いつくしみ深い主イエズスよ、
彼らに永遠の安息をお与えください。
これは、亡くなった人々が、天国に入れていただけるようにと、 主に願いを捧げる祈りです。 この祈りには、 1909年3月18日付けで300日の部分免償が、 使徒座から賦与されました。 |
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いつくしみ深い主イエズスよ、
彼らに永遠の安息をお与えください。
これは、亡くなった人々が、天国に入れていただけるようにと、 主に願いを捧げる祈りです。 この祈りには、 1909年3月18日付けで300日の部分免償が、 使徒座から賦与されました。 |
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煉獄の穴から霊魂を解放するキリストの御血よ、 私たちをお救いください。この祈りは死者のための祈りで、 私たちとつながっている人々に想いをよせながら その安らぎと憩いを願って、 キリストの贖いの御血に呼びかけるものです。 この祈りは、 いまだ天国に入っていない 煉獄にある死者の霊魂にとって、 清めの炎の熱さの中の、しばしの潤いや いわば服役期間の短縮ともなり、 また、そこからの解放ともなりえるものです。 |
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主よ、永遠の安息を彼らにお与えください。
絶え間ない光で、彼らを照らしてください。
彼らが平和のうちに憩いますように。
アーメン。
この祈りには、1927年5月17日付けで300日の部分免償が、 使徒座から賦与されました。 |
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De profundis clamavi ad te, Domine: 深い淵から、主よ、あなたに叫びます。 Domine, exaudi vocem meam. 主よ、私の声を聞き入れてください。 Fiant aures tuae intendentes あなたの耳を傾けてください、 in vocem deprecationis meae. 嘆き祈る私の声に。 Si iniquitates observaveris, Domine, 主よ、あなたが罪に目をとめられるなら、 Domine, quis sustinebit? 主よ、誰が耐えられるでしょうか? Quia apud te propitiatio est: しかし、御前において、あなたはいつくしみを注いでくださいますから、 ut timeamus te. 人はあなたを畏れ敬います。 Sustinuit te, Domine. 。 私はあなたによりたのみます、主よ、 sustinui anima mea in verbo ejus: 私の魂は、その御言葉によりたのみます。 speravit anima mea in Domino 私の魂は、主に希望をかけています、 magis quam custodes auroram, 警備が、曙の光を待ち望むのにも増して。 Magis quam custodes auroram, 警備が、曙の光を待ち望むのにも増して、 speret Israel in Domino, イスラエルは、主を待ち望むでしょう。 quia apud Dominum misericordia: なぜなら、主の御もとにはは憐れみがあり、 et copiosa apud eum redemptio, 御もとには豊かな贖いもあるからです。 Et ipse redimet Israel 主御自ら、イスラエルを贖ってくださいます、 ex omnibus iniquitatibus ejus. その全ての罪から。 Requiem aeternam dona eis, Domine, 主よ、永遠の安息を彼らにお与えください。 et lux perpetua luceat eis. 絶え間ない光で彼らを照らしてください。 Requiescaant in pace. Amen. 彼らが安らかに憩いますように。アーメン。 |
1032 Haec doctrina etiam nititur praxi orationis pro defunctis,
de qua iam sacra Scriptura loquitur:
« Unde pro defunctis expiationem fecit [Iudas Maccabaeus],
ut a peccato solverentur » (2 Mac 12,46).
Inde a prioribus temporibus, Ecclesia defunctorum memoriam est venerata
et suffragia pro illis obtulit, maxime Sacrificium eucharisticum,
ut purificati ad visionem beatificam Dei possent pervenire.
Ecclesia etiam eleemosynas, indulgentias et opera paenitentiae commendat pro defunctis:
この煉獄についての教えは、すでに聖書で述べられている、死者のための祈りの習慣に立脚している。
«それ故、{ユダ・マカベオは}死者のための贖いのいけにえを捧げさせた。
それは、彼らを罪から解き放つためであった(2 マカベ 12,46).»
教会は創立当初から、死者の記念を重視し、彼らのための祈りの奉献、特に、エウカリスツィアのいけにえの奉献を推進してきた。そうすることで、彼らが清められて、神の至福直観に到達できるようになるためである。
さらに教会は、施し、免償、悔い改めの業を、死者のためにそれらをなすようにと勧めている。
« Eis ergo opem feramus, et commemorationem eorum peragamus.
Si enim Iobi filios expiabat patris sacrificium:
quid dubitas, an nobis pro eis qui excesserunt offerentibus,
ipsis detur aliqua consolatio?
Ne nos pigeat opem ferre iis qui excesserunt, et pro eis offerre preces ».
(聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士の解説)
«さぁ、彼らのための働きにいそしみましょう。彼らの記念を実行に移しましょう。
事実、父親のいけにえの捧げによって、ヨブの子らに、贖いがもたらされたのであれば、
この世を去った彼らのための私たちの捧げが、
彼ら自身にとっていくらかの慰めをもたらすであろうことを、どうして疑えましょうか?
ですから、ためらうことなく、この世を去った彼らのための働きにいそしみましょう。
彼らのために祈りを捧げてまいりましょう»
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