キリストは、死んで死者たちの住まいに降られました。 聖書はそこを、地獄(陰府)、シェオル、ハデスと呼んでいます。 そこにいる人々は、神を見ることができないからです。 悪い人であれ正しい人であれ、 全ての死者は、贖い主を待っていて、この状態にあったのです。 とはいえ、悪い人と正しい人のありさまは、同じではありませんでした。 イエズスが、『アブラハムのふところ』に迎え入れられた 貧しい人ラザロのたとえで示されたとおりです。 イエズス・キリストが、 死者のもとに降られた時、お救いになった霊魂は、 まさに、アブラハムのふところにいる人のような、 解放者を待っていた聖なる霊魂たちです。 イエズスが、地獄(陰府)に降られたのは、 断罪者たち(damnatos)を、そこから救い出すためではありません。 断罪者たちの地獄を破壊するためでもありません。 ご自分に先んじた正しい人々を解放するためでした。 こうして、死んだ者にも、聖福音が告げ知らされました。 イエズスは、全ての人間と同じく死を体験し、 その霊魂は、死者のもとに滞在して、彼らと一緒になられました。 キリストは、救い主として、捕らわれていた霊魂たちに、 救いの良い知らせをもたらしたのです。
Venite, et revertamur ad Dominum, quia ipse laceravit et sanabit nos, percussit et curabit nos. Vivificabit nos post duos dies, in die tertia suscitabit nos, et vivemus in conspectu eius. おいで、主に立ち帰ろう。 主は引き裂かれたが、私たちを癒してくださる。 主は打ち叩かれたが、私たちを介抱してくださる。 2日ののち、私たちを生きるものとしてくださり、 3日目には、立ち上がらせてくださる。 こうして私たちは、その御前で生きるのである。 |
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真理の輝き(◕‿◕✿)
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この信条は、4世紀後半にまでさかのぼる信仰宣言であり、 40カ条からなる、聖三位一体と主の受肉についての信仰箇条で、 ギリシア4大教会博士であり、『科学的神学の父』、『教会の柱石』、 『正統信仰の教父』と呼ばれる大聖アタナシウス司教(296〜373年)の作 と言われています。 この信条は、ローマ聖務日課書(Breviarium Romanum)において、 聖三位一体の主日や公現の祭日に唱えられ、 ローマ儀式書(Rituale Romanum)によれば、 悪魔憑きに対するエクソシズム(悪魔祓い)にも唱えられます。 Quicumque vult salvus esse, ante omnia opus est, ut teneat catholicam fidem: 救われたいと望む者は誰でも、まずカトリック信仰をもたなければならない。 Quam nisi quisque integram inviolatamque servaverit, absque dubio in aeternam peribit. 誰でも、この信仰を傷なく汚れなく守らなければ、 疑う余地なく永遠に滅びるだろう。 Fides autem catholica haec est: ut unum Deum in Trinitate, et Trinitatem in unitate veneremur. Neque confundentes personas, neque substantiam seperantes. カトリック信仰とは、 そのペルソナを混同することなく、またその本質を分かつことなく、 唯一の神を三位において、また三位を一体において礼拝すること、これである。 Alia est enim persona Patris alia Filii, alia Spiritus Sancti: Sed Patris, et Fili, et Spiritus Sancti una est divinitas, aequalis gloria, coeterna maiestas. Qualis Pater, talis Filius, talis Spiritus Sanctus. そのペルソナは、聖父であり、聖子であり、聖霊である。 しかし聖父と聖子と聖霊は神性において唯一であり、 その栄光は等しく、その威光も共に永遠である。 聖父がそうであるように、聖子にも、聖霊にもそうである。 Increatus Pater, increatus Filius, increatus Spiritus Sanctus. Immensus Pater, immensus Filius, immensus Spiritus Sanctus. Aeternus Pater, aeternus Filius, aeternus Spiritus Sanctus. Et tamen non tres aeterni, sed unus aeternus. Sicut non tres increati, nec tres immensi, sed unus increatus, et unus immensus. 創られない聖父であり、創られない聖子であり、創られない聖霊である。 無限の聖父であり、無限の聖子であり、無限の聖霊である。 永遠の聖父であり、永遠の聖子であり、永遠の聖霊である。 しかしながら三つの永遠者ではなく、唯一の永遠者である。 三つの創られない者、無限者のようではなく、 唯一の創られない者、唯一の無限者である。 Similiter omnipotens Pater, omnipotens Filius, omnipotens Spiritus Sanctus. Et tamen non tres omnipotentes, sed unus omnipotens. Ita Deus Pater, Deus Filius, Deus Spiritus Sanctus. Et tamen non tres Dii, sed unus est Deus. 同様に全能の聖父であり、全能の聖子であり、全能の聖霊である。 しかしながら三つの全能者たちではなく、唯一の全能者である。 聖父が神であるように、聖子も神であり、聖霊も神である。 しかしながら三者の神々ではなく、唯一の神である。 Ita Dominus Pater, Dominus Filius, Dominus Spiritus Sanctus. Et tamen non tres Domini, sed unus est Dominus. Quia, sicut singillatim unamquamque personam Deum ac Dominum confiteri christiana veritate compelimur: ita tres Deos aut Dominos dicere catholica religione prohibemur. 聖父が主であるように、聖子も主であり、聖霊も主である。 しかしながら三者の主々ではなく、唯一の主である。 なぜならキリスト教の真理は、 各ペルソナを個別に神および主であると告白することを強いると共に、 三者の神々とか主々と言うことを、カトリックの宗教は禁じるからである。 Pater a nullo est factus: nec creatus, nec genitus. Filius a Patre solo est: non factus, nec creatus, sed genitus. Spiritus Sanctus a Patre et Filio: non factus, nec creatus, nec genitus, sed procedens. 聖父は何ものよりも成らず、創られず、生まれない。 聖子は、聖父からのみ、成らず、創られず、生まれるのである。 聖霊は、聖父と聖子から、成らず、創られず、生まれず、発出するのである。 Unus ergo Pater, non tres Patres: unus Filius, non tres Filii: unus Spiritus Sanctus, non tres Spiritus Sancti. それ故、聖父は唯一であって、三者の聖父たちではない。 聖子も唯一であって、三者の聖子たちではない。 聖霊も唯一であって、三者の聖霊たちではない。 Et in hac Trinitate nihil prius aut posterius, nihil maius aut minus: sed totae tres personae coaeternae sibi sunt et coaequales. Ita ut per omnia, sicut iam supra dictum est, et unitas in Trinitate, et Trinitas in unitate veneranda sit. またこの三位において優劣はなく、大小もなく、 三つのペルソナは皆互いに同じく永遠で等しい。 前述の通り、全てにおいて、三位における一体を、 また一体における三位を礼拝するのである。 。。。アタナシウス信条2(主の受肉の部)に続く。 |
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Qui vult ergo salvus esse, ita de Trinitate sentiat. Sed necessarium est ad aeternam salutem, ut incarnationem quoque Domini nostri Iesu Christi fideliter credat. 救われたいと望む者は、三位についてこのように信じなさい。 しかし永遠の救いのためには、 私たちの主イエズス・キリストの受肉を忠実に信じることが必要である。 Est ergo fides recta ut credamus et confiteamur, quia Dominus noster Iesus Christus, Dei Filius, Deus et homo est. Deus est ex substantia Patris ante saecula genitus: et homo est ex substantia matris in saeculo natus. それ故、正しい信仰は、私たちの主イエズス・キリストが、 神の御子であり、神であり人間であると、私たちは信じ、宣言する。 神としては、世々の前に聖父の本質から生まれ、 人間としては、時間において御母の本質から生まれた。 Perfectus Deus, perfectus homo: ex anima rationali et humana carne subsistens. Aequalis Patri secundum divinitatem: minor Patre secundum humanitatem. Qui licet Deus sit et homo, non duo tamen, sed unus est Christus. 完全な神であり、理性的霊魂と人間性の肉体を実体的に有する、完全な人間である。 神性によれば、聖父と等しく、人間性によれば聖父に劣る。 神であり人間であっても、二者ではなく唯一のキリストである。 Unus autem non conversione divinitatis in carnem, sed assumptione humanitatis in Deum. Unus omnino, non confusione substantiae, sed unitate personae. Nam sicut anima rationalis et caro unus est homo: ita Deus et homo unus est Christus. 神性が肉に変わることなく、人間性が神のうちに取られたが故に唯一である。 実体の混同はなく、唯一のペルソナにより、全て唯一である。 理性的霊魂と肉体が唯一の人間であるように、 神としても人間としても、唯一のキリストである。 Qui passus est pro salute nostra: descendit ad inferos: tertia die resurrexit a mortuis. Ascendit ad caelos, sedet ad dexteram Dei Patris omnipotentis: inde venturus est iudicare vivos et mortuos. 主は、私たちの救いのために苦しみを受け、 陰府に降り、三日目に死者のうちから復活された。 天に昇り全能の神である聖父の右に座し、 生者と死者を裁くために来られる。 Ad cuius adventum omnes homines resurgere habent cum corporibus suis: et reddituri sunt de factis propriis rationem. Et qui bona egerunt, ibunt in vitam aeternam: qui vero mala, in ignem aeternum. その来臨にあたり、全ての人は自分の肉体を持って復活し、 各々の業に応じて報いを得る。 善業を果たした者は、永遠の生命に入り、反対に悪者は、永遠の火に入る。 Haec est fides catholica, quam nisi quisque fideliter firmiterque crediderit, salvus esse non poterit. これこそ、カトリックの信仰である。 誰であれ、これを忠実に堅く信じることなしに、救われることはない。 Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto, sicut erat in principio et nunc et semper et in saecula saeculorum. Amen. 栄光が聖父と聖子と聖霊にあれ。 初めのように、今も、いつも、世々に至るまで。アーメン。 |
教会は使徒時代の当初から、固有の信仰を、 簡潔に、規準となる一定の言葉で表明し、伝えてきました。 信仰のこのまとめは、人間の憶測によるものではなく、 聖書全体の最重要点を厳選し、要略したものです。 このわずかな言葉のうちに、旧約新約両聖書中の真の敬神の知識が含まれています。 信仰のまとめは、『信仰宣言』(Credo)、『信仰のシンボル(信経)』と呼ばれます。 Credoは、 まず、神の第1のペルソナ(御父)と創造の感嘆すべき御業について述べられ、 続いて、神の第2のペルソナ(御子)と人間の贖いの神秘について述べられ、 最後に、神の第3のペルソナ(聖霊)、私たちの聖化の源泉である御方について述べられます。 信仰宣言には、主に次の3つが挙げられます。 1)使徒信条(Symbolum Apostolorum)。。。 使徒たちの信仰の忠実なまとめ、ローマ教会の古来の洗礼信条であり、 この権威は、キリストから、使徒たちの頭として立てられた、 聖ペトロの座がある、ローマ教会が守る信条であることに由来しています。 2)二ケア・コンスタンチノープル信条(Symbolum Nicaeno-Constantinopolitanum)。。。 この権威は、最初の2つの公会議(325年、381年)に由来しています。 この信条は、東方、西方の全ての主要な教会で、今もなお共通のものとなっています。 3)アタナシウス信条(クイクムクエ信条 Quicumque vult)。。。 この信条は、4世紀後半にまでさかのぼる信仰宣言であり、 40カ条からなる、聖三位一体と主の受肉についての信仰箇条で、 ギリシア4大教会博士であり、『科学的神学の父』、『教会の柱石』、 『正統信仰の教父』と呼ばれる大聖アタナシウス司教(296〜373年)の作 と言われています。 クイクムクエ信条とも呼ばれるのは、 この信条の最初の語句Quicumque(〜する者は誰であれ)に由来しています。 この信条は、ローマ聖務日課書(Breviarium Romanum)において、 聖三位一体の主日や公現の祭日に唱えられ、 ローマ儀式書(Rituale Romanum)によれば、 悪魔憑きに対するエクソシズム(悪魔祓い)にも唱えられます。 1)使徒信条(Symbolum Apostolorum) 天地の創造主、全能の父である神を信じます。 父のひとり子、わたしたちの主イエズス・キリストを信じます。 主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、 永遠のいのちを信じます。アーメン。 2)二ケア・コンスタンチノープル信条(Symbolum Nicaeno-Constantinopolitanum) わたしは信じます。唯一の神、全能の父、 天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。 わたしは信じます。唯一の主イエズス・キリストを。 主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、 造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。 主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、 聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。 ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、 聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。 主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。 その国は終わることがありません。 わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。 聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。 わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。 罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン。 3)アタナシウス信条(クイクムクエ信条 Quicumque vult) 次回の記事に掲載します。。 |

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