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『 Voici ta mere 』
Abbe J.M.GALLAY,(O.C.S.O)
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 ヨゼフは、キリストの保護者です。
 キリストが、この世においでになられた際の保護者です。
 ヨゼフは、おとめマリアの保護者、聖家族の保護者、
 教会の保護者、全て働く人々の保護者です。
 それで、私たちみなもこのように言うことが出来ます。
 『ヨゼフは、私たちの保護者です』
(パウロ6世教皇)

2279
聖ヨゼフ
マリアの夫

Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.  
神が合わせたものを、人は離してはならない。

イエズスの童貞なる父

聖福音書に出てくる2つの場面があります。

聖ヨゼフの貞潔が、聖母のそれと溶け合う度合いを、
完全に見積もることはできないにしても、
その助けをかりて、せめて、遠く惨めさの淵からながめてみましょう。

あたかも、深い谷底から、太陽の光線の助けによって、
高い山々の絶頂を眺望するように。


 第1景
天使ガブリエルは、ガリラヤのナザレトという町の、
ダヴィド家のヨゼフといいなずけである、マリアというおとめのもとに、
神から遣わされた。
天使はマリアのところに来て言った。
「アヴェ、恩寵に満ちた御方よ!主はあなたと共におられます。
 あなたは女の中で祝福された御方です」
マリアは、これを聞いて心乱れ、これは何の挨拶なのだろうと考えていると、
天使は言った。
「おそれるな、マリアよ!あなたは神の御前に恩寵を得たのです。
 あなたはみごもって子供を生むでしょう。
 その子供をイエズスと名づけなさい。
 彼は偉大な御方であり、いと高きものの御子と呼ばれます。
 また彼は、主なる神によって、父ダヴィドの王座を与えられて、
 永遠にヤコブの家を治め、その国は終わることがありません」
そこでマリアは尋ねた。
「私は男を知ることがないのに、どうしてそのようなことになるのですか?」
天使は答えた。
「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力のかげが、あなたをおおうのです。
 ですから、生まれる子供は聖なる御方で、神の御子と呼ばれます。
 あなたの親族のエリザベットも、老人ながらみごもったではありませんか?
 うまずめと呼ばれた人なのに、もう6ヶ月目です。
 神におできにならないことはありません」
そこでマリアは答えた。
「ごらんください、私は主のはしためです。
 あなたの御言葉どおり、この身になりますように!」
そして天使は去っていった。(ルカ1,26-39)

マリアをヨゼフにお与えになった神は、受胎告知の時、
ヨゼフという人間が、あたかも存在しないかのような、
ヨゼフを全く無視しきったような態度をおとりになっています。

神は、ただマリアおひとりだけに、
御子の受肉をプロポーズなさいました。

マリアの「なりますように」Fiatにより、
ただちに結果が生じました。

ヨゼフはそのことについて、
全然関知しないのです。

謎に包まれた神のこのご行動を、
どのように説明したらよいのでしょう。
ただ、なにもクヨクヨ考えることはありません。

神は絶対主であられます。
「神の賜物と召出しとは、取り消されない」(ローマ11,29)
神は、使徒聖パウロと共に、このようにご自分を弁護なさいます。

神は、マリアを、
ヨゼフにお与えになったのです。

マリアは、ヨゼフのいいなずけとされていました。

ユダヤの律法によれば、
いいなずけと結婚とは、同一価値を有していました。

未来の夫と妻に、
ほんとうの夫と妻がもつ全ての権利を与えます。
それと同時に、
全ての義務をも負わせます。

いいなずけの男女は、
すでに夫婦とみなされていたのです。

それで、いいなずけ時代の浮気は、
全て姦通罪に相当する責罰で処分されていました。

問題をあらゆる様相から考察してみると、
残された解決はただ1つだけであり、
それは非常に簡潔な、
同時に、非常に興味深い解決なのです。

マリアとヨゼフの間には、
きわめて完全な、ココロと霊魂の溶け合いがあって、
この2つの純潔な霊魂を結びつける愛は、
神において、全く1つのものになりきっていたのです。

その結果、当然、一方の承諾は、
他方の承諾を、その中に抱有し、かつ誘導するものだったのです。

だからガブリエル天使が、
ただ一方的に、マリアにだけ受胎告知したところで、
それはなにも不都合ではなかったのです。

なぜなら、マリアの承諾は、
その中にヨゼフの承諾を抱有し、かつ誘導するものだったからです。

あたかもヨゼフの承諾が、マリアの承諾を、
自然に誘導するものであったのと同じようにです。

この解決法は、非常に興味深いものです。

なぜならそれは、
マリアとヨゼフとの間を結んでいる一致と結合を、
この上もなく浮き彫りにしているからです。

そして、そのことからヨゼフには、
何人の想像も、その広さ長さ高さ深さを判別できえないほどの、
霊魂の純潔さがあったことを悟らせてくれるからです。

もしもマリアとヨゼフとの間にある一致と結合が、全面的でないならば、
問題への解答は、不可能なのです。

もしもマリアとヨゼフの間にある一致と結合が、完全であるならば、
この一致と結合が完全に純潔なものであるがゆえに、
ここから次の結論が生まれてきます。

すなわち、ヨゼフの霊魂の純潔さは、
一点の曇りもなく、光り輝いているので、
それが、無原罪のマリアの純潔の美しさを滅殺するようなことは、
絶対にありえなかった、ということです。

あぁ、聖マリアと聖ヨゼフの純潔よ!
それは、私たちにめまいを起こさせるほど魅惑的なのです。

第2景につづく。。

Ave Joseph,
gratia Dei abundantius praedite,
cujus ulnae Salvatorem parvulum portaverunt
et oculi erescentem aspexerunt:
benedictus es inter viros,
et benedictus filius almae Sponsae tuae Jesus.
Sancte Joseph, qui Unigenito Dei in patrem es electus,
quamdiu in terris inter familiae valetudinis laborisque curas versamur,
ora pro nobis et morte imminente nobis subvenire dignare.
Amen.

アヴェ・ヨゼフ、
神の恩寵を豊かに備えられた御方よ、
あなたの腕は、幼い救い主を抱き運ばれ、
あなたの眼は、その成長を眺められました。
あなたは男たちの中で祝福され、
あなたの麗しい浄配の御子、イエズスも祝福されています。
聖ヨゼフ、神の御独り子の父親として選ばれた御方よ、
地上にいる間、家庭、健康、仕事の悩みに振り回される中で、
私たちのためにお祈りください。
そして、死が差し迫る時、私たちを助けに来てくださいますように。
アーメン。
  



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 ヨゼフは、キリストの保護者です。
 キリストが、この世においでになられた際の保護者です。
 ヨゼフは、おとめマリアの保護者、聖家族の保護者、
 教会の保護者、全て働く人々の保護者です。
 それで、私たちみなもこのように言うことが出来ます。
 『ヨゼフは、私たちの保護者です』
(パウロ6世教皇)

2274
聖ヨゼフ
マリアの夫

Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.  
神が合わせたものを、人は離してはならない。

イエズスの童貞なる父

ヨゼフが、イエズスの養父であることは、
聖書も聖伝もこれを立証しています。

マリアは、イエズスに向かって、こう仰せられました。
「ごらんなさい。お父さんと私は心配してさがしていたのですょ」(ルカ2,48)

聖ヨゼフには当然、
「イエズスの童貞なる父」という称号を与えることができます。

次の典礼の祈りも、それを証明しています。

O Joseph, virgopater Jesu…
あぁ、イエズスの童貞なる父よ、
おとめマリアの最も清らかな夫よ、
なにとぞ毎日、神の御子イエズスに、
その恩寵の武具をもって私たちを固めてくださるよう、お祈りください。
この世の定めに従って戦い終えた後、
臨終の時、勝利の冠をかち得ることができますように」

それでは、聖ヨゼフは、
なぜ、またどのようにして、
イエズスの「童貞なる父」でいらっしゃるのでしょうか。

聖フランシスコ・サレジオの比喩を借りて説明します。

ここに1羽の鳩が、閉ざされた庭園に、
口にくわえていたナツメの実を落としたとします。

種は成長して、ナツメの木になりました。

さて、この木は、
いったい誰のものになるでしょう?

。。庭園の持ち主のものになるに決まっています。

ところで、神の鳩である聖霊は、
閉ざされた庭園なるおとめマリアの御胎に、
神の御子を、お落としになられました。

庭園なるおとめマリアは、
結婚の法律に従って、ヨゼフの所有物です。

それゆえ、聖霊によって、幸いなおとめマリアの御胎に形造られた神の御子は、
なるほどヨゼフの肉身上の子ではないにしても、
〜世間でいう彼の2世ではありませんが〜
それでも立派に、法理的に、彼ヨゼフの子だ、と言うことができるのです。

それで、聖ヨゼフが、
イエズスの童貞なる父であることを理解するのは、
少しも苦にはならないのです。

むしろ聖アウグスティヌスと共に、これをもっと上回りして、
「聖ヨゼフは、聖マリアとの結婚によって、
 彼が童貞であればあるほど、ますます確実に、イエズスの父となったのです」
ということを、理解しなければならないのです。

これは、私たちの信仰から、
おのずと生まれ来る自明の真理ですらあるのです。

聖ヨゼフが、童貞であればあるほど、
彼はおとめマリアの夫として、ますますふさわしい男性になるのです。

そうして、聖母のものは、
ますます聖ヨゼフの所有物となるのです。

聖ヨゼフの貞潔が、
聖母の貞潔と溶け合って、1つになればなるほど、
ますます聖母の貞潔の実りが、聖ヨゼフのものとなるのです。

それゆえイエズスは、
聖ヨゼフの貞潔が、聖母の貞潔と溶け合う度合いに応じて、
聖ヨゼフの貞潔の実りとなるのです。

その溶け合う度合いは、
ただ神だけがご存知なのです。

つづく。。

Ave Joseph,
gratia Dei abundantius praedite,
cujus ulnae Salvatorem parvulum portaverunt
et oculi erescentem aspexerunt:
benedictus es inter viros,
et benedictus filius almae Sponsae tuae Jesus.
Sancte Joseph, qui Unigenito Dei in patrem es electus,
quamdiu in terris inter familiae valetudinis laborisque curas versamur,
ora pro nobis et morte imminente nobis subvenire dignare.
Amen.

アヴェ・ヨゼフ、
神の恩寵を豊かに備えられた御方よ、
あなたの腕は、幼い救い主を抱き運ばれ、
あなたの眼は、その成長を眺められました。
あなたは男たちの中で祝福され、
あなたの麗しい浄配の御子、イエズスも祝福されています。
聖ヨゼフ、神の御独り子の父親として選ばれた御方よ、
地上にいる間、家庭、健康、仕事の悩みに振り回される中で、
私たちのためにお祈りください。
そして、死が差し迫る時、私たちを助けに来てくださいますように。
アーメン。
  


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マリアとヨゼフの純潔

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 ヨゼフは、キリストの保護者です。
 キリストが、この世においでになられた際の保護者です。
 ヨゼフは、おとめマリアの保護者、聖家族の保護者、
 教会の保護者、全て働く人々の保護者です。
 それで、私たちみなもこのように言うことが出来ます。
 『ヨゼフは、私たちの保護者です』
(福者パウロ6世教皇)

2272
聖ヨゼフ
マリアの夫

Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.  
神が合わせたものを、人は離してはならない。

この結婚の豪華さ



マリアとヨゼフの、
結婚生活におけるこの純潔性が守られたがゆえに、
結婚生活におけるこの純潔性が守られたからこそ、
神の永遠の御独り子は受胎され、
この世界に降誕されました。

真理への愛が、それを可能にしました。
ヨゼフの畏敬が、それを実現させました。
キリスト教的家庭に、模範を示すべく、
それが計画されたのでした。


何よりもさきに、マリアの純潔が守られたからこそ、
キリストはこの世にお生まれになったのです。

聖なる教会は、
このことを私たちに証明しています。

「あぁ、聖にして汚れない純潔よ、
 どれほどの誉め言葉をもって、私はあなたをたたえたらよかろうか。
 私はそれを知らない。
 もろもろの天が抱擁することができない御方を、
 あなたは御胎にお宿しになられたのですから」(降誕祭 第2夜課 第6答唱)

「あぁ、神よ、
 あなたは幸いなおとめマリアの汚れない受胎によって、
 人類に、永遠の救霊の恵みを保証してくださいました」(ご割礼の集会祈願)


しかしながら、私たちの主の受肉は、
ヨゼフの純潔にもまた負うところがあるのです。
神のご計画によってそうなったのです。

ヨゼフが、
おとめマリアと結婚したことによって、
そうなったのです。


神の御言葉は、
ひとりの処女から〜結婚して夫のある1人の処女から〜お生まれになることを、
お望みになられました。

さて、ヨゼフはマリアと結婚することによって、
マリアと純潔を誓い合って結婚することによって、
私たちの主の牡受肉のために、
神がお望みになられた最終的処置を、最後的条件を完了するのでした。

それゆえヨゼフの純潔は、
御言葉の受胎にとって、
決して無関係なものではなかったのです。


他方マリアは、ヨゼフとの結婚において、
その身体は、ヨゼフの所有物となり、宝物となったのです。

ヨゼフもまた、
マリアの所有物となったのです。

2人は、もはや、
たった1人の存在でしかなかったのです。

聖書に「ふたりは一体となるべし Erunt duo in carne una」とあるとおりです。
 
2人の純潔は、
互いに溶け合って、
たった1つの純潔になってしまったのです。

マリアのものは、
ヨゼフのものとなります。

マリアから出るものは、
当然ヨゼフの所有に帰するのです。


前述のとおりカトリック教会は、
「もろもろの天が抱擁することのできない御方を」
聖母が、その御胎に宿される、その「聖にして汚れない純潔」をたたえるのに、
無力であることを正直に告白しました。

どうして多くのキリスト信者は、
神が合わせられたものを、
愛情の世界で、これを別々に分けてしまうのでしょうか。


もしもマリアの貞潔が、
霊的結実性に富むものであるならば、
この事実そのものによって、
ヨゼフの純潔も、それと同様に、
霊的結実性に富むものであるのです。


処女であるマリアの、純潔を守り通す夫。。。
ゆえに、ヨゼフは、イエズスの、童貞なる父なのです。

つづく。。

Ave Joseph,
gratia Dei abundantius praedite,
cujus ulnae Salvatorem parvulum portaverunt
et oculi erescentem aspexerunt:
benedictus es inter viros,
et benedictus filius almae Sponsae tuae Jesus.
Sancte Joseph, qui Unigenito Dei in patrem es electus,
quamdiu in terris inter familiae valetudinis laborisque curas versamur,
ora pro nobis et morte imminente nobis subvenire dignare.
Amen.

アヴェ・ヨゼフ、
神の恩寵を豊かに備えられた御方よ、
あなたの腕は、幼い救い主を抱き運ばれ、
あなたの眼は、その成長を眺められました。
あなたは男たちの中で祝福され、
あなたの麗しい浄配の御子、イエズスも祝福されています。
聖ヨゼフ、神の御独り子の父親として選ばれた御方よ、
地上にいる間、家庭、健康、仕事の悩みに振り回される中で、
私たちのためにお祈りください。
そして、死が差し迫る時、私たちを助けに来てくださいますように。
アーメン。
  


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 ヨゼフは、キリストの保護者です。
 キリストが、この世においでになられた際の保護者です。
 ヨゼフは、おとめマリアの保護者、聖家族の保護者、
 教会の保護者、全て働く人々の保護者です。
 それで、私たちみなもこのように言うことが出来ます。
 『ヨゼフは、私たちの保護者です』
  (パウロ6世教皇)

2151
聖ヨゼフ
マリアの夫

Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.  
神が合わせたものを、人は離してはならない。

この結婚の豪華さ


マリアとヨゼフ、この2人の結婚は、
たとえ肉体結びを伴なわないものであっても、
ほんとうに、正真正銘の結婚です。

人間は、たとえ肉体をそなえていても、
何よりもまず、1つの「霊魂」なのです。

理性と自由意志をそなえ、
神の像にかたどられて創造された霊魂なのです。

それゆえ、この精神的要素が、
この2つの霊魂の一致、結合があってこそ、
つまり、当事者間の愛情が、全面的であればあるほど、
その結婚は、いっそう真実なもの、いっそう完全なものとなるのです。

この2つの霊魂の一致、結合。。
それは、マリアとヨゼフの場合に比べて、
よりすぐれて全面的であったもの、より完全に、より深いものは、他にないのです。

この理想的な夫婦においては、
2つのココロの一致、結合は、
その極致に達していて、
そこにはもはや、2つの霊魂の溶け合いしかなかったのです。

彼らにおける神への関連は、
これもまた極致に達していて、
彼らの結婚とは、神への純粋な献げものでしかなかったのです。

では、この2つの極致の根源は、
どこにあるのでしょう?

それは、
2人の夫婦生活における純潔性にあります。

それゆえ、結婚生活におけるマリアとヨゼフの純潔性こそは、
彼らの結婚を、地上でいとなまれるあらゆる結婚の中でも、
最も真実なもの、最も完全なもの、最も崇高なものにするのです。

人間は、純霊ではありません。結婚も契約なしには成立しません。
契約によってこそ、結婚の当事者たちは、相互いに、
肉体的交わりの権利を渡し合うのではないですか?
マリアとヨゼフは、
これら結婚が有する全ての権利を、相互いに、渡し合いました。

当然の結果として、
彼らの結婚は、ほんとうの結婚が具備する全ての特質を持ち合わせています。

しかしながら、
彼らは、結婚に伴なう権利を、合い互いに渡し合うのと同時に、
この結婚の権利の一部分の「行使」を、
相互いに、合意の上で、「禁止」したのです。

絶対純潔を守ろう、とのこの2人の合意は、
彼らの結婚を、決して無効にするものではありませんでした。

ある権利の「行使」を放棄する、ということは、
その権利そのものを放棄することではありません。

誰しも自由意志という「決定力」をもっていますが、
それを「善」に行使するのか、「悪」に行使するのか、
大いに異なるのです。
あることを、するのか、しないのか、選ぶことができるのと、
実際にそれをするのと、しないのとでは異なります。

「有」と「動」、
もっているのと、それを動かすこと、
「能力」と「現動」、
できるのと、それを実際に行使すること、
これらをハッキリ区別しなければなりません。

飛行機は、
大空を飛ぶ以前に、
すでに飛行機です。

たとえ飛ばなかったとしても、
依然として飛行機です。

たとえ、永久に大空を飛ばずに終わったとしても、
依然として、飛行機であり続けるのです。

では、この上なく純潔なおとめマリアが、
たとえその行使を許さないとはいえ、
ご自分のからだを自由にすることのできる権利を、
結婚によって夫に与える、ということを仮定するならば、
それは何か不愉快なことではないでしょうか?
いいえ、
神の聖なる御旨に反することだけが、
不愉快なことなのです。

無原罪の聖母が、
ご自分のからだを自由にすることのできる夫の権利を、
聖ヨゼフに与えた、ということは、
それは、神のインスピレーションに従ったまでのことであって、
決して不愉快どころか、
むしろ、神のヨゼフに対して抱いておられる絶対的信頼の素晴らしい証拠だてとなるのです。

神は、ヨゼフに信頼して、
ご自分のおとめを、おあずけになられたのです。

よくわかりましたが、
実際、使わないものが、何の役に立ちましょうか?
マリアとヨゼフの結婚に関する限りにおいて、
この異論はピントがズレています。

この結婚は、
聖母に支柱を与えるのが目的だったのです。

マリアとヨゼフの、
この純潔性を誓い合った結婚こそは、
あらゆる結婚の中で、
最も豊かな、神的結実性に富んだ、真の結婚なのです。

マリアとヨゼフは、結婚に際して、
お互いに純潔を誓い合いました。

そして、この純潔性に基づいて、
相手のからだの上にもっている結婚の権利を、互いに放棄して、
相手の純潔を、互いに保証し合ったのです。

この祝福された結婚に言及する時、
ボスエ司教は、賛嘆の叫びを放ちました。

「おぉ、純潔よ!
 これこそ汝の勝利である!」

互いに純潔を誓い合ったこの結婚から、
いかに祝福に満ちた「実」が生じたかを想う時、
私たちも、この神の御子を仰ぎ見ながら、
大雄弁家で大神学者であったボスエ司教の言葉をまねて、叫ぶことができます。

「おぉ、純潔よ!
 これこそ汝の勝利である!」

そぅです。
マリアとヨゼフの、
結婚生活におけるこの純潔性が守られたがゆえに、
神の永遠の御独り子は受胎され、
この私たちの世界に降誕されたのです。

つづく。。

Ave Joseph,
gratia Dei abundantius praedite,
cujus ulnae Salvatorem parvulum portaverunt
et oculi erescentem aspexerunt:
benedictus es inter viros,
et benedictus filius almae Sponsae tuae Jesus.
Sancte Joseph, qui Unigenito Dei in patrem es electus,
quamdiu in terris inter familiae valetudinis laborisque curas versamur,
ora pro nobis et morte imminente nobis subvenire dignare.
Amen.

アヴェ・ヨゼフ、
神の恩寵を豊かに備えられた御方よ、
あなたの腕は、幼い救い主を抱き運ばれ、
あなたの眼は、その成長を眺められました。
あなたは男たちの中で祝福され、
あなたの麗しい浄配の御子、イエズスも祝福されています。
聖ヨゼフ、神の御独り子の父親として選ばれた御方よ、
地上にいる間、家庭、健康、仕事の悩みに振り回される中で、
私たちのためにお祈りください。
そして、死が差し迫る時、私たちを助けに来てくださいますように。
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 ヨゼフは、キリストの保護者です。
 キリストが、この世においでになられた際の保護者です。
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2145
聖ヨゼフ
マリアの夫

Quod ergo Deus conjunxit, homo non separet.  
神が合わせたものを、人は離してはならない。

この結婚の豪華さ



2つの純潔な霊魂、
絶妙に清純な霊魂、
神に魅せられた霊魂、
神のほか何ものをも知らない霊魂。。

このマリアとヨゼフの2つの霊魂が、
ある日、神の御手に導かれるままに、
運命の対面をしたのでした。


それは、この2つの霊魂が、
倍加された熱心をもって、
神に向かって飛翔するためでした。

あたかも、流れの速い2つの河の水が、一緒に合流して、
いっそう速い勢いで、大海に注ぎ入るのと同様です。


彼らは、神性の大海に源を発するのであり、
また、そこに没入するために、駆け足で急ぐのです。

神から来て、神に向かう、
愛から来て、愛に向かうのです。


2人の結婚は、
たとえ肉体結びを伴なわないものであっても、
ほんとうに、正真正銘の結婚です。

この結婚が、互いに全く肉体を許し合わないものであればこそ、
全ての結婚の中で、最も正真正銘な結婚なのです。

このことを確信しなければなりません。
それは次の理由によるものです。


人間は、神の被造物です。
人間は、神から出た被造物です。
人間は、神に属する被造物です。
人間は、神のために存在する被造物です。

それゆえ人間の全ての行為は、
神との関連をもっていなければなりません。

人間の行為が、
神との関連をより多くもっていればいるほど、
それだけ、その行為は、重要性と重大性の比重を増すことになります。


人間のあらゆる行為の中で、
その現世における、また来世における、未来の運命を、
最も決定的に、最も確実的に左右するものが、1つあります。
同時に、全人類社会に、最も責任ある反響を投じるものが、1つあります。

それは、結婚という行為です。


結婚は、
単に、人間が便宜上作り出した、気ままなシステムではなく、
神が、創造の御業の継続として制定された、神的制度なのです。


それゆえ結婚は、
その全重量をもって、
神に呼びかけるものなのです。

この点、まことに重大性をもつものであって、
もしも神が、この行為の中で全面的に抹殺されるなら、
そこには、もはや、結婚というものは、ありえないのです。

神の想いを排除した結婚は、結婚とは呼べず、
それは単なる、動物同士の結合に過ぎないものとなります。


逆に、結婚が、ほんとうに真実なものであり、
完全無欠なものであればあるほど、
当事者の2つの生命は、1つの霊魂の中に溶け込んでしまい、
いっそう現実的な、
いっそう全人格的な、
神への関連を内包するのです。

そのため、真実で、完全無欠な結婚は、
その絆も不解消であり、互いに忠実を徹するものであり、
相互扶助の精神で、誓約を守り通すものであって、
安易にそれを破棄したり、反故にしたり、
各々が身勝手で安易な離婚に至ることはないのです。


そして神へのこの関連が、
マリアとヨゼフの場合にもまして、
いっそう全人格的であった結婚は、他にないのです。

つづく。。

Ave Joseph,
gratia Dei abundantius praedite,
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et oculi erescentem aspexerunt:
benedictus es inter viros,
et benedictus filius almae Sponsae tuae Jesus.
Sancte Joseph, qui Unigenito Dei in patrem es electus,
quamdiu in terris inter familiae valetudinis laborisque curas versamur,
ora pro nobis et morte imminente nobis subvenire dignare.
Amen.

アヴェ・ヨゼフ、
神の恩寵を豊かに備えられた御方よ、
あなたの腕は、幼い救い主を抱き運ばれ、
あなたの眼は、その成長を眺められました。
あなたは男たちの中で祝福され、
あなたの麗しい浄配の御子、イエズスも祝福されています。
聖ヨゼフ、神の御独り子の父親として選ばれた御方よ、
地上にいる間、家庭、健康、仕事の悩みに振り回される中で、
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そして、死が差し迫る時、私たちを助けに来てくださいますように。
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