一歩下がる人生・・永遠の法理&宇宙の法則と人の運命

あなただけではありません。もう少しです。あと一息です。いま、一歩下がったことがきっと二歩前進に繋がります。

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素晴らしいお母さん 、そして私も母に感謝

アテネ〜スパルタ間約246キロメートルを36時間以内に走る競技をスパルタスロンと呼ぶそうだが、これに2回優勝した坂本明子さん(53歳)。食事、休憩、睡眠は走りながらとされ、高低差1200メートル、温度は35度C〜5度C、下痢と山道に迷い苦しみながら31時間9分で完走。男女371人エントリー中優勝の快挙。33歳で子宮ガンを手術し、万が一に備え、頑張る姿を子供達の目に焼き付けておきたいとマラソンに挑戦。週4〜5日は午前1時までスーパーで働きその後走る。毎朝5時には夫と子供2人の弁当作り、パートに出る前には夕食の用意。このようなお母さんは大勢おられるでしょうが、たまたま目についたのでご紹介です。(2016.9.16)

当方、13歳の時、父が3年寝た後で病死。30代前半の専業主婦だった母は近くの豆腐屋さんに頼んで、品物を仕入れて、4キロのでこぼこ道を、自分が生まれ育った田舎まで、リヤカーで売りに歩きました。私も時々はリヤカー後押しをしながら母に同行です。
まさに下記の写真で当時の姿を思い出しました。

家族は、まだ父の年取った両親もいたので、6人家族の生活は大変でした。
母に叱られた記憶はありませんが、ご近所に何回か謝りに同行して貰った記憶はあります。

母の、たまにしかつくらない少し寂しそうな「笑顔」が最高でした。母の亡くなるまで、この笑顔を見るために、私は1年に1〜数回、実家に帰った気がしています。

母が亡くなった後、兄からお金が送られてきました。私と結婚したあと、家内が40年間、母に盆・暮れに僅かな小遣いを送っていたのですが、兄からの送金は、そのお金とほぼ同額でした。使わなでイザのために置いてあったようです。
母に感謝の気持ちでそのお金で、小さな想い出ガーデンを造って、思い出してお礼を言っています。(庭の写真)
いくつもの喜びや苦しみを経て 人の心を知る年になった 今何かにつけて 心をよぎるのは、若かりし 母の面影
(「昭和のこどもたち」(石井美千子人形作品集からの写真拝借)

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不思議体験の原点・・癒気治療家 杉山さんに会ったこと

杉山さんに初めてお会いしたのは私が47歳の頃と記憶しています。

取引先の運送会社の社長さんが脳梗塞で入院したので、お見舞いに行きましたが、会話もままならない状態でした。

お見舞いの後、もうこの世で会えないのではと思っていました。が、半年後、元気なお姿でお礼に見えたのです。 びっくりでした。その社長さんの回復された要因は、実はお見舞いと称して杉山さんに癒気をお願いしていたそうです。

私も足や首が痛かったので紹介して貰うことにしました。冬で、確か私はオーバーコート着用でしたが、その社長さんはスーツのままで、長津田駅の階段を駆け足風に上っていますが、その社長さんは私より15歳くらい年上のはずです。
私も2〜3回通って、お蔭で足や首も改善しましたが、引き続きその後も伺いました。

友人・知人を紹介したケース例です。お得意先の社長はある有名医大の先生3人に個人的にも診てもらっていました。脳の病で伝え歩きがやっとで、また会話も不明だったのですが、杉山さんに通って半年後、プールで泳いだり会話も出来るようになりました。他には ガンや白血病も治った人も知っています。

この世に、こんなことが本当にあるのかと奇跡をみた気持でした。

彼は、早大卒業後、松下電器に入社。御成門ビル勤務時の会議中に、隣の社員の首筋に勝手に手が動いたのがスタートでした。隣の社員は高熱で、会社を休みたいのを会議があったので出社したそうです。
杉山氏の手が2〜3分触っていただけで、気分が良くなり煙草を吸い始めたそうです。

その後、社内では出張などの都度、社員に頼まれていたそうですが、結局、天命だと認識して、人助けのために退社し、長津田のアパートで癒気治療を始めました。

私は100人くらい紹介しましたが、みんなに喜ばれ、私を命の恩人と言う方もおられました。
治療方法はうつ伏せの状態で、衣類の上から背中から足にかけて40分さするだけですが、時々は頭から首筋まで摩っていました。


私は現役時代、弱音の虫が起きると「気」を入れに行きました。特に翌年に見事な?倒産事件で整理再建責任者の立場になり、心身共に疲れましたが、杉山さんにお邪魔するたびに前向きの「気」が充満しました。

倒産事件発生から2年後の最終解決まで、応援して頂いた方は大勢おりますが、一番は、自殺と人殺し以外は何でもやりますよと言ってくれた部下3名の方と弁護士の阿部先生でした。阿部先生は、その後、サリン事件被害者救済や弁護士会会長をされた方です。

杉山さんは平成22年夏、亡くなったお父さんが海が見たいと言われていたとのことで、 長津田から小田原に引越しされました。

以上の出会いや事件が、私がいろいろな不思議体験をした「原点」だったような気が致します。

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