だけの言葉や約束では足りないのであって
心の底から発する悔い改めの言葉と約束が必要だからです
あぁ、それまで、自分の霊魂について配慮しなかった気の毒な病人は
審判と地獄と永遠の苦しみとを想い
罪に覆い尽くされた自分の真実の姿を眺める時
いったいどれほどの恐怖と苦悩に襲われることでしょうか
次第に頭がぼんやりとなり、意識がかすみ
全身が死の苦しみに悶えている時
このようなことを思い浮かべて
いったいどれほどの煩悶に陥ることでしょうか
外面的に告白し、いろいろな約束をして
泣き叫び、神の憐れみを祈り求めるでしょうが
実際のところ、自分が何をしているのかさえ、わからないのです
しかも、このような煩悶と良心の呵責、苦悩と恐怖のうちに
彼らはこの世を去るのです
ある著述家は言いました
「臨終の罪人の祈り、嘆き、約束は
敵の手に捕らえられ首をしめられて
殺されかけている人がするような嘆願や約束に似ています」
神の恩寵を喪失している時、最後の病気にかかり
そのまま、永遠の世界に移る人々は
まことに不幸なものであるとしか言いようがありません
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2018年11月24日
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