倖子の墨の絵日記

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久しぶりに心が豊かになる展覧会に出会いました。
 
ただパンフレットを良く見ないで行ってしまったので、いつものことながらくやまれます。
 
その日は秋晴れのとてもすがすがしい日で、上野の山の散歩もいいねと思って、でかけました。
 
ちょうど、東京博物館の庭園が開放されており、15分間の散策を楽しみました。
 
平日の午後3時30分すぎでほどほどの混み具合、それは土偶は5点そろっていないし、金印もないし、
 
正倉院宝物もないし、でもわたしにとってはとてもいい出会いでした。
 
縄文のヴィナスです。2回ほど描いたことがあります。
 
もちろん、だれが作ったのか、作者の名前などありませんが、五穀豊穣や安産などを願って作られた
 
ものでしょうか。
 
下半身が豊かです。足も太くどっしりと力強く地面に立っています。ちなみにお尻を後方に突き出す
 
姿勢は 「 出尻土偶 」といわれています。
 
腰はキュートしまっていて、ぽっこりとお腹はでてます。
 
ハート形の顔、頭部の渦巻き文様、いつまでみていてもあきません。
 
縄文の人々の平均寿命は男女とも、14・6歳ぐらいと推計されていますから、子供の授かるのを
 
願い安産を祈願するのは当然のこととおもいます。
 
 
新聞情報で栃木市の 「 とちぎ蔵の街美術館 」で 「 歌麿と栃木 」を知り行ってきました。
 
歌麿の 「女達磨図 」 「三福神の相撲図 「鐘き図 」この三点は肉筆画です。
 
私は版画より肉筆画が好きです。そしてこの三点は、美人画の歌麿とは違う歌麿をみせてもらった
 
気がしました。
 
「 女達磨図 」の朱の色と墨の黒とのコントラストがすごくよくて、衣の筆の線が、いっきに、すべる
 
様に描かれています。
 
線が生きているのですね。
 
今回の栃木の旅もいい旅でした。

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私はこのヨコハマトリエンナーレのタイトル、「華氏451」がわかりませんでした。それが、1953年に
 
刊行されたレイ・ブラットという人のSF小説から由来していることを初めてしりました。
 
そして、新聞の広告に没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭の記事があり、そこで「華氏451」
 
が上映されることをしりました。
 
  横浜美術館の入り口に、ヴィム・デルボアの低床トレーラーが展示されています。
 
材料はレーザーカットされたコンテ銅なのだそうです。レースのようにきれいです。ちょっとでもさわったら
 
手が切れてしまいそうです。
 
入り口をはいるとすぐに大きな箱があります。マイケル・ランディのアート・ビン、
 
芸術のためのゴミ箱だそうです。
 
美術家たちの自身の失敗作や捨て去りたい過去の作品を持ち寄って捨てることによって、
 
成立するとありました。
 
どんなものが捨てられているのか、ぐるっとまわってみました。が、この箱の中に捨てるために
 
作った様な作品のみうけられました。
 
 マイケル・ランディが美術作品の破壊、検閲、価値の変容に関連して選んだ過去の新聞記事
 
がのっているチラシがありました。
 
金閣寺放火の記事、梅原龍三郎の絵を鉄パイプで傷つけた記事や、ドイツ人作家、グスタフ・
 
メッツの作品の一部であるゴミ袋が清掃員に 「ゴミ」 として捨てられた記事。
 
芸術作品といわれているものを、傷つけたり、放火する人にとっては、その作品や建造物は
 
不必要なものだったのでしょうか。
 
 
  今回のトリエンナーレで私は釜が崎芸術大学の展示が一番印象に残りました。
 
  見たいと思っていたのは、福岡道雄のキャンパスに 「何もしたくない」「何もすることがない」
 
という文字を描いた作品とやなぎみわの「日輪の夏」のための移動舞台なんですが、それらの
 
作品より芸術大学の作品は新鮮でした。
 
 釜が崎芸術大学は「学びたい人のための大学」で「NPO法人こえとことばとこころの部屋」が
 
運営してます。
 
 人間のすんでいる所にはいろんな言葉がおちている。その言葉をひろいあつめ、つなぎあわせたら
 
きつとすばらしい世界があるものだ。とありました。
 
大学は2012年に開校、年40〜60回授業。教科は芸術、ダンス、哲学、天文学、表現、詩、写真
 
などいろいろな講座があります。
 
 ダンボールや天声人語ノート、メモ用紙に描かれた絵や文章がありました。
 
習字もありました。
 
 
自分の表現したいものを好きなものに好きに表現する、この釜が崎芸術大学を、運営している
 
人たちはきっと気おわずに、この活動をしていると思いました。
 
 そして、「大谷芳久コレクション」
 
今ではみられない、太平洋戦争下の文学者と終戦を目のあたりにした美術家、そして写真家の
 
眼差しが印象にのこりました。
 
中勘介、佐藤春夫、野口米次郎、高村光太郎、三好達治、そして瀧口修造も。
 
 歯車が戦争に回ってしまうと、その流れにのっていくのですね。
 
乗らなければ「死」をも覚悟しなければならないからですね。

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7月7日からの個展が終わって、あっという間に2カ月が過ぎようとしている。
台風に翻弄された一週間でしたが、おかげさまでたくさんの人に見ていただきました。
 
個展の直前に足の小指を骨折しました。
 
靴をはくと痛いので、一日中、下駄をはいていました。
 
医者に行く時間がなかなかとれず、自己流治療をしていました。
 
やっと個展も終わり、整形外科にいきましたら、全治3週間と言われてしまいました。
 
それから、3週間はギブスをしてました。
 
その骨折で負担がかかったのか、8月7日、突然腰痛になってしまいました。
 
腰痛は大変ですね。体を動かすのが痛いのです。
 
10分もすわれない。起き上がるのも痛い。かがむのも痛い。
 
寝ているのが一番楽だったけど、津輕三味線の佐藤通弘さんの舞台の絵を描かなければ
 
なりません。
 
6メートルの和紙に3枚描く。
 
なんとしても早く直さねばと思い鍼灸院に通院したのがよかったです。
 
治ってきました。うれしかったです。
 
佐藤通弘さんの舞台の仕事を初めてさせていただいたのは1995年、なかの芸術小劇場
 
「音の回廊」の舞台でした。
 
舞台上の私の絵に照明があたると、いろいろな表情をみせてくれます。
 
和紙は照明があたるととてもきれいなんです。
 
画廊の壁面に展示される静の絵とはまた違い、音楽との共演は自分にとってはすごく勉強に
 
なります。
 
1998年と2000年には佐藤通弘さんの津輕三味線にあわせて、舞台で即興で絵を描きました。
 
その経験があったので、2008年、イタリアのボマルツォという町の300年前に建てられたお城
 
でも、佐藤通弘の津輕三味線のCDにあわせて即興で絵を描きました。
 
見に来たくれたイタリア人の人達にも喜んでもらいました。
 
白いスカートをはいた女性からこのスカートに描いてといわれたのですが、うれしかったですが、
 
おことわりしました。
 
墨は染料でないので色留めをしないと落ちてしまうのです。
 
10月4日のコンサートは楽しみです。
 
なんといっても佐藤通弘さんの津輕三味線がすばらしいのです。
 
私の友人の何人かは佐藤通弘さんの三味線を聞いていると、涙がでてくるといいます。
 
お時間のある方は是非いらっしゃってください。
 
お待ちしたます。
 
 
  10月4日  開場13時30分  開演14時  料金2000円
 
  会場 プリミエール酒々井
 
 

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 これが生け花なのか 華いのち 中川幸夫の映画をみた。
 
私が初めて中川幸夫さんにお会いしたのは1998年の頃だとおもいます。
 
銀座にあったアクロスというギャラリーでした。
 
そのギャラリーの常設展で私の絵を中川幸夫さんの書の隣に展示してもらっていました。
 
でも、その当時は中川幸夫さんも、いけばなの知識もほとんどなかったとおもいます。
 
今は廃刊になっているとおもいますが、文化出版局から出版されていた銀花86号
 
特集 「 自在な花人 中川幸夫の地、水、花、風、空、 」にサインをしてもらいました。
 
 この本は1991年発行ですから、その当時から中川幸夫さんに興味はあって、その本
 
は購入したのだとおもいます。
 
でも現在まで中川幸夫さんのいけばなをみたことはありません。
 
写真でしかないのです。 ざんねんです。
 
 こんなお花の生け方をした人が中川幸夫さんの他にいたでしょうか。
 
もう、生のお花を生けた中川幸夫さんの生け花をみることは不可能ですが、そうなると
 
みたくなりますね。
 
代表作の花坊主なんて凄いですね
 
実際はどうだったんでしょう。
 
改めて見直しした 八木一夫の経筒(青銅器)の器に朴の葉に金、銀箔を貼り蓋に咬ませた作品
 
このブログに写真を載せられないのがとても残念です。
 
余分なものを切り落として、洗練された美、器を生かし、花もいきている。
 
わたしは花坊主よりはこちらの作品のほうが好きかも。
 
 
 今日からいよいよはじまりました。
 
7月3日の東京新聞のギャラリー案内、月刊水墨画に案内を載せていただきました。
 
銀座のOギャラリーです。
 
よろしくお願いいたします。
 

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茨木のり子展

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世田谷文学館の茨木のり子展に行ってきました。
 
チラシやチケットの茨木のり子さんの顔写真は、谷川俊太郎さんが撮った写真だそうです。
 
茨木のり子さんの顔は人間として美しい。もちろん美人ですが。
 
その時何歳だったか知りませんが、私は山本安英さんが主催する  「ことばの勉強会 」で茨木のり子
 
の御姿をお見受けいたしました。
 
韓国語を勉強しているというお話をされたことを覚えています。資料によりますと50歳から韓国語を勉強
 
されたとありますから、その時は50歳をすぎていたのですね。
 
 それからしばらくして、茨木のり子さんの詩集 「倚りかからず  」をかいました。
 
「 倚りかからず 」なんてなんといい言葉でしょうか。
 
  そしてそれからしばらくしてワサブローさんの歌う  「私が一番きれいだったとき 」に出会いました。
 
1968年12月、CBSソニーからピート・シガーさんが 「私が一番きれいだったとき 」のレコードを出して
 
います。(英訳片桐ユズル)
 
 
 
 7月7日からの 「倖子の墨の絵展 」Oギャラリー(銀座)でワサブローさんのコンサートがあります。
 
その時も茨木のり子さんの 「 私が一番きれいだったとき 」に出会えるかも知れません。
 
そしてこんな詩がありました。
 
 
  ピカソのぎょろ目
 
  
   ピカソのぎょろ目は
 
   一度見たら忘れられないが
 
   あのひとはバセドウ病だったに違いないと
 
   つい最近になって気がついた
 
   私も同じ病気にかかり
 
   ものみなだぶったり歪んだりして見える
 
   複視となって焦点がまるで合わない
 
   ピカソのキュービズムの元は
 
   これだったかと  へんに納得してしまったのだ
 
   立体を平面に描くための斬新な方法とばかり思っていたのに
 
   ある時期  彼は
 
   ものみなずれて ちらんぱらんに見えたに違いない
 
   女の顔も
 
   それを一つの手法にまで高めたのだ
 
   敵らしきものが入ってくると
 
   からだは反応して免疫をつくるのだが
 
   敵が入って来もしないのに
 
   何をとちくるったか
 
   自分のからだをやっつける誤作動の指令
 
   自己免疫疾患
 
   甲状腺ホルモンがどばどばと出て
 
   眼筋までが肥大して眼球を突出させてしまうらしい
 
   ピカソへの不意の親近感
 
   小さな発見におもわれて
 
   美術史家の数人に尋ねてみた
 
     「どこかにそういう記載はありませんか? 」
 
   みんな
 
     「さあ…」
 
   といぶかしげ
 
   若い時に発病するものなのに
 
   今ごろになってこんなものが出てくるとは
 
     「私のからだはまだ若いということでしょうか? 」
 
   冗談まじりに尋ねると
 
     「そう思いたければ
 
     そう思っていてもいいでしょう 」
   
    と   若い医師は真面目にこたえた
 

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