|
Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
聖体の秘蹟において
私が人々のうちにとどまるのは
完全な人々のためだけにそうするのではなく
弱い人々の支えとなり、小さな人々を養うためである
私が聖体の秘蹟を制定した時
過ちや失敗の後にへりくだり
赦しを願う人々の霊魂の糧となりたいとの望みに燃えていた
彼らを成長させ、強めるのは愛である
愛は、その惨めさのうちに憩い、その善意によって慰められる
聖体は、愛の発明である
聖体は、霊魂の生命と力、全ての弱さを癒す薬であり
この世から永遠に向かう旅路の糧である
世の人々は、私の手足を傷つけ、私の聖顔を汚すが
私が選んだ司祭たちは、私の聖心を引き裂く
このように訴えなければならない、この聖心の悲しみの辛さよ
どれほど多くの司祭が
多くの霊魂に恩寵を与えつつも
自分自身は罪の状態にいることだろう
そして、そのままミサを捧げ、私を受け
そのような状態で生活し、死んでゆく
これこそ、最初の不忠実な使徒とその後に続く
多くのユダを見た時の、私の胸を貫いた苦しみである
私の使徒が、永遠に滅びゆくのを見た時の
私の聖心の苦しみの深さを
いったい誰がはかり知ることができようか
なぜ接吻をもって裏切るのか
このように、私は幾多の霊魂に問いかけている
あなたには、まだ時がある
あなたが乞い願うなら、今でも喜んで赦そう
私は限りない憐れみである
私はあなたを罰しないし、あなたをはねつけたりはしない
むしろ、私の聖心を開いて
以前よりも、もっと優しく愛してあげよう
あなたの罪を、私の聖なる傷の血で洗い去ろう
そうすれば、天国において、大いなる喜びが巻き起こり
あなたの回復した霊魂の美に、みな感嘆のまなざしを注ぐのだ
そうして私の聖心は、あなたの心のうちに憩いを見出すことになる
警官は、罪人を処罰するために追いかける
しかし私は、罪人を赦すために追いかける
Lauda Sion
Indulgentia 7 annorum
Lauda Sion Salvatorem,
スィオンよ、救い主をたたえよ、
lauda ducem et pastorem, in hymnis et canticis.
導き手、牧者をたたえよ、 賛歌と讃美歌のうちに。
Quantum potes, tantum aude :
なしうる限り、高らかにたたえよ、
quia maior omni laude,
なぜならどれほど大いにたたえても、
nec laudare sufficis.
十分にたたえ尽くすことができないからだ。
Laudis thema specialis,
特別な賛美のテーマは、
panis vivus et vitalis hodie proponitur.
生きていて生命を与えるパンであり、今日まさにそれを宣言する。
Quem in sacræ mensa cœnæ,
それは神聖な晩餐の食卓で、
turbæ fratrum duodenæ
12人の兄弟たちが集う中、
datum non ambigitur.
なんらの曖昧さもなく与えられた。
Sit laus plena, sit sonora,
賛美を、十全に、 響かせ、
sit iucunda, sit decora mentis iubilatio.
楽しませ、 飾らせよう、 心からの歓喜のうちに。
Dies enim solemnis agitur,
実にこの日を荘厳に祝おう、
in qua mensæ prima recolitur huius institutio.
そこにおいて最初の祭儀が記念され、このように行なうよう定められた。
In hac mensa novi Regis,
この祭儀において新しい王が、
novum Pascha novæ legis,
新しい過越、新しいおきてを定め、
phase vetus terminat.
古い祭儀を廃止された。
Vetustatem novitas,
古いものは新しいものにのまれ、
umbram fugat veritas, noctem lux eliminat.
影は真理から逃げ出し、 夜は光に場所を明け渡した。
Quod in cœna Christus gessit,
キリストが晩餐で行なわれたことを、
faciendum hoc expressit in sui memoriam.
「このように行なえ」と命じられた。主ご自身の記念として。
Docti sacris institutis,
神聖な制定に教えられ、
panem,vinum in salutis consecramus hostiam.
パンとぶどう酒を、救いのオスツィアとして聖別する。
Dogma datur christianis,
ドグマがキリスト信者に与えられた。
quod in carnem transit panis,
パンが肉に変わり、
et vinum in sanguinem.
ぶどう酒が血に変わる。
Quod non capis, quod non vides,
それを把握しえなくとも、それを見られなくとも、
animosa firmat fides, præter rerum ordinem.
生き生きとした信仰に固められる、事物の秩序を超えて。
Sub diversis speciebus, signis tantum,
これらの異なる外観に見られるのは、あくまでもしるしであって、
et non rebus, latent res eximiæ.
その実体ではなく、崇高な実体がそこに隠れている。
Caro cibus, sanguis potus :
肉が食べ物に、血が飲み物になる。
manet tamen Christus totus sub utraque specie.
全キリストがとどまられる。両方の外観のもとに。
A sumente non concisus,
拝領者によって割かれることなく、
non confractus, non divisus :
砕かれることなく、 分けられることなく、
integer accipitur.
完全に受けられる。
Sumit unus, sumunt mille :
1人が拝領しても、 1,000人が拝領しても、
quantum isti, tantum ille :
どれほど多くの拝領者がいても、
nec sumptus consumitur.
みな全キリストを受け、拝領し尽くすことはない。
Sumunt boni, sumunt mali :
善人も拝領し、悪人も拝領するが、
sorte tamen inæquali,
受け継ぐものは同じではない。
vitæ vel interitus.
生命あるいは破滅である。
Mors est malis, vita bonis :
悪人には死が、 善人には生命がもたらされる。
vide paris sumptionis quam sit dispar exitus.
ごらん、同様に拝領したとしても、どれほど異なる結末であることだろう。
Fracto demum sacramento,
秘蹟の外観が裂かれたとしても、
ne vacilles, sed memento
心騒がせるな。むしろ、想いをはせよ、
tantum esse sub fragmento,
破片のもとでさえ、主の実体があることに。
quantum toto tegitur.
その覆いのうちに全キリストがおられる。
Nulla rei fit scissura :
実体が裂かれるのではなく、
signi tantum fit fractura,
しるしとしての外観が裂かれるだけである。
qua nec status, nec statura signati minuitur.
キリストの性質も、背丈も、しるしによって縮められることはない。
Ecce Panis Angelorum, factus cibus viatorum :
ごらん、天使たちのパンを、地上を旅する人々の糧となられた御方を。
vere panis filiorum, non mittendus canibus.
これは神の子らのまことのパンであって、犬たちに投げ与えてはならない。
In figuris præsignatur, cum Isaac immolatur,
これは前表のうちに示されていた。これはイザアクのうちに捧げられ、
agnus Paschæ deputatur, datur manna patribus.
過越の小羊のうちに屠られ、父祖たちのマンナのうちに与えられた。
Bone pastor, panis vere, Iesu, nostri miserere :
善良な牧者、まことのパンであるイエズスよ、私たちを憐れんでください。
Tu nos pasce, nos tuere,
あなたが私たちを養い、私たちを見守り、
Tu nos bona fac videre in terra viventium.
あなたが私たちに善を見させてください。生きるものたちの地で。
Tu qui cuncta scis et vales,
あなたは全てを知り、全てが可能です。
qui nos pascis hic mortales :
この死すべき地上で私たちを養い、
tuos ibi commensales,
私たちをあなたのおられる天上の会食につながるものとし、
cohæredes et sodales
共同の世継ぎに加え、親しい仲に入らせてください。
fac sanctorum civium. Amen. Alleluia.
聖なるものたちの国民として。アーメン。アッレルーヤ。
|
ミサの続唱 Sequentia
[ リスト | 詳細 ]
|
Eucharistic Devotion,the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
福者コルンバ・マルミオン修道院長
聖霊は、神の生命の内的活動における終点であり、実在的愛です。私たちのためにこそ聖霊は降臨されました。高間の集いは全教会を代表しています。永遠に教会と共にとどまるためにこそ聖霊は降臨されました。
教会はキリストの王国であり、聖父と聖子と共に、その王国を統治しておられる御方は聖霊です。聖霊は、私たちの霊魂の中に、キリストの贖罪によって始められた成聖の業を完成させます。
聖霊の働きは、聖霊降臨を祝う時ばかりでなく、秘蹟を受ける度毎に、恩寵が増す毎に、新たにされます。私たちを聖化するため、私たちの全ての超自然的活動を指導するためにこそ、聖霊は私たちの霊魂にとどまられます。
聖霊は私たちに、上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬畏の7つの賜物を与えて、私たちの霊魂に、キリストを形づくられます。
Veni, Sancte Spiritus
Indulgentia 5 annorum
聖霊の続唱は、『黄金の続唱』とも呼ばれ、聖霊降臨の祭日に用いられます。インノチェンツィオ3世教皇(1161-1216年)の作と言われています。
Veni, Sancte Spiritus,
来てください。聖霊よ、
et emitte cælitus lucis tuæ radium.
あなたの天来の光の輝きをもたらしてください。
Veni, pater pauperum,
来てください。貧者たちの慈父よ、
veni, dator, munerum, veni, lumen cordium.
来てください。与え主、賜物よ、 来てください。心の光よ。
Consolator optime,
至高の慰め主よ、
dulcis hospes animæ, dulce refrigerium.
甘美な霊魂の賓客よ、 甘美な鎮めよ。
In labore requies,
労働における憩いをもたらし、
in æstu temperies, in fletu solatium.
感情の熱さを冷まし、嘆きに慰めをもたらしてください。
O lux beatissima,
あぁ、最も幸いな光よ、
reple cordis intima tuorum fidelium.
あなたを信じる者の心に、あなたとの親しさで満たしてください。
Sine tuo numine
あなたのご意志の働きなくして、
nihil est in homine, nihil est innoxium.
人としての存在も無く、 また罪に無傷ではいられません。
Lava quod est sordidum,
汚れたものを洗い、
riga quod est aridum, sana quod est saucium.
渇いたものに水を注ぎ、 傷ついたものを癒してください。
Flecte quod est rigidum,
頑ななものを和らげ、
fove quod est frigidum, rege quod est devium.
冷たいものを温め、 迷えるものを導いてください。
Da tuis fidelibus
あなたの信者たちにお与えください。
in te confidentibus sacrum septenarium.
あなたに信頼する私たちに、神聖な7つの賜物を。
Da virtutis meritum,
善徳に満ちた功徳をもたらし、
da salutis exitum, da perenne gaudium.
救いの旅立ちを与え、 尽きることのない喜びをお与えください。
Amen. Alleluia.
アーメン。アッレルーヤ。 |
|
復活の続唱
Victimae Paschali laudes 復活の続唱は、復活の主日から8日間にかけて用いられる。神聖ローマ皇帝コンラド2世の宮廷聖歌隊長ブルゴーニュのウィポ司祭(995-1048年)の作と言われている。
Victimae Paschali laudes immolent Christiani.
過越のいけにえに、キリスト信者たちよ、賛美のいけにえを捧げよう。
Agnus redemit oves :
小羊は羊たちを贖われた。
Christus innocens Patri reconciliavit peccatores.
汚れないキリストは、御父と罪人たちを和解させられた。
Mors et vita duello conflixere mirando :
死と生命は、驚くべき闘いで衝突し、
dux vitae mortuus, regnat vivus.
生命の導き手が死ぬことを通じて、生きて統治される。
Dic nobis Maria, Quid vidisti in via?
マリアよ、私たちに語られよ、道で何を見たのか?
Sepulcrum Christi viventis, et gloriam vidi resurgentis :
生きておられるキリストの墓と、復活された栄光を見ました。
Angelicos testes, sudarium et vestes.
天使たちの証明も、残された汗拭きと衣服も見ました。
Surrexit Christus spes mea :
私の希望キリストは復活され、
praecedet suos in Galilaeam.
ご自分に属する者たちに先立ってガリレアに行かれます。
Scimus Christum surrexisse a mortuis vere:
まことにキリストが死者の中から復活されたことを私たちは知っています。
Tu nobis, victor Rex miserere. Amen. Alleluia.
勝利者である王よ、私たちを憐れんでください。アーメン。アッレルーヤ。
Christians, to the Paschal Victim
offer sacrifice and praise.
The sheep are ransomed by the Lamb ;
and Christ, the undefiled, hath sinners
to his Father reconciled.
Death with life contended : combat strangely ended !
Life's own Champion, slain, yet lives to reign.
Tell us, Mary: say what thou didst see upon the way.
The tomb the Living did enclose ;
I saw Christ's glory as He rose !
The angels there attesting ;
shroud with grave-clothes resting.
Christ, my hope, has risen :
He goes before you into Galilee.
That Christ is truly risen from the dead we know.
Victorious King, Thy mercy show ! Amen. Alleluia.
Verbum Domini
Venite, et revertamur ad Dominum,
quia ipse laceravit et sanabit nos,
percussit et curabit nos.
Vivificabit nos post duos dies,
in die tertia suscitabit nos,
et vivemus in conspectu eius.
Sciamus sequamurque, ut cognoscamus Dominum.
さぁ、主に立ち帰ろう
主は引き裂かれたが、私たちを癒し
打たれたが、私たちを介抱してくださるから
主は2日の後、私たちを生かし
3日目に、私たちを立ち上がらせてくださる
こうして、その御前に、私たちは生きるものとなる
さぁ、主を認められるよう、主を知り、主につき従おう
Come, let us return to the Lord,
For it is he who has torn, but he will heal us ;
he has struck down, but he will bind our wounds.
He will revive us after two days ;
on the third day he will raise us up,
to live in his presence.
Let us know, let us strive to know the Lord.
Dicit Dominus :
Caritatem volo et non sacrificium,
et scientiam Dei plus quam holocausta.
主は仰せられる。
私が望むのは、愛徳であって、いけにえではない
焼き尽くすささげものにもまして、神を知ることである
Oracle of the Lord :
For I desire charity, not sacrifice,
and knowledge of God rather than burnt offerings.
Ego sum resurrectio et vita.
Qui credit in me, etsi mortuus fuerit, vivet.
Beati, qui non viderunt et crediderunt !
私は、復活であり、生命である
私を信じる人は、たとえ死んでも、生きる
私を見ないで信じる人は、幸いである!
I am the resurrection and the life;
whoever believes in me, even if he dies, will live.
Blessed are those
who have not seen and have believed !
Dominus meus et Deus meus !
私の主、私の神よ!
My Lord and my God !
The faithful who, at the elevation of the Sacred Host during Mass
or when It is solemnly exposed, recite this ejaculation
with faith, piety and love, are granted :
An indulgence of 7 years ;
A plenary indulgence once a week,
if this pious practice is followed daily,
on conditions of confession, Communion
and prayer for the intentions of the Sovereign Pontiff.
(S.P.Ap., Jan.26,1937)
Haec est dies, quam fecit Dominus
今日この日こそ、主が御業を成し遂げられた日である
この日は、実存、善、栄光を現わす創造史の展開の途上で、神の日と定められました。この日、神は休まれ、人をも休ませられました。人祖の不従順によって、地上に死が現れると、神はこの日を改めて、死を克服する日となさいました。神は、死ではなく、生きるものの神だからです。この日は、生命の創造主が定めた日なのです。
この日はまた、神がイエズスを、主メシアとなされた日でもあります。イザヤの告げ知らせた主の奉仕者は、ナザレトのイエズスとなり、彼において全ての預言、ことに汚辱、受難、死去についての預言が成就されたのです。私たちはみな、羊のようにさまよい、各々自分の道を歩んでいましたが、主は、私たちみなの罪を、彼の上に負わせられたのです。そのとおりナザレトのイエズスは、神殿について語られました。『この神殿を壊してみなさい。私は3日で建てなおそう』。聴衆は神殿としてのご自分のからだのことを話しておられることを理解しませんでした。主は、この真理を人々に告げ知らせ、人が神の神殿であり、聖霊を宿す器であることを教えられたのです。主は、ご自分のからだである神殿を、破壊され、死滅されるにまかせられました。というのも、主ご自身が、主の日を担い、この日こそ、聖霊の力によって、主がその神殿としてのからだを再建し、それにより、キリストであるご自分こそが、生と死の主であり、死が侵入した人間の歴史の主であることをお示しになるためでした。
復活された主イエズスは、動揺する弟子たちに向かい仰せられました。『手を触れて確かめなさい。幽霊には肉も骨もないが、あなたたちの見ている通り、私にはそれらがある』。そしてまた、最後の晩餐の高間において、弟子たちがユダヤ人たちを恐れて隠れていた際に、イエズスは閉ざされた戸を通り抜けて、そこに入られ、不信のトマに向かい仰せられました。『私の手に指を当てて確かめてみなさい。手を出して、私の脇腹に差し入れてみなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい』。するとトマは言いました。『私の主、私の神よ』。
今日こそ、主が再創造された日です。そのため私の心とからだは、生きておられる神に向かい、喜び叫ぶのです。
(カロル・ヴォイティワ枢機卿-聖ヨハネ・パウロ2世-によるヴァティカンでの黙想説教より)
|
|
Eucharistic Devotion, the Fountain of the Catholic Faith カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心 2864
全教会において、聖体の祭日にあたり、そのミサ聖祭の際に、『聖体の続唱(セクエンツィア)』が歌われ、あるいは唱えられます(任意でEcce Panis Angelorumから用いることもできます)。 聖体の続唱は、1264年ウルバノ4世教皇の要請に基づいて、聖トマス・アクイナス司祭教会博士(記念日;1月28日)によって作られ、聖体に関する教えを多分に含む教導的な内容となっています。 日本では、『復活の続唱』や『聖霊の続唱』はよく知られていますが、『聖体の続唱』は、いまだに、典礼聖歌集や『聖書と典礼』のパンフレットにも、掲載すらされていないので、その存在自体を知らない信者の方も多いようです。 しかしながら、エウカリスツィア(聖体)の秘蹟は、いわばカトリックをカトリックたらしめるアイデンティティに関わる最も大切なもの、『カトリック信仰の基盤』、『永遠の生命の希望の保証』、『神と人とを結ぶ愛の絆』、つまり『カトリック教会の心臓』にあたりますから、これをおろそかにすることは当然極力避けるべきです。 そのため、この『最も崇高な一致の秘蹟、神の言い尽くしがたい愛のしるし、信仰の神秘』である聖体の教義の概要である『聖体の続唱』の、ミサの典礼へのすみやかな導入が望まれるところです☆ Lauda Sion Salvatorem, スィオンよ、救い主をたたえよ、 lauda ducem et pastorem, in hymnis et canticis. 賛歌と讃美歌のうちに、導き手、牧者をたたえよ。 Quantum potes, tantum aude : なしうる限り、高らかにたたえよ、 quia maior omni laude, nec laudare sufficis. なぜならどれほど大いにたたえても、十分にたたえ尽くすことができないからだ。 Laudis thema specialis, 特別な賛美のテーマは、 panis vivus et vitalis hodie proponitur. 生きていて生命を与えるパンであり、今日まさにそれを宣言する。 Quem in sacræ mensa cœnæ, それは神聖な晩餐の食卓で、 turbæ fratrum duodenæ datum non ambigitur. 12人の兄弟たちが集う中、なんらの曖昧さもなく与えられた。 Sit laus plena, sit sonora, 賛美を、十全に、響かせ、 sit iucunda, sit decora mentis iubilatio. 楽しませ、飾らせよう、心からの歓喜のうちに。 Dies enim solemnis agitur, さぁ、この日を荘厳に祝おう、 in qua mensæ prima recolitur huius institutio. そこにおいて最初の祭儀が記念され、このように行なうよう定められた。 In hac mensa novi Regis, この祭儀において新しい王が、 novum Pascha novæ legis, phase vetus terminat. 新しい過越、新しいおきてを定め、古い祭儀を廃止された。 Vetustatem novitas, 古いものは新しいものにのまれ、 umbram fugat veritas, noctem lux eliminat. 影は真理から逃げ出し、夜は光に場所を明け渡した。 Quod in cœna Christus gessit, キリストが晩餐で行なわれたことを、 faciendum hoc expressit in sui memoriam. 主ご自身の記念として「このように行なえ」と命じられた。 Docti sacris institutis, 神聖な制定に教えられ、 panem, vinum in salutis consecramus hostiam. パンとぶどう酒を、救いのオスツィアとして聖別する。 Dogma datur christianis, ドグマがキリスト信者に与えられた。 quod in carnem transit panis, et vinum in sanguinem. パンが肉に変わり、ぶどう酒が血に変わる。 Quod non capis, quod non vides, それを把握しえなくとも、それを見られなくとも、 animosa firmat fides, præter rerum ordinem. 事物の秩序を超えて、生き生きとした信仰に固められる。 Sub diversis speciebus, これらの異なる外観に見られるのは、 signis tantum, et non rebus, latent res eximiæ. あくまでもしるしであって、その実体ではなく、崇高な実体がそこに隠れている。 Caro cibus, sanguis potus : 肉が食べ物に、血が飲み物になる。 manet tamen Christus totus sub utraque specie. 両方の外観のもとに全キリストがとどまられる。 A sumente non concisus, 拝領者によって割かれることなく、 non confractus, non divisus : integer accipitur. 砕かれることなく、分けられることなく、完全に受けられる。 Sumit unus, sumunt mille : 1人が拝領しても、1,000人が拝領しても、 quantum isti, tantum ille : nec sumptus consumitur. どれほど多くの拝領者がいても、みな全キリストを受け、拝領し尽くすことはない。 Sumunt boni, sumunt mali : 善人も拝領し、悪人も拝領するが、 sorte tamen inæquali, vitæ vel interitus. 受け継ぐものは同じではない。生命あるいは破滅である。 Mors est malis, vita bonis : 悪人には死が、善人には生命がもたらされる。 vide paris sumptionis quam sit dispar exitus. ごらん、同様に拝領したとしても、どれほど異なる結末であることだろう。 Fracto demum sacramento, 秘蹟の外観が裂かれたとしても、 ne vacilles, sed memento 心騒がせるな。むしろ、想いをはせよ。 tantum esse sub fragmento, 破片のもとでさえ、主の実体があることに。 quantum toto tegitur. その覆いのうちに全キリストがおられる。 Nulla rei fit scissura : signi tantum fit fractura, 実体が裂かれるのではなく、しるしとしての外観が裂かれるだけである。 qua nec status, nec statura signati minuitur. キリストの性質も、背丈も、しるしによって縮められることはない。 Ecce Panis Angelorum, factus cibus viatorum : ごらん、天使たちのパンを、地上を旅する人々の糧となられた御方を。 vere panis filiorum, non mittendus canibus. これは神の子らのまことのパンであって、犬たちに投げ与えてはならない。 In figuris præsignatur, cum Isaac immolatur, これは前表のうちに示されていた。これはイザアクのうちに捧げられ、 agnus Paschæ deputatur, datur manna patribus. 過越の小羊のうちに屠られ、父祖たちのマンナのうちに与えられた。 Bone pastor, panis vere, Iesu, nostri miserere : 善良な牧者、まことのパンであるイエズスよ、私たちを憐れんでください。 Tu nos pasce, nos tuere, あなたが私たちを養い、私たちを見守り、 Tu nos bona fac videre in terra viventium. あなたが私たちに善を見させてください。生きるものたちの地で。 Tu qui cuncta scis et vales, qui nos pascis hic mortales : あなたは全てを知り、全てが可能です。この死すべき地上で私たちを養い、 tuos ibi commensales, 私たちをあなたのおられる天上の会食につながるものとし、 coheredes et sodales fac sanctorum civium. Amen. Alleluia. 共同の世継ぎに加え、聖なるものたちの国民として、親しい仲に入らせてください。 Cor Iesu Eucharisticum, inflamma totum mundum amore tui ! 聖体のイエズスの聖心よ、全世界があなたの愛で燃えますように☆ |
||||
|
1909
この祈りには、1934年8月1日付けで、 7年の部分免償が使徒座から賦与されています。 Stabat Mater Dolorosa は、 『キリスト教文学の傑作』とも『信心の真珠』とも呼ばれており、 偉大なラテン語賛歌の1つに数えられています。 これは、フランシスコ会において、 十字架につけられたイエズスへの信心が盛んな13世紀頃に、 主の御母の御心が剣で貫かれる、とのシメオンの預言をもとに作られたもので、 フランシスコ会的な、温かい感じのある、 明澄高尚にして、響きの良い、中世ラテンの完成された形式をもつ、 聖母の悲哀をうたった有名な続唱です。 14世紀以後、ミサ典礼書や聖務日課書において、聖母の悲しみの祝日の続唱として用いられ、 現在も、ローマ・ミサ典礼書の朗読集(LECTIONARIUM)の当日のアレルヤ唱の前に掲載されており、 時課の典礼書(LITURGIA HORARUM)にも、分割形式で、賛歌として用いられています。 作者は、これまで一般的に、 フランシスコ会の詩人ヤコポーネ・ダ・トディ(1230-1306)とされていましたが、 これは後世の地方的伝承に過ぎないようで、 作者として最も有力視されているのは、 これと詩形も内容も同じような聖十字架の賛歌(Laudismus sanctae crucis)の作者、 フランシスコ会の詩人、聖ボナヴェントゥラ司教が確実とされています。 Stabat mater dolorosa iuxta Crucem lacrimosa, dum pendebat Filius. 悲しみの御母は立ちつくされる。 十字架のそばで、御子がかけられている間、 涙を流されながら。 contristatam et dolentem pertransivit gladius. 憂いと悲しみのうちに、 剣で刺し貫かれた。 O quam tristis et afflicta fuit illa benedicta, mater Unigeniti! かの祝福された御方を、 御独り子の御母を、襲ったことだろう! Quae maerebat et dolebat, pia Mater, dum videbat nati poenas incliti. 慈しみの御母は、 嘆きと悲しみで覆い尽くされ、 人々が知る御子の苦痛を、見つめておられた Quis est homo qui non fleret, matrem Christi si videret in tanto supplicio? 大いなる犠牲のうちにおける キリストの御母を見ていながら 涙しない人があるだろうか? Christi Matrem contemplari dolentem cum Filio? 御子と共に苦しみを味わわれる キリストの御母を直視しながら、 痛悔の念を抱かない人があるだろうか? Pro peccatis suae gentis vidit Iesum in tormentis, et flagellis subditum. ご自分の民の罪のため、 拷問と鞭打ちの責め苦のうちに服しておられるイエズスを、 御母はごらんになられた。 Vidit suum dulcem Natum moriendo desolatum, dum emisit spiritum. 打ち棄てられたまま死を迎え、 霊を放たれた、その甘美な御子を 御母はごらんになられた。 me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam. あぁ、御母よ、愛の泉よ、 あなたの苦しみを、私にも感じさせ、 あなたと共に嘆かせてください。 Fac, ut ardeat cor meum in amando Christum Deum ut sibi complaceam. 神であるキリストへの熱愛の炎のうちに、 私のココロを燃え立たせ、 主の聖心にかなう者としてください。 crucifixi fige plagas cordi meo valide. 聖なる御母よ、私を駆り立てて、 十字架につけられた御子の御傷で 私のココロを強めてください。 Tui Nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide. あなたの御子は、私のために、 傷つけられ、苦しみを忍ばれることを望まれました。 その痛みを、私にも分け与えてください。 crucifixo condolere, donec ego vixero. 私のいのちのある限り、 私にも、あなたと共に、愛の涙を流させ、 十字架の苦しみを共に味わわせてください。 et me tibi sociare in planctu desidero. 十字架のそばに、あなたと共に立たせ、 私をあなたの嘆きのうちに結ばれる者としてくださるよう、 深く願い求めます。 Virgo virginum praeclara, mihi iam non sis amara, fac me tecum plangere. 私を忌避されることなく、 私をあなたと共に嘆かせてください。 Fac, ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere. キリストの死の道を、私にも歩ませ、 私をその受難にあずかる者とし、 その傷痕を、私のうちに新たに刻んでください。 Fac me plagis vulnerari, fac me Cruce inebriari, et cruore Filii. 御子の御傷で私を傷つけ、 十字架と御子の血潮で、 私を酔わせてください。 Flammis ne urar succensus, per te, Virgo, sim defensus in die iudicii. 私が、地獄の炎で焚き付けられ、永遠に焼かれないように、 あなたによって、あぁ、おとめよ、 審判の日に、私をかばい、お護りください。 Christe, cum sit hinc exire, da per Matrem me venire ad palmam victoriae. 私がこの現世から旅立つにあたり、 御母によって私のもとにおいでになり、 勝利のパルマをお与えください。 fac, ut animae donetur paradisi gloria. Amen. 私のからだが死を迎える時、 私の霊魂には、天国の栄光をお与えください。 アーメン。 |
||||






