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2019年 教皇聖下の祈りの意向
これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
1月 若者たち
若者たち、特にラテン・アメリカの若者たちが、マリアの模範に従い、福音の喜びを世界に伝えるために、主の呼びかけに応えることができますように。
2月 被害者たち
人身売買、強制売春、暴力の被害者たちが、想いやりをもって迎えられますように。
3月 キリスト者のコミュニティ
キリスト者のコミュニティ、特に迫害を受けているコミュニティが、彼ら自身、キリストの近くにいるということを感じ取ることができますように。また、彼らの有する権利が尊重されますように。
4月 紛争地域で活動する人々
他の人々の生命を救うため、自分の生命を危険にさらす、紛争地域における医療従事者たちと彼らの人道的協力者たちのために。
5月 アフリカの教会
アフリカの教会が、そのメンバーたちの責任ある関わりを通じて、アフリカの人々の間における一致のパン種となり、アフリカ大陸における希望のしるしとなることができますように。
6月 司祭たち
司祭たちが、彼らの生活上のつつましさとへりくだりによって、最も貧しい人々との連帯を、彼ら自身が積極的に深めていくことができますように。
7月 正義
正義を遂行すべき立場の人々が、誠実さをもって働くことができますように。そして、世界にはびこる不正が、決定権をもつことができなくなりますように。
8月 家庭
家庭が、祈りと愛の生活を通して、常に、より明確に、『人としての成長の真の学び舎』となることができますように。
9月 政治家たち、科学者たち、経済学者たち
政治家たち、科学者たち、経済学者たちが、世界の海洋環境保全のために、協力して働きかけていくことができますように。
10月 聖霊
聖霊の息吹が、教会内に新たな宣教的『春』をもたらしてくださいますように。
11月 コミュニケーションと和解
異なる宗教的コミュニティが、その生活を共に支え合う近東において、対話、出会い、和解の精神が、彼らの間で沸き上がりますように。
12月 幼い子供たち
全ての国が、幼い子供たちの未来について、特に苦しんでいる幼い子供たちのことを最優先に考えて、必要な措置を講じるための決定をなしていくことができますように。
Oratio Dominica
ex. Nova Vulgata
Pater noster, qui es in cælis,
天におられる私たちの父よ、
sanctificetur nomen tuum,
あなたの御名が聖とされますように。
adveniat regnum tuum,
あなたの御国が来ますように。
fiat voluntas tua, sicut in cælo, et in terra.
あなたの御望みが天に行われるとおり、地にも行われますように。
Panem nostrum supersubstantialem
私たちの生命を保つために必要なパンを、
da nobis hodie;
今日、私たちにお与えください。
et dimitte nobis debita nostra,
あなたに負い目のある私たちを、どうぞお赦しください。
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;
私たちに負い目のある人々を、私たちが赦すのと同様に、
et ne inducas nos in tentationem,
私たちが誘惑におちいるのをおゆるしにならず、
sed libera nos a Malo.
むしろ私たちを悪魔から解放してください。
Amen.
アーメン。
天におられる私たちの父よ、
あなたの御名が聖とされますように。
あなたの御国が来ますように。
あなたの御望みが天に行われるとおり、地にも行われますように。
私たちの生命を保つために必要なパンを、
今日、私たちにお与えください。
私たちに負い目のある人々を、私たちが赦すのと同様に、
あなたに負い目のある私たちを、どうぞお赦しください。
私たちが誘惑におちいるのをおゆるしにならず、
むしろ私たちを悪魔から解放してください。
アーメン。 |
教皇聖下の意向✿
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2018年 教皇聖下の祈りの意向
(7月から12月まで)
これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
7月 司祭たちと彼らの司牧的奉仕
司牧的働きにおいて、疲労や孤独を経験する司祭たちが、主との親密さのうちに、また、彼らの兄弟である司祭たちとの友情のうちに、助けと慰めを見出すことができますように。
8月 家族という貴重な宝
エコノミストたちや政治家たちによる種々の広範囲に及ぶ決断が、家族を人類の貴重な宝の1つとして保護するものとなりますように。
9月 アフリカの青年たち
アフリカの青年たちが、彼ら自身の国々で、教育や労働に積極的に携わることができますように。
10月 奉献生活者たちの使命
奉献された男女修道者たちが、彼ら固有の働きにいそしみ、貧しい人々、軽んじられた人々、自ら声をあげることのできない人々のうちに寄り添うものとなることができますように。
11月 平和のための奉仕の働き
愛をこめた言葉遣いや対話が、いさかいをもたらす言葉遣いに対して、いつも打ち勝つことができますように。
12月 信仰伝達のための奉仕の働き
信仰伝達のための奉仕の働きに取り組む人々が、独自文化に接する彼らの対話において、現在の状況に適した言葉を見出すことができますように。
フランシスコ教皇聖下
家庭に寄り添う教会
イエズスがそうなさったように、教会は
ジェネレーション・ギャップ、家庭内暴力、経済的困難、雇用不安などの
いくつもの家庭が抱える不安や緊張を理解し
旅の随伴者のように、彼らに寄り添います
心をくばる母親のように、教会は
私たちを愛して養われる神のうちに
揺るぎないものであることを、私たちに教えます
この『根本的な内的経験』、この『堅固な内的経験』は
人生で直面する全ての妨げや移り変わりにおいて私たちを助け
全ての悪を征服する善のうちにとどまらせ
私たちが聖人になることを可能にするものです
信仰は、家庭の中で伝えられるべきものです
私たち各々の限界を認めつつ、互いに助け合い
他者との喜びに満ちた調和における希望に向けて
開かれた心をもって祈るよう、私たちに教えてくれるものです
母親としての教会
福音においてマリアは、いつも『イエズスの母』として記述されています
彼女の母親としての優しさは
受胎告知の初めから、福音全体を通じて強調されています
この特質は、教会の教父たちによって
早期から注釈されていました
そして、この特質は、教会にも当てはめられていました
教会は女性的です
なぜなら、教会も、花嫁も、文法性が女性だからです
そして彼女(教会)は母親です
彼女は生命をもたらすからです
花嫁であり母親である教会
そして教父たちは、さらに進んで
あなたたちの霊魂もまた、キリストの花嫁、母親である、と述べます
この見解は、教会の御母であるマリアに由来しています
この見解のうちに、私たちは
教会の、この女性的特質を理解することができます
この女性的特質が教会に失われた時
教会は、自身のアイデンティティを失います
そして、単なる慈善団体やフットボール・チームに似たもの
全くもって教会ではないものとなってしまいます
重要なことは、教会が女性となること
花嫁としての特質、母親としての特質をそなえることです
私たちがこのことを忘れてしまう時
それが男性的な教会である時
この女性的特質なしには
それは、愛のない、豊かさのない、孤独のうちに生活する
古びた独身男性の残念な教会になってしまうでしょう
女性なしには、教会は、前に歩を進めることはできません
なぜなら彼女(教会)は女性だからです
そして、この女性としての特質は、マリアに由来するものです
なぜなら、イエズスが、教会がそうであるよう望まれたからです
母としての教会は
優しさという小道にそって歩んでゆきます
優しさは、抱擁、沈黙、注視の上智という言葉を知っています
それは、同情を抱くことを知り、沈黙することを知っています
教会のメンバーとなるこの道を生き抜こうとする霊魂や人もまた
それが彼であれ彼女であれ、母親のようなものとして
同じ小道にそって歩んで行かなければなりません
その時、その人は
優しさ、想いやり、微笑み、愛に満ちたものとなります
家庭の美しさ
『神は、創造の初めから、人を男と女に造られ
人は、父母を離れ、その妻と結ばれ
2人は1つの肉になる』
1つの肉
とても力強い御言葉です
家庭には種々の困難が生じていることは事実です
そこには、子供たちの問題、夫婦間の口論や喧嘩など
さまざまな問題があるでしょう
しかし、重要なことは、1つの肉のうちにとどまることです
そうすれば、あの問題、この問題、その問題も克服することができます
そして、その克服は
彼らの婚姻の秘跡のためだけのものではなく
むしろ、教会のためのものでもあるのです
秘跡はたしかに私たちの注意を引きよせます
「ごらん、愛することができるだろう」
そして、愛は、あなたたちの全生涯にわたり
あなたたちが愛のうちに生きることを受け入れるよう促します
喜びにおいても、悲しみにおいても
子供たちの問題があろうとも、自分たち自身の問題があろうとも
そうしたことがあっても、いつも前に進んでいけるように
病気の時でも、健康の時でも
どのような時でも、いつも前に進んでいけるように
これは実に美しいことです
男性と女性は、神のイメージと似姿のうちに創造されました
そして、このことから、結婚も同様に、神のイメージになりえるものです
このことは、結婚をとても美しいものとします
婚姻は、他の全ての人々にとって
静かな説教、日々の説教のようなものです
このことがニュースにならないことは、悲しむべきことです
新聞やTVのニュース番組では、このことをニュースとみなしません
カップルが、一緒に多くの年月を過ごすことは
なかなかニュースとして扱われません
スキャンダル、離婚、別居
これらが価値あるニュースとみなされます
時には、より大きな悪を避けるために、別居の必要もあるでしょう
神のイメージはニュースとして扱われません
しかし、これは結婚の美しさです
彼らカップルは、神のイメージであり、似姿です
そして、これこそ、私たちのニュース、キリスト者のニュースです
結婚と家庭生活は、容易ではないでしょう
忍耐は、カップルにとって
男性と女性の両方にとって、最も重要な善徳です
主が、教会と社会に
結婚についての、より深い、より美しい理解をもたらしてくださいますように
それによって私たち全てが
『神のイメージと似姿が、結婚のうちに現存している』という事実について
その真価を認めて、再考してゆくことができますように
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2018年 教皇聖下の祈りの意向
(1月から6月まで)
これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
1月 アジアにおける宗教的少数派の人々
アジア諸国におけるキリスト者たちや、その他の宗教的少数派の人々が、完全な自由のうちに、彼らの信仰上の敬神行為を果たすことができますように。
2月 腐敗に対して『ノー』と言えるように
物質的、政治的、霊的権力を有する人々が、腐敗のいかなる魅惑に対しても抵抗することができますように。
3月 霊の識別の形成
教会が、個人的段階においても共同体的段階においても、霊の識別の速やかな形成の必要性を、正しく把握することができますように。
4月 経済的諸問題に責任を負う人々のために
エコノミストたちが、いかなる排他的な経済論理をも拒絶するための勇気を抱き、新たな方策開拓への取り組みを把握することができますように。
5月 信徒の使命
信徒たちが、現代世界の抱える諸問題に、独創性をもって応えることにより、彼ら特有の使命を遂行することができますように。
6月 ソーシャル・ネットワーク
ソーシャル・ネットワークが、他者との相違を認め合い、他者への尊敬を促す包括性に向けて、歩みを進めるものとなりますように。
フランシスコ教皇聖下
神の優しさ
神の優しさは、全ての被造物の上に注がれます
父親がその子供に語るように
神は私たちに語りかけてくださいます
あたかも私たちに子守唄を歌い聴かせるかのように
その抱擁のうちに私たちの不安を取り除こうとなさいます
「恐れてはならない。私があなたを助けてあげよう」
神の優しさとは、このようなものです
神は、私たちにとって、父親であり母親でもあります
幾度となく神は私たちに語りかけます
「たとえ母親がその子を忘れたとしても、私はあなたを決して忘れたりしない」
神はご自分のふところに、私たちを抱きかかえてくださいます
神は、このような語らいのうちに、私たちも理解できるようにと
ご自分を小さなものとして、私たちに差し出されます
私たちが神に信頼することができるようにと
「アッバ、父よ」と私たちが呼びかけることができるようにしてくださいます
父でいてくださること
それが、神の優しさです
時に、神が、拳で私たちを打つことも真実です
実際、神は、威厳に満ちた御方です
しかし、その優しさのうちに私たちに寄り添い、私たちをお救いになります
このことは1つの神秘であり
最も美しい事柄の1つです
神は威厳に満ちた御方でありながら
ご自分を小さなものとして私たちに差し出されます
その小ささにありながらも
その偉大さをおやめになることはありません
ご自分を小さなものとする偉大さ
それは、偉大な小ささです
クリスマスは、このことの理解について、私たちを助けてくれる機会です
そのまぐさ桶に、小さな神がおられます
神的とは何でしょうか?
最も神的なこととは何でしょうか?
最大のものに限定されず、最小のものの中にも含まれることです
大きな事柄を恐れないでください
しかし、小さな事柄をも心にとめるようにしてください
このどちらもが、神的なことです
神は私たちを助けてくださるだけではありません
神は私たちに喜びの約束を交わしてくださいます
それは偉大な収穫であり
それに向けて歩めるよう私たちを支えてくださいます
神は、義の父であるだけでなく、パパでもあります
私が主についてこのように話すことができるでしょうか?
それとも、そのように話すことを恐れるべきでしょうか?
ある人々は問いかけます
「神の優しさの神学的な位置づけとはどんなものですか?」
「神の優しさというものを、どこで見出すことができますか?」
「神の優しさが最も顕著な場とは、いったい何ですか?」
それは、傷です
それは、私たちの傷であり
それは、神人キリストに刻まれた御傷です
私の傷においても、あなたの痛みにおいても
あなたが主の御傷のうちに、自分の傷を見出す時
神の優しさを見出すことができます
私たちは、その御傷によって癒されました
善いサマリア人のことを想いかえしてみましょう
強盗に襲われ、誰からも見棄てられた人を哀れに想って近寄り
傷口に油とぶどう酒を注いで手当てをして
宿屋に連れて行き、介抱のための費用を払い、その人を助けました
ここに、神の優しさの神学的な位置づけがあります
私たちの傷
そこに神の優しさが注がれる最も顕著な場があります
主はご自分の優しさのうちに浸されるよう
私たちを招いておられます
『さぁ、私のもとにおいで。
あなたの傷を私に見せなさい。
私が、それらを癒してあげたいのだ』 |
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2017年 教皇聖下の祈りの意向
(7月から12月まで)
これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
7月 キリスト者としての信仰から遠ざかった人々のため
信仰から離れてしまった私たちの兄弟姉妹たちが、私たちの祈りと福音の証しを通じて、主の憐れみに満ちた親しみと、キリスト教的生活の美を、再び見出すことができますように。
8月 アーティストたちのため
私たちの時代のアーティストたちが、彼らの才気を通じて、全ての人々に、被造物の美についての気づきを、促すことができますように。
9月 宣教奉仕における小教区教会のため
宣教の精神によって活気づく私たちの小教区教会が、信仰と愛徳の目に見える交わりの場となることができますように。
10月 労働者たちや失業者たちの正当な権利のため
全ての労働者たちが、ふさわしい敬意をもって扱われ、その正当な権利が守られますように。また、失業者たちが、共通善に貢献する機会を適切に受けることができますように。
11月 アジアにおける福音の証し人としてのキリスト者たちのため
アジアのキリスト者たちが、その言葉と行ないにおいて、福音の証しをもたらすものとなり、特に他宗教の人々との対話と平和、そして相互理解を推進することができますように。
12月 高齢者たちのため
各家庭やキリスト教的共同体によって支えられる高齢者たちが、信仰伝達や新しい世代の形成のために、彼ら自身の智恵と経験を活かしていくことができますように。
フランシスコ教皇聖下
キリスト者に星占いなどは必要ありません
神は、75歳のアブラハムに、自分の国、故郷、父の家を離れるよう命じられ
アブラハムは、主が導かれるままに歩みました
ここに、キリスト者としてのライフスタイルを見出すことができます
そのライフスタイルには、3つの特質があります
それは、自己放棄、約束、祝福です
キリスト者になる、ということには
自分自身から抜け出すという特質が、いつも、含まれています
それは、十字架上のイエズスご自身の自己放棄の反映となるものです
自己放棄
「あなたの国、あなたの家族、あなたの父の家を離れなさい」
そこには、いつも、前に進んで行く必要性が示されています
その初めの一歩を踏み出す必要性が示されています
旧約聖書や福音書には
前に進んで行くよう呼びかけられた預言者たちや弟子たちについての
種々の物語やエピソードの記述で満たされています
キリスト者は
神のために、執着を捨てて、自分自身さえも放棄するほどの
キャパシティを持たなければなりません
そうでなければ、本物のキリスト者とは言えません
約束
アブラハムは、信仰のうちに、主に従いました
彼は、神が約束された地を受けるため
未知らぬ土地へと出て行きました
キリスト者は
未来を予測するための星占いを読んだりはしません
キリスト者は
水晶や手相をのぞきこむ占い師の助言を求めたりもしません
キリスト者は
神がその約束の成就を示された小道に
神によって導かれるままに、彼自身をまかせます
私たちは、男性であれ女性であれ
アブラハムが新しい土地に向かって歩んだように
神の約束に向かって歩んでいます
アブラハムは家を建てず、テントをもうけ
神を信頼して、その旅路を歩む姿を示してくれています
彼は、主に礼拝を捧げるための祭壇をもうけては歩みを続けました
彼は、いつも、前に向かって進みゆく人でした
キリスト者としての旅路は
毎朝、新たに始められます
主に信頼をよせて、多くの予期しない出来事にも心を開きます
予期しない出来事には
自分にとって、良いこともあれば、悪いこともあるでしょう
しかしながら、私たちは、いつも、それらに心を開いていなければなりません
というのも、私たちは、神が私たちを安全な場所に連れ行くために
神が私たちのために特別にあらかじめ備えていてくださる地に連れ行くために
それらの出来事が起こるのをお許しになるからです
祝福
キリスト者としての他の特徴とは
彼もしくは彼女が、いつも、祝福をもたらすものとなる
ということです
キリスト者は
主ご自身のことや、他者のことについて
どのような時も、善良に語ります
そして、彼らの歩む小道を前進することができるように
いつも、神の祝福を求めます
これこそ、キリスト者としての生活パターンです
なぜなら、全てのキリスト者は、どのような平信徒も例外なく
他者を祝福し、神や他者について良く話さなければならないからです
あまりにもしばしば
私たちは、私たちの隣人についての悪口を話しがちです
神が、私たちの父アブラハムにおいて示された
生活のための教訓に従おうとする代わりに
私たちは、悪いことのために
私たちの舌を、あまりにも激しく振り動かし過ぎです
立ちどまらずに前に進んで歩み続けること
主があしらわれるままに、私たち自身から抜け出すこと
主の約束に信頼すること
祝福のうちに品行方正でいること
キリスト者としての生活を深めることは
実に、このようにシンプルなものです |
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2017年 教皇聖下の祈りの意向
(1月から6月まで)
フランシスコ教皇聖下は
2017年からの毎月の祈りの意向について
基本的に1つの祈りの意向を据えて
毎月第1主日に『当月の喫緊の意向』を追加表明する
そのような形に変更されました
1月 キリスト者の一致
全てのキリスト者が
教会的交わりの回復のために
祈りと兄弟愛のうちに努めることによって
また、人類が直面する取り組みに連携するために
協働することによって
主の教えに忠実なものとなることができますように
1月の喫緊の祈りの意向
これほどまでに冷え切った大寒波の日々に際して
私は、厳しい寒さや、しばしば無関心にさらされている
道端で生活する全ての人々に想いをよせるよう
みなさんを招きたいと思います
私たちは彼らのために、主に向かって祈りをお捧げいたします
彼らを支援するよう、人々に温かい心を、主がお与えくださいますように 2月 苦悩する人々のための慰め
苦悩する人々、特に、貧困者、難民、軽んじられた人々が
彼らを迎え入れてくれる居場所を見出すことができますように
また、私たちの共同体において、慰めを受けることができますように
2月の喫緊の祈りの意向
〜生命の神聖さ〜
使い捨ての文化の論理が横行する中にあって
共に生命の文化を推進させていきましょう
私たちは
妊娠中絶の危険のさなかにある
子供たちのために祈ります
それに加えて
人生の終わりを迎える人々のためにも祈ります
1人ひとりの生命は神聖なものです!
そのため
誰も遺棄されたりしてはなりませんし
また、愛によって、生命の重要性が擁護されなければなりません
3月 迫害されるキリスト者たちのためのサポート
迫害されるキリスト者たちが
全教会からの、祈りや実際的な支援によって
サポートを受けることができますように
3月の喫緊の祈りの意向
アリッチャにおける3月10日金曜日まで行なわれる
静修(黙想会)に参加する私と私の協力者たちのために祈りを捧げてください
4月 青少年たち
青少年たちが、彼らにおける種々の召命に
寛大に応えることができますように
また、司祭職、もしくは、奉献生活において
神に彼ら自身を捧げることについての真摯な熟考のうちに
寛大に応えることができますように
4月の喫緊の祈りの意向
コロンビアの土石流被災者たちのために
コンゴ民主共和国、ヴェネズエラ共和国、パラグアイ共和国の平和のために 5月 アフリカのキリスト者たち
アフリカのキリスト者たちが
憐れみ深いイエズスに倣い
和解、正義、平和のための預言的証し人として
自らを差し出すことができますように
6月 各国のリーダーたち
各国のリーダーたちが
多くの罪のない人々を犠牲にする武器の取引を終わらせるために
彼ら自身の確固とした約束を果たすことができますように
フランシスコ教皇聖下
神の優しさと、その愛のふるまい
主は、私たちを探すことを決しておやめになりません
神は、私たちを救うためなら、どんなことでもなさいます
主は、私たちを断罪するために来られたのではなく
私たちを救うために他なりません
主は、私たちを個別的に、その各々を愛しておられます
主は、私たちの名をご存知であり
私たちがどのようなものであろうとも、私たちを愛しておられます
失われた羊は、コンパスを持たず
病んだ心を持っています
失われた羊は、主から遠くに走り去り
その内なる暗闇を満たそうとします
主は、そのような状態の羊のこともご存知であり
その失われた羊を探し求めることを決して怠りません
ユダに対する主の忍耐強い姿勢は実にシンボリックです
福音において、ユダは完全に失われた羊であり
いつも他者のうちに何らかのあら探しをするような辛辣な心をもち
いつも主の意向から離れていました
彼は他者への優しさを知ろうともせず
不満に満ちていた人でした
ユダは、その心の暗闇のうちに
群衆への思いやりから、かけ離れていたからです
そのような暗闇は、往々にして
人を二重生活へと導きます
痛ましいことに
多くのキリスト者は
司祭でさえ、そして、司教でさえも
その同じ暗闇に導かれて、二重生活を送っています
ユダ自身、最初の司教たちの1人であったのです
プリモ・マッツォラーリ司祭は
(※聖ヨハネ23世から『聖霊のトランペット』と称された司祭)
失われた羊としてのユダについて、こう問いました
「兄弟ユダよ、おまえの心で何が起こっていたのか?」
私たちは、失われた羊のことを理解する必要があります
私たちも、各々が
失われた羊としての『何か』を、それぞれもっているからです
その『何か』とは、多くの過ちというよりも、むしろ心の病であり
私たちを迷える羊にさせるもの、悪魔が蝕むものです
それは、ちょうど、ユダが
その心のうちに分けられていったようなものです
最終的にユダは、彼自身の二重生活によって
共同体に危害を加えることとなりました
彼が自分で蒔いた悪を見た時
彼の心の暗闇のゆえに、そこから走り去りました
彼は光を探しましたが
主の光を探したのではなく
クリスマスデコレーションのような飾られた偽りの光に向かい
絶望の中に飛び込んでいったのです
主は善良な御方であり
彼は失われた羊を探すことを、決しておやめになりません
聖書は、そのように私たちに教えています
ユダは自分の裏切りを後悔して首を吊りました
主は、聖書における、この「後悔」という文言から
彼をそれ相応にあしらわれたと、私は信じています
そのような霊魂に対しても
神の愛は、その最期の瞬間に至るまで
回心のための働きかけをなされておられたのだと思います
これは、私たちへのメッセージであり
誠実に悔い改めようとする私たちに
再び喜びがもたらされるという良い知らせです
ですから私たちは
主のうちにこそ、慰めを見出すように努めるべきであって
その他の慰めに向かう逃避主義者になってはならないのです
イエズスが、失われた羊を見出された時
彼は、その羊に咎められるべきことが多いからといって
その羊を侮辱したりしません
イエズスは、オリーヴの園で
裏切りと卑怯なふるまいをなすユダに対してさえ
「友よ」と呼びかけられました
これは神の想いやりです
この主の想いやりを知ろうとしない人は
キリスト教の教義を知らないままです!
主の想いやりを受け入れようとしない人は
失われてしまいます!
私たちが見出すべき慰め
それは、神の優しさです
神の優しさ
それは、私たちを救い
その教会のふところに、私たちを立ち帰らせてくれます
主が、私たちに
私たち自身の罪を真摯に認めさせる恩寵をお与えくださいますように
そして、その優しさをもって
私たちに真の慰めをもたらしてくださいますように
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