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若冲と蕪村展

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平日の午後なのにたくさんの人がいました。
 
絵のケースの前にはひとが並んで一人づつ移動しながら鑑賞します。
 
本当は絵から1メートル位さがってみたいとおもいます。
 
そうしないと絵の全体像がみられないのです。
 
今回出品の 「象と鯨図屏風 」はやっぱりよかったです。
 
ほかの作品はあまり印象には残りませんでした。
 
この作品は若冲82歳の時の作品です。
 
若冲は80歳になっても旺盛に制作しました。が、それは生活のためでなく
 
なによりも描きたいために描いたのです。
 
若冲は自分の絵は千年後の人たちに理解してもらえばいいと言っていたそうですが、
 
まだ、千年たってはいませんが、若冲ブームです。
 
若冲は絵を生業としなくても生活できたから、理想的な絵描きだったと思います。
 
1763年にオランダからプロルシアンブルーが輸入されたのだそうですが、
 
それを若冲は1766年に使っているのです。
 
京都錦小路の有力な青物問屋の長男として若冲はうまれました。
 
幼い時から学問は好きでなく、金持ちの旦那衆がたしなむ諸々の芸事も
 
嫌い、金儲けも関心がなく、頭をまるめて肉食を避け、妻子も持ちませんでした。
 
雀を捕らえて街で売っているのを見て焼き鳥にされる運命を憐れみ数十羽買って
 
自宅の庭に放す若冲だったそうです。
 
 
 

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「象と鯨図屏風」ゆったりとした雰囲気というか、いいですよね。
『隠居後の若冲は、作画三昧の日々を送っていたと見るのが長年の定説であった。ところが、明和8年(1771年)枡屋があった中魚町の隣にある帯屋町の町年寄を勤めるなど、隠居後も町政に関わりを持っており、更に錦高倉市場の危機に際して市場再開に奔走していた事が、平成20年(2008年)美術史家にも認識されるようになった』
若冲さんも大変だったようですね。でも交渉術にも長けた人だったということなのでしょうね。 削除

2015/7/21(火) 午前 7:03 [ アートカズコ ] 返信する

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