倖子の墨の絵日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

バビロンの陽光

イメージ 1
久しぶりにいい映画をにめぐりあいました。
 
こんな映画みんなにみてもらいたらいいなぁとおもいました。
 
2010年、イラク、イギリス、フランス、オランダ、パレスチナ、UAE,
 
エジプト合作。
 
 祖母が孫を連れて行方不明の息子を捜す旅にでます。
 
息子は1991年バース党にとらえられ、それからの行方はわかりません。
 
お金がないのでヒッチハイクをしたり、野宿の旅です。
 
時には親切な人に車に乗せてもらったりしながら、旅を続けます。
 
 クルド語しか話せない祖母を12歳のアーメッドは片言のアラビア語で
 
たすけます。
 
 砂漠の国だからでしょうか。風が吹き砂ぼこりがたっています。
 
長い戦争で破壊された建物。現在の人間の祖が4万年前と言われています。
 
この間に争いのなかった時期はあったのでしょうか。
 
 誰もが、自分の子供や身内の人を死なせたくないと思うのに、いろいろな
 
理由をつけて、他人を殺しあうのをやめないのは、なぜなのでしょうか

開く コメント(0)

イメージ 1
まず、最初に6月1日から 目黒のやさしい予感 ポートフォリオ展に日本画1点を出品
 
 
 ひさびさです。6月4日 津軽三味線の佐藤通弘コンサートで舞台の絵を担当します。
 
http://www.tsugaru-michihiro.com   縦5メートル の絵を二枚描いてます。
 
今度の東日本大震災の支援もかねてます。 1点は桜の木をモチーフにしました。
 
津波から生き残った八重桜がガレキのなかで、美しく咲いている写真をみました。
 
そして、もう1点は山の木々です。やはり津波にあつた神社が鎮守の森のおかげで
 
助かった記事をよみました。コンクリートで、出来た鳥居は倒れてしまいました。
 
岩手に住む友人が何年もかかって作った人工の物はみんな壊れてしまったのよ
 
といってました。
 
  東京都現代美術館の田窪恭治展  いいものを見せていただきました。
 
フランスのノルマディ地方のサン・マルタンド・ミュー村の礼拝堂の壁画に、描いた
 
作品等が展示されていました。1989年から家族でかの地に移住して、礼拝堂の
 
再生にかかわります。礼拝堂を知ってから壁画のほぼ完成までは、田窪さんの
 
「  林檎の礼拝堂  」集英社に詳しく載ってます。
 
 何百点あったのでしょうか。椿の花の絵。 どの椿の花もあじがあり見ごたえが
 
ありました。その椿の花の絵は四国の金毘羅に描いたものだそうです。
 
高橋由一や伊藤若冲の襖絵もある、金毘羅さんには是非行かなければと思い
 
ました。

開く コメント(0)

東日本大震災

イメージ 1
なんともなさけないのですが、揺れると平常心が失われてしまいます。
 
 3月11日午後2時46分  今までに経験したことのない揺れでした。その時ビルの7階にいました。
 
大きなロッカーが倒れてきました。パニック状態です。冷静になって考えると自分のとった行動は、恥ず
 
かしいかぎりです。なによりも冷静さが大切とおもうのです。
 
 もともと冷静な性格ではない私にとっては難しいかぎりです。
 
 被災地の方々に比べたら、ほんとうに申しわけなく思いますが、揺れると理性は飛んでいってしまいます
 
。 まだ読み始めたばかりです 「地震の日本史」 寒川旭著 中公新書によりますと、日本はプレートの
 
境界線上にある国ですから、地震とは切っても切れない関係にあり、プレートの運動がこの列島を形成し
 
、活断層が起伏にとんだ美しい地形をつくっているそうです。
 
  1988年「地震考古学」が誕生。大きな地震はある程度決まった場所から繰り返し発生するそうですが、
 
地域によって揺れ方、被害のタイプはちがうそうです。
 
 この本は2007年に出版されています。今回の震源地、宮城沖は37年前後でM7クラスの地震がおきて
 
いるそうです。今回の地震で大変な事は原発の事故です。私も残念ですが、原発についての関心が薄かっ
 
たです。老朽化していた原子炉。関心が薄かったではすまされない事故がおきてしまいました。
 
 16、17日小布施のアートフェアの参加。キャンセルしてしまいました。なさけないです。
 
6月1日から6日に開催されるポートフォリオ展  やさしい予感  東日本震災支援には参加いたします。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

イメージ 1
若者の間では岡本太郎がブームだそうです。
 
いまでは、川崎岡本太郎美術館の建設に地域の人たちの反対があったことなど
 
忘れ去られていると思う。
 
太郎さんが死んで敏子さんが {太郎の本が一冊しかないのよ」 とよく話して
 
いたという記事を読んだことをおもいだしました。 その時、私は太郎著作が、一冊
 
しかないのか、そんなはずはないと思いましたが、敏子さんがおっしやったのは、
 
世間に流通しているのが一冊という意味だったそうである。
 
敏子さんは太郎の死後、復刻版、改訂版、再版、新刊など、実にたくさんの本を、
 
世の中に送りだしました。
 
敏子さんのこの仕事がなかったら、今の岡本太郎ブームはなかったのではないだろ
 
うか。
 
日本の世間の歩きの先を歩いた人だった。日本の縄文文化や各地の民俗文化をす
 
ばらしいと言ってくれた人である。確か、太郎さんはフランスで民俗学を専攻した。
 
それもあるかもしれないが、日本の人たちの多くが縄文文化などに目もくれない時に
 
それらを評価してくれたひとです。
 
私は、晩年の敏子さんに2回お会いしました。もちろんお話などはしたことはなく、なが
 
めていました。品のあるとても素敵なひとでした。東京女子大では、 {三大才女」 だっ
 
たそうです。1926年生まれの敏子さんには古い女の部分もあった気がします。
 
結婚という制度を認めなかった太郎さんは敏子さんを、養女にしました。養女なんて
 
おかしいと私はおもいます。養女を選択した敏子さんは心の底では不満があったと思う
 
が、そのことは、太郎の死後、太郎の為の精力的な仕事だったのではないだろうか。
 


開く コメント(1)

イメージ 1
ギッターコレクション展のカタログにあった「白象図」を切り取って机に貼り、毎日眺めている。
 
この構図はすごいですね。象を真正面から描いているのです。大きな胴体は、画面からはみだして
 
いるし、足は一本しか描かれていない。オスかメスかわからないが、切れ長の目をしたハンサム、いや
 
美人な象です。
 
 見あきない絵にめぐり合いうれしいです。
 
日本の絵画を救ってくれた恩人とパンフにありました。  カート・ギッターさん。
 
 日本にはアメリカ軍の軍医として北九州に赴任しました。1963年から65年の間に、日本美術を蒐集
 
したそうです。 ギッターさんがおっしゃっていました。
 
 日本語を習わなかったことで、自分の目が愛したものだけをコレクション出来た  と。
 
私はギッターさんという名前を初めて聞いたと思っていました。それが、この前の伊藤若冲の時と同じく
 
「帰ってきた禅画」のカタログを持っていました。ギッター・イエレン夫妻コレクション2000年10月、松濤
 
美術館のカタログだったのです。2000年の時はギッターさんも、伊藤若冲も私の頭には残らなかった
 
のですね。ギッターさんも北九州に赴任した時は仙崖に魅かれたそうです。 私も出光美術館で早く
 
から仙崖みていますがギッターさんとは結びつきませんでした。
 
 新年の挨拶が今になってしまい本当に申し訳ございません。今年もよろしくお願いいたします
 

開く コメント(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事