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Lex orandi, lex credendi

公式祈願を排除するやり方は 不正以外の何物でもありません
 
 
おはおはです
 
URLのを読んでみました
 
『ローマ・ミサ典礼書の日本語決定版翻訳作業は完成しており、
バチカン典礼秘跡省の承認がとれたら、
折角作った試用版のものを使えなくなります』
 
とありましたけど、
そもそも、これまでの日本語版公式祈願も、
若干の意訳や翻訳欠落が散見されます
 
たとえば、待降節第1主日を挙げて見ると
ラテン語原文は
 
Da, quæsumus, omnípotens Deus,
全能の神よ、私たちはつつしんで願い求めます。
hanc  tuis fidélibus voluntátem,
この、あなたを信じる人々の願いをかなえてください。
ut,  Christo tuo veniénti iustis opéribus occurréntes,
私たちが、キリストの来臨を、正しい行ないのうちに迎えにあがり、
eius  déxteræ sociáti,
その右の座に、共に結ばれる者となり、
regnum  mereántur possidére cæléste.
天の国を所有するに至ることができますように。
Per  Dom...
 
 
となっているところ
日本語訳の公式祈願は
 
全能の、神である父よ、
 救い主を待ち望む心を呼びさましてください。
 わたしたちがキリストを日々の生活のうちに迎え、
 キリストと結ばれて、
 永遠の国を受け継ぐことができますように
となっています
 
他を挙げればきりがないですが
この祈願文だけ見ても
iustis opéribus
正しい行ない
eius  déxteræ sociáti,
その右の座に共に結ばれる者
という2つの翻訳欠落を見出すことができます
 
 
 
もし、ラテン語の公式祈願に、
各年の朗読要素の解説の意味合いを付帯する形式の
日本語試用版を作成していたならば
 
もう後の祭りですが
公式祈願の本来の文言を省略していないことを条件に、
ローマに申請して承認を受けられた可能性があります
 
ただ、可能性であって、確実性はありません
 
 
今回の試用版の重大な問題点は
公式祈願の内容から全くかけ離れた
公式祈願文内の文言を排除した
独自の内容を作成してしまっている点にあります
 
ローマが試用版を認めてくれない
という点に問題があるのではありません
 
 
公式祈願は、ローマと全世界の教会の、
祈りの一致、信仰の一致を保証するためのもので、
『祈りの法は信仰の法』と教会で呼ばれているものに該当します
 
地方教会の司教や司祭の恣意的判断で
云々できるもの(招き文や選択祈願文)とは全く異なります
 
『祈りの法は信仰の法 Lexorandi, lex credendi
 
これをないがしろにして、
公式祈願を脇において、
内容の異なる独自の文を作成したところに
 
聖座の典礼総則や典礼秘蹟省指針の軽視
および祈りの一致から生じる
信徒が享受すべき真の霊的利益の軽視
が見受けられます
 
悪魔が悪魔のありのままの姿で訪れれば、
人々は恐怖と警戒心を抱くでしょうが
嘘つきの父である狡猾な悪魔は、光の天使を装い、
人々を徐々に、真の正しい小道からそらせようとしていきます
 
悪が私たちにもたらされる際
善の仮面をつけてもたらされます
「より良い」「より理解を深めるために」との大義で
公式祈願を排除するやり方は
不正以外の何物でもありません
 
独自の試用文は
実質的につの主要な公式祈願を
排除したり侵害するために使用するのではなく
『信徒の祈り Oratio  Fidelium 』と呼ばれる
共同祈願の範囲内において
若干の祈願形式の修正を加えた上で
適宜、使用させるべきものでしょうね
 
折角作ったというなら
それを各年の共同祈願に盛り込めば
それらの労力も無駄になることはないでしょう
 
とりあえず
そんな感じです
 
いつもありがとうございます
 
 
公式祈願文を使用すべきことについて
 
典礼、ミサ聖祭に関しては特に、典礼書に従って、また、教会法およびその他の規定に従って、教会が求めている形式どおりに挙行される祭式にあずかることが、全ての信者の権利である。
教皇庁は、全教会の聖なる典礼を秩序づけ、典礼書を発行し、その国の言語への翻訳を承認し、典礼の秩序がいずこにおいても、忠実に、遵守されるよう、監督する権限を有する。
それゆえ、承認されていない典礼文や祭式の使用は、必然的に、祈りの法と信仰の法とのあいだにある、密接なつながりを、希薄にしてしまうか、喪失させてしまう結果を招くこととなる。
典礼は、誰の私的所有物でもない。神秘を祝う司式者のものでもなければ、そこで神秘が祝われる一共同体のものでもない。
そのようなこと(定められた形式に反する誤った司式、自由を履き違えた理解)がないように、教会権威者に対して、十分かつ効果的に、神聖な典礼の管理がなされるよう、信徒が求めるのは、至極当然なことである。
(教皇庁 典礼秘蹟省指針 『あがないの秘跡』 2004 cf,10-18
 



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フランシスコ教皇聖下
 
永遠の断罪における最大の苦しみは
拷問の場としての苦しみというよりも
むしろ神から永遠に離れたことについての苦しみである
 
天使が、悪魔である蛇をつかんで縛り上げ
深淵に突き落として鍵をかけて封印する描写を見てみましょう
 
蛇である悪魔は
「もうそれ以上、諸国の民を惑わさないよう」
深淵に突き落とされました
なぜなら、それは誘惑者だからです
 
悪魔である彼は、嘘つきであり
嘘つきの父以外の何者でもありません
 
彼は嘘を産み出すトリックスターです
 
彼はあなたに
このアップルを食べたならば
あなたは神のようになれるだろうと誘い
それをあなたに売り込み
あなたがそれを買い上げるようにと
あなたをだまし、あなたを欺き
ついに、あなたの人生に破滅をもたらします
 
「でも、パパさま
 私たちはどのようにして
 悪魔による欺きを避けられるでしょうか?」
 
それについてイエズスは私たちに教示しておられます
つまり、悪魔との語らいを決して受け入れてはなりません
 
イエズスは悪魔に対して、どのようにふるまいましたか?
主は、彼を遠くに突き放しました
主は、悪魔の名を明らかにするよう求めましたが
悪魔との会話を続けようとはなさいませんでした
 
イエズスが荒れ野で
ご自分の人間性を護るためになしたことは
神の御言葉、聖書の聖句を用いることによって
悪魔からの語りかけを封じようとしたことです
 
それゆえ、私たちは
私たちの破滅をもくろむ嘘つきでありトリックスター
このために深淵に突き落とされるであろう悪魔との語らいを
決して継続させるべきではありません
 
主は、最後の審判において
大きな者も小さな者も
各々の蒔いたものに従ってお裁きになり
破滅者は、火の池に投げ込まれます
これが『第2の死』です
 
永遠の断罪の苦しみは
拷問の場としての苦しみではありません
 
これは第2の死の描写です
それは、『死』そのものです
 
神の国を受け継がなかった人々
彼らがそのようになってしまったのは
彼らが神に心を閉じて
神が彼らを引き寄せようとされたのを自ら拒んだからです
 
これらの人々は
彼ら独自の人生行路の歩みをなした人々であり
彼ら自身が、主から離れてしまったのであり
主の御前を、意に介さず通り過ぎ
そのようにして、主から離れる歩みを、彼ら自身が選択したのです
 
永遠の断罪の苦しみは
神からの、自身の永続的な隔離にあります
 
それこそが、最大の痛みであり
決して満たされることのない心であり
神を見出すために創造された心が
自らの傲慢と過信により
自分自身を神から引き離してしまったのです
 
私たちに至福をもたらそうとされる神
私たちを愛してくださる神
この御方から、自ら離れること
それこそが、火であり、永遠の断罪への道となるものです
 
黙示録は、最終的なイメージとして
私たちに希望のヴィジョンを提示しています
 
もし、私たちが、神に心を開いて
へりくだる心を神に向けるならば
私たちが喜びと救いを受けることができるよう
イエズスによって、罪の赦しをいただくことができるでしょう
 
希望とは
イエズスとの出会いに向けて
私たちの心を開くことです
 
イエズスとの出会い
これこそ私たちが待ち望むべきことです
 
これは美しいこと
しかも、最も美しいことです
 
私はみなさんに、この事だけを求めます
すなわち、心からへりくだり、「主よ」と語りかけてください
 
この痛悔の言葉を唇にあふれさせるだけで十分です
主は、あなたに真の安らぎをもたらしてくださるでしょう
 


 
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主イエズスは 私たちにとって 真の善いエンペラーImperatorである
 
王であるキリストの祭日に、公式祈願を脇におき、
集会・奉納・拝領の3つの主要な祈願から
『王』という文言を排除している日本の試用祈願
ex.ブログのひとこと)
 
 
ベネ様がブログに書いておられた、
試用文から「王」が排除されていること、
教えてくださり有難うございました。

今朝、ある司祭に、試用文で王の文言がないことを言ったら、
日本人にとって、王と言う言葉がエンペラーを彷彿とさせるから、
「救い主」「主」という言葉に置き換えるように
もっていってるのではないかと言ってました。

御ミサでは司教団の作っている試用文を
読まなければいけないのですものね。
 
 

おはおはです
ブログのひとこと読んでましたか〜
 
『試用を読まなければいけない』ということはありません
 
本来、典礼総則に従って、
各主日に固有の公式祈願を使用『しなければなりません』
 
まして、教皇庁未認可のものを、
公式祈願に代えて用いる義務は、ありませんし、
地域的拘束力もありません
 
こちらの一部の司祭(教区司祭、修道司祭)は、
試用祈願を用いずに、公式祈願を用いています
 
中には、ミサの聖書朗読で、
新共同訳を用いずに、
自ら持参したフランシスコ会訳の聖書を用いて朗読を行う司祭もいます
 
エンペラーを彷彿ですか〜
彷彿させることは良いことではないでしょうか
 
真のエンペラーとは誰か?
 
それは私たちの救いのために
油注がれたイエズスご自身にほかなりません
 
主イエズスこそ
主の主、王の王
エンペラーの中のエンペラー
 
私たちにとって
真の善いエンペラー
verus et bonus Imperatorであり
そのimperium(統治)は、終わりなく世々に及びます
 
全ての心の王であるイエズスの聖心と
全ての心の女王であるマリアの御心が
私たちのちっぽけな心を
ご自分たちのものとして護り
死に至るまで、また、世々に至るまで
その愛と憐れみに満ちた統治を及ぼしてくださいますように
 
いつもありがとうございます
 
 
Rex regnantium et Dominus dominantium,
qui solus habet immortalitatem, lucem habitans inaccessibilem,
quem vidit nullus hominum nec videre potest;
cui honor et imperium sempiternum. Amen.
 
王たちの王、主たちの主
この御方のみ不滅であり、近づきがたい光に住み
誰もこの御方を見たものはなく、見ることもできない
その栄誉と統治は、永遠のもの。アーメン
(1ティモテオ6,15-16
 
Ei, qui diligit nos
et solvit nos a peccatis nostris in sanguine suo
et fecit nos regnum,
sacerdotes Deo et Patri suo,
ipsi gloria et imperium in saecula saeculorum. Amen.
 
私たちを愛し、
その御血によって私たちを罪から解き放ち
また、私たちを王とし、
その御父であり神である御方の司祭たちとされた御方に
その栄光と統治が、世々に至るまでありますように。アーメン
(黙示録1,5-6
 

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神に あなたを救う機会を与えなさい
私たちの神は 私たちの心の王となることを望んでおられるからです
 
フランシスコ教皇聖下
 
私たちの主
宇宙万物の王であるイエズス・キリストの王座は、十字架です
 
「あなたは今日、私と共に楽園にいるだろう」
 
私たちが、神に機会を差し出すやいなや
神は、私たちのことを覚えていてくださることを示してくださいます
 
神は、私たちの罪を
完全に、永久に、取り消す用意をしておられます
 
なぜなら、その記憶は、私たちのそれとは異なり
すでになされた悪を記録したりせず
種々の不義の経験を刻みつけたりしないからです
 
神は、罪のメモリーを持ち合わせようとはなさいません
むしろ、私たちのことだけを
私たちの1人ひとりが、ご自分の愛される子らであることを
そのメモリーに刻みつけておられます
 
そして神は信じておられます
いつでも私たちが新たになれる可能性をもつということを
私たち自身を引き上げることのできる可能性があるということを
神は信じて待っておられます
 
私たちは恩寵を求め続けましょう
和解と赦しの扉は、決して閉じられることはありません
 
悪や種々の誤りを乗り越える方法を知り
希望の小道が、いつも開かれうる可能性を知る恩寵を求めましょう
 
この聖年の扉が閉じられたとしても
憐れみの真の扉
すなわち、キリストの聖心は
いつも、私たちに向けて、大きく開かれ続けています
 
復活された御方の開かれた御脇から
憐れみ、慰め、希望が、時の終わりに至るまで
絶え間なく豊かに流れ続けるでしょう
 

 
主の私たちへの過剰なまでの憐れみと赦しの注ぎの偉大さよ
その言い尽くしがたい憐れみは 世々に至るまでアーメン
ex.ブログのひとこと)
 


 
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苦しみを『愛』に変容させる贖いの協力者となる
 
 
聖パードレピオが主の十字架を
共に担われている御像に見えます
 
 
そのとおりでございます

そもそもキリスト者とは
苦しみを『愛』に変容させる贖いの協力者のことをいいます


聖痕をその身に刻まれた聖ピオも、主の受難の協力者ですので
主と共に十字架を担う姿で表されています
 
聖パウロが、この世における苦しみの甘受について
『キリストの苦しみの欠けたところを、この身で補う』と表現したように
聖人たち聖女たち、キリストの神秘体の肢体である私たちも
同じように、その程度の差こそあれ
キリストの苦しみの欠けたところを補うものとして
主の十字架に自身の十字架を重ね合わせて担うことで
恩寵の助けのもとで
キリストの受難の協力者となることができます
 
おそらく、そのような模範的な意味合いもこめて
このような聖像で聖ピオが表現されているのだと思います
 


 
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主の贖いの神秘における
全人類の協贖者 Co-Redemptrix totius  humani generisである聖母は
主の受難の最も崇高な協力者であり
その力強い取次によって、私たちの至らなさを助けてくださいます
 

Deus, qui Fílio tuo in Cruce exaltáto
compatiéntem Matrem astáre  voluísti,
da Ecclésiæ tuæ,
ut, Christi passiónis cumipsa consors effécta,
eiúsdem resurrectiónis  párticeps esse mereátur.
Qui tecum vivit et regnat  in sæcula sæculorum. Amen.
 
神よ、あなたは、あなたの御子が十字架にあげられた際、
共に苦しみを味わう御母が、そば立たれるのをお望みになりました。
あなたの教会に、恩寵を豊かにお与えください。
こうして私たちが、御母と共に、キリストの受難の協力者となり、
その同じ復活にもあずかるものとなることができますように。
御子は、あなたと共に、生きておられ、支配しておられます。
世々に至るまで。アーメン。
 

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お祈りは悲しみの聖母の日の御ミサのお祈りですか?
私の頭痛は主の茨の冠への苦しみの協力なのかしら
 

そのとおりでございます
苦しみの神秘と、その実りを
この2002年版のラテン語集会祈願の内容において表現しています

もし、継続的な頭痛で重い症状が出ているなら、無理をせず
必ず、なるべく早めに医療機関で必要な治療を受けるようにしてくださいね
 

苦しみは、ただそれだけでは苦しみでしかありませんが
意向における意志の行為のうちに、主の受難に合わせることによって
その苦しみが、主の聖心の愛に変容されて
自他の救いに役立たせていただくようになります
 
なので、○○さんの頭痛の苦しみも
そのようにすることによって、救いに益するものとできますし
○○さん自身も「主の茨の冠への苦しみの協力」者となることができます
 
苦しみにおける人の内的外的行為は
主の茨の冠の御傷、御血、功徳によっておおわれる時
神の御前に言い尽くしがたい輝きを放つ『愛』としてみなされます
 
コルカタの聖女テレジアは
苦しみを、十字架のキリストからの愛の接吻として
こころよく迎え、微笑みのうちに甘受していました
 
そのようにして
主の神的配慮によって送られる苦しみを
感情的反発や忌避によって無駄にすることなく

自身の苦しみ、悩み、痛み、悲しみを
誰よりも私たちをご存知である主からもたらされる『愛のしるし』として
忍耐と愛の甘受の奉献のうちに
霊魂たちの救いに役立てる人は、幸いです
 


 
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Verbum Domini
  
現在の苦しみは やがて 喜びに変えられる

女は、子を産む時
自分の時が来たので、苦しい思いをするが
子供が生まれると
1人の人間がこの世に生まれ出た、という喜びのために
もはや産みの苦しみを忘れてしまう
 
あなたたちも、今は悲しんでいるが
私は再びあなたたちに会う
そうすれば、あなたたちの心は喜び
その喜びは、誰からも取り去られることはない



 
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  今日は聖ロベルト・ベッラルミーノ、聖女イルデガルディス、その他、数名の聖人聖女の記念日ですが、記事のテーマにそくして、聖痕を受けた聖ピオで始めたように、聖痕を受けた聖フランシスコで結びたいと思います。

Die 17 septembris :
In Impressione Ss. stigmatum S. Francisci, religiosi
9月17日
アッシジの聖フランシスコの聖痕記念日
 
In monte Alverniæ, in Etruria, 
commemoratio Impressionis sacrorum Stigmatum, 
quibus sanctus Franciscus, Ordinis Minorum Institutor, 
in suis manibus, pedibus etlatere, mirabili Dei gratia, impressus fuit.
 
アッシジの聖フランシスコは、1224年 ラヴェルナ山 Monte della Verna において、十字架のキリストへの愛で動かされ、より一層キリストに結ばれることを望んで、「私の主イエズス・キリストよ、あなたがこの最も過酷な受難において耐え忍ばれた苦しみを、私の霊魂と肉体に感じさせてください。あなたは私たち罪人のために、このような苦難をお受けになりました。神の御子である主を満たしておられた愛の豊かな溢れを、私の心に私の力のおよぶ限り感じさせてください」と祈りを捧げて、断食し、914日の朝、主イエズスの聖痕を受けた。その聖痕と痛みは、2年後の帰天に至るまで刻まれ続けていた。
 
Collecta
Indulgentia 300 dierum
 
Domine Iesu Christe, qui, frigescente mundo,
主イエズス・キリストよ、あなたは、この冷え切った世界にあって、
ad inflammandum corda nostra tui amoris igne,
あなたの愛の炎で、私たちの心を燃やすため、
in carne beatissimi Francisci
至福なるフランシスコの肉体において、
passionis tuæ sacra Stigmata renovasti :
あなたの受難の聖痕を新たに刻まれました。             
concede propitius ;
私たちはつつしんで願い求めます。
ut eius meritis et precibus crucem iugiter feramus,
私たちが、聖人の功徳と祈りに支えられ、各々の十字架をたえず担い、
et dignos fructus pœnitentiæ faciamus :
悔い改めにふさわしい実りを結ぶことができますように。
Qui  vivis et regnas in sæcula sæculorum. Amen .
あなたは生きておられ、支配しておられます。世々に至るまで。アーメン。
 



 
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EucharisticDevotion,the Fountain of theCatholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心
 
 
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霊魂の種々の段階的な霊的ステイタス
 
霊的カラクテル、成聖の恩寵と喪失
 
キリストの神秘体である教会の成員には
洗礼、堅信、叙階の秘蹟を通して
神の養子、神の兵士、神の司祭として
身分上の霊的カラクテルが、各々の霊魂に、永遠に刻まれて
各々の段階に応じて
キリストの司祭職、預言職、王職に参与することになります
 
そして各々の身分において
外面的に同様な人々における
外面的に同様な働きにおいて
成聖(恩寵の状態)と喪失(大罪の状態)といった
内面的な2つの状態に区分けされます
 
最後の審判においては
この2つの区分は公然と明らかになりますが
 
この世で生きている段階においては
人間の自由意志の浮動性のゆえに
成聖と喪失の両者の区間で揺れ動く状態が、現実にあり
また、大きな2つの枠組みだけで
各々の霊魂の段階的に異なる繊細なケースを前にして
全てのケースを十把一絡げに大雑把に判断することもできません
 
それは、私審判後において、霊魂の行き先が
単に、天国か地獄か、といった2つの区分だけでなく
公審判までの間に
段階的な浄化の区分にあたる煉獄があるのと同様に
生きている人においては
2つの区分の中間的な各々の霊魂の段階における
種々の異なる霊的ステイタスが現実にあるからです
 
まず、教会の歩みは、
掟をふりかざして歩むような、
厳格な論理や吊し上げの論理でもなければ
まして、断罪と排斥の論理でもない

むしろ、教会の歩みは、
救いをもたらす掟を指し示しつつ歩む、
憐れみの論理、想いやりの論理、赦しと受容の論理であり

それは、心から悔い改める人に、
神の憐れみの香油を注ぐ
『御父の抱擁であり接吻である聖福音』にほかならない
 
私たちが求められていることは
各々の霊的ステイタスを知覚することで
他者の霊的もろさについて
短絡的な裁きや即断に走るのではなく
むしろ、忍耐強い祈りと憐れみの受容に、心を開くことです
 
そもそも、神から守るべきものとして委ねられた掟とは
各々が、良心の声の明らかな響きとして
自らを律する規律としてもつべきものであって
それをもって、他者を断罪するための
都合のよいストレス発散の材料となすべきものではないからです
 
身分や職務そのものが、その人を完成させるわけでもなく
身分や職務そのものが、その人を救うわけでもない
 
諸秘蹟の門である洗礼、奉献生活の誓願、神の恩寵の奉仕者となる叙階
これらは各々の段階における、神との霊的婚姻にたとえられます
 
教会は、キリストの浄配です
神は、実際、主キリストにおいて
私たちを、ご自分の浄配となるよう召し出されました
 
既婚者が
既婚者としての歩みを続けていくことで
真の既婚者となるように
 
信徒、修道者、司祭は
各々の歩みを続けていくことで
真の信徒、真の修道者、真の司祭となっていきますが
 
その各々の歩みにおいて、異なる段階があり
その段階を知ることで
自分の今の立ち位置を知り
自分がどこに向かうべきかを知り
また、何を避けなければならないかを知り
神の恩寵の助けのもとで
キリストの霊的背丈に近づけるようになるでしょう
 
 
司祭における4種類の霊的ステイタス
 
敬虔な司祭
神の恩寵の助けのもとで、神の栄光と人々の救霊のために、全ての聖務を注意深く、敬虔に、ふさわしく行ない、教皇庁からの指針を尊敬のうちに取り入れ、祈りを深め、自ら学び、善徳に生き、聖体や聖母信心を推進し、賢明な司牧的配慮のうちに、信者の要望に耳を傾け、絶え間ない自己改善に努めて、聖人への小道を歩む祝福された人。
一般的な司祭
必要最低限の職務は果たすが、それ以上のことはせず、習慣的に典礼を挙行しがちで、忙しさを理由にミサ前後の準備と感謝の固有の祈り、秘蹟授与の前後の祈り、聖務日課の前後の祈りを省いて、日常の業務に埋没しがちな、人当たりの良い『職業司祭』のような人
不敬虔な司祭
安逸をむさぼり、思いつきで恣意的に典礼文を変えたり、省略したりして、典礼を極力短めにすませて、聖務をしばしば怠り、いたしかたなく秘跡を授け、感覚的に楽しいことは大好きだが、祈りと犠牲を嫌がり、敬虔な信者を目障りなものとして煙たがり、時に汚聖の聖体拝領をしたり、信者からの要望を適当に聞き流し、司牧者としての責務をないがしろにする世俗的な人。
堕落した司祭
外面的身分は同じでも内面的には堕落して、司祭としての崇高な使命をかえりみず、悪い衝動に身をまかせて、罪の生活を送り、ふさわしくない状態のままでミサ聖祭を挙行し続け、汚聖の聖体拝領を行ない続けて、もはやまともに霊的職務を全うせず、教会に祝福ではなく呪いを招来し、自らの言動で信者たちを苦しめ、教会の教えとは異なる教えを展開して悦に浸り、自己の快楽にふけり、義務は遂行せずに権利を主張し、聖性を追求することを放棄して、不悔悛にとどまる傲慢な人。
いずれは、自ら還俗するか、異端に走るか、もしくは何らかの社会的犯罪を起こして聖職者としての身分を剥奪されるケースもある。


修道者における4種類の霊的ステイタス
 
 
修道者における4種類の霊的ステイタスも、ほぼ同上であるが、各々の誓願や会則に対する忠実や不忠実、各々が引き受けた職務における責任の軽重が加味される。

信徒における5種類の霊的ステイタス
 
敬虔者
神の恩寵の助けのもとで、愛と謙遜のうちに祈りと善徳に励み、自発的に信仰の真理の学びを深めて、ふさわしい準備と感謝のうちに秘跡にあずかり、日常生活のうちに神へのへりくだりの愛と隣人への想いやりの愛を実践し、神との親密な交わりのうちに、霊的生活を歩む人。
一般的信仰者
信仰生活に必要最低限なことは外面的にこなすが、善徳にはあまり関心がなく、噂好きで、内省することが少なく、外面的なもので人や物事を判断しがちで、自分は普通に信仰生活を歩めていると考えていて、それ以上のことを自発的にしようとしない『受け身体質』の人。
不敬虔者
教会に通ってはいるが、日常生活の中では祈りも犠牲もまともに捧げず、教えも学ばす、学ぶ意欲もなく、世俗的精神にどっぷりつかり、自分は大丈夫だと思い込み、罪がなんであるかをわきまえず、荒廃した思いをほしいままにして、言葉で他者を傷つけても意に介さず、汚聖の聖体拝領を行ない続ける、外面的体裁的には信者として振る舞う世俗的な人。
悔悛者
教会から離れて滅びの道に入るが、神の憐れみの恩寵にうたれて、教会に戻り、赦しの秘跡にあずかるために、過去の罪を残らず糾明し、全ての罪の各々に対する真摯な痛悔を積み重ねて、信心と自己改善に努めて、神の憐れみのふところに入ろうと努めて、秘跡的復活を遂げるまでは、ミサ聖祭にあずかる際、霊的聖体拝領を行ない、実効的に秘跡の恩寵に参与する人。
不悔悛者
神の恩寵をうちすてて、世俗的生活の満喫を追い求めて、堕落した罪の生活を送り、教会から離れたまま戻ろうともせず、まれにクリスマスなどに教会に足を運んで汚聖の聖体拝領をするが、再び世俗的生活の満喫に向かい、その後はほとんど教会に戻らない人。
今、時間が与えられている猶予の時に、心からのへりくだりのうちに罪を悔い改めて、神に立ち帰らなければ、不慮の死を自らに招来し、私審判後、自らの霊魂を永遠の死にいたらしめ、公審判後、復活させられた自らの腐敗体と共に、地獄の炎に永遠に焼かれてしまう危険性が非常に高い。
 
勉強段階の人〜求道者〜の2種類の霊的ステイタス
 
悔悛を伴う学びを行なう求道者
世俗的な『古い人』を脱ぎ捨てるために、罪がなんであるかをわきまえて、自分自身に固有の罪や傾向を糾明して痛悔しつつ、信仰の真理を学び、『新しい人』を身にまとうため、祈りと善徳に生きようと努める人。
このような人は、たとえ洗礼の秘跡を受けないまま不慮の事故で亡くなったとしても、神の恩寵の働きによって『望みの洗礼』の適応を受けて、永遠の生命に入る。
悔悛を伴わない学びを行なう求道者
罪がなんであるかを理解しようとせず、悔い改めもせずに、ただ、信仰の学びを経過的に進めるだけで、これまでの自分の生活を改めようとしない人。
このような人は、洗礼後も以前と同じような世俗的精神のままにとどまる危険性が高い。もしくは、洗礼後に短期間で、教会から離れる可能性が高い。






救いの小道を歩むべきことの大切さ
 
イエズスが町々や村々を通って教えておられると、
ある人がイエズスに尋ねた。

「主よ、救われる人は少ないのでしょうか?」
 
そこでイエズスは仰せられた。
 
「狭い門から入りなさい。
滅びへの門は広く、そこに通じる道は広々としていて、
そこから入る人は多い。
しかし、生命への門は狭く、そこに通じる道は細くて、
それを見いだす人も少ない。
 
あなたたちに言っておく。
入ろうとしても入れない人は多い。
 
家の主人が立ち上がり、戸口を閉めた後になってから、
あなたたちが外から戸を叩いて
「主よ、開けてください」と呼びかけても、
「私はあなたたちを知らない」と主人は答えるだけだろう。
 
その時になって、あなたたちはこのように言い出すだろう。

「主よ、主よ、私たちは、あなたがおられる席で食べたり飲んだりしましたし、
あなたは私たちを広場で教えてくださいました。
また、私たちはあなたの名によって預言し、
あなたの名によって悪魔を追い出し、
あなたの名によって多くの奇跡を行なったではありませんか」。
 
しかし、主人はこのように答えるだろう。

「私は、あなたたちがどこの誰だか全く知らない。
悪を行なう者たちよ、みな私のもとから離れ去れ。」
(cf;マテオ7、ルカ13)
 
一般の段階の人と不敬虔の段階の人に必要なことは
『安逸と受け身体質からの脱却』です
 
「あなたは冷たくもなく、熱くもない。

あなたは自分が金持ちで豊かで
自分に欠けているものは何もないと自負しているが、
あなたは自分が惨めなもの、哀れなもの、貧しいもの、
目の見えないもの、裸のものであることを知らないでいる。

あなたは熱くもなく冷たくもなく、生ぬるいがゆえに、
私は、私の口からあなたを吐き出すだろう。

あなたたちは地の塩である。
しかし、もし塩がそのききめを失ったならば、
何をもってそれに塩気を取り戻せようか。
その塩は、もはや何の役にも立たず、外に投げ棄てられ、
人に踏みにじられるだけになってしまうだろう。

だから、悔い改めて、
あなたたち自身のうちに塩気を保ちなさい。」
(cf; 黙示録3、マテオ5、ルカ14、マルコ9)
 
霊的生活を歩む上で
信者や求道者が励行すべき3つの事柄
 
①悔い改めること
(自分がどのようなものであるかを本当の意味で知る)
【糾明と痛悔】のうちに、浄化の道を歩むこと
 
②信仰の真理を学ぶこと
(神がどのような御方であるかを知り、自分が受けたものが何かを知る)
【聖書と聖伝】のうちに、照明の道を歩むこと
 
③祈りと善徳に生きること
(神への愛のゆえに、神が望まれる方向性〜謙遜、柔和、慈愛、忍耐、清浄、節制、悔悛、償い等〜を知り、その小道を現実に歩む)
【自己改善〜罪に死んで神に生きる〜】のうちに、一致の道を歩むこと



あなた自身、生きる愛のかたどり、神の憐れみの愛の似姿となりなさい
 
霊的ステイタスは大別すると、前述のとおりですが
その各々のステイタスにおいても
信仰の知識や善徳の実践における各人の霊的成熟度に応じて
初期段階、中期段階、後期段階があります
 
神は、私たち各々の霊的ステイタスを真の意味でご存知であり
はかなくもろい私たちの存在の一瞬一瞬を
ご自分の憐れみのうちに支えておられます
 
そして、神は、その寵愛の抱擁のうちに
その誤りえない神的配慮に基づく段階的な教育法を用いて
各々の霊魂の霊的ステイタスの歩みを、徐々に段階的に導き
霊的に成熟した『新しい人』へと築き上げてくださいます
 
この霊的ステイタスの知覚は「自らの現状を知る」ためのものであって
他者を裁くための材料となすためのものではありません
 
実際、裁きは、神のなさることであって
私たちの役割ではないからです

神が私たちに求めておられることは
私たちが、自分の罪や無知の暗闇のままにとどまることなく
真理を深く悟り、自他共に、救いにあずかるものとなることです

たんに表面的な知識で自らをふくれあがらせて、他者を見くだすことでもなく
まして、他者のデリケートな霊的傷口に、塩をぬりたくることでもありません

神があなたに求めておられることは
不完全でいたらないあなた自身が受けた、神の憐れみのゆえに
あなたの隣人の悲惨さを憐れみ、寄り添い、かばい、想いやりを示すことで
神の憐れみの香油を注いで
神の愛の喜び amoris lætitia を、あなたの隣人と分かち合い
あなた自身が、『生きる愛のかたどり』『神の憐れみの愛の似姿』となることです



 
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外部からもたらされる内的苦悩
 
 
客観的悪が起こるのを神様がお許しになるのは
そこから、より大きな善を引き出すことが
神様にはおできになるからです
 
事実、教会は迫害によって強められ
聖人聖女は試練によって練り上げられ
それによって多くの霊魂の救いがもたらされました
 
主キリストにおいて敬虔に生きようとする人は
教会内外において迫害を受けます
 
かつての聖人がたも
教会内部の無理解や虐げに大いに苦しみましたが
一見不合理に思える苦悩を
主キリストの苦悩に合わせて
人々の救いに役立てました
 
たいして苦しまない苦行や犠牲は
本当の意味での苦しみや犠牲ではないですし
自発的に自分からなす犠牲よりも
自分の意に反するような外部からの不合理な苦しみこそ
本当の意味での苦しみ、本当の意味での犠牲になりますし
それを受諾の愛のうちに捧げることで
ゲッセマニの園での主キリストの『Fiat』に結ばれ
他の人々の救いに役立てることができます
 
主に捧げる24時間
キリストの受難の神秘に想いをはせる機会のひとつとして
外部からもたらされる内的苦悩をお捧げするのもよいかもしれません✿
 

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尊者ルイザ・ピッカッレータ
 
Luisa Piccarreta erat mulier sancta,
cluetur "Parva Filia Divinae Voluntatis".
Est Famula Dei. Scripsit libri multi de preamium DivinaeVoluntatis.
Nata est Corato, Bari in Italia anno 1865.
Mystica, sine edere extra hostium eucharistici per 65 annos vivebat.
1947, mortua est. Archiepiscopus dioecesis Ratisbonensis Trani anno1994
ad beatificationem eius gestam occipit qua Vaticana progrediturhodie.
 
ゲッセマニの園で、主イエズスは、
天使から慰めをお受けになりました。
 
私も、イエズスにとって、
本当の慰めの天使となるためには、
主から送られた苦しみを、
神の痛みとして受け取ることが必要です。
 
そうした時にのみ、私たちは、
多くの苦しみを受けておられる神を、
大胆にも、お慰めすることができるからです。
 
イエズスが、私に苦しみのカリスを送られる時には、
私の苦しみの実り、愛と受諾の想いの甘美な果汁を、
そのカリスの中に入れなければなりません。



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