聖和

ほんとうの真理の背後には許しと愛と救いの心情があります

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み旨が動機になるでしょうか、自分が動機になるでしょうか。自分が動機になってはいけないのです。それなのに、いつもみ旨をあとにして、自分を動機とする時の多いのが、今日の人間たちです。み旨は受難の道を要求していますが、「私」はそれに背こうとします。相反する立場なのです。み旨は右に行けというのに、自分は左に行こうとします。
自分を弁明しようとする者は、天国に入ることができません。絶対的な信仰というものは、自分を弁明する立場ではないのです。弁明される立場になるべきです。そこには一言半句、何かを提示する内容もありません。弁明される立場です。うまくやっても、「うまくやった」と言える立場ではありません。自分が100パーセント認められるものだとしても、神様が見るときは一つです。自分が100と認めるものが、神様には一つなのです。それゆえ、天国は自分を中心として提示する立場では、訪ねていくことはできないのです。R,M

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2014/9/15(月) 午前 6:30に『自分を弁明しようとする者』
2015/3/13(金) 午前 7:00に『天国に行くことができない場合』
と、2回にわたり掲載されておりますが、深―い理由があるのでしょうか?

2015/3/13(金) 午前 10:53 [ tonbi ]


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