恩寵と信仰者(◕‿◕✿)

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 この書庫において、カトリック教会における「恩寵(恵み)・人間本性の可能性と限界・超自然的生命・恵みの唯一の源泉」についての解説を掲載します(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
                ♡ファン限定です♬(≧▽≦)ノ☆・゜
『 La Grace et nous Chretiens 』      Jean DAUJAT



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2284
ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵〜至聖なる三位が私たちのうちにお宿りになること〜


恩寵は、神がみずからを、
ことごとく、そして永遠に表明なさる御言葉と、
御子によって完全に語られ、表明されるところでだけ、
私たちに神を認識させ、
また、神がみずからを、
永久に、あますところなく愛し、お与えになる、その聖霊によって、
完全に愛され、与えられるところにおいてのみ、
私たちに神を愛させ、受け入れさせるでしょう。

また、私たちの中においでになる神によって、
私たちは、神ご自身のために神を愛し、
愛徳によって神に神を与えるというほどに、
神を私たちの中に移し、所有するようになり、
聖霊の永遠の生命は、
こうして私たちの中に全うされるに至るのです。

ガリグゥ・ラグランジュ(P.Garrigou-Lagrange)は、
神の永遠の至福直観の中に生きる、選ばれた人々について、
次のように語っています。

「御父は、彼らの中に、その御言葉を生み、
 御父と御子は、彼らの中に愛を息吹き、
 愛徳は、彼らを聖霊に似たものとし、
 至福直観は、彼らを御言葉に似させ、
 御言葉は、自分がそのかたどりである御父に、彼らを似たものとする」	



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ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵〜至聖なる三位が私たちのうちにお宿りになること〜


私たちは、
御父なる神と、御子なる神の、
永遠の接吻と賜物である聖霊において、
永遠に愛し合い、抱き合われる、その同じ愛によって、
御父から愛されるのです。

つまり私たちは、
永遠の御子のうちに生み出されるのです。

なぜなら私たちは、
聖霊において愛されるからです。

聖霊が、
御父と御子を結ぶ絆であり、賜物であるように、
聖霊は、
御父とその養子たちを結ぶ絆であり、賜物なのです。

私たちは、聖霊と呼ばれる永遠の愛のうちに取りあげられ、
受け入れられます。

しかし、神である御子の場合には、必然的であるのに対して、
私たちの場合は、神の任意で、自由に、選定と選抜と、養子関係によるものであって、
さらに正確に言えば、
私たちは選ばれて、永遠の愛の中、聖霊の中に、取り入れられるのです。

その中に私たちを取り入れて、
私たちの存在の奥深くに活力を与え、
神の限りない愛に対する私たちの答えとして、
神に対する私たち自身の賜物、すなわち「愛徳」を伝えるのは、
この永遠の愛の働きなのです。

それは、私たちが神の愛に渡されて、神に与えられる、ということが、
私たちの力によるのではなく、
私たちの中に生きておられる聖霊によるものだからです。

私たちは、永遠の予定により、
御子〜私たちは彼において生み出されます〜と、
聖霊〜私たちは彼によって選び出されます〜とによって、
神に、私たち自身が与えられるのです。

私たちが内面で、
それを意識して自由に生きることができるようになるまでに、
恩寵が私たちに与えてくれるものとは、これなのです。

聖パウロはそのことを、
ローマ人に次のように言っています。

「神の愛は、私たちに与えられた。
 そして、私たちの中に生きておられる聖霊によって、
 私たちのココロに(私たちの存在の奥深く活力に)注がれたからである」(ローマ5,5)

永遠に渡る御父と御子の間にある賜物が、
全て、恩寵によって、私たちに分かたれるのです。



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超自然の養子関係

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ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵〜至聖なる三位が私たちのうちにお宿りになること〜


恩寵は、
神ご自身でない全てのものと同様に、
神の3つのペルソナの共同の作です。

しかし、そのことは、3つのペルソナが、
そのペルソナ的な関係のままに、3つとも私たちの中に生き、
その固有の生命の中に、私たちを引き入れて、
恩寵が私たちを3つのペルソナの各々と個人的関係におくことには、差し支えないのです。

超自然の養子関係は、恩寵によって、
神なる御子が、その本性において備えておられる親子関係を、
私たちにもお分けになり、
私たちを本当に御子の中におらせ、御子にあやからせて、
御子と共に、御父から生まれた子とするに至るのです。

すなわち、御父は、必然的に神なる御子を生み、
そして任意に、私たちをお生みになるのです。

御父は、
永遠の御子が生まれた永遠の愛、永遠の親子関係を、
任意に、私たちのところにまで広げてくださるのです。

私たちに関して御父に寄せられたキリストの御言葉は、
すでに引用したとおりです。

「あなたが私を愛してくださるように、
 あなたは彼らをも愛しておいでになります。
 あなたが私を愛してくださったその愛が、彼らにもありますように。
 そしてまた、私が彼らのうちにいるように」(ヨハネ17,23-26)

「私は、あなたがお与えくださった栄光を、彼らに与えました。
 私たちが1つであるように、彼らも1つであるように」(ヨハネ17,22)

聖パウロは、エフェゾ人に書き送っています。
「私たちは、イエズス・キリストによって、
 また彼のうちに、養子とされるように予定されています」(1,5)

聖トマス・アクイナス司祭教会博士は言っています。
「養子関係は、
 実際に、永遠の親子関係にあずかることに他なりません」

このように私たちは、
御父なる神と、御子なる神の、
永遠の接吻と賜物である聖霊において、
愛されるのです。



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2258
ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵〜至聖なる三位が私たちのうちにお宿りになること〜


神の啓示によれば、
神の内面的生命とは、
3つのペルソナ、すなわち、父による子の出生、
父と子による聖霊の賜物です。

もし恩寵が、
私たちに神の生命そのものを与えるものとすれば、
それは、父と子と聖霊とを、
私たちの中に生きさせ、宿らせることになり、
私たちを3つのペルソナの神殿となすことになります。

実に恩寵は私たちを、
認識と愛によって、神の3つのペルソナとの個人的関係におき、
生きた人々との間におけるのと同様に、
3つのペルソナと一致させ、
親交を結ばせるものであり、
また、認識と愛の対象として、
私たちの中に所有された父と子と聖霊によって、
私たちは喜びを与えられるのです。

「私を愛する人は、
 また私の父もその人を愛される。
 そして私たちはその人のところに行って、
 そこに住むであろう」(ヨハネ14,23)

このように私たちは、
3つのペルソナの生命の中に導かれ、
神の内面的生命に引き入れられ、
キリストが私たちのために、次のように求めるほど、
神の生命は真に私たちの生命となるのです。

「父よ、あなたが私の中におられ、
 私があなたのなかにあるように、
 みなが1つになりますように」(ヨハネ17,21)

だから神は、私たちのなかに、私たちは神のなかにあって、
私たちはお互いに、父が子の中に、子が父のなかにおいでになるように、
私たちに分かたれた聖なる3つのペルソナの一致そのものによって、
1つになるのです。

父を源とする神の生命を、
残らずいただいて生きる、この神の家族は、
全被造物の目的です。



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2255
ジャン・ドージャ司祭
神の賜物である成聖の恩寵〜超自然的生命〜について 
恩寵からくる神の認識と愛


今私たちは、
恩寵によって神化された人間の生命がどんなものであるかを知りました。

それは、神を知り、神を愛して、
神と共に生きる神殿の中のように、彼自身の中に生きる内面的生命です。

またひいては、知り、愛する対象として、
絶対無限の、そして完全な喜びである神を、
あらゆる親交によって摑んだ神を、
自分自身の中に所有する内面的生命です。

私たちが創造されたのは、
認識と愛の、この内面的生命のためであり、
神を知り、神を愛して、神と交わす、この内的親交のためです。

「何のために私たちはつくられたのですか?」

この問いに対して、
多くの現代人は答えます。
「この世界に働きかけて、地上を変革するためです」

しかしカトリック要理は、答えます。
「神を知り、そして愛するためです」

あぁ、なんということでしょう!
おろかな人々の精神は、
外面的なことや活動のこと、地上的な楽しみのことで、頭がいっぱいになっています。

しかし、彼らがつくられた目的の真実の生命は、彼らの中にあり、
彼らは自分の中に、認識し愛すべき神を、知り、愛することによって、
彼らの内面で、共に生きようとなさる神をもっているのに、それを無視するとは!

十字架の聖ヨハネは叫んでいます。
「このような栄光のために造られ、
 また予定によってそれを楽しむはずの霊魂たちよ、
 あなたたちは何を考えているのか?」

私たちの内面にある恩寵の栄光は、
すなわち、残らず与えられた神ご自身の栄光は、
どうして私たちの注意と願いを、残らず引きつけてしまわないのでしょう?

イスラエルの地上的復興、
すなわち、この世の外面的働きに一生懸命だった使徒たちに、
イエズスはお答えになりました。

「神の国は、
 実に、あなたたちの中にあるのだ」(ルカ17,21)

ユダヤ人のように、イエルザレムで礼拝すべきか、
それともサマリア人のように、ガリジム山で礼拝すべきか、
このように尋ねるサマリア人に、イエズスはお答えになりました。

「これから人々は、霊と真実の礼拝者となるであろう」
すなわち、生きた神殿となった彼らの霊の内面における礼拝者となるであろう、と。

死は、私たちを、
この世のあらゆる善から引き離すでしょう。

そして、時の終末は、
地上の変革のために、この世で外面的に行なわれた働きによって築かれたものを、
一切廃止するでしょう。

しかしながら、
神の認識と愛による、私たちの内面的生命は、
永遠に続くでしょう。

それこそが、
私たちの霊魂の不死の生命をなすものです。

恩寵にだけ依存して、
大罪により自分自身で故意に滅ぼす以外には、絶対に滅びることのない、
神を知り、神を愛するという親交による内面的生命は、
この世のいかなる力をもってしても、
決して到達することのできないものです。

人々は、
私たちを捕らえ、
拷問し、殺すことはできるでしょう。

しかし人々は、
神を知り、愛して、私たちの中に所有されている完全な喜びと、限りない栄光を、
奪い去ることはできないのです。

人々は、私たちを牢獄におしこめて、
あらゆる人間存在、特に司祭や秘蹟から隔てることはできましょう。

それでも私たちは、
決して孤独にはならないのです。

私たちは決して独りぽっちではありません。

なぜなら私たちは常に、
私たちと共に、また私たちの中に、
認識と愛の対象としていき、かつお宿りになられる、
神の3つのペルソナをもっているからです。

そして私たちは、
3つのペルソナを知り、愛して、
その一致と親交に生きるためにのみ、実在しているのです。



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