Vox Ecclesiae

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 理性を与えられた全ての被造物は、
 自身の中に、ひとつのぶどう畑、
 その霊魂のぶどう畑を所有している。

 あなたたちは生きている間に、
 意欲と自由意思をもって、このぶどう畑で働くのである。

 この期間を過ぎれば、
 善い働きも、悪い働きも、なすことが出来なくなるが、
 生きている間であれば、
 私から指定された「霊魂」と言うぶどう畑を耕すことが出来るのである。


 この霊魂の耕作のために、
 私が賦与した力は、極めて大きく、
 自分さえ同意しなければ、
 悪魔からも、他のいかなる被造物からも、奪われることがない。

 この力は、聖なる洗礼によって授かり、
 さらにそれと共に、善徳への愛、
 悪徳への憎しみの剣をも授けられているのである。


 それ故、あなたたちは武器を手にしている。
 時がまだあるうちに、この武器によって、
 あなたたちの霊魂から大罪の棘を抜き取り、善徳の種を蒔くために、
 自由意思を用いなければならない。

 もし、そうしないのであれば、
 あなたたちは「キリストの血の効果」にあずかることが出来なくなる。


 この「キリストの血」は、
 私が、聖なる教会に配置した耕作者である司祭たちによって分配される。

 彼らは、聖なる教会によって執行される、罪の赦しの秘跡によって、
 霊魂のぶどう畑から、大罪を取り除き、
 これに恩寵を注ぎ込む役割を果たすのである。


 あなたたちの側では、
 この「キリストの血」の注ぎを享受する前に、
 まず、心からの痛悔、罪への嫌悪によって、
 また、善徳への愛によって、自身を清める準備をしなければならない。

 あなたたちの側が、
 私の独り子である「ぶどうの木」に結ばれるため、
 良い枝になる心構えを抱かなければ、
 この「キリストの血の効果」を受けることが出来ないからである。


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 すでに話したように、私の独り子の『橋』は、破壊された道を修復し、現世の苦しみを通して、生命に到達することが出来るようにするために必要であった。

 ただ地によっては、河を渡って永遠の生命に到達するために、十分な偉大さを築き上げることが出来なかったのである。
 なぜなら、人間性の地は、それだけでは過失を償うことが出来ず、全人類を腐敗させ毒したアダムの罪の汚れを取り除くことが出来なかったからである。


 それ故、これを永遠の神性である私の偉大な本性に結び合わせ、全人類のために償いを果たすことが出来るようにする必要があったのである。

 人間性が苦しみを凌ぎ、この人間性と一致した神性が、つまり、私の子が、私に捧げたあの犠牲を受諾して、死を滅ぼし、生命を取り戻す必要があったのである。

 このようにして、至高者は、あなたたちの人間性の地まで降り、これと一致することにより、橋を築き上げ、道を再開したのである。
 その道は、人間が、真実に天使たちと共に喜ぶことが出来るようになるための道である。


 しかしながら、その永遠の生命を獲得するためには、私の子が橋渡しとなるだけでは足らない。

 あなたたちが、この橋を渡らなければならないのである。




  男とその配偶者が創造された偉大な日を思い起こしてもらいたい。


  三位一体の神は、不思議な御業によって、霊を物質に結合される前に、
  心をひそめられたかのように思われる。

  『我々にかたどり、我々に似せて人間を創ろう』(創世記 1.26)

  そして神は、わずかばかりの土を取って、
  最初の人間を、最初の人間の生命を形造られた。


  しかし、この最初の生命が伝播し、繁殖することを望まれるに際し、
  生命のない土からではなく、
  男の生きている脇腹から、
  その配偶者である女となるべき、第2の生命を引き出されたのである。

  彼女は、知性と愛の新たな輝きであり、
  アダムの生命によって形造られた生命、
  アダムに似た生命を、その子孫全体に伝達するにあたり、
  彼の協力者となるのである。


  神は、エヴァをアダムのもとに連れて行き、
  これに与えるに際し、
  生命の原理とも言うべき、厳かな命令を発布したのである。

  『産めよ、殖えよ』(創世記 1.28)


  創造主は、これにより、その父性の尊い特権を人間自身に賦与し、
  ご自身の愛から放出される生命の大河を、
  人類の中にとうとうと流れさせる配慮を、
  彼とその妻に委ねられたように思われるのである。


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 多くの人は、臆面もなく、『子供は、夫婦生活にとって厄介な重荷である』と言っている。


 彼らの言うところによれば、『夫婦は、用心して、この重荷を避けなければならない。』それも『有徳な禁欲によってではなく、自然の行為を歪めることによって避けよ』と言うのである。


 ある者は、子供を耐え難いものと思い、一切の重荷を捨てて、『快楽だけ』を満喫したいなどと望み、そのため、この罪深い『放縦にふける権利』なるものを要求している。

 しかしながら、どれほど重大な理由を持ち出したとしても、内面的に自然に反することが、自然に合致するものになることは決してありえないし、正しいものになったりすることも決してありえない。


 結婚の行為は、その本質からすれば、子供を産むことを目的としている。


 それ故、この行為をなしながら、故意にその力と効果を奪う人の行為は、自然に反する。
 彼らは、恥ずべきこと、内面的に道に反することをなしているのである。

 それ故、神がこの憎むべき大罪をこの上もなく嫌い、時々死をもって処罰したことを、聖書が証明しているのを見ても、驚くべきことではない。

 聖アウグスティヌスもこれを指摘して、次のように述べている。

         『夫婦の行為は、たとえ正当な妻と一緒であろうとも、
        子供の妊娠を避けるならば、不法な、恥ずべき行為となる。
            ユダの子、オナンの行為はこれであった。
          それ故、神は、彼を死によって処罰したのである』




 結婚の近い準備に関しては、未来の配偶者を入念に選択することが、この上もなく大切である。

 実際、結婚の幸福あるいは不幸は、大部分、これに依存しているからである。


 無用心な結婚は、一生涯にわたって、悲しみの種子となるにちがいない。


 それ故、結婚を目指している若い人々は、一生涯を共にする人を選ぶ前に、熟考しなければならない。

 この選択が、情欲の盲目的で奔放な圧力によらず、利益だけを望まず、あるいは、その他のあまり高貴でない動機によらず、まことの誠実な愛、未来の配偶者に対する真実な愛情によるべきである。


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