知恵の響き(◕‿◕✿)

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私は死者の生命である

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私は死者の生命である Ego sum vita mortuorum


今日は大いなる沈黙が、地上を覆っています。
大いなる沈黙があるのは、王が墓に眠っておられるからです。

神は、肉体において眠りにつかれ、
世々の昔から眠りについていた人々を起き上がらせたのです。

神が肉体において死んで、
地獄は震撼しました。

主が、迷える羊を探すように探されたのは、人祖です。
主はまた、暗闇と死の陰に座る人々のもとを訪れるのを望まれます。

そぅです。
捕らわれの身であるアダムとエヴァ(イヴ)を苦しみから解放するべく、
神と神の子は、進んで行かれるのです。

主は、勝利をもたらす十字架という武具をもって、
彼らのもとに入ってこられました。

「私はあなたの神である。
 あなたとその子孫のために、
 今、あなたに告げ、私の権威をもって命じる。
 
 鎖につながれている者よ、出てきなさい。
 暗闇にいる者よ、光を受けなさい。
 眠りについている者よ、起き上がりなさい。

 あなたに命じる。
 眠りについている者よ、目覚めなさい。

 私は、あなたが地獄〜陰府の国〜に、
 いつまでも捕らわれたままでいるために、あなたを創造したのではない。
 死者の中から起き上がりなさい。

 私は死者の生命である。
 
 私の手で造られたものよ、立ち上がれ。
 私に似せて造られた、私の似姿よ、立ち上がれ。
 さぁ、立ち上がり、ここから出て行くのだ。

 あなたは私のうちにおり、
 私はあなたのうちにある。
 私たちはもはや1つであり、不可分な身なのである。

 あなたの神である私が、あなたの子となったのは、あなたのためである。
 あなたの主である私が、しもべの姿をとったのは、あなたのためである。
 天をも超える私が、地上に、そして地の下に来たのは、あなたのためである。
 死者の中にあっても自由の身である私が、
 あえて助けられない人となったのは、人であるあなたのためである。

 私が園でユダヤ人に渡され、
 園で十字架につけられたのは、
 園から出て行ったあなたのためである。

 ごらん、私の顔に吐きかけられた唾を。
 これを甘んじて受けたのは、あなたのためである。
 あなたを、あの最初の生命の息吹へと連れ戻すためである。

 ごらん、私の頬に受けた平手打ちの跡を。
 これを耐え忍んだのは、醜くなったあなたの姿を、
 私の似姿に造り直すためであった。

 ごらん、私が背中に受けた鞭打ちの跡を。
 これは、あなたの背にのしかかる、あなたの罪の重荷を、
 私が払いのけるためであった。

 ごらん、私の手を。
 木に手を伸ばして罪を犯したあなたのために、
 木にしっかりと釘でうちつけられたのである。

 私は十字架上で眠りにつき、槍でわき腹を刺し貫かれた。
 それは、楽園で眠り、わき腹からエヴァを生み出したあなたのためであった。
 私のわき腹は、あなたのわき腹の痛みを癒したのである。

 私の死の眠りは、
 地獄から、死の眠りにつくあなたを連れ出すことになる。

 私が受けた剣によって、
 あなたに向けられていた剣が、差し止められたのである。

 立ち上がれ。
 さぁ、ここから出て行こう。

 敵である悪魔は、
 あなたを楽園から連れ出した。
 しかし私は、あなたを、もはや楽園にではなく、天の玉座につける。

 かつて私は、生命のしるしである木から、あなたを遠ざけたが、
 今や、生命そのものである私が、あなたと1つに結ばれている。

 私はケルビムに、
 しもべのように、あなたを守るように命じたが、
 神を崇めるかのように、あなたをケルビムに崇めさせよう。

 ケルビムの玉座は設けられ、
 賓客を担ぐ者たちが待ち受けている。

 婚礼の床は整えられ、食事は用意され、永遠の住まいは完備された。
 至福の宝庫は開かれ、天の国は、永遠の昔から備えられているのだ。


ex, antique Homilia in sancto et mango Sabbato


苦しみは聖化の賜物

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幼いイエズスの聖女テレジアおとめ教会博士

私たちは、黄金が、るつぼの中で純化されるように、
試練の苦しみによって、純化されなければなりません。

外面的な十字架、それがいったいなんでしょう?
真の十字架は、ココロの殉教であり、
霊魂の奥底における苦しみです。

ココロを平静に保ちながら、苦しみましょう。
憩いの時が近いからです。

実に、私たちが受ける、この世の短く軽い艱難は、
私たちのために計り知れないほど大きな永遠の栄光を準備するものです。

主は、あなたを、
ご自分の愛のために苦しむにふさわしい者とお考えになりました。
これは、主があなたにお与えになることのできる、最大の愛の証です。

苦しみこそが、
私たちを主に似た者とするものだからです。




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大聖バジリウス司教教会博士

聖霊との霊魂の一致は、
場所の遠近に左右されるものではありません。


この一致は、貪欲から離れることによって、
霊魂を肉欲に親しませる肉欲から、
神との交わりの生活から遠ざける肉欲から離れることによって、
成し遂げられるものです。


誰でも、
悪徳の汚れによって身についてしまったものから完全に清められ、
純粋に本来の尊い姿にかえり、原初の美しさを取り戻すなら、
それによって、弁護者である聖霊に近づくことができるでしょう。
そして、その人生は、清い目をえてから、
自分のうちに、目に見えない御方の姿を太陽のように眺めるでしょう。
この至福の観想において、
あなたは原型である神の、筆舌に尽くしえない美を眺めるでしょう。


この弁護者によって、
人々の心は高みに揚げられ、
病める人々は手をとるように導かれ、
進歩する人々は完成させられるのです。


あらゆる汚点から清められた人々を照らすこの弁護者は、
彼らがその御方と持つ交流によって、
彼らを霊的なものにします。


そして、明らかに透き通るようになった物体が、
一条の光線に触れると、比べようもないほどに輝かしくなるように、
聖霊を携え、聖霊によって照らされる霊魂も、
霊的なものとなり、
他の人々に優雅さを発出するのです。


そこから、未来の出来事の洞察、
奥義の理解、
隠れたものの悟り、
恵みの分配、
一種の天上の生活、
天使たちとの歌と舞、
これらが生じるのです。


そこから、決して終わることのない歓喜、
神における堅忍、
神との類似が生じるのです。


そして、獲得すべく努めうるもの全てのうちで、
最も尊いものが生じます。


それは、あなたが、
神の恩寵によって、
神のようになることです。





善の仮面について

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聖グレゴリウス1世教皇教会博士

ある人々は、謙遜でありたいと表明しながらも、
なにかと条件をつけたがり、
自分が軽蔑されることは極力避けたがります。

純潔でありたいと表明しながらも、
肉体の節制をしようとしません。

忍耐強くありたいと表明しながらも、
侮辱を受けることだけゆるせません。

彼らはあらゆる善徳を獲得したいと表明しながらも、
そのための労苦については、一切担おうとはしないのです。

実に彼らは、
戦場においては戦うことを極力回避しながらも、
帰還後の勝利の凱旋パレードに加わる喜びだけは、
ぜひとも味わいたいと考える人と、なんら変わりがないのです。








                     あと。。♣ファンでない方はここも見てちょ♡

キリストは教会なしには何も赦そうとはされない



 神だけに固有のものがあります。
 それは、罪の告白を受ける特権、罪を赦す権能です。



 私たちは神にこそ罪を告白し、
 神から罪の赦しを期待すべきです。

 罪を赦すことができるのは、神だけです。
 ですから、神にこそ罪を告白しなければなりません。



 しかしながら、全能の神が、弱い教会を、
 偉大な神が、身分の低い教会を、
 『花嫁』として迎えることによって、
 はしためを『王妃』にしてくださいました。

 こうして神は、その足元で後ろにいた者を、
 ご自分のわきに立たせてくださいました。


 教会は、そのわき腹から生まれました。
 主は、教会と婚約してくださったのです。




 父と子は、本性上、1つですから、
 父のものは全て子のものであり、
 子のものは全て父のものです。

 これと同様に、花婿であるキリストは、
 花嫁である教会に、ご自分のものを全て与え、
 また花婿であるキリストは、花嫁である教会のもの全てをご自分のものとし、
 教会をご自分と一致させ、
 また御父とも一致させてくださいました。

 御子は、花嫁のことを御父に頼んで語っておられます。
 『私とあなたが1つであるように、
  彼らも私たちと1つであることを望みます』(ヨハネ17.21,22)



 父と1つであり、花嫁である教会と1つである花婿キリストが、
 花嫁としてふさわしくないものを十字架に釘付けにして取り除き、
 自ら十字架にかかって、その身にその罪を担い、
 十字架によって、それを取り除いてくださったのです。


 御子は、人間本性に固有なものを受け取って身につけ、
 ご自分に独自の神的なものを、人間に与えてくださいました。
 すなわち、悪魔的なものを取り除き、
 人間性を身につけ、神的なものを与えられたのです。
 それは、花嫁のものが、全て花婿のものとなるためでした。

 そこで、罪を犯したことがなく、その口に偽りがなかったキリストは、
 『主よ、憐れんでください。私は病んでいます』(詩編6.3)と言われました。


 こうして、花嫁の病を自らのものとしてくださったキリストは、
 花嫁の嘆きをも共にし、花婿のものが全て、花嫁のものとなったのです。



 そこから、罪の告白を受ける特権と罪を赦す権能が、
 花嫁である教会のものとなりました。



 ですから今は、『行って司祭に体を見せなさい』(マテオ8.4)
 と言わなければならないのです。

 したがって教会は、キリストなしには何も赦すことができず、
 またキリストも、教会なしには何も赦そうとはされないのです。




 教会は、悔い改めている者の罪、
 すなわちキリストによって心に触れられた者の罪しか赦すことができません。
 一方、キリストは、教会を無視する者の罪を赦そうとはされません。



 『神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない』
 それゆえ、頭と体を切り離してはなりません。
 『私は、キリストと教会について述べているのです』(エフェゾ5.32)
 切り離せば、全体のキリストには決してなりません。
 事実、全体としてのキリストは、
 教会なしでは決してありえませんし、
 全体としての教会も、キリストなしでは決してありえません。


 そもそも全体としての十全なキリストとは、頭と体からなるものです。
 ですからキリストは言われます。
 『天におられる人の子の他には、天に上ったものは誰もいない』(ヨハネ3.13)



 その全体としてのキリストこそ、
 罪を赦す唯一の人間なのです。




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