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みなさん、今年もいっぱいお世話になりました♬ (≧▽≦)ノ☆・゜:* 本当にありがとうございましたっ♥♡o(。◕ฺ‿ฺ◕ฺ。)o♡♥ 年末年始は、ブログ更新を休ませていただきます(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ) とゆぅことで・・・・・・・・ |
心の栄養☆
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Non in pane solo vivet homo,sed in omni verbo, quod procedit de ore Dei!
人は、パンだけではなく、神の口から出る全ての言葉によって生きている!
人は、パンだけではなく、神の口から出る全ての言葉によって生きている!
どぅぞ、祈りのうちに、神の御言葉の愛と、その甘美さを味わい、あなたの霊魂に安らぎと憩いを (◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)
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クリスマスは 人類にとって
主イエズス・キリストにおける
新しい生命の誕生日
『私たちにおいて神的生命が生まれた日』に他なりません(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ) それは、永遠の生命です(u‿ฺu✿ฺ)
お詫び。。。
最近は忙しい日々が続き(年末年始も同じくでございます)うぅ。。。
記事更新もポツリポツリ程度しかできず、
今回、新規でクリスマス記事も書けてましぇ〜ん。
なので、この昨年の記事をそのまんまTOPに使わせていただきま〜っす✿ฺ♬ε(◕‿◕✿ฺ)з♡
In Nativitate Domini 2007 ベネディクト・マルコ
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『承諾』は聖書の至るところで見られ、「お言葉どおりこの身になりますように」との幸いなおとめマリアの承諾の言葉から明らかです。 そして、マリアのからだは、物ではありません。胎はからだの一部であり、からだは霊魂と共に、おとめマリアという自由意思を有する1人の人格〜ペルソナ〜を形成しています。 胎を単なるモノ扱いすれば、自ずとその人格をもモノ扱いにするに等しいのです。 神は、人を〜たとえそれが誰であろうと、ちっぽけな弱く卑くとも〜そのようにモノ扱いにはなさいません。その人の自由意思を尊重なさいます。ましてや、強制することなど決してありません。 幸いなおとめマリアには、自由がありました。 このことを理解するためのひとつの事例を挙げます。それは、アダムとイヴの事例です。 アダムは、処女地である土から造られ、イヴは、初めての人間からの人間、いわば両者とも『処女』としての存在でした。 彼らは罪の汚れのない清らかな状態、理性が本能を正しく支配する状態にありました。 〜マリアもおとめであり、神の特別なはからいによって、罪の汚れのない状態でした〜 アダムとイヴは、神から『死んでしまうから、してはならないこと』についての御言葉を受け、自由意思を濫用しないようあらかじめ警告されていました。アダムもイヴも、それをしてはならないこと、それをすると自分たちが『死んでしまうこと』は教えによって把握していました。 アダムとイヴは、彼らからおびただしい子孫が出ることを『生めよ、殖えよ、地に満てよ』のご命令からも、その自分たちの自由行動の重要性及び子孫への影響(自由を濫用すれば死ぬべきものになりはてる事)を把握していました。 アダムもイヴも、罪を犯す犯さないは、自由でした。つまり、神のご命令に忠実に留まる『承諾』をすることも出来れば、そのご命令(要望・お望み)を否んで『拒否』することも出来たのです。 被造物である霊的存在者が、彼らを訪れました。彼は堕天使でアダムとイヴを『死ぬもの』として、自分の苦しみに加えようと彼らを罪へと誘いました。 〜アダムとイヴにとっては、神への忠実を証するためのまたとない絶好の機会であり、神のお望みに『承諾』を与え、悪魔の誘惑を『拒否』することが出来る機会が訪れたのでした〜 彼らは、悪魔の誘惑を『拒絶』して、神のお望みを『承諾』することで、彼らに続く多くの子孫の、『模範・誉れ・永遠の救いの原因』となりえたのでした。 しかし、その結果は、ご存知の通り悪魔の「死なないから、そうせよ。そうすれば死ぬどころか神にさえなれる」との言葉に『承諾』を与え、神の「死んでしまうから、そのようなことはするな」との御言葉に『拒否』を示しました。 こうして彼らは、神のお望みを退け、悪魔の望みを遂行し、自分たちだけでなく、自分たちに続く多くの子孫の『つまづき・恥辱・永遠の死の原因』となり、自分の子孫に原罪(罪の汚れ)の伝播をもたらしたのです。 これが、その悪魔への『承諾』の罪が、『死』を全人類に及ぼした『死の実り』です。 『承諾』の重要性、『承諾』の大切さは、この事例からもおわかりいただけると思います。 『救い』は人類の自由意思における『承諾』にかかっているのです。 人類の歴史の転換期の初めは、アダムとイヴにありました。神の生命に人類を引き入れるご計画は、アダムとイヴによって、被造物である霊的存在者の訪れの後、逆の結果になりました。 それに次ぐ人類の歴史の転換期は、キリストとマリアにありました。新たに、神の生命に人類を引き入れるご計画は、第2のアダムと第2のイヴによって、被造物である霊的存在者の訪れの後、成し遂げられました。 罪において、イヴによる悪魔の言葉への『承諾』が、アダムの堕罪前になされたように、救いにおいてマリアによる天使の言葉への『承諾』が、キリストの受肉・贖罪・過越の御業に先立つことを必要としました。 1人の女が『死』の原因となったように、1人の女が『生命』の原因となることで、人間性の十全な『回復』がなされるように、神がはからわれたのです。 こうして神は、おとめの胎で人間性を身にまとい、『イエズス〜神ご自身で救いを成し遂げる〜』という御名のもとに、全人間性をもって、いにしえの蛇である悪魔の頭を踏み砕き、人類の贖罪の御業を成し遂げられたのです。 マリアは、神のお望みに自由な意思のもとに『承諾』を与え、神の独り子である主イエズスの救いを信じる全ての子らの『信仰と善徳の模範・誉れ・永遠の救いの原因』となられたのです。 イヴは、木(ツリー)から、人類に『死の実り』をもたらしましたが、マリアは、後に来る十字架の木(ツリー)から、それを遥かに超える『生命の実り』を人類にもたらしたのです。 ですから、幸いなおとめマリアは、救いを望む全ての者の大恩人なのです。 『生命の実り』は、主イエズス・キリストに他なりません。 受肉の神秘、永遠に生きておられる神の御子の、時間における誕生、主のご誕生記念祭、キリストのミサ、すなわち、『クリスマス』及び『クリスマス・ツリー』は、これら一連の、神の人類への救いの神秘の御業に、私たちが感謝を示すための祝祭に他なりません。 『クリスマスの本来の意味』及び『ツリーの意味合い〜かつて木によって死が訪れたが、木によって、しかも十字架の木によって生命が訪れた〜』は、ここにあります。 |

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ガラテア6.7〜10 7 Nolite errare: Deus non irridetur. Quae enim seminaverit homo, haec et metet; 思い誤ってはならない。神を侮ってはならない。 実に、人は自分で蒔いたものを、自分で刈り取ることになる。 8 quoniam, qui seminat in carne sua, de carne metet corruptionem; qui autem seminat in Spiritu, de Spiritu metet vitam aeternam. 自分の肉欲のうちに蒔く者は、肉から腐敗を刈り取ることになる。 一方、聖霊の望みのうちに蒔く者は、聖霊から永遠の生命を収穫することになる。 9 Bonum autem facientes infatigabiles, tempore enim suo metemus non deficientes. たゆまず善を行ない続けるならば、 時が来て、必ずやその朽ち果てることのない実りを収穫することができる。 10 Ergo dum tempus habemus, operemur bonum ad omnes, それ故、私たちにとってまだ時間のあるうちに、 全ての人に向けて、善を行なうことに努めてゆこう。
Quae enim seminaverit homo, haec et metet!
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集会(シラ)7.28〜30 28 In toto corde tuo 29 honora patrem tuum et gemitus matris tuae ne obliviscaris. あなたの心を尽くして、 あなたの父親を敬いなさい。 あなたの母親の苦しみのうめきを忘れてはならない。 30 Memento quoniam, nisi per illos, natus non fuisses; et quid retribues illis, quomodo et illi tibi? 思い起こしなさい。 彼らによらなければ、あなたは生まれていなかったことを。 あなたは彼らに何をもって報いるつもりなのか? また、あなたにしてくれたことについて、彼らにどのようにして報いるつもりなのか? Honora patrem tuum et gemitus matris tuae ne obliviscaris!
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